「どうしたの、ケレム? 浮かない顔をしているけれど」
深い湖の色の瞳にのぞきこまれて、もの思いに沈んでいた青年が顔を上げた。
ケレムと呼ばれたその青年の瞳はアイスブルー。ひとめで魔法使いとわかるフード付きの白い衣の下におさまった長い髪は、雪のごとき白銀。たぐいまれな美貌とあいまって、人間の男というよりは、まるで氷の精霊のように見える。
「ああ、いや、ちょっと気になることがあって……」
見つめられればたいがいの娘がどぎまぎしてしまうその美貌を、湖の色の瞳の少女は、たじろぎもせずに見つめ返した。
少女の名はリムニー。一行三人のなかでもっとも年下だが、世界を救うという使命を背負わされた勇者であり、チームのリーダーでもある。
いまひとりの仲間のダムザは、ふたりの祖父ぐらいの年の老人で、炎を操る魔法使いであり、ふたりのよき助言者でもあった。
彼ら三人は、フェリシア国の王女であるフィノーラ姫の命令で、世界を破滅から救うため、異世界の魔法使いたちを召喚できるという《神秘の扉》を探し求めて、国内のあちこちを旅していた。そして、《神秘の扉》を開くことのできる賢者を、魔女ベルタのもとから救出したばかりである。
「気になることって?」と、リムニーがケレムにたずねた。
「ベルタが言い残した言葉だ」
「異世界の魔法使いを呼んではならぬ。《神秘の扉》を開けてはならぬ。そう言っていたわね」
「ばかばかしい」と、そばで聞いていたダムザが笑った。
「悪党の魔女の言うことを真に受けるなど、どうかしてるぞ」
「どうしてそんなふうに決めつける?」
ケレムは老人のほうをふり向いた。
「彼女はほんとうに悪党だったのか? そんなふうには見えなかったぞ」
「フィノーラさまのおっしゃることに、まちがいなどあろうはずはなかろう」
ダムザが若い仲間を叱った。
「それは不敬というものだぞ」
「不敬? 不敬というのは、何をもって不敬と言うのだ? 敬うとは何なのだ?
何も知りもしないで、無条件に服従することか?」
「そうだ」と、ダムザは自信たっぷりに断言した。
「無条件に服従とは表現が悪いが、つねに正しきお方を無条件に信頼するのは、当然のことだろう」
「違う!」と、ケレムは叫んだ。
「うまくは言えないが、それは違う。どこかまちがっている」
「まったく、若い者は困ったもんだ」
ダムザはため息をついた。その言い方には、わが子か孫に対するような愛情がこもっていながら、多くの親や祖父が子供に対するときにありがちなように、頭ごなしであり、ケレムの言うことを全然真剣に取り合ってはいなかった。
「ケレム。おまえは、ほんとうは自分が異世界の魔法使いを呼びたくないと思っているのではないのか?」
「どういう意味だ?」
「おまえは、異世界の魔法使いたちと交替して、チームをはずれるのは残念だと言っていたな」
異世界の魔法使いたちを召喚するのに成功したら、そこから先は彼らがリムニーと行動をともにして、ケレムとダムザの役目は終わる。彼らはそのようにフィノーラ姫に指示されていた。
その指示を出されたとき、ケレムは思わず、自分も引きつづいて同行したいと、フィノーラ姫に進言した。ここまで関わりあっていながら手を引くのは残念だったし、それに、せっかく心の通いあう仲間がふたりもできたのに、その絆を失いたくはなかった。とくに、リムニーと仲間ではなくなるのがいやだった。
「たしかに、わたしは、チームをはずされたくないと思っている」
ケレムは、ムッとしながらダムザをにらみつけた。
「だが、ベルタの言葉が気になるのは、それとは別だ。いくらなんでも、チームからはずされるのが淋しいからといって、世界を危機に陥れたりはしない。私情で判断を誤ったりはしないぞ」
「自分でそうとは気づかずに私情をはさんでいるのではないのか?」
ケレムは反論しかけて、言葉を飲み込んだ。ふだんのダムザは、若いという理由でケレムを軽んじるようなことはなかったので、ケレムはダムザの反応にショックを受け、腹を立ててもいたのだが、この件に関して彼に何を言ってもむだだということは、直観的にわかった。
それで、ケレムは、リムニーのほうを向いてたずねた。
「リムニー、きみもわたしがそんな愚か者だと思うのか?」
「ケレムが愚かだとも、私情で使命をないがしろにする人だとも思わないけど」
リムニーは当惑しながら答えた。
「でも、フィノーラさまのおっしゃることを疑うなんて、どうかしているわ。ベルタとフィノーラさまと、どっちが信頼に値すると思っているの?」
「それは、そう言われると……」
今度はケレムが当惑し、自信なげな口調になった。
「だけど、やっぱり、ベルタの言葉は気になる。フィノーラさまの言葉だからすべて正しいとは、かぎらないんじゃないか?」
「ケレム、しっかりして。魔女の言葉に惑わされてはだめよ。いつものあなたらしくないわ」
「わたしらしくないだって?」
憤慨して、ケレムが聞き返した。ケレムには、リムニーとダムザのほうが、いつもの彼ららしくないように思えたのだ。
利発なリムニーと、なにかと年の功を感じさせることの多いダムザ。それが、ふたりとも、今は頑固で愚かに見える。
フィノーラ姫は、聖なる巫女姫として、フェリシアじゅうの人々に崇められており、ケレムも、チームをはずされることに異議を唱えたものの、彼女の言葉に疑いをはさんだことはなかった。魔女ベルタが逃げ去る前に言い残した言葉を聞くまでは。
とはいえ、今でも、ケレムは、フィノーラ姫を疑い、ベルタを信じているというわけではない。フィノーラ姫が全面的に正しいとは限らないのではないか、魔女の言葉に真実がまったく含まれていないとは限らないのではないかという、一抹の疑惑があるにすぎないのだが、少しでも疑惑があるなら、それを心にとめておき、その可能性を検討してみるべきではないかと思っている。
それすらせずに、無条件に全面的にフィノーラ姫を信じて疑わないリムニーとダムザの信頼のしかたは、ケレムには愚かしく思えた。
助け合いながら旅をつづけてきた三人のあいだに、このとき、亀裂が生まれたのである。
この亀裂がのちに大きな対立となることは、三人には知るよしもなかった。