エジプト女王の壺(冒頭部)

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     プロローグ

 王女と彼女はつねにいっしょだった。
 いや、はたして彼女と言ってよいものか。
 王女は彼女の性別を知らない。たずねたこともない。性別があるのかどうかさえ知らない。
 ただ、彼女はずっと王女とともにあり、姉妹よりも、乳姉妹よりも親しく、まるで王女の分かちがたい分身のようだった。そのため、王女には、なんとなく彼女が同性のように思えていたのだ。
「わたくしはメルエンラーにいさまと結婚するでしょう」
 王女は彼女に言った。
「わたくしはにいさまが好き。おとうさまよりも、おかあさまよりも好き。でも、あなたはまた別よ。だから、いっしょにいてね。ずっといっしょにいてね」
「ええ、いっしょですとも。ずっといっしょですとも」
 彼女は約束した。

「おい、あれはなんだ?」
 砂の中に姿をあらわした石材に、作業員たちは顔を見合わせた。
 自然の石ではない。直方体に切断され、組み合わされた石材は、明らかに人工のものだった。
 予定通りに砂を取り除いていくうちに、それがただの石材ですらないことがはっきりしてきた。
 それは建造物だった。高さ二十メートルほどのごく小規模なピラミッドの頂上の石だったのである。
 時は西暦二一八二年。二十世紀の昔から提唱されながら、なかなか実行に移されなかった北アフリカ緑化計画が、いよいよ本格的に動き出し、エジプトからサハラ砂漠とリビア砂漠にまたがる広大な砂漠地帯が、豊かな緑地に生まれ変わろうとしていた矢先のことである。
 発見者の作業員や工事責任者たちは、当惑していた。
 いくら小規模とはいえ、今まで世に知られていなかったピラミッドが砂の中から現われたのだ。世紀の新発見と喜ぶべきかもしれない。
 だが、この発見によって、せっかくの砂漠緑化計画が一時中断されるのはまちがいない。
 緑化計画に携わる人々の困惑とは裏腹に、考古学者たちはこの発見に沸き立った。そして、発見から数日を経ずして、地元エジプトのハサン博士と、彼の友人でたまたまカイロに滞在していた日本のカシマ教授が、調査に赴いたのだった。


