1ページ完結の歴史ファンタジー小説です。
昔コミケなどで頒布した「太陽神の娘」の外伝ですが、「太陽神の娘」を読んでいなくてもわかる話です。
紀元前十六世紀、古代エジプト唯一の女性ファラオ、ハトシェプストが自らの葬祭神殿として造営した「デル・エル・バハリ」。当時の呼び名では「ゾセルゾセス」。エジプトの観光名所ともなっているその神殿で、迷子になった観光客の子供を捜していたとき、偶然にも、今まで発見されていなかった小さな隠し部屋が見つかった。しかも、その部屋には、石のテーブルの上に、神聖文字が彫られた数枚の石板が置かれていたである。
この大発見は世界の注目を集めた。さっそく考古学者たちの研究グループが石板の解読に取り掛かった。
「はるか未来の方々へ。太陽神アメン・ラーの祝福を受けしハトシェプストが、この文を記す」
予想外の書き出しに、考古学者たちはどよめいた。これらの石板は、ハトシェプスト女王が未来人に宛てた手紙だったのだ。
「わたくしは、太陽神の加護により、夢で未来を垣間見ることができる。そのような力を、幼少の頃より授かった。その力によって、わたくしは、母なる河ハピ(ナイル川のこと)の氾濫も、農作物の豊作や不作も予知することができた。異母弟トトメスと婚姻することも、そのトトメスが乱心して子供たちを殺そうとすることも、事前に予知することができた」
意外な内容に、考古学者たちは顔を見合わせた。ハトシェプストが予知能力者? いや、巫女のようなものかもしれない。彼女と結婚してファラオとなったトトメス二世の乱心を予知したというのも、事前に気がつくような徴候が出ていたのかもしれない。それを彼女が予知と思い込んだ可能性はある。
「わたくしが夢で見た未来の中で、最も恐ろしいと思ったのは戦。剣や弓矢で戦うような戦ではない。戦士と戦士が剣を交えて戦うような戦ではない。未来の戦はそんな生易しいものではなく、スフィンクスの頭を連想するような丸い巨大な雲が立ち上ったかと思うと、ふつうに暮らしていた人々が、男も女も、おとなも子供も赤ん坊も、一瞬にして死んでしまう。なんとか生き延びた者がいても、そのあとで生まれた子供が、毒のようなものに侵されて、病気になって死んでしまう。そんな戦だ。神戦(かみいくさ)としか呼びようがない、そんな戦だ」
核戦争を描いたとした思えないその描写に、考古学者たちの何人かは眉をひそめた。この石板は偽物ではないのか? 現代人の誰かが秘かに作って、古代の遺物と見せかけるように置いたのではないのか? そんな疑いが頭をかすめたのだ。
「わたくしは幼いころから太陽神の娘と言われてきた。わたくしに予知夢を見る力があることを、皆が信じてくれた。だが、神戦の恐ろしさは、どうしてもわかってもらえなかった。敬愛する父王トトメス一世にも、最愛の娘ネフェルラーにも。無分別な夫トトメス二世は言うに及ばず、父親に似ぬ英明さゆえにネフェルラーの夫に迎えた義理の息子トトメスにも。わかってくれたのはセンムトだけ。彼だけは、人の心を読む力を持つゆえに、わたくしの予知夢に同調して、神戦の恐ろしさをわかってくれた」
ハトシェプストに寵愛されて宰相にまでなったセンムトが、テレパスだった? ますます嘘くさいぞと、何人かの学者が考えた。
「我が国は、戦を繰り返して周囲の国々を征服し、栄えてきた。その伝統を悪いとはいえぬ。それが我が国の繁栄をもたらしたのだから。だが、それを続ければ、いつかは神戦の時代がきてしまう。神戦を恐れるなら、戦によらずに国を富ませることを考えねばならぬ。そう思ったゆえに、わたくしは貿易によって国を富ませた。それは成功だったと思う。戦で民の命が失われることなく、他国の貴重な品々が我が国にもたらされたのだから」
ハトシェプストが当時のエジプトの対外政策を一転させて、貿易で国を富ませたのは史実だ。だが、その理由が、未来の核戦争を予知夢で見たから?
「だが、辺境で反乱が相次ぎ、国が乱れると、トトメスも重臣たちもわたくしの政策を批判した。戦を避けたために弱いと思われ、侮られ、反乱が相次いだというのだ。その言い分は、わからなくはない。確かに、戦を避けたために弱いと思われたやもしれぬ。が、だいじな部分を忘れている。そこが、かつて武力によって征服した土地であったゆえ、抑え込まれていた不満が噴き出したのだということを。
その点をトトメスと何度も話し合った。だが、わかってもらえなかった。かつては他国であろうと、いま我が国の領土であるなら、独立を許せば周囲の国々に侮られてしまう。武力で制圧するのが現実的な対策であり、理想論では解決できないというのだ。
それはわからなくはない。だが、それではだめなのだ。征服した土地の民や周囲の国々に侮られぬようにするためには、強い軍事力で制圧するのが現実的。そうやって軍事力ですべて解決しようとすれば、周囲の国々も同じように強大な軍事力を持とうとするだろう。その積み重ねが、いつか恐ろしい神戦を招いてしまうのだ。
わたくしは神戦を防ぎたい。ゆえに、遠い未来の方々にこの文を託す。もしも神戦への道を歩んでいるなら、回避していただきたい。願わくば、現実的な解決なるものを求めて、破滅への道を歩まぬように。太陽神の子ハトシェプストが警告する」
ハトシェプストからの手紙を読み終え、考古学者たちの意見は分かれた。内容からいっても現代人が仕込んだ偽物だと断定する者もいれば、本物だと考える者もいた。
「放射性炭素年代測定法では、三千五百年ほど前のものという判定結果が出ていますよ」
「じゃあ、その判定が間違ってるんだ。これが本物だなんて、タカ派の政治家や軍部が受け入れるわけがない。もしも本物だと判定すれば、へたすると消されるぞ」
結局、石板は現代人が持ち込んだ偽物だったと公表された。ただ、解読にあたった学者たちのふたりが、それはハトシェプストから未来人に宛てた手紙だったとして、翻訳の全文を秘かにインターネットで流したという。