みんな仲良し

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1ページ完結の短編小説です。


 鹿島流夏の小学生時代の思い出といえば、みんな仲良しだったこと。どの学年でも、流夏が「今日は〜をして遊ぼう」とか、「今度の日曜日は〜に行こう」といった提案をすれば、クラスメートたちがいっせいに賛成し、仲良く遊んだ。
 じつのところ、正確には「みんな仲良し」だったわけではない。
 流夏の号令にクラスの女子ほとんどが従うという雰囲気が苦手な子は、つねに何人かいた。流夏のほうでもそういう子は苦手だった。
 だが、そういう子は少数派だし、大勢でつるむのが苦手な子ばかりなので、流夏と仲良しの子たちがみんなそういう子を嫌い、仲間はずれにしたり意地悪をしてくれるので、ダメージを受けるのはいつも相手のほうだ。流夏のほうは、どんなにそりの合わない子がいてもほとんど痛手を受けなかったので、印象が薄く、卒業後に思い出すことはめったになかった。
 なかにはいやいや流夏に従っていた気の弱い子もいたが、そういう子とは口論さえしていないから、流夏は、相手が嫌がっていたことにさえ気づかなかった。
 だから、思い出は楽しいことばかりで、みんな仲良しだったという印象が強い。
 中学時代、高校時代、専門学校時代もほぼ同じ。クラスに友達が多くて、みんな仲良しだったという思い出ばかりが残っている。
 ただ、高校時代に恋のライバルといがみ合った記憶はあるが、それもはるかな過去のこと。みんな流夏の味方だったし、彼も流夏を選んだ。さらに、その彼との交際も卒業後に自然消滅したという結果もあって、思い出すことはめったにない。
 そんな流夏だから、険悪な学級だの集団いじめだのは、話に聞くだけの別世界の出来事。学校で集団いじめを経験したという人に出会うと、「ええっ、そんなクラス、信じられなーい!」と驚き、いじめられたという人のほうが特殊なのか、被害者意識が強いのだろうと思っていた。
 社会人になってからも似たようなもの。同期入社でそりの合わない同僚がいたが、彼女と対立したときには、上司も先輩たちも流夏の味方だった。その同僚はしだいに職場で孤立し、そのストレスからミスが多くなり、そのためますます孤立し……という悪循環を繰り返し、ついに職場を去っていった。
 それからステップアップを目指して二度転職したが、どの会社でも似たようなもの。流夏と気の合わない同僚はいつしか上司や先輩に嫌われ、立場がしだいに弱くなっていった。

 順風満帆の人生を送ってきた流夏に、ささやかながらさらなる幸運が舞い込んだ。商店街のくじ引きで、二泊三日のスキー旅行が当たったのだ。
 行き先はバスで三時間ほどのG高原。バス代と二食付きの宿泊二泊、初心者向けスキー教室がついて、ペアで十五組ご招待というバスツアーだ。
 流夏は、誰を誘おうか少し迷って、職場のチーフを誘った。
 チーフの奈緒子は八歳年上で、流夏の友人のいとこでもある。奈緒子のコネで今の会社に入社し、彼女に可愛がられて社内での立場を徐々に強くしてきたのだ。
 とはいえ、上司と部下なのだから、どんなきっかけで流夏に対する好意や信頼が揺らぐかわからない。それに、奈緒子の部下には流夏とそりの合わない同僚もいるのだから、その同僚の言葉に耳を傾けることが絶対ないとも言い切れない。
 だから流夏は奈緒子を誘った。いまの立場を維持するために、奈緒子との絆をさらに強めておきたかったのだ。

