プロローグ
異星人は存在するか?
多くの人々が心に抱きつづけてきたその疑問への答えが、西暦二二〇六年、じつに思いがけない形で、科学者たちの前につき出された。
火星軌道と小惑星帯の中間あたりで、ワープ空間から飛び出してきた所属不明の非常用脱出カプセルらしきものの中に、異星人の少年が眠っているのが発見されたからである。
少年は、驚くほど地球人と似ていた。体格や外見など、ただひとつの点をのぞいては、九歳ぐらいの人間の男の子のように見えた。
唯一の違いは髪や皮膚の色素である。少年は、メラニン色素のかわりに、同じような働きをするものと思われる未知の青紫系の色素をもっており、そのため、皮膚は淡いすみれ色で、髪は青紫色だった。
それ以外は、医療機器で調べたかぎりの体の内部の臓器から、血液の成分や細胞の組織、遺伝子までが、人間と驚くほど似ており、人間にほどこすのと同じ治療で、少年は意識を取り戻した。
少年は怯え、混乱しており、医師や科学者たちは、なんとか少年と意志の疎通をはかろうと、ラグランジェVサイ研究所のダニエル・カトウ所長を招いた。
すぐれたESP(超感覚)能力をもつカトウ所長は、訓練生のカトリーヌ・アトマンとともに、注意深く少年に接し、意外なほど早く意志の疎通に成功した。
そういうことができたのは、ラルモ・ソーンと名乗ったその少年もまた、高いESP能力をもっていたからである。
ラルモは、ひとたびカトウ所長やカトリーヌに敵意がないと悟り、信頼すると、もともとの高い知能とESP能力によって、驚くほどの速さで太陽系内の主要公用語となっているネオ・エスペラント語を覚え、会話できるようになっていき、自分のことを語った。
彼は、両親とともにフェデンという星からやってきたことは覚えていたが、どうして脱出カプセルで太陽系内の空間を漂っていたのかは、まったく覚えていなかった。
ただ、霧やもやや白い部屋といったものに激しい恐怖を示したことから、「白い闇の世界」ともいわれる白いワープ空間のどこかで、乗っていた宇宙船がなんらかの事故に遭い、その恐怖のために、事故の前後の記憶をなくしたのだろうと推測された。
カトウ所長は、この多感な異星人の子供を、マスコミや人々の好奇の目から保護するため、極秘にして自分の研究所に引き取ることを主張した。
科学者たちと政府はその主張をいれ、ちょっとした害のない色素の操作で、ラルモの淡いすみれ色の肌を小麦色に、青紫色の髪を黒く変えて、ラグランジェVサイ研究所にあずけた。
ラグランジェVサイ研究所は、宇宙空間に浮かぶ円筒型のスペース・コロニー「ラグランジェV」にあって、俗にサイキック・スクールの名で呼ばれるとおり、サイキックとかサイ能力者と総称されるESP能力者やPK(念力)能力者の少年少女たちが、おおぜい暮らしている。彼らは、とまどいながらも、この異星人の少年を受け入れたのだった。
おとなばかりに囲まれていたときには緊張していることの多かったラルモも、しだいに新しい友人たちに心を開くようになり、見知らぬ世界での生活に適応していった。
この人類の歴史に残る遭遇が、その後の恐ろしい事件の幕開けであることに気づいた者は、ラルモ・ソーン本人を含めて、だれもいなかった。
1
長年使われていない古い小屋に、ふたりの少女とひとりの少年が身をひそめていた。
十六、七歳ぐらいと見える少女は、ショートカットの黒髪に黒い瞳で東洋系の顔立ちをしており、少し年上と見える少女は蜂蜜色の長い髪に青い瞳。いちばん年下の十歳くらいの少年は、黒い髪にすみれ色の瞳という珍しい取り合せで、人種不祥の美しい顔立ちをしている。
蜂蜜色の髪の少女がナイフを自分の手首にかざしたままためらっているのを見つけて、黒髪の少女がそれをもぎ取った。
「だめ! ジジ! 早まらないで!」
「あ、ああ、ごめんなさい」
泣きだしそうな表情で、ジジと呼ばれた少女があやまった。
「だいじょうぶ。死にはしないわ。そんな勇気はないから。……でも、恐くて。恐くてたまらなくなって、それであたし……」
「落ち着いて。ここはそうかんたんに見つかりゃしないから」
ラグランジェVには、人工の山や森がつくられており、ここはそんな人工の山の中腹で、住宅地帯とはかなり離れているし、一般的なピクニック・コースからもはずれている。