        1

(何よ、インケン教師。合格にしてくれたっていいじゃないの)
 校舎の白い建物から歩み出ながら、メグミが心の中で悪態をついている。
 ちょうど通りかかったシローは、それをテレパシーで感じとって苦笑した。
「騒々しいなあ、そこらじゅうに声が響いているぜ」
 メグミがシローのほうをふり向いた。
「騒々しいったって、わたし何も……」
 言いかけて、メグミは口を閉じた。シローが、自分のシールド・リングを、メグミの目の前でぶらぶら振って見せたのだ。
「何よ、自分が先に合格したと思って」
 説明しておくと、メグミがきょう落第したのは、入学試験でも期末テストの追試験でもない。サイ能力の使用免許を取るための試験、つまり、サイ能力者として一般社会に出ていくための試験だった。
 サイ能力というのは、念動力やテレパシーや透視能力など、かつては超能力と呼ばれていた特殊能力である。そういう能力をもつ人間は昔からいたようだが、とくに、世界のあちこちで、さまざまな超能力を持つ子供が続々と生まれるようになったのは、二十一世紀の末ごろのことである。
 そのころ、世界じゅうで異常気象だの局地的な戦争だのがつづいて、世界人口の三分の一近くが死滅した。それで、生きのびるために、生まれてくる子供たちに特殊な能力が備わったのだといわれているが、確かなことはわからない。
 超能力を持つ人間が急激に増えたときには、自分の力をうまく制御できない者も多かったため、世界じゅうでパニックが起こったらしいが、超能力を遮断するシールド・リングが発明されて、何とか解決がついたという。
 超能力という言葉が死語になり、サイ能力と言われるようになったのも、そのころからだった。
 サイ能力者と判定された子供は、自分の力を自在にコントロールできるようになるまで、託児所から大学までそろったサイ・スクールで、訓練のとき以外はシールド・リングを頭にはめて、一般社会から隔離されて育つ。
 学校の敷地内には、寮や食堂などはもちろん、商店や診療所、低年齢の生徒が親とともに住める集合住宅などもあり、生徒は、免許を取るまで、許可がなければ敷地外に出ることはできない。
 だが、能力をコントロールするすべを完全に身につけたと判定されれば、サイ能力の使用免許を与えられ、自由に学校の外へ出て行ける。卒業までサイ・スクールに残るのも、一般の学校に転校するのも自由だった。
「あのクソ教師、わたしにまだ制御力が足りないっていうのよ。自分の念力ぐらい、ちゃんとコントロールできてるわよ。仮免ぐらい、もったいぶらずにくれればいいのに」
 メグミがぼやくと、シローは肩をすくめた。
「しょうがねえだろ。念力ってのは、危険の度合いが大きいんだし、おまえのはとくに強いんだから。自分の才能を恨むんだね」
「いいわね、あんたの力は人畜無害で」
 シローは、弱いテレパシー受信能力をもっている。他人のあけっぴろげな思考や強い感情を読み取ることができるが、こみいった思考やデリケートな感情は読み取れないから、そこそこのコントロール力でも、うっかり他人のプライバシーを侵害してしまう心配はあまりない。読心能力というには少々力不足という程度の力だった。
「まあまあ。いいじゃないか。あいつも落第したことだし」
 そう言って、シローはふいに校舎に向かって手を振った。
「おーい、ルネ」
 メグミもふり返ると、しょんぼりした足取りで歩いてくるルネに向かって手を振った。ルネがふたりに気づいて駆けよってくる。
「どう、メグ、受かった?」
「ううん、あんたと同じよ」
「ああ、そうか」
 仲間たちから取り残されずにすんだと知って、心なしか、ルネの声はほっとしているように聞こえる。
「透視能力ってのは、そんなにコントロールが難しいのかい?」
 シローが含み笑いをしながらたずねた。
「どうせ、美人試験官のヌードでも透視しちまったんだろ?」
「してないっ!」
 ルネが顔をまっ赤にして叫んだ。
「でもよぉ。試験官が実習生のミズ・ムラセでさ。私の服を透視したりしてはだめよ、なんて言うんだぜ。それで、こっちがうろたえたら、質問に正直に答えてないから緊張しているんだって言うんだもんな」
「ミズ・ムラセの読心能力は、おれのと似たりよったりだもんな。嘘をついて緊張しているのと、うろたえて緊張しているのとの区別はつかないだろうな」
「ひどいよな。こんな力、もうまっぴらだよ。なんで、男が透視能力を持ってるってだけで、痴漢扱いされなきゃなんないんだよ?」
 メグミは、ルネがちょっとかわいそうになった。
 ルネは、母親から北欧系とフランス系の血を受け継いでいて、エキゾチックな魅力をもつ美少年だというのに、透視能力のせいで女の子にもてない。いままで美貌に惹かれて近づいてきた女の子たちは数多いのに、透視能力者だと知ったとたん、みんな、態度がころっと変わって、去っていったのだ。
「まあまあ、そうすねなさんなって。わたしは、ちゃんと、あんたのこと信用してるから」
「じゃあ、メグ、ぼくがシールド・リングはずしても、そこに立っててくれるかい?」
 そう言うと、ルネはシールド・リングに手をかけた。
「わーっ、ちょっと待って」
 メグミはあわてて横に跳びのいた。シローまでが、わっと叫んでルネの背後に身を移す。
「何だよ、やっぱり信用してないんじゃないか」
 ルネはよけいいじけてしまった。
「いっそのこと、一生その輪っかつけてすごせばいいじゃないの」
