1ページ完結の短編SF小説です。
1 時野博士の場合
これは、今より科学技術が進み、今より構造不況が長期化し、今より貧富の差が開いた時代の話である。
時野博士が画期的な発明をした。時間を売買できるようにする機械「タイムセラー」である。
「現代では、時給の安いアルバイトしか見つからないとか、年齢などがネックになってバイトさえ見つからない人がたくさんいる。そういう人は、時間が高く売れるなら売りたいはず。一方、残業が多いとか、プライベートな時間や勉強の時間が欲しいなど、時間を買いたいという人も多いはずだ」
そう考えて、時間を人から人へと譲れる機械をつくったのだ。
時野博士の思惑は大当たりした。時間を買いたい人は一時間あたり三千円支払い、売りたい人は一時間あたり二千円受け取る。一時間の取引につき千円が、機械の所有者である時野博士の収入となる。
そう決めて、この発明を発表すると、売り手も買い手も殺到したのだ。
時間を切実に欲しい人間は、そのぐらいの支出は惜しくないと考え、失業者や収入の少ない人間は、時給二千円ならかなり割のいい仕事だと考えたのである。
半年もたたないうちに研究にかかった費用は回収でき、利益が出始めたので、時野博士は大喜びだった。
2 大分氏の場合
大分氏は年金暮らしをしていた。
ただし、年金額は、生活費にはとても足りない。ときおり地域のシルバー人材センターから単発の仕事をもらって働いているものの、とても家計の足しにはならない。
やむなく貯金を切り崩して暮らしてきたものの、安月給のまま定年より三年早くリストラされたので、もともと少なかった貯金も底を尽きかけている。
不安に駆られていたとき発明された「タイムセラー」は、大分氏にとって、まさに救いの神だった。大分氏はタイムセラーのユーザー登録をすると、端末を受け取った
登録料は無料だし、端末のレンタル料も月一回以上の使用で無料となる。端末は、時間を買いたい人が「三十分」「一時間」「三時間」というふうに買いたい時間を申請しておき、時間を売りたいと思った人が、その購入希望リストの中から一つ選んでクリックすると、売買が成立するというシステムだ。
夜中や早朝に目覚めて寝付けないときなど、端末を見ると、購入希望者が必ず何人かいる。
小耳にはさんだところでは、残業や付き合い酒などで帰宅が遅くなったとき、睡眠時間を確保するため、時間の購入を希望する人が多いとか。そういう人は、購入希望の有効期限を翌朝の起床時間までにし、購入希望申請をして寝る。起床時間までに運よく売り手がいればじゅうぶん睡眠時間をとれるし、売り手がいなければ寝不足のまま目覚めるというわけだ。
どうやらそういう忙しい人間は多いらしく、夜中や早朝に時間を売ろうと思い立ったとき、購入希望者がいなかったことは一度もない。
時間を売ると、リストのなかから選んだ時間が一瞬で経過する。そのやり方でちまちま時間を売ってみると、じゅうぶん年金の不足分を補える金額になる。
どうやら老後の生活費はなんとかなりそうだというので、大分氏はほっとしていた。
3 風太の場合
風太はフリーターだった。いわゆる就職氷河期に社会人になったら、バイトや派遣の仕事しか見つからなかったのである。
割に合わない仕事ばかりだと、風太は思っていた。
派遣会社に登録して仕事を紹介してもらったり、求人雑誌で探したりして仕事を見つけるのだが、条件が悪い。正社員に比べて仕事がラクというわけではなく、働いている時間は同じなのに、給料は安く、雇用は不安定だ。「正社員は重い責任のある仕事をしているから給料が高い」というのは建前で、トラブルが起こったときや業績が下がったときにリストラされるのはバイトや派遣社員なのだ。
契約が切れたり「明日から来なくていいよ」と言われたりするたび、次の仕事を探さなくてはならない。
もちろん、そういう雇い止めや派遣切りを規制する法律はあるが、実質的には守られていない。「自動更新ではなく、契約終了と再雇用を繰り返すだけ」などという口実で企業は切り抜けるし、雇用時の契約書にたいてい「更新しない場合もありうる」などと明記されており、応じなければ採用してもらえない。
そういう使い捨てにされる非正規社員が増えて、雇用保険制度が破たん寸前となったため、一年以内の短期間で失業した人間が失業保険をもらえる期間は、たとえ会社都合による退職であっても、いまや二カ月間と短くなってしまった。
そのため風太は、失業保険の給付期間中に次の仕事が決まらなかったことが何度もあり、そのたびわずかな貯金を切り崩してきたばかりか、それでも足りずに親に借金したことさえあった。
