音楽室の怪

いちおう小学生向け、いちおうホラーのつもりで書いたショート・ストーリーです。

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 だれもいないはずの音楽室から、ハーモニカの音が聞こえる……。
 千春の学校に伝わる怪談だが、千春は、そんなもの、本気にしたことはなかった。ある日の夕方、教室の机のなかに宿題を忘れ、取りにもどったときまでは。
 時刻は六時ちょっとまえ。外はまだうす明るいし、一階の職員室にはあかりがついているけれど、四年五組の教室のある二階はうす暗く、しんと静まりかえっていて、少し気味が悪い。
 急いで宿題を取り出し、明かりを消して教室を出たとき、聞こえてきたのだ。ハーモニカの音が。
 となりの四年六組の教室をはさんで、その向こうが音楽室だ。おそるおそる音楽室のほうをふり向いて、千春は「なーんだ」とつぶやいた。ついさっきまでは暗かったのだが、いまは音楽室から明かりがもれている。
「だれかきたんだ」
 自分に言い聞かせるように、千春はわざと明るい声を出した。
 一階に降りる階段は音楽教室の前にある。反対方向にも行っても階段はあるけれど、ずっと先のほうだ。暗いろうかを通って遠まわりするより、音楽室の前の階段を使いたい。
 どきどきしながら、千春は音楽室の前まできた。ほんとうは見ないで通り過ぎたかったのだが、思わず横目で、半開きになった入り口にちらりと視線を走らせる。
 すると、音楽室のなかにだれかがいるのがわかった。ふり向くと、下級生らしい女の子がハーモニカを吹いている。
 千春はほっとしながら音楽室に入った。女の子はずいぶんじょうずだ。
 一曲終わったので、千春は「じょうずだね」と声をかけた。
「ほんと?」と、女の子がうれしそうな顔でふり返った。
「ほんとにじょうず?」
「うん」
 どこかで見かけたことのある子のような気がしたが、思い出せない。女の子の名札をたしかめると、「川田あや子」という名前だとわかった。
 その名前に千春は覚えがあった。二年生のとき同じ三組になったけれど、七月に転校していった子だ。そういえば、この女の子は、その川田あや子に似ている気がする。同じクラスにいたのは三ヵ月ちょっとだけで、あまり話したことがなかったので、うろ覚えにしか思い出せないのだが。
 しかも、目の前にいる川田あや子という女の子の名札は青。千春の学年の色だ。どう見ても下級生なのに。
「よかったあ。あたしがハーモニカを吹くとね、みんな笑うの。それで、笑われないよう、練習してたんだ」
 二年前に同じクラスだった川田あや子も、ハーモニカを吹くたびにみんなに笑われていた。千春も笑ったひとりだ。
「わたしを笑ったみんなにね、絶対じょうずだって言わせてやろうと思って、がんばったんだ」
 千春は後ろに下がろうとして、足がもつれてしりもちをついた。
 そのとたん、千春は夢中でけたたましい悲鳴を上げた。その悲鳴を聞きつけたらしい先生たちが駆けつけてきたとき、はっと気がつくと、女の子はどこにもいなかった。