 メグミがルネのシールド・リングを指差すと、ルネは激しく首を左右に振った。
「やだよっ。修道僧なんてまっぴらだよ」
 誤解のないように説明しておくと、修道僧というのは本物の僧侶のことではない。
 たいがいの生徒は、ちゃんと免許を取って社会に出ていくのだが、なかには、仮免さえ取れずに− あるいは外に出ていくことをいやがり、世界各地のサイ・スクールのどこかに職を見つけて居残る者もいる。そういう人々のことを、生徒たちは、修道僧だの、尼さんだの、牢名主だのと呼んでいるのである。
「ところで、ユリカは? あのコ、まさか、本気で尼さんになる気じゃないでしょうね」
 メグミの言葉に、シローとルネは顔を見合わせた
「おれ、さっきからずっとあんたらを待ってたんだが、ユリカは見かけてないぜ」
 シローが言うと、ルネもうなずいた。
「じゃあ、やっぱりさぼったんだ。ちゃんとテストを受けるつもりなら通ってるはずだよ。順番じゃ、ぼくの次の次なんだから」
「やだよっ。修道僧なんてまっぴらだよ」
 誤解のないように説明しておくと、修道僧というのは本物の僧侶のことではない。
 たいがいの生徒は、ちゃんと免許を取って社会に出ていくのだが、なかには、仮免さえ取れずに− あるいは外に出ていくことをいやがり、世界各地のサイ・スクールのどこかに職を見つけて居残る者もいる。そういう人々のことを、生徒たちは、修道僧だの、尼さんだの、牢名主だのと呼んでいるのである。
「あのコの気持ちもわからなくはないんだけどね」
 メグミはため息をついた。
 ユリカは、他人の精神を見る力を持っている。テレパシーのように心を読む≠フではなくて、見る≠フだ。それも、生きている人間の精神だけでなく、肉体を失ったあとの残留精神まで見えてしまう。
 早い話、幽霊が見えるのだ。シールド・リングをはずすのを怖がって、訓練やテストをいつもさぼっているのも、まあ無理もない。
「免許だけ取って、一生シールドしたまま暮らせばいいのに」
 ルネの言葉に、メグミは首を左右に振った。
「むりよ。免許を取れば、周囲がほっときゃしないわ。残留精神が見えるって、けっこう実用的な力なんだから」
「犯罪捜査にも使えるからな。そういうのだと、頼まれれば、なかなかいやとは言いにくいもんだぜ」
 そう言うと、シローはため息をついた。
「でも、ユリカにしてみりゃ、そういうのがいちばんパスしたいだろうしな」
 当然だ。盗難事件ぐらいならともかく、殺人事件の捜査に協力などさせられれば、殺された人の残留精神を見なければならなくなる。だれだって、そんなものを見たいはずはない。
「能力が強いって、かえって損よね」
 メグミがしみじみというと、シローがぼやいた。
「たいへんだってのはわかるけどさ。ひとりぐらい免許取ってくれよな。外へ遊びに行けねえじゃんかよ」
 シローの言い方にムッとして、メグミとルネが口々に言い返した。
「ひとりで行けば?」
「免許取った人と行けばいいだろ?」
「そうするよ」
 シローは、いたずらっぽくニヤッと笑った。
「アキとふたりで遊びに行くよ。せっかく久しぶりに会えるってのにな」
 思いがけない言葉に、メグミとルネはきょとんとした。
「アキと?」
「会えるって?」
 アキは、メグミたちと同じ年齢だが、この春に二年のスキップ進級でサイ・スクールの高等部を卒業し、今は一般社会で大学生をやっている。
 アキは一種の天才児だった。IQそのものは、高いながらに天才というほどではないのだが、一度覚えたものは決して忘れないという特異な記憶力の持ち主なのだ。
 もちろん、これはサイ能力ではないのだが、サイ能力者の子供たち同様、自分の能力をコントロールする術を学ぶ必要があった。でなければ、自分の記憶に押しひしがれて、神経がまいってしまう。
 そこで、アキは、サイ・スクールで数年を過ごし、思い出したくない記憶や不必要な記憶を表層思考にのぼらせない方法を学んで、高等部卒業を機に一般社会に帰っていったのである。
 サイ・スクールを出てからも、アキはときおりメグミたちと連絡を取り合っていたのだが、遊びにくるという話は、ふたりとも聞いていない。
「あ、わりィ、わりィ。言い忘れてた」
 たいして悪いとは思っていないような口調で、シローが言った。
「ゆうべ、アキから映話があって、おれが受けたんだ」
「あんたねえ、そういうことを何でもっと早く言わないのよ?」
 メグミが口をとがらせた。
「テスト前に言ったら気が散るだろ? どうせヒマだとわかってたしな」
 言い返すかわりに、メグミはぐいとシローの胸ぐらをつかんだ。
「わーっ、待った」
 あわててルネが止めたときには、シローの体はすでに宙に舞っていた。が、シローも慣れたもので、うまく地面に着地する。
「そんなにケンカっ早けりゃ、仮免に落ちるのもむりないぜ」
「悪かったわね。ケンカに念力を使わなくてもいいように、腕っぷしを鍛えてんじゃない。この努力を、先生たちは何でわかってくれないんだろ?」
「そりゃ、むりだよな」
 ため息をついて、小声でルネがつぶやいた。
 からかうようなシローの口調に腹を立てるメグミの気持ちは、ルネにもよくわかるのだが、いくらなんでも、念力を使わずにケンカするために武道を習うなんて、むちゃくちゃだ。それでけんかばかりしていれば、教師のブラックリストに載せられるのもむりはないと、内心、ルネは思った。


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