 当日、バスの窓側の席を奈緒子に譲って通路側に座っていた流夏は、あとから乗ってくるツアー客たちを何気なく見ていて、見知った顔を見つけた。
「真紀ちゃん!」
 真紀は前の会社の同僚で、小学校三年と高校三年のときの同級生でもある。それに、奈緒子のいとこでもあった。もとはといえば、真紀の家に遊びに行ったときに奈緒子と知り合い、その縁でいまの会社に就職できたのだ。
 一年半前に転職してから真紀に会っていないが、前の職場では仲良しだったから会えてうれしいし、臨席の奈緒子に仲のよさをアピールしたい。  そんな計算もあって、流夏は真紀に手を振るとともに、奈緒子に「真紀ちゃんですよ」と教えた。
 奈緒子も腰を浮かせて真紀の姿を認め、「まあ」と声を上げて手を振った。
 流夏と奈緒子の歓迎ぶりと裏腹に、真紀はこの出会いを喜んでいないようすで、まるで会いたくない相手に出くわしてしまったかのような表情をした。
 予想外の真紀の反応に流夏はとまどったが、真紀のすぐあとからバスに乗ろうとしてタラップに立っていた人物の声で、真紀に歓迎されなかった理由に気がついた。
「どうしたの?」
 立ち止まったままの真紀に呼びかけたのは、前の会社で流夏と仲の悪かった亜矢子の声だった。
 亜矢子はどちらかというと口下手で、人づき合いが苦手なほうだったから、彼女の評価が下がるように仕向けるのは簡単だった。
 たとえば、亜矢子がなにか言えば揚げ足を取る。「亜矢ちゃんがあなたのことを悪く言っていた」などというふうに、事実をねじ曲げて言いふらす。職場のだれかがミスをすれば、「あら、でも、これって、亜矢ちゃんが気づいてもよかったんじゃないの?」などというふうに、すかさず亜矢子に責任があるかのような理屈をうまくつくって広める。亜矢子がそれに反論すると、「亜矢子ちゃんは失敗しても自分の非を認めようとしない」と言いふらした。
 社交的で口達者な流夏にとって、その手のマインドコントロールはお手のもの。職場の大半が亜矢子を批判的な目で見るようになると、そのストレスから、亜矢子はケアレスミスを繰り返したり、皆に心を閉ざすようになっていった。
 そうなれば追い詰めるのはさらにかんたんだった。亜矢子は、「協調性がない」「暗い」「ミスをしても反省しない」「仕事ができない」といったレッテルを貼られ、会社を辞めた。真紀だってそれに同調していたはず。なのに、どうしていま、亜矢子とこんなに親しくしているのか?
 状況がわからずに流夏が混乱していると、立ち止まったままの真紀と亜矢子に、バスの入り口から焦れたような声がかかった。
「すみません。中に入っていただけませんか」
「あ、すみません」
 声の主をふり返った真紀が、足を踏み出そうとしかけた動作を止めて、相手をまじまじと見た。
「え、大野さん?」
「えっ? あら、小谷さん?」
 聞き覚えのある声だと思っていた流夏は、その会話で声の主がだれか気がついた。
 小谷沙織。高校時代に恋のライバルだった女だ。
「きゃー、久しぶり」
 沙織の歓声に、真紀が答える。
「まあ、奇遇ね。なつかしー」
 さきほど流夏に出会ったときと打って変わってうれしそうな口調なので、流夏はショックを受けた。
 流夏と沙織が恋仇だった高校三年のとき、真紀も同じクラスだった。そのとき、真紀は流夏の味方で、沙織とは親しくなかった。流夏のように沙織と対立していたというわけではないのだが、流夏の影響で沙織を苦手がっていた。
 なのに、どうして、沙織と再会してうれしそうなのか?
 そんな真紀の混乱をさらに増幅させるような声が、沙織の背後から聞こえてきた。
「あ、大野か。だれかと思ったら」
 流夏の元カレ、渡辺慎也。沙織と奪い合った男。高三のときと卒業後しばらくつき合っていたが、いつしか疎遠になって自然消滅した。
 沙織も慎也が好きで、告白もしたが、慎也は相手にしなかった。流夏の働きかけで広まった沙織の悪い評判を真に受けていたので、恋愛感情以前に、クラスメートとしての親しみさえも見せていなかったのだ。
 それがどうしていま、ふたりでツアーに参加しているのか?
 流夏が驚いているあいだに真紀たちが流夏の横を通り過ぎ、沙織と慎也がそれに続く。
「慎也、あんたがそういう趣味とは知らなかったわ。驚いた!」
 混乱しながらも気を取り直して声を張り上げた流夏の耳に、通路をはさんで斜め後ろの席からひそひそ声が聞こえてきた。
「やっぱり小学校のときのいじめっ子だ、あれ」
「いじめっ子? そんな感じだね」
 振り向くと、明らかに流夏のほうを見て話していたとわかる女性二人組が目をそらせた。
 だれか思い出せないまま、流夏が二人を睨みつける。
「あれっ」と声を上げたのは、彼女たちのそばを通りすぎようとして足を止めた真紀だった。
「ひょっとして洋子ちゃん? 小学校の三年のとき同じクラスだった?」
「え?」
 つかの間の沈黙のあと、相手が答えた。
「あ、真紀ちゃん?」
 その会話を聞いていた流夏も思い出した。真紀と同じクラスになった小学校三年のとき、やはりクラスメートだった洋子だ。口数の少ないおとなしい子なのに、流夏の指図を嫌い、クラスになじまなかった。そのため、クラスメートたちから「暗い」と敬遠され、登校許否を起こして転校した。
 クラスメートたちみんなと仲良しだった流夏だが、洋子はその「みんな」から除外されていたので、いつしかすっかり忘れ去っていたのだ。ついさっきまで。
 真紀だって洋子を嫌っていたはずなのに、なぜか懐かしそうに「またあとでね」と洋子に声をかけて通り過ぎた。