更新のある仕事でさえそんなありさまなのだから、半年未満で更新なしの短期契約の仕事となれば、契約終了後の保障はまったくない。ほんとうならそんな短期仕事は避けたいところだが、それしかなければ選り好みしていられない。
だから、「タイムセラー」が発明されたのは大歓迎だった。
はじめは仕事の切れ目に日銭を稼ぐだけのつもりだったが、いざ始めてみると、時間を買いたい人は意外に多いようで、端末をこまめにチェックしていれば買い手が見つかる。一日に売る時間が長すぎると生活リズムが狂うからというので、一日四時間以内という制約が設けられているが、生活費として必要な金額は手に入った。
そうしてみると、バイトを探すのがばかばかしくなってきた。
何通も履歴書を書き、面接をして、時給千円そこそこの仕事を見つけ、汗水たらして働き、怒鳴られたり嫌味を言われたりしていやな思いをしなくても、何もせずに一時間二千円もらえるというのは割がいい。
時給のいい仕事が見つかったと、風太は喜んでいた。
4 磯賀氏の場合
磯賀氏は、残業と接待と休日出勤で疲れがたまっていた。ほとんど毎日、零時を過ぎて帰宅し、翌朝は七時過ぎに家を出なくてはならない。休みを取れるのは月に一日か二日。仕事の量が多くて、どうしてもそうなってしまうのだ。
「お金を出してもいいから、睡眠時間がほしい」
磯賀氏はつねづねそう思っていた。だから、「タイムセラー」が登場したとき、大歓迎した。 残業やつきあいで寝るのが遅くなったとき、買いたい時間をセットして眠ると、三回に二回は売り手がついて、睡眠不足がかなり解消されたので、磯賀氏は喜んでいた。
5.大分氏の場合・その2
ある日、大分氏は、奮発して一年ぶりに鰻でも食べようかと、同じような境遇の老人仲間ふたりと入った店で、隣のテーブルの会話を小耳にはさみ、ショックを受けた。
隣のテーブルには、大分氏たちと同年代ぐらいのようだが、はるかに高価そうな身なりの老紳士ふたりが、大分氏たちが食べている鰻丼の何倍もの値段の鰻定食を食べており、こんな会話をしていたのだ。
「便利なものができたよ。このタイムセラーは」
「タイムセラー?」
「知らないのか? 時間を売ったり買ったりできる機械だよ。これで、ときどき時間を買っているんだ」
「聞いたことはあるが、どうしてそんなものが必要なのかね? 事業は息子さんに任せているのだから、時間はたっぷりあるだろう?」
「たっぷりはないさ。老い先短い年寄りだ」
「そりゃまあ、そうだが、時間を買ってまでやりたいことがあるのかね?」
「長生きしたいのさ。時間を買うってことは、買った時間の分、寿命が延びているってことだろ? だから、時間をできるだけ買って、寿命を延ばしたいのさ」 大分氏は、思わず食べる手を止めて、隣のテーブルに目を向けた。仲間たちも同様。三人そろってショックを受けていた。
三人は顔を見合わせ、無言で鰻丼の続きを食べたが、もはやおいしいとは感じない。食べ終わって店を出ると、大分氏がぽつりと言った。
「おれたち、自分の寿命を売ってたのかな」
「ああ」と仲間が答えた。
「いまの鰻丼のために一時間ちょっとの寿命を売ったな」
「言うな」と、もうひとりが答える。
「時間を売らなきゃ、生きていけないんだ。寿命の一部で、寿命の全部を維持しているんだ。そう思うことにしようや」
たしかにその通りだった。 それからも、大分氏は時間を売って、生活費を手に入れた。そうしなければ、年金だけではとても暮らしていけないから
だが、それまでのように、「いい機械ができた」と素直に喜べない。寿命の一部を売っているというやるせない思いとともに、できるだけ売る時間が少なくてすむように節約して暮らしながら、一抹の憎悪とともに、タイムセラーを利用しているのだった。
6 風太の場合・その2
風太は、一年ほどタイムセラーで生計を立てたのち、不安になってきた。「時間を売ることは寿命を売ることだ」と、何人かの有識者がマスコミで訴えるようになったうえ、友人たちがそれに同調しはじめたからだ。
「寿命を売るなんていやだ」と、風太と同様の暮らしをしている友人のひとりが言った。
「おれは仕事を探すよ。できれば、ちゃんと定職といえる仕事を」
「仕事を探したほうがいいよ」と、会社勤めをしている友人も言った。
「人事の連中と話をしたとき、タイムセラーだけで長年食ってるやつは、将来、どこにも就職できないって言ってたぞ。キャリアが全然ないうえ、怠けものと評価されるんだな。それなら、アルバイトでも、短期の仕事をつなぎながらでも、何か仕事をしている人間のほうを採るっていうんだ。だから、時間を売るのは副業にしてもいいけど、本業にはしないほうがいい」
「タイムセラーがなかったときだって、就職口なんかなかったよ」
