聖玉の王1  王の捜索  (冒頭部)

トップページ オリジナル小説館 「聖玉の王」リスト

      プロローグ

 長い長い戦いが終わった。
 数十年の長きにわたる魔族との戦いは、とりあえず人間側の勝利に終わり、ハウカダル島の十二の王国に、ようやく平和が訪れた。
 島内の魔族が殲滅されたわけではないながら、魔界と地上をつなぐ門が閉ざされ、魔界から攻めこんできていた魔族の軍はその直前に魔界に撤退。このさき数年は、魔界の門が開かれることも、魔界軍が侵攻してくることもないものと思われた。
 だが、王国中でもっとも勇敢に戦ったホルム王国だけは、手放しで喜べる状況とはならなかった。かんじんの国王グンナルが、激しい戦闘のさなかに消息不明となり、いまだ戻らぬからである。
「このまま王が戻らねばどうなるのか」
 重臣たちや国民の不安は、王の安否だけでなく、世継ぎの問題にも向けられた。
 あるじ不在の王宮で待つのは、王の叔父の子にして世継ぎと定められしオーラーブ王太子と、王と最初の王妃とのあいだに生まれたアーストリーズ王女。それに二度目の王妃グズルーンと、その腹になるまだ赤子の王子シグバルディである。
 とりあえずは、王太子と王妃が共同で王の代行を行ない、重臣団がそれを補佐するという形をとってはいるが、実質的に政権を握るのは王妃の一族。彼らは、当然、オーラーブ王太子よりもシグバルディ王子の即位を望み、王宮内は二派に分かれて揺れ動いた。
 豪勇でならしたグンナル王さえ帰還すれば、世継ぎの問題はいずれ持ち上がるとしても、とりあえず争いは鎮まったろう。
 王太子を世継ぎと仰ぐ者たちも、王妃とシグバルディ王子を支持する者たちも、多くは王の帰還を望んでいた。
 長い戦いの果てにようやく得た平和であってみれば、多くの者にとって、野心よりも、内乱を恐れる気持ちのほうが強かったのだ。
 だが、王は帰還せず、政情不安定なまま、戦いの終わりから一年近くが過ぎ去ろうとしていた。


        1

 物売りの声や人々のざわめきでにぎわう市場の雑踏を、三人の少年が足早に歩いていく。
 最年長の少年は、十七、八歳ぐらい。年下のふたりは、十四、五といったところだろうか。
 三人とも、服装こそごく一般的な庶民のものだが、よく手入れされた髪や、どこか上品な物腰を見れば、貴族か、でなければ富裕な家の子弟とわかる。
 だが、どこかの家の若さまがお忍びで市場に遊びにくるのは、べつだん珍しいことではない。道行く人の幾人かが、けげんそうに彼らをふり返ったのは、べつの理由からだった。
「おい、今のふたり、王太子さまと王女さまに似てなかったか?」
「なに言ってんだ。男の子ばかりじゃないか」
「いや、あのいちばん小さな子、王女さまにちょっと似てたような気がしたが……」
「他人の空似じゃねえのか」
 まずいな、と三人は思った。オーラーブ王太子とアーストリーズ王女は、シグトゥーナの都の人々によく顔を知られている。今は他人の空似と思ってさほど気に留めなくても、あとで城からの追っ手に訊ねられれば、あれが王子と王女であったと思いあたるかもしれない。
 これでは、せっかくアーストリーズが少年に変装した意味がない。
「どうしましょう、オーラーブさま」
「テイト」と、オーラーブは二つ年上の側近にささやいた。
「そんな呼び方をしたらばれてしまう。きみも、リーズみたいに、ラーブと呼んでくれなくちゃ」
「はい。……ラーブ」
「敬語も使わないほうがいいと思うけど」
「は……うん、ラーブ。……だめだ、やっぱり。わたしはこのまま、従者という設定で通してください。でないと、すぐにぼろを出してしまいそうです」
「テイトって、お芝居がへたなのね」
 王女に言われて、テイトは肩をすくめた。
「すみませんね。でも、リーズさまも、女性の言葉づかいになってますよ」
「だって、わたしは……ぼくは、いざとなったらちゃんと……」
 言いかけて、リーズは肩をすくめた。
「無理かしら、やっぱり。わたしたちって、お芝居がへたね」
「芝居がじょうずだとしても、ごまかすのは難しいだろうな」
 ラーブがため息をついて言った。
「リーズが男の子のなりをしているかもしれないことぐらい、ブーリス卿は気がついていると思うよ」
 旅をするとき、女性が身の安全のために男のなりをしたり、みすぼらしく身をやつしたりするのはよくあることだ。深窓の姫君育ちのグズルーン王妃はともかく、世事に長けた王妃の兄ブーリスが、それに思い至らぬはずはない。
「どうします? やはりだれか雇いますか?」
 テイトがたずねた。
 城を抜け出す前から決めていた計画だが、少しためらいがある。
 都の城門の外に出れば、戦いが終わって稼げなくなった傭兵くずれの荒くれ者たちが、野盗の群れと化して旅人を襲う。そのうえ、人との戦いに敗れた魔族の生き残りが出没するという噂まであり、武装集団ででもなければ、旅するのは危険だといわれている。
 ゆえに、他の国や町におもむく者たちは、たいがい、集団となり、何人もの護衛を雇って出立する。
 だが、その護衛も、確実に信頼できるとはかぎらない。
 他に抜きんでて強く、人格的にも信頼できる傭兵は、戦争のあと、軍を率いていた王や諸候にそのまま継続して雇われた者が多く、旅人の護衛などをして糊口をしのいでいるのは、そこからはみ出した者たちだ。腕前のほうがかなりあやしかったり、道中で強盗と化す者も多いと聞く。
 目先の利く者の中には、確実に信頼できる者ばかりを選りすぐって、傭兵ギルドをつくろうという動きもあるようだが、まだ機能するに至っていない。
「とりあえず酒場に行ってみよう」
 ラーブが答えた。酒場が傭兵くずれの者たちのたまり場になっていることは、テイトに聞いて知っている。
「少しでも信頼できそうな人がいれば、その人を雇おう。あとは自分の判断を信じるしかない」