 その日の夕食は流夏にとって最悪だった。車中での短いやり取りを小耳に挟んだらしいツアーコンダクターが、再会した旧友とでも勘違いしたらしく、流夏たち四組を同じテーブルに配置したのだ。
 ランチのときは席が決まっておらず、各組が思い思いに席に着いたから、因縁の三組と離れて座ることができた。その三組が同じテーブルについて親しく話しているようすを目の隅で捉えて不快に思ったが、無視しようと努めた。
 自分の悪口だろうと思われる会話が奈緒子の耳に入らないよう、いつも以上に大きな声でしゃべり、持ち前の社交性を発揮して、自分の右隣りに座った女性ふたり連れとも、奈緒子の左に座った初老の夫婦とも親しく会話した。
 流夏としては、できればその二組と夕食も同席したかった。ブティックを経営する姉妹と、中小企業を経営する実業家夫妻。親しくなれれば、いつものように新たな人脈となる。こういう機会を捉えては築いてきた豊かな人脈は、流夏の財産であり武器でもある。
 それなのに、八人掛けのテーブルに同席しているのは、奈緒子以外はいまさら人脈になりようがないうえに、不愉快な者ばかり。その不快さから思わずいちばん端の席に座ってしまい、流夏はすぐに後悔した。
 自分がいちばん端に座れば、隣は奈緒子だけで、いやな相手と隣接しなくてもすむ。そのかわり、奈緒子の正面は洋子で右隣りは真紀、斜め向かいは沙織という配置になってしまった。
 彼女たちと奈緒子に話をさせてはいけない。いや、たとえ奈緒子が会話に加わらなかったとしても、彼女たちの会話を奈緒子に聞かせるだけでもまずい。
 人づき合いと根回しを武器に生きてきた流夏の本能がそう告げている。
 だが、それが難しい雰囲気になってきた。奈緒子が周囲で交わされる会話に興味をもって聞き耳を立てているようなのだ。
「ごめんね、小谷さん。それに洋子ちゃんも。わたし、ふたりに対して、えーと」
 言いにくそうにしている真紀に、沙織が答える。
「わたしをハブにしたことなら、もういいよ。なんとなくわかったから。流夏に乗せられただけで、いまは後悔してるんでしょう?」
「ええ、まあ。考えが浅かったわ。いまにして思えば、わたし、流されやすかったのよね。いったん偏見もってしまうと、相手を色眼鏡で見てしまう。最近になってやっとわかったわ」
 彼女たちの会話を聞きながら、奈緒子は、今までとは少し違う視点で流夏を見た。
 とはいっても、真紀や沙織の言い分を全面的に受け入れたわけではない。奈緒子自身、流夏と同じく勝気な気質で、強気と要領の良さを武器に世渡りしてきて現在の地位を築いたのだ。流夏を気に入ったのも、自分と共通するものを感じたからである。
 だが、ひとりやふたりではなく、これだけ何人もが流夏を批判的に見ているのがわかると、不信感が生まれてくる。
 社内の人間について流夏があれこれ批判するのを鵜呑みにはできない。気に入らない人間を陥れるために上司である自分を利用しているのかもしれない。そんな不信感だ。奈緒子自身がライバルを陥れるために上司を利用した経験が何度もあるだけに、流夏を信用できない。
 流夏は窮地に陥った。胃がきりきりと痛む。いままで、みんな仲良しという環境があたりまえだったから、人間関係のストレスに意外と弱い。
 いつものみんな仲良しの場であれば、気に入らない人間がいてストレスを感じても、「××さんが意地悪だから、胃が痛くなりそう」とでも言えば、周囲が「流夏ちゃんはデリケートだから」と気を使い、その相手をみんなで責め立てて、流夏の気分をすっきりさせてくれる。だが、今は無理だ。
「ちょっと失礼」
 奈緒子に声をかけて、流夏は席を離れた。
 人付き合いに自信のある流夏だが、こういう状況には慣れていない。いつだって、まわりにいる人間の大多数は自分の味方だったのだ。
(なんとかしなきゃ)
 レストランのある棟を出て数メートル離れた別棟のトイレに向かいながら、流夏はどうすればいいのかと考えた。
 考えがまとまらず、頭の中がぐるぐるしながら歩いていると、急に足が沈んだ。驚きのあまり声が出ずにいるうち、前のめりになり、膝を曲げて四つん這いになったような姿勢で手足が雪に埋まってしまった。
 流夏は知らなかったが、屋根付きのこの通路は積雪の季節に備えて地面から一メートルほどの高さに設けられており、途中の曲がり角に階段があったのだが、いまは雪が通路とほぼ同じ高さにまで積もっていて、階段が雪に隠されていた。考え事をしていた流夏は、曲がり角で曲がらず、階段に積もった雪の上に踏み出してしまったのだ。
(はめられた!)
 流夏が最初に考えたのはそれだった。
(あいつらがつるんでわたしをはめたんだ!)
 よく考えてみればそんなことは不可能なのだが、すっかりパニックを起こした流夏には、そうとしか思えなかった。
(あいつらに殺される!)
 たいがいの人は相手が死ぬかもしれないような意地悪はしない……という考えは、流夏の頭には浮かばない。流夏自身、これまで誰かを退職に追い込んだときや集団いじめを扇動するときに、生活苦や自殺や事故といった形で相手の命を奪うかもしれないなど、いちいち考えたことはないのだから。
(あいつらに殺される!)
 もがけばもがくほど雪にずぶずぶ沈んでいくという状況で、恐怖に駆られ、流夏は助けを求めて叫びつづけたのだった。


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