今回の依頼は人殺しだった。戦争とはまったく関係のない暗殺なんぞ、傭兵の仕事としては下の下だ。だがぜいたくはいえない。このところ仕事がなくて、安宿に泊まる金さえ尽きかけていたのだ。
相手は、裏通りに安い部屋を借りて暮らしている男だった。ほんの二日前まで、商人の館で下働きをしていたが、主人の不興を買ってクビになった若者だ。
殺しの依頼をしたのはその主人だった。
標的となった若者は、表向きはぼうっとしていてあまり仕事ができないのでクビになったということになっていたが、ほんとうは主人になにか不都合なことを偶然知ってしまったのだ。
それがなにかは、おれは知らない。知る必要もないことだ。
ともあれ、主人だった商人は、その若者が他の使用人たちによけいなことをしゃべらないうちにとクビにしたものの、それだけでは心配で、おれを雇ったのだ。
戦争で敵を殺すとか、護衛の仕事で暗殺者や強盗の類を殺すのならともかく、武器も持たない者を暗殺するのは、あまりいい気分じゃない。仕事がなくて金に困っているときでなければ、まず引き受けないだろう。
とはいえ、いままで何回か引き受けた殺しの仕事に比べれば、今回は気がラクだ。
標的は、身寄りもなければ恋人もいない。友だちと呼べるほど親しい者もいない。
とりたてて人に嫌われていたわけではないが、べつに好かれてもおらず、要するに影の薄いやつだという。
クビにする口実が「ぼうっとしていてあまり仕事ができない」だけあって、その通りのやつらしいから、すぐに次の仕事を見つけるのもむずかしかろう。
ほとんど金も持たずに職を失い、生きていく才覚に乏しい人間に未来はない。
この若者がこの世から消え去っても、前途を惜しむ者も、悲しむ者もいない。食いつめる前にラクにしてやると思えば、それほど後味の悪い思いをしなくてもすみそうだ。
そう思いながら、おれは標的の住まいを訪ねた。
戸を開けた標的に、おれは彼の主人だった商人の名を告げた。
「解雇はしたが、七年も働いたのだから、慰労金を支払いたいということでな。届けにきた」
あやしむかと思ったが、標的はすんなりおれを部屋に入れた。「慰労金」を「口止め料」と解釈したのかとも思ったが、どうもそういうわけでもないような気がした。
「よかった。給金とかほとんど貯めてなくて、これからどうしようかと思ってたんです」
標的は単純に元主人が善意で金を届けたと思っているようだ。
おれはムカムカし、この若者を蔑んだ。
おれは生き延びるために人を殺しもしたし、だましもした。おれだけではなく、だれもが人を蹴落とすことによって生き延びているのだ。そうする必要もないほど生まれつき恵まれているやつは別として。
だから、人を蹴落とすことができずに蹴落とされたり、疑うことを知らずにだまされるやつは、自分が悪いのだ。もっと才覚があれば、主人をゆすって金を出させ、刺客がくるまえに逃げることもできたろうに。そうできなかったのは、こいつが悪いのだ。
おれは、標的に当て身をくらわして気絶させ、寝台に横たえて、持参した短剣を標的の右手ににぎらせて頚動脈を切った。
ふつうに剣で刺し殺したほうがてっとり早いのだが、こんな裏通りの住民とはいえ、いちおう平和な町で人が殺されれば役人が調べる。だから自殺に見せかけろというのが、依頼人の注文だった。
帰ろうとして、おれは半開きのドアに気がついた。
どうしてドアの向こうを確かめてみようなどという気を起こしたのだろうか。
ドアの向こうは小部屋だった。ふつうならこの部屋に寝台を置いて寝室とし、こちらの部屋を居間にするところだろう。
だが、若者は、居間にすべき部屋に寝台を置き、小部屋には多数の絵を置いていた。
絵の具もあったから、自分で描いた絵だとわかる。少ない給金を絵の具代に注ぎこんでいたのではなかろうか。
絵を描くのは上層階級の趣味だ。芸術家を保護している国では、平民が工房に入って勉強して画家になり、領主に厚く遇されたりしているところもあるらしいが、うちの国ではまずありえない。
いましがた殺したばかりのこの若者は、画家になる望みもなく絵を描き、かといって芸術家を保護している国に出向いて自分を売りこもうとする度胸も才覚もなかったのだ。
それは自分が悪いのだ。
いつものおれならそう思うところだが……。
おれはその部屋にあった絵に魅了された。とはいっても、そこにある絵が芸術的なのかどうか、もしも彼がしかるべき国にいって売りこめば認められたかどうか、おれにはわからない。
芸術なんてものは、おれにはとんと縁がなかったのだ。目の前にある絵の芸術的価値が高いのか低いのかなど、判別がつくはずがない。
ただ、おれはそこにあった絵に魅せられた。幻想的で美しい絵だったからか、それともずっとむかし、故郷の村に住んでいたころのことを思い出したからか。
故郷の村には、五つほど年下で絵の好きな少年がいた。いつもぼうっとしていたし、体も小さくて力も弱かったので、同じ年ごろの少年たちによくいじめられ、村人たちにも見くびられていた。
おれもそいつをバカにしてたんだが、あるとき、そいつをからかってやろうとして、そいつの描きかけの絵をのぞいて魅了された。
絵の具なんて買えず、草や花の汁で色を使って、いらなくなった板に描いた絵だった。
とはいっても、じつはどんな絵だったか、それほどはっきり覚えているわけではない。ただ、きれいで幻想的で、見たこともない場所の絵だったのは覚えている。たぶん、もういちど見れば、あのとき見た絵だと気がつくだろう。
「それはどこを描いたんだ?」
たずねると、そいつは絵を奪われないように抱きかかえて答えた。何という名前だったか忘れたが、聞いたこともない国の名前だった。
「そんな国は知らないぞ。おまえだって、この村の生まれなんだから、そんな国に行ったことはないだろう?」
「目をつぶると見える。おいらの空想の国だ。どんなひどいことがあったって、だれがどんなことをしたって、おいらからこの国を取り上げることはできないんだ」
いつもいじめられている気弱な少年が、このときにはとても強く見えた。
いましがた殺した若者は、あの少年だったのだろうか?
いや、まさか。偶然にしてはできすぎだ。郷里の村を遠く離れたこの都で殺した人間が、たまたま同郷の者だったなど。たぶん、よく似た性質の人間ってのは、どこにでもいるものなんだろう。
だいいち、ここにある絵のなかには、あの少年が描いていた絵は見当たらない……ような気がする。確証を持って言い切ることはできないが。
どちらにしろ、標的があの少年と同一人物かどうかは関係ない。
おれが殺した若者は、あの少年と同じように、だれがどんなことをしても取り上げられない世界を持っていた。だが、その世界は失われたのだ。おれが彼を殺したために。
おれは、標的のところに戻った。確実に仕留めたのはわかっていたが、もしやまだ息がないかと確かめずにはいられなかったのだ。
むろん、標的はとっくに亡骸となっており、おれは、仕事を難なく終えたというのに、やりきれない気分になりながらその家を後にした。
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