失われたイベント会場の神話

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 いつのころからであろうか。とある国の都の海に面した一角、〈晴れた海〉という意味の名をもつ地に、年に何度か、若者たちが集い、祭りを開くようになった。
 若者とはいっても、実際には、子供からかなり年のいった者まで、年齢はさまざまだったが、若者といえる世代の男女がもっとも多かったから、まあ、若者としておこう。
 彼らには、おおむねひとつの共通点があった。絵や文章で自分の考えた物語などを著わしたり、他人の手になる物語をあらぬ方向にふくらませたりするのが好きな若者たちや、そうして創られたりふくらまされたりした物語などを、読むのが好きな若者たちであった。
 〈晴れた海〉の祭りは、そういった若者たちが、自分の本を売ったり、他人の本を買ったりする場所であった。
 ある年の夏、年に二回の大きな祭りの日の直前に、嵐が都を目指して進んできた。
 若者たちは祈った。嵐がほかへ行ってくれますように、と。
 古来、神や魔物と呼ばれるものたちは、人の願いが凝って生み出されてきた。安全への願いが交通安全の神や家内安全の神を生み、金銭への願いが商売繁盛の神を生み、良縁への願いが縁結びの神や縁切りの神を生むというふうに。
 このときも、若者たちの祈りは、神を生み出した。仮に〈晴れた海の神〉と呼ぶことにしよう。
 〈晴れた海の神〉は、生まれるとすぐに、自分を生み出した者たちの祈りに応えた。都に東進していた嵐の進路を変え、西に追い返したのである。
 それからも〈晴れた海の神〉は、祈りに応えつづけた。規模の小さな祭りまでは行き届かなかったが、少なくとも何十万人もの若者が集まるような大きな祭りの日に、〈晴れた海〉一帯が荒天に見舞われることはなかった。
 大きな祭りの日は、雨や雪にはならない−−。 
 いつしか、祭りに集う若者たちのあいだで、そんな神話が生まれた。

