「聖玉の王ー塔の街」の番外編ですが、
本編を読んでいなくてもわかると思います。
はじめに
この「はたらく魔族たち」は、魔族たちが隠れ住む都市《塔の街》で働く魔族たちの自己紹介という形で書いてみました。本編に登場する人も、この先登場するかどうかわからない人もいます。《塔の街》についてくわしく説明すると本編のネタバレになりそうなので省略。簡単に説明します。
ハウカダル島北西部、高緯度の寒くて海に面したところにギアナ高地のテーブルマウンテンを小規模にしたような山々があって、そのひとつに、魔界の強国ザファイラ帝国によって魔界を追われ、ハウカダル島に逃げ込んできた魔族たちが、カッパドキアみたいな地下都市(頂上を基準にすれば地下だけど、麓を基準にすれば高所の都市)を築き、人間からもザファイラ帝国からも隠れて住んでいる……という状況を想像してください。
1 市長
《塔の街》に働く魔族ということで、まず、市長のわたしが自分の仕事について語ろう。人間たちの王国には、それぞれ王がおり、都市には王の配下として市長が任命されているが、《塔の街》の市長は、人間の王国の王とも市長とも違う。為政者ではあるが、支配者でもなければ、支配者の配下でもない。世襲制でもない。
市民に選ばれ、市民の総意を実現させるために、市民のために働く。それが《塔の街》の市長だ。市議会の議員たちについても同じ。市長以外の市職員たちについても、市庁で採用するという点以外は同じだ。
誤解のないように言っておくが、人間の王たちや為政者たちを批判しているわけではない。人間には、暴君や暗君もいるが、つねに民のことを考えて働く名君もいる。ただ、暴君でも名君でも君主だが、《塔の街》の市長は君主ではない。
これは、市職員や市民との関係にも、経済面にも大きく反映する。
君主の場合、家臣たちも一般の国民もすべて君主の臣下になるが、市長と市民は対等の立場だ。市議会議員や市職員たちも、市長の部下ではあっても臣下ではない。そして、市長も議員も、市民の中から、市民によって選ばれる。
そういう立場で、市議会で決められた給料をもらって、市民たちができるだけ安全に、できるだけ快適に暮らせるよう、せっせと働いている。
《塔の街》にとってとくに重要な課題は、人間やザファイラ帝国からの防衛と、それに食糧と暖房の確保。とくに食糧の確保のために働いている市民は多い。
そこで、次は、食に関して市民たちになじみの深い各階の市営食堂のうち、市庁と同じ階にある食堂の店長に話してもらおう。
2 市営食堂の店長
わたしの仕事について話してほしいだと?
そうだな、まずは市営食堂というものについて話そうか。市営食堂は、《塔の街》の各階に一つずつある。地上にある人間の街と違って、《塔の街》では、街の中心部に設けられた大煙突で排気しないと加熱調理ができないので、飲食店は大煙突の周囲に集まっているのだが、各階とも市営食堂はそのなかで最も規模が大きい。とくにわたしが任されている店は、市庁舎と同じ階にある関係から、他の階より席数の多い市営食堂だ。
市営食堂は、民営の飲食店と違って、市から多少の援助金が出る。援助金に加え、できるだけ安価な食材を用いることによって、小さな銅貨一枚で食べることができる。
安価な食材というのは、《塔の街》のある山で自給自足できる食材、つまり、安全に手に入る食材ということでもある。これは、たんに安価ということ以上の意味がある。
現在、われわれは、この山の外からさまざまな食材を手に入れている。船で海に出て魚を捕る者、周辺地域で採集や狩りによって野草や果実や肉などを手に入れる者、正体を隠して人間と交易をおこなう者などが、この山にこもっていては手に入らないさまざまな食材をもたらしてくれる。おかげで市民は豊かな食生活を送っている。
だが、ザファイラ帝国や人間たちの動向によっては、この山に籠って、ここで手に入る食材だけで何カ月も過ごさなければならない事態が発生する可能性もある。そういう事態に備えて、できるだけここで手に入る食材を用いて、できるだけ豊かな食生活を送れるようにしたい。
飢えないように……というのは、もちろん最低限必要だが、それだけでなく、食事に関してみじめな気分にならないように、おいしいと思える食事を提供できるように工夫したい。
市営食堂はどの階もそういう考えで運営されているのだが、そのためにはどういうメニューがいいかとなると、階によって違う。
たとえば、わたしの階では、ユキイモを穀物のように小さく刻んで粥やスープに入れていることが多い。
ここでは穀物は貴重品で、わずかな雑穀をのぞいては人間との交易でしか手に入らないが、人間の社会に長くいた者にとっては、小麦のパンやミウ麦の粥など、穀物は慣れ親しんだ懐かしい食べ物だ。その穀物をめったに口にできないということでみじめな気持ちにならないよう、手に入りやすいユキイモを穀物のように料理して提供している。
他の階の市営食堂には、このわたしの手法を取り入れているところもあれば、そうではないところもある。どの階の市営食堂も、小さい銅貨一枚で食事ができるというところは共通しているが、考え方もメニューも様々だ。市民は、もちろん、自分の住んでいる階や職場のある階にかぎらず、どの階の市営食堂でも自由に利用できる。