「いまはちょっと状況が違う。時間を売ってラクに稼ごうと考えるやつが増えて、いまはどこの会社も人手不足だ。初任給が時給二千円以上になる仕事なんてめったにないからな。人がタイムセラーに流れ始めたときに敢えて就職した連中は、意欲が高いと評価されて、だいじにされている。おまえが以前にやっていた短期のアルバイトや派遣の仕事はもっと人手不足だから、以前みたいに、仕事の切れ目に間があいて困るということは、まずないと思うよ」
「そうなのか」
「そうなんだ。だが、たぶん、すぐに状況が変わるぞ。時間を売ることは寿命を売ることだと言われだして、人がタイムセラーからふつうの仕事に戻る動きが出はじめているからな。いまの求人難から以前のような求職難に変わるほどの動きになるかどうかはまだわからないが、そうなる可能性だってある。だから、仕事を探すならいまのうちだぞ」
不安になった風太は、仕事探しをはじめた。そして、ほどなく、友人が言ったような状況があるとわかってきた。
ほぼ一年間タイムセラーの収入だけで暮らしていた風太は、その点について採用担当者たちから冷たい目で見られ、面接で皮肉を言われた。その面接官たちのなかには、入社して一年に満たないという人もいて、タイムセラーのために人手不足になったときに就職した者は重用されているという、友人の言葉を思い起こさせた。
結局、以前と同じように、アルバイトで食いつないでいくことになりそうだが、時間を売るのに比べて時給が半額ほどなので、やる気が出ない。かといって、時間を売りつづけていては、どんどん取り返しがつかなくなっていきそうな気がする。
こいつのせいでチャンスを逃がしてしまったと思えばいまいましいが、考えてみれば、就職が売り手市場になったのはタイムセラーのおかげ。やはり、誘惑に負けた自分が悪いのだろう。
ラクに金が稼げるという誘惑の元と思えば、タイムセラーを返してしまったほうがいいのだろうが、これがなければ収入がまったくないというぎりぎりの状態を経験しただけに、命綱を手放す気にもなれない。
複雑な思いとともに、タイムセラーを机の引き出しにしまった風太であった。
7 磯賀氏の場合・その2
磯賀氏は困惑していた。いい仕事をするために自腹を切って時間を買い、忙しく働いてきたのに、「時間を買うことは他人の寿命を買うのと同じ」という概念が広まり始めてから、周囲の目が冷たくなったのだ。
「うちの社員が他人の寿命を金で買っているなどと世間に思われては、会社の評判が下がってしまう。禁止はしないが、くれぐれも控えてくれよ」
上司にまでそう言われて、げんなりするやら、腹が立つやら。つい先日まで、「時間を買えるのなら、残業が増えても平気だな」などと言って、どんどん仕事を増やしていた上司が、世論に合わせてがらりと態度が変わるのだからあきれてしまう。
(買った時間は自分のことに使ってないぞ。自腹で買った時間を、多すぎる仕事をこなすために使ってきたんだぞ)
内心でそう思ったが、口には出さない。これまでだって、さんざん仕事を増やされ、終わった後で「残業が多すぎる」と文句を言われたことは何度もあった。これも似たようなものだから、言っても無駄だとわかっている。
そんな上司の理不尽さを、タイムセラーはまたひとつ増やしたのだと思うといまいましいが、かといって手放す気にもなれない。いざまた仕事が大量に発生すれば、上司はいましがた言ったことを翻し、「時間を買えるのだから仕事が多くてもいいだろう」と言い出すに違いないからだ。
8 時野博士の場合・その2
時野博士は困惑していた。時間を売りたい人と買いたい人のどちらにも喜ばれると思って発明したタイムセラーなのに、「寿命を売り買いするのと同じ」という批判が広まって、まるで極悪人のような目で見られるようになったからだ。
そのくせ、「ではタイムセラーの事業から手を引けばよいのか」とマスメディアで発言すれば、それはそれで反対意見が殺到する。「いまさら手を引くのは無責任だろう」とまで言われた。
実際、時間を売る人も買う人も、ブームのころに比べて半減したが、いなくなったわけではない。利用頻度を減らしながらも、タイムセラーを必要としている人は明らかにたくさんいる。
時野博士自身は、時間を買いたい人だ。研究に熱中すると、時間がいくらあっても足りない。そのため、タイムセラーを使って時間を買ったことが何度かあるが、タイムセラーへの批判が高まってからは買うのをやめた。
だが、もっと切実に時間を買いたい人がいるのは事実。「寿命を売るなんていやだ」と言いながらも、切実に時間を売りたい人がいるのも事実。いまさら手を引くわけにはいかない。
発明者も時間を買いたい人も売りたい人も、釈然としない思いを抱えながら、タイムセラーは定着していったのだった。排気ガスを出す車や食品添加物や原発などと同じように、「必要悪」と呼ばれながら。