 いつの祭りの時であろうか、〈晴れた海の神〉は、衝撃的な噂を耳にした。〈晴れた海〉の祭りが開かれていた会場がまもなく取り壊され、〈明かりを有するところ〉と呼ばれる地に、新しい会場がつくられるというのである。
 さらに、狂信的な宗教集団が都のあちこちで破壊活動を行なったことから、〈明かりを有するところ〉で行なわれるはずだった博覧会が中止され、〈晴れた海〉の会場の取り壊しと、新しい会場の建設がはじまったという。
 (まさか。まだまだ使えるこの会場を壊してしまうなど、するだろうか?)
 半信半疑でいるうちに、ついに冬の大きな祭りの日、〈晴れた海の神〉は、噂が事実であることを知った。
 取り壊しのときまで、残りわずか三ヶ月。三の月の最後の日に、お別れ記念の祭りが開かれ、それが〈晴れた海〉の会場最後の日になるという。
 その事実に、〈晴れた海の神〉は怒り、嘆いた。
 (いままで、彼らのために、雨も雪も嵐も追い払ってやったというのに。そのわたしを捨てるというのか?)
 ひとしきり憤り、悲しんだのち、〈晴れた海の神〉は、なんとかして会場の取り壊しをやめさせられないかと思案した。そして、一の月も終わろうとしていたある日、次のような結論に達した。
 (祭りの日に悪天候となれば、彼らはわたしの力を思い知るだろう。今まで、わたしがどれほど悪天候から彼らの祭りを守ってやったか、改めて思い起こし、会場を移すのをやめるにちがいない)
 おりしも二の月の十八の日が、その次の祭りの日であった。
 〈晴れた海の神〉は、いつもと逆のことをした。遠くにあった雪をたくわえた雲を都に呼び、大雪を降らせたのだった。
 その日、都の人々は、二年ぶりの大雪に不便な思いをした。祭りは悪天候をついて行なわれたが、雪のために行けなかった者、行くのを見合わせた者もおおぜいいた。
 (これで彼らも気を変えたにちがいない)
 〈晴れた海の神〉は期待し、結果を知りたくて、次の祭りの日を楽しみに待った。
 だが、案に相違して、会場の移転は変更されていなかった。そればかりか、若者たちは、あの日の大雪が〈晴れた海の神〉のしわざだと、気づいてさえいなかった。
 (あの日の祭りは、あまり大きな祭りではなかった。やはり、もっと多くの者たちが集まる大きな祭りの日でなければ、効果がないのやもしれぬ)
 そう思った〈晴れた海の神〉は、三の月の最後の日に行なわれる〈晴れた海〉最後の祭りに、悪天候を呼ぼうと考えた。
 (その日に大雪を降らせてやろう。このあいだの大雪など比ではないほどの大雪、祭りが開けぬほどの大雪を降らせてやろう。三の月の最後の日となれば、春も半ば。雪などめったに降るものではない。そのようなときに未曾有の大雪が降れば、人間どもも、神の怒りを知るだろう)
 〈晴れた海の神〉の計画を知って驚いたのは、都の守護神たる〈明けの神〉である。
 〈明けの神〉は、その昔、都がずっと西方にあった時代、この地の独立をはかろうとした武将が戦に敗れて斃されたのち、その武将に対する人々の畏怖と思慕の情が凝って生まれた神であった。
 いわば悲運の武将の化身のような存在とはいえ、今は都の守護神。一部の若者たちの神である〈晴れた海の神〉と違って、都じゅうの人々に広く認められた守護神である。都の危難を見過ごすことなど、とうていできようはずがない。
 そこで、〈明けの神〉は、〈晴れた海の神〉のもとに行き、説得した。
 「〈晴れた海〉の会場を壊そうというのは、都の為政者たちが決めたこと。為政者たちは、賄賂を受けて、〈明かりを有するところ〉に都を広げようとしたのだ。そなたの守護する若者たちは、その計画に関与してはおらぬし、都の公共の建物に何の権限も持っておらぬ。ゆえに、そなたのしようとしていることは、的はずれな報復にしかならぬだろう」
 「だが、それなら、取り壊しに反対すればいいではないか? 彼らは、反対するどころか、場所を移るのを喜んでいるようだったぞ」
 「それは、〈明かりを有するところ〉の会場のほうが広いからだ。今まで、祭りで本を売りたくても、半数以上のものが抽選に落ちていたのを知っていよう?」
 〈晴れた海の神〉はぐっと詰まった。たしかに、今まで、落選に泣く者は多かった。
 「それで、わたしは、場所が狭いから見捨てられるのか。もう必要とはされていないのか」
 しょげかえった〈晴れた海の神〉を、〈明けの神〉はかわいそうに思った。それに、〈晴れた海の神〉が若者たちの祭りにどれほど貢献していたかも知っていたし、もう必要とされてはいないとも思われなかったので、こう提案した。
 「〈明かりを有するところ〉には、新しい会場への期待が凝って、神が生まれている。が、〈明かりを有するところの神〉は、若者たちの祭りのことをほとんど知らないから、そなたのように、彼らの期待に応えることはできないだろう」
 「では、わたしが〈明かりを有するところ〉に行こう。〈明かりを有するところの神〉は、どこか別の場所に行くといい」
 「それはできない。土地の守護神を、確たる理由もなしに移動させることはできない。そなたには、守護する者たちが移ってしまうという理由があるが、〈明かりを有するところの神〉には、よそに移らねばならぬいわれはない。だから、そなたが〈明かりを有するところ〉に行き、ふたりでかの地を統べてはどうだろうか?」
 「ふたりで? まるで、それでは、わたしは居候だな」
 「居候がいやなら、〈明かりを有するところの神〉と夫婦になってはどうだろう? ふたりともたいそう美しいから、似合いの夫婦になれると思うぞ」
 〈晴れた海の神〉は心を動かされ、〈明かりを有するところの神〉と会ってみることにした。
 〈明かりを有するところの神〉はたしかに美しかった。それで、〈晴れた海の神〉は、かの神を気に入った。
 〈晴れた海の神〉もまたたいそう美しかったので、〈明かりを有するところの神〉は、この神を気に入った。それにまた、生まれたばかりだったので、守護神として経験のある神の助けを得られるのはありがたかくもあった。
 「喜んで〈晴れた海の神〉と夫婦となろう。……しかし、わたしは男でも女でもない。夫婦になるには、性別を決めなければならない」
 〈晴れた海の神〉もまた、性をもってはいなかった。神の性別は、やはり人や当の神の思いによって決まる。たとえば〈明けの神〉は、原型となった昔の武将が男であったから、信仰する人々は男神であると信じて疑わず、当の神もまた、自分を男と思っていたから、男の性をもつに至っている。
 だが、〈晴れた海の神〉に対しては、若者たちは男であることも女であることも求めなかったし、〈晴れた海の神〉自身、自分の性を定める必要を感じたことはなかった。〈明かりを有するところの神〉もまた、同じであった。
 「わたしは男になったほうがいいような気がする」と、〈明かりを有するところの神〉が言った。
 〈明かりを有するところ〉の会場を建てる工事をしていた人々は、おおかたが男だったので、〈明かりを有するところの神〉は、女をあまり見たことがなかった。未知の者になるのは難しい。
 「よかろう。あなたは男になるとよい」
 〈晴れた海の神〉が同意したので、〈明かりを有するところの神〉は男になった。
 「では、わたしは、男でも女でもいいわけだな」
 〈晴れた海の神〉の言葉に、〈明かりを有するところの神〉はふしぎそうにたずねた。
 「男と夫婦になるのは女ではないのか?」
 「いや、男と夫婦になるのは、男でも女でもよいのだ。わたしは若者たちの文化にずっと接してきたから、よく知っている」
 何か違うぞ−と、そばで聞いていた〈明けの神〉は思った。だが、〈明けの神〉の前身たる武将が生きていた時代、人々は性におおらかだったので、〈明けの神〉もまたそうだった。それで、〈明けの神〉は、わざわざ〈晴れた海の神〉の知識を訂正しようとはしなかった。
 「やはりこういうことは、一般的なほうがよかろう」と、〈晴れた海の神〉が言った。 
 「若者たちの本の内容は、わたしはすべて記憶している。男と連れ添うのは男が多いか、女が多いか、統計をとってみて、多いほうの性になることにしよう」
 そこで、〈晴れた海の神〉は、記憶をまさぐり、統計をとり、男の連れあいとしてより一般的と思われる性になった。
 かくて、三の月の最後の日、都は大雪を免れた。
 〈明かりを有するところ〉の若者たちの祭りは、いま、夫婦の守護神が守っている。

 コミケに参加したことのない方、会場が有明に移ってから参加し始めた方には、なんのことやらわからないだろうと思いますので、説明しておきます。
 何年も前、コミケ直前に東京に接近中だった台風が急にコースを変えたことがあり、その後、コミケには好天がつづいたので、「コミケには雨が降らない」というジンクスができていました。それと、コミケなどの大規模イベントの会場となっていた晴海会場が閉鎖となる一ヶ月半ほど前、コミックシティの日に、大雪が降ったことから思いついた話です。〈晴れた海の神〉がどちらの性になったのかは……。わたしも統計をとったことがないので、わかりません。

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