メルヘン風だけどちょっとブラックユーモアな小咄です。
むかし、とある邸宅の庭園に一匹のクモが住み着いていた。
クモは、邸宅に住む人間たちのうち、ひとりの少女に恋をした。少女は邸宅の当主の末娘で、庭園を散歩するのが大好きだった。
雨が降っていないかぎり、ほとんど毎日のように見かける少女を、クモはいつも木の枝から眺めていたが、あるとき、もっと近づいてみようと思い立った。
あまりにも種族が違いすぎて、この恋は成就しない。それはクモにもよくわかっていたが、せめて少女の近くにいたい、友だちになりたいと考えたのだ。
クモは、木の枝から少女に向かって飛び降り、ふくらんだ服の袖の上に着地した。
すると、少女はクモに気づいて、けたたましい悲鳴を上げた。その悲鳴を聞きつけて、たまたま近くにいた少女の兄が駆けつけてきた。
「どうしたんだ?」
「いやーっ! クモっ! 取って!」
「なんだ、小さなクモじゃないか」
少年は妹の袖からクモをつまみあげ、草むらに向かってひょいと放り投げた。
手酷い失恋をしたクモは、おのれの姿を嘆き悲しんだ。
「あんまりだ。クモだと嫌われるのか?」
以前、クモは、蝶が少女の服の袖に止まったのを目にしたことがあった。そのとき、少女はうれしそうにほほえんでいた。
「蝶だと好かれるのに、クモだと嫌われるのか? この姿のせいか? くそっ。おれをクモに生まれさせた神様を恨んでやる」
そのようすを見ていた神様が、聞き捨てならないと思い、クモの前に姿を現わして声をかけた。
「これこれ。わたしを恨むのは八つ当たりだぞ」
クモは神様に会うのははじめてだったが、本物の神様だというのは感じ取れたので、これ幸いと頼みこんだ。
「それなら、おれの姿を変えてください。おれを人間の男にしてください」
「むちゃをいうな。おまえをよく似た別の生きものに変えることはできるが、人間は無理だ。クモと人間では違いすぎる」
「では、蝶に変えてください」
「蝶も無理だ。クモと蝶では違いすぎる」
「どちらも虫じゃありませんか。大きさだって同じぐらいだし」
「虫とはいっても、クモは昆虫ではない。クモは足が八本、蝶は六本だろう?」
「じゃあ、おれを変身させられるほどクモに近くて、しかも人間に好かれる虫はないのですか?」
「虫とは呼ばれていないが、蝶よりはクモに近くて、八本足で、人間に好かれている生きものならある。あの少女にも好かれている生きものが」
「それなら、おれをその生きものに変えてください」
「好かれているとはいっても、おまえが望んでいるような形ではないぞ。それでもいいのか?」
「かまいません。彼女に好かれるのなら」
クモはきっぱり答えた。種族が違えばつがいになれないのは知っている。それでも、彼女に好かれるのならそれでもいいと思ったのだ。
「わかった。それほどいうのなら、おまえをその生きものに変えてやろう。後悔するなよ」
神様はクモをカニに変えた。浜辺などで見かける小さなカニではない。海底に棲むタラバガニである。
かつてクモだったカニは、まもなく人間の漁師に捕らえられ、何人かの人間の手を経て、かつてクモだったころに棲んでいた邸宅に戻ってきた。
カニは一家の食卓にのぼり、少女はそれをほうばりながらうれしそうに言った。
「おいしい! わたし、カニって大好きよ」
もちろん、カニはとっくに命をなくしていたが、もしも少女の言葉を聞いたとしたら喜んだだろうか? それは定かではない。