また、各階には、市営食堂のほかにも何軒もの食堂がある。民間の食堂は市からの補助がないため料金が割高だが、それだけに食材の制約も市営食堂より少なく、経営の方針によってバラエティに富んでいる。
《塔の街》では人間の社会と違って貧富の差が少なく、貧しくて民間の食堂をまったく利用できないという者はまずいない。それぞれの考えや好みによって、市営食堂を利用したり、民間の食堂を利用したり、自炊したりしている。
そんな次第なので、わたし以外の料理人の話も聞いていただいたほうがいいだろう。
まずは、すぐ上の階の市営食堂の店長。わたしの親友であり、ライバルでもあり、ユキイモを穀物のように調理するかどうかでわたしとは意見の違う男を紹介しよう。
3 市営食堂の店長・その2
すぐ下の階の店長から推薦があったので、話をしよう。
わたしは、ユキイモを穀物の代用とするメニューには、あまり賛成ではない。なぜかというと、穀物ではないユキイモを無理に穀物の代用にすることによって、本物の穀物を食べられないという不満が募ってしまうのではないかと思うからだ。
それよりは、ユキイモをユキイモとしておいしく食べられるメニューを考えたほうがいいと思う。
そもそも人間が住む十二の王国の領域内でも、穀物よりユキイモをよく食べている人々は多い。小麦粉でつくったパンとなれば、めったに口にできない者のほうが多数だろう。
なぜなら、北部や山岳地帯といった寒冷な土地や痩せた土地では小麦の収穫量が少なく、農地で小麦の生産を主流にしていたのでは、じゅうぶんな食糧を生産できないからだ。そのため、小麦はまったく栽培しないか、または年貢として納める分だけしかつくらず、農民たちは小麦より寒さに強くて収穫量の多いミウ麦やその他の雑穀をつくって食べている。ミウ麦や雑穀でさえ収穫量が充分ではなく、上流階級以外はユキイモを主食としている地域も多い。
そういう地域でも、空腹を満たすためだけに我慢してユキイモを食べているというわけではなく、忙しく働く片手間にでも簡単につくれておいしく食べられる独特の料理をいろいろ工夫している。
たとえば、ユキイモを丸ごと茹でて十字の切れ目を入れ、その切れ目にバターを入れたり、塩漬け肉などの具を入れたものを好んで食べる地域がある。
また、茹でたユキイモをつぶして練ったもので、さまざまな料理を工夫している地域もある。
人間の文化にはさまざまな批判があるが、貧しい人々が乏しい食材をおいしく食べようとする工夫は見習う価値がある。
そういう観点から、この食堂では、ユキイモをユキイモとしておいしく食べるメニューが多いのだ。
このように、市営食堂にも個性があるのだが、民間の食堂はさらに個性的で、市営食堂とはまた違う考えによって運営されている。とくに高級食堂は、市営食堂とは対照的な価値観で運営されているので、そういう店の店長にも話を聞くとよいだろう。
4 高級食堂の店長
この街には、市営食堂は不可欠だが、うちの店のような高級志向の店もまた、たいへん重要な存在だと思う。
なぜなら、人間の社会で暮らしていた魔族は、長命のおかげで人間に比べて技術や知識を研鑽しやすく、比較的裕福な暮らしをしていた者が多い。べつにいまさら人間の世界で裕福な暮らしをしたいと思っているわけではなくても、かつて食べていたような食事を口にすると、やはりなつかしい。かつて自分が持っていたものを何もかも失ったわけではないという気分にもなれる。
かつて貧しい暮らしをしていた者も、たまに奮発してごちそうを食べれば、貧富の差がごく小さい社会に住んでいるという満足感を、改めて味わうことができる。
生存のためのぎりぎりの生活というのは、短期間なら堪えられても、長期に渡ればつらくなってくるだろう。時々のささやかな贅沢は、明るく前向きな気持ちを維持するために貴重だと思うのだ。
民間の食堂には、うちのような高級志向の店のほか、特定の国や地域の料理に特化して提供している店もある。そういう店もまた同じだ。人間の社会の料理など思い出したくないという者は食べなければいいが、なつかしいと思う者にとっては、あったほうがいいと思う。
民間食堂の経営者には、そんな考えの者が多い。
おまけ 〈塔の街〉の食材について
ムグ
魔界原産のネズミに似た小動物。卵生。繁殖が早いので、人間の社会でも〈塔の街〉でも、最も安価で、手に入りやすい。
トウヤギ
〈塔の街〉のある山や周辺の山々の山頂平原に生息する固有種。野生のヤギ(ヤギに似た動物)はハウカダル島の山地に広く生息するが、それが地殻変動で周囲から隔絶された山頂部に取り残され、独自の進化を遂げた。おとなしい性質で、子ヤギが乳離れする時期には乳しぼりも可能。肉も乳も手に入りやすいので、市営食堂の食材としてもよく用いられる。
牛、羊
岩棚などでごく少数が飼育されている。貴重品で高価。
ケパ鳥
夏場に海岸地帯の崖に飛来して繁殖する渡り鳥。
トウヤギやケパ鳥などの野生動物は、乱獲して数を激減させることのないよう、市職員によって管理されています。野草などについても同様です。