 シグトゥーナには、食堂と宿屋を兼ねた酒場が何軒かあり、店によって客層が微妙に違う。
 富裕な商人や騎士などの上層階級の者がよく使う店。商店の使用人や職人、一般の旅人など、ふつうの庶民がよく行く店。そして、傭兵くずれやごろつきのような者たちが集まる店。
 ラーブたちが選んだのは、もちろん、その三番目。数ある酒場の中でも、とくにうらびれた感じの店である。
 黒ずんだ木の扉を押して、店に一歩足を踏み入れたとたん、テイトとリーズは、思わず顔をしかめた。
 店内は、外見に違わず、うらびれていた。
 土がむき出しの床には、食べ物のくずがところどころに散らかり、薄汚れた壁やテーブルには、虫が這っている。まだ昼間だというのに、店には酒の臭いが充満し、テーブルに着いている数人の男たちは、一見してそれとわかるほど酔っている。
 このような場所に初めて足を踏み入れるリーズはもちろん、下見に一度訪れたことのあるテイトですら、思わず眉をしかめたくなる風情の店だが、ラーブひとりは、好奇心に目を輝かせながら、店内を見まわした。そして、ひとりの男に目を留めた。
 その男は、まわりから妙に浮いて見えた。
 騒いでいるわけではない。むしろ逆だった。酔って気炎を張り上げる他の客たちとは対照的に、店の隅のテーブルに着いて、ひとり黙々と飲んでいる。そのもの静かさが、かえって、他の客とは違ったタイプの人間という印象を与える。
 だが、服装や腰に吊した剣からすると、明らかに他の客たちと同業とわかる。
 ラーブの視線を追って、リーズもその男に目を留めた。
「あの人がいいわ」
 リーズが自信たっぷりに断言した。
「きれいな人だもの。きっといい人よ」
 テイトは目をむいた。
「そんなむちゃくちゃな基準で傭兵を選んで、どうするんですか」
「そうとも」と、ふいにすぐそばのテーブルから声がかかった。
「傭兵は顔で選ぶもんじゃねえぜ、ねえちゃん」
 見るからに人相の悪い男にすごまれて、リーズはびくりとし、その男を見たテイトは、顔で傭兵を選ぼうとした王女の気持ちがわかるような気がした。
 顔の造作の問題ではない。声をかけていた傭兵も、ほかの者たちも、いかにも人相が悪く、すさんだ雰囲気をたたえており、気が強いとはいえ育ちのいい王女が恐怖を感じるのにじゅうぶんだ。
 そんな荒くれ男たちのなかで、リーズが選んだ男ひとりが、ふしぎとすさんだ雰囲気を感じさせない。美しいと形容してもいい整った容貌のせいばかりではなく、全体から受ける印象が、他の荒くれ男たちと全然違う。
 だが、その男をよく見て、テイトが最初に感じた好印象は、たちまち恐怖にとってかわった。男の髪が黒く見えるのが、薄暗がりのせいばかりではないと気づいたからだ。
(魔族!?)
 テイトは、騎士階級の子弟としての教育を受けていたので、遠くの大陸には黒髪の人間がたくさんいることも、
ハウカダル島にも珍しいながらに黒髪の人間がいることも、知識としては知っていたが、身近に黒髪の知人はひとりもおらず、本物の魔族を見たことは一度もない。
 そのテイトに、人間の黒髪と魔族の黒髪の区別などつこうはずはない。まして、魔族との戦いが一段落ついてまだ日の浅いこのとき、場違いな雰囲気をたたえた黒髪の男がいれば、魔族かと疑うのは無理もなかった。