 翌日の放課後、千春は職員室に呼ばれた。きのうは千春がおびえきっていたので、担任の先生は、千春が落ち着いてから話を聞こうと考えたのだ。二年生のときに担任だった松井先生もいっしょだった。
「川田さんの幽霊でした。二年のときに転校した川田さんです。川田さん、ほんとうに転校したんですか? ほんとは死んじゃったんじゃないんですか?」
 松井先生のほうをふり向いてたずねると、先生は首を横にふった。
「まさか。ほんとに転校したわよ。あなたが見たの、ほんとに川田さんだったの?」
「ほんとです」
「おいおい」と、現在の担任の大山先生が口をはさんだ。
「幽霊なんてほんとにいるわけないだろう? なんでそう思うんだ?」
「だって、川田さんだったし……。ハーモニカのこと、気にしてたし……」
「ハーモニカ?」
 けげんそうな大山先生に、松井先生が説明した。
「音楽の時間に、川田さんがちょっととちったあと、彼女がハーモニカを吹こうとすると、みんな笑うようになったんです。それで、川田さんはますますあがって吹けなくなってしまって……」
「なるほど。悪循環ってやつですな」
「ええ。やめさせようとしたんですけど、うまくいかなくて」
 千春はしゅんとなった。先生たちは知らないだろうが、だれからともなく、「川田がハーモニカを吹き出す前に笑えば、また失敗するだろうからおもしろい」と言い出し、みんなでそれを実行したのだ。
「そういえば、いままでに音楽室でハーモニカの音が聞こえたと言ってきたのって、二年前に二年三組だった生徒ばかりだわね」
 松井先生がそう言ったので、千春はますますふるえあがった。
「ひょっとして、川田さん、それで自殺して、わたしたちのこと恨んで幽霊に……」
「そんなはずないって。川田さんはほんとうに転校したんだもの。でも気になるわね。ちょっと待って。川田さんに電話してみるから」
 松井先生は、自分の机に戻り、引き出しをごそごそさがして手帳を取り出すと、電話をかけた。
「川田さんのお宅でいらっしゃいますか? あや子さんはいらっしゃいますか? ……ああ、川田さん! 大町小学校で二年のとき担任だった松井だけど、わたしのこと覚えてる?」
 電話のやりとりから、川田あや子本人が出たとわかった。
 松井先生は、あや子と少し話したあと、千春とかわってくれた。
 千春は、ほっとしながらもためらった。二年生の当時はひどいことをしているという意識はなかったが、あや子の幽霊らしきものを見たいまは、後ろめたさを感じたのだ。
 それでも、おずおずと「わたしを覚えてる?」とか「ひさしぶり」というような会話を交わしたあと、昨夜のことを切り出した。
「じつは、きのうね……」
 話しながら、笑われるかなと思ったが、あや子は笑わなかった。 
「そのころ、わたし、いねむりをしてた」と、あや子がまじめな口調で答えた。
「で、夢を見てた。二年生に戻ってハーモニカの練習をしていたら、上級生のおねえさんに『じょうずね』って声をかけられた夢だったけど……」
「それ、たぶん、わたしよ」
「なんで? わたし、夢を見ていただけよ?」
「いや、でも、偶然にしちゃ、できすぎてるし。もしかして、そのう、……ものすごく気にしてた? 二年のときのこと」
「そりゃあ、もう!」
 強い口調で、あや子が言い切った。
「わたし、べつにハーモニカがへただったわけじゃないのよ。ただ、ちょっと失敗しただけ。それなのに、みんな笑うから!」
「ごめん」
「だから、練習したんだ。練習して、ひとりだとうまく吹けるようになったんだよ。なのに、みんなの前だと、わたしが吹きはじめる前にみんなが笑い出すから……。みんな、笑ったらわたしが失敗すると思って、わざと笑うから……。笑われなかったら、ちゃんと吹けたんだよ!」
「ごめん」
「くやしいって、ずっと思ってた。こっちの学校にきたら、だれも笑わなくって、じょうずだって言ってくれるから、よけいくやしかった。わたしを笑った子たちにも、じょうずだって言わせたかった」
 あや子の声は泣き声になっていた。
「そのせいかな。夕方に居眠りすると、前の学校の音楽室でハーモニカの練習をしている夢を見ることが何度かあったんだ。で、だれかやってくる足音が聞こえたりするんだけど、悲鳴があがって、みんな逃げちゃうの。声をかけられたのは、ゆうべの夢がはじめてだったな」
「ほんとにじょうずだったよ」
「うん。そう言われるとすっきりした。わたし、わたしを笑った子たちがそう言うところを何度も空想した。それで、あんな夢見たのかなあ」
「さあ? それなら、ごめん。ほんとにごめん」
「もういいよ。……それより、夢なのに、どうしてわたしがほんとうにそっちの学校にいたの? なんだか恐い」
 千春は返答に困った。千春だって恐いのだ。
 そのようすを見て、松井先生が電話を替わった。
「もしもし? ……ええ。先生もちゃんと解決できなくて悪かったって思ってるわ。気にはなってたのよ。……ええ。……ええ。……うん、だいじょうぶ。だって、もうすっきりしたんでしょ。あなたの悔しいって思う気持ちから起こったことなら、もう起こらないと思うわ」
 そんなやりとりのあと、電話が終わると、千春と松井先生はわかった事情を大山先生に話した。
「驚いたな。生霊か」と、大山先生が感心したようにいった。
「そんなことがほんとうに起こるとはなあ。よほどくやしくて、笑われたままなのが心残りだったんだろうな」
「イキリョウって?」
 千春がたずねると、大山先生が説明してくれた。生きている人間のたましいが体を離れると、「生霊」というんだそうだ。

 それから何日かあと、クラスでだれからともなくこんな話が起こった。
「ねえ、西野さんって、歌を歌うときに音をはずしやすいし、あがりやすいでしょ。で、みんなが笑うとあがっちゃって歌えなくなるの。おもしろいから、音楽の時間に西野さんが歌うとき、みんなで笑ってやりましょ」
「だめ!」と千春は思わず叫んだ。
「西野さんが生霊になったらどうするの?」
「生霊?」と、みんなが笑った。
「何、それ?」
「おまえ、あぶないやつじゃねーの?」
「ゲームじゃん。ねえ」
「西野さんがダメなら、千春ちゃんでもいいよ。千春ちゃんが歌うとき、みんなで笑うの」
 口々にそう言われると、千春はそれ以上反対できなかった。
 いくらゲームだとわかっていても、自分が笑われるのはいやだし、生霊になんてなったら恐い。それで千春は口をつぐんだ。
(そのうち、この学校で、だれもいないはずのところから歌声が聞こえてくるようになるかも。学校って、そういう生霊がけっこうたくさんいるかも)
 そう思って、千春は身震いしたのだった。


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