とはいえ、ハイキングにやってくるもの好きがいないとも限らないので、ナコは言い添えた。
「もし見つかったって、わたしがジジを守るよ」
「違うわ。ハンターや町の人たちが恐いんじゃない。恐いのは……」
ジジはほんとうに泣きだした。
「恐いのは病気よ。もし発病したら、わたし、ナコやラルモを……」
ナコと呼ばれた黒髪の少女は、どう言ってなぐさめていいかわからず、ただジジを抱きしめた。
たしかに人間の暴力から彼女を守ることはなんとかできても、得体の知れない病気から守ることはできない。
「ごめんなさい。こんなこと言ってもしかたないのにね。……わたし、いちばん年上なのに、ナコに頼ってばかり……」
「そんなこと気にしないで。恐いのはむりないんだから。でも、悪いほうにばかり考えちゃだめよ。もう絶対だめって思ったようなときだって、道が開けることがあるんだから」
けっして気休めだけではない力強さで、ナコは言い切った。そう言えるだけの体験がナコにはあり、それだけに、彼女の言葉には真実味があった。
とはいえ、彼ら三人が置かれている苦況に変わりはない。三人は、人々の敵意と原因不明の病気という、二重の脅威にさらされていた。
彼ら三人は、ラグランジェVサイ研究所の訓練生である。
テレパシーや透視能力や念力など、ESPやPKと呼ばれる能力が、ある種のエネルギー微粒子によるものではないかという仮説が登場したのは、二十世紀の後半のこと。その微粒子が、いまでは実際に発見され、量を計測できるようになっていた。
サイ微子と名づけられたその微粒子は、だれでもあるていどは発信したり感知したりできるのだが、ふつうは、力が弱すぎて、ESPやPKと呼ばれるほどの力として現われることはない。
だが、まれに、サイ微子を感知する能力の高い者や、発信する能力の高い者がいて、感知する能力の高い者はESP能力者、発信する能力が高い者はPK能力者と呼ばれる。両者を総称してサイ能力者とかサイキックと呼ぶこともある。
どちらの能力も、標準値を一として、指数が百以上の者が能力者と呼ばれていた。
ESP能力は精神感応や透視や千里眼など、PK能力はテレパシー発信や念力などとなってあらわれるのだが、指数が百未満ていどでは、数値の上では人より高いことがわかっても、それとわかるような実用的な力は使えない。
ナコはPK能力者で、PK指数はあまりに大きすぎて計器が壊れたほどなのだが、ESP能力のほうはふつうの人間と変わらない。
その逆に、ジジは典型的なESP能力者で、ESP指数はかなり高いのに、PK指数は標準値の一より低いくらいだ。
ESP能力者は感受性が強くて他人の心理に敏感なものだが、ジジもその例にもれず、人の心に敏感で、それだけにもろく傷つきやすい心をもっていた。
ラルモは両方の能力をもっていたが、PK能力に比べて、ESP能力のほうがかくだんに大きい。
PK能力もESP能力も、一種の特殊技能と見なされており、彼ら三人を含めて、サイ研究所でサイ能力の訓練をしている少年少女たちには、それぞれの能力を活かした未来が開けていた。一般の人々から、多少の妬みや反感を向けられることはときたまあっても、身の危険を感じるほどの敵意を向けられることはまずなかった。
それがこのように人々の目を逃れて隠れひそまなければならなくなったのは、ここ何ヵ月かのあいだにはやりだした原因不明の病気のせいである。
最初にその病気が現われたのは、いつどこでなのか定かでないが、ニュースとなって流れたかぎりでは、十ヵ月ほど前、木星の衛星ガニメデでの事件が最初だった。
ESP能力者の女性がいきなりパニック状態になり、なぜか標準値しかなかったはずのPK能力を発揮して暴れ狂い、数人に重軽傷を負わせたあげく、ビルから飛び降りて死亡した。
その一件だけなら、PK能力のなかったはずの人間が念力を使ったとか、その女性が事件直前までまったく正常な精神状態に見えたなど、不審な点があったにしても、彼女ひとりの身に起こった狂気として片づけられていたことだろう。
だが、事件はそれ一度ではなかった。それからぽつりぽつりと似たような事件がつづき、しだいにひんぱんになっていったのである。