 と、男は顔を上げ、興味なさそうにテイトのほうを一瞥した。
 恐怖と警戒心に目を見開いたテイトの顔を見ても、男の表情には何の感情も関心も現われない。男の表情がかすかにだが変化したのは、視線をテイトから、そのかたわらに立つラーブに移したときだった。
「おまえ……」と、男が初めて口を開いた。
「以前にどこかで会ったことがあったか?」
「いいや」
 答えながら、ラーブは、その傭兵に興味を引かれて、その端正な顔をのぞきこむようにして凝視した。そして、彼なりに、興味を引かれた理由を理解した。
「あなたは信用できる人だと思う。あなたを旅の護衛に雇いたい」
 男が口を開く前に、背後で揶揄するような声が上がった。
「ぼけてんじゃねえのか、坊や。そいつの髪の色が見えねえのか?」
 先ほどリーズをからかった男だ。
「黒髪がどうかしたのか?」
 ラーブが男をふり返ってけげんそうに訊ねた。
「黒い髪の人ぐらいいるだろう? 数は少ないけど」
 男はぐっと詰まった。戦争でいやというほど魔族を見たことがあったので、その黒髪の同業者が魔族でないことぐらい、よくわかっていたからだ。
「だがよ」と、男は矛先を変えた。
「何年か前のことだけどよ、戦のときに、魔族に通じてやがった黒髪の男が捕まったってェ噂、聞いたことあるぜ。そいつがどっかの領主に預けられて、そっから逃げ出したって話もな」
「噂は事実かどうかわからないし、事実だとしても、この人のこととはかぎらないだろう? この人が信頼できることは、わたしにはわかるからいいんだ」
「雇われるのはかまわんが」と、黒髪の男が口を開いた。
「おれを信頼できると思う根拠は何なんだ?」   
「わたしには、ときどき、信頼できる人がわかるときがあるんだ」
「見ただけで、相手を信頼できるかどうかわかるってのか?」
「信頼できるかどうかじゃなくて、信頼できる人のとき、わかることがあるんだ。べつに、何も感じなかったからといって、信頼できない人ってわけじゃないけどね」
 ラーブの背後でどっと笑い声が起こり、揶揄の声が上がった。
「頭がおかしいんじゃねえのか、この坊やは」
「そんなもんがわかってたまるかよ。魔族なら人の心を読めるやつがいるらしいけどよ」
 ラーブはもうふり返らなかった。背後の男たちとではなく、目の前の男と交渉しているのだ。
 テイトももう口をはさまなかった。ラーブのその才能を、テイトは彼なりに理解し、尊重していたからである。
「わかった」と、黒髪の男がいった。
「一日銀貨一枚。宿に泊まるときは宿代。それに食費をそちら持ちだというなら、護衛を引き受けよう」
「おいおい」と、また後ろから声が上がる。
「そいつはただの旅の護衛にしちゃ、ちょっと高えぜ。おれなら二日で銀貨一枚で引き受けてやるのによ」
 どうするのだ、と言いたげに、黒髪の男はラーブを見た。
「その条件でけっこうだ」
 ラーブは相手の目をまっすぐ見つめて返答した。
「契約成立だな」
 男は立ち上がり、一行は、残念そうに見送っている他の傭兵たちを尻目に、店をあとにした。


上へ