とある国の後宮で

トップページ オリジナル小説館 小説の目次


コミケ102合わせでコピー本にした異世界ファンタジーです。


   0 吟遊詩人の望み

 セレス王国の国王は齢六十歳を越えた老人なれど、その後宮に仕えるのは、王妃もふたりの側室もまだ二十代。侍女たちも含めれば、数十人の美女たちがひしめいていた。
 そんな後宮を、あるとき、ひとりの吟遊詩人が訪れた。この国では見かけない銀の髪と灰色がかった青い瞳。どこの国のものとも知れぬ風変わりの衣装。手にした楽器も、この国の弦楽器とどこか似ていながら、独特の形をしている。
 明らかにこのセレス王国の者でもなければ、周辺の国々の者でもない。どこか遠くの国から来たと思われたが、セレス王国の言葉を流暢に話し、多くの歌を知っていて、王のリクエストにすべて応じることができた。そればかりか、とうに滅びた妃たちの母国の歌も、後宮のだれもが知らないような珍しい歌も歌うことができた。
 すっかり満足した王は、褒美に何が欲しいかと、吟遊詩人にたずねた。
「こちらのお妃さまたちには、深い悲しみが感じられます。わたしが歌った数々の歌よりも数奇な運命を経験なされたのではないでしょうか。ぜひ、その話をお聞かせください」
 吟遊詩人の言葉に、王は笑った。
「おもしろいやつだな。金貨でも宝石でもなく、妃たちの身の上話を所望とな。さては、そうやって新しい歌の材料を仕込んでいるのか」
王の問いに、吟遊詩人はただ無言で微笑んだ。王はそれを肯定と解釈し、侍女たちをすべて下がらせると、条件を付けた。
「そちは相当な遠国から来たようだから、この国の名や妃たちの名を伏せて、そちの故郷で歌うぶんには支障がなかろうが、わが国と国交があるような近隣の国で歌われては困る。それは承知しておるだろうな?」
「むろんでございます。誓って、この周辺の国々で人に歌い聞かせることはございません。この国のことを誰も知らぬような遠国で、この国の名を伏せて歌います。いつのこととも、いずこのこととも知れぬ物語として」
「それならよかろう」
 王は側室のひとりをふり向いた。
「ではロスリン。まず、そなたが話すがよい」
 名指された女は、まだ若いのに、老女のような白髪と人生に疲れたかのごとき風情を漂わせている。さぞ数奇な運命をたどってきただろうと想像される女である。
 ロスリンは、苦痛に満ちた表情を浮かべ、話したくないと懇願するかのような視線を王に向けた。
 だが、王が無言のまま厳しい顔で睨むと、あきらめたように話しはじめた。


   1 ロスリン妃の話

 わたくしの話など、詩人どのが期待しているほどのものではありません。
 わたくしは、かつて存在したバスラ王国の王女でした。幼いころに姉と弟を亡くし、父王の子はわたくしひとりとなっていたので、世継ぎの王女として大切に育てられました。
 けれども、八年前、十六歳のとき、このセレス王国の軍がわが国に攻め込み、王宮にまで迫りました。
 両親が敵軍に討ち取られたという報を受けてまもなく、わたくしは侍女数人とともに落城寸前の王宮を脱出しました。
 その後、数日にわたる逃亡ののち、ついに敵軍に見つかり、捕らえられ、こうして敵国の王の妾妃にされたのです。
 わたくしにとっては、この髪が真っ白になるほどの恐ろしい体験でしたが、吟遊詩人殿の歌になるほどではありませんでしょう?
 亡国の王女が敵に捕らえられ、処刑もされず、自害もせず、敵国の王の慰み者とされる……。
 それは別に珍しくはありませんでしょう? ただ、わたくしの場合、よくあるそういう話と違うのは、友とも義理の姉妹とも思い、信じていた者に裏切られて、敵に売られたという点です。
 わたくしには、乳姉妹とはべつに、友とも義理の姉妹ともいえる者がふたりおりました。十歳のとき、世継ぎだった姉が急病で亡くなってまもなく、女の子がふたり王宮に連れてこられ、わたくしの遊び相手としていっしょに育てられたのです。
 国が滅ぼされ、王宮に敵が迫ったとき、ふたりはわたくしとともにいましたが、ひとりは落ち延びるとちゅうではぐれてしまいました。
 いえ、「はぐれる」という言い方は正確ではありませんね。
 彼女は自らの意思でわたくしと離れ、王宮に残りました。わたくしの身代わりとして死ぬために。
 そうと知ったのは、無事に王宮の外に逃れたあと、ともに脱出した乳母にそうと知らされたときのことです。そのときまで、わたくしのほうは、はぐれたとばかり思っておりました。
 そして、もうひとりは、わたくしを裏切りました。逃げ込んだ館で、わたくしが隠し部屋にいるとき、追っ手にわたくしを売りました。兵士に見つかり、恐くなって裏切ったのでしょう。それとも、ちゃっかり王妃におさまっているところをみると、栄達をめざしたのでしょうか。それは、わたくしにはわかりません。
 ともあれ、彼女の裏切りでわたくしは捕えられ、王に手籠めにされ、側室となりました。
 わたくしの話はそれだけです。

 ロスリン妃の話が終わると、吟遊詩人はロスリン妃になにか言いたそうに口を開きかけたが、すぐに口を閉ざし、王を振り向いた。
「では、ロスリン様を売ったという侍女はどうなったのです? その方の話も聞きたいものですね」
 王は王妃のほうをふり向いた。
「では王妃よ、そなたから話すがよい」
 王妃はかすかに顔を赤らめ、苦痛に満ちた表情を浮かべた。
 だが、それはつかのまのこと。いやな思い出を振り払うかのように首を横にひと振りすると、王妃は決然とした表情で話しはじめた。


   2 王妃の話

陛下もむごいことをおっしゃる。このわたくしに、王妃になったいきさつを語れと。
 いいでしょう。話しましょう。わたくしは、いま、それを微塵も後悔していないのですから。
 わたくしは、もとは、この国に滅ぼされたバスラ王国の王女の「影」でした。国の施設で育てられていた親のいない女の子たちのなかから、とりわけ王女に容姿が似ている子どもがふたり選ばれ、王女の影となったのです。
 影の仕事は、王女の遊び相手をしたり、王女がいたずらをしたときなどに王女の身代わりに体罰を受けたり。上流階級の子どもに従者や侍女としてつけられる子どもたちとほとんど変わりませんでした。
 ただ、一般の従者や侍女と違って、ごくまれに、必要に応じて王女に扮し、代わりをつとめることもありました。たとえば、だいじな式典なのに王女が熱を出したといったとき、王女のふりをして式典に出席したことがありました。
 愚かなことに、わたくしももうひとりの影も、王女に影がつけられているのは、そういったときのためだと思いこんでおりました。
 けれどもそうではありませんでした。影のもっとも重要な役割は、そういった平和なときではなく、非常時にあったのです。
 セレス王国に攻め込まれ、国王陛下が戦死したとの報を受けたとき、わたくしともうひとりの影は、王女の乳母でもある女官長に呼び出され、命じられました。王女の身代わりとなって死ぬようにと。
 もうひとりの影、わたくしの親友は、王女の衣装を身に着け、毒酒を持たされて王宮に残りました。王女が自害したと敵に思わせるためでした。
 そのときまで、わたくしは、王女も親友だと思っておりました。いつも三人で仲良く過ごしておりましたゆえ。
 けれどもそれは間違いだったと、そのときわかりました。王女にとって、わたくしと親友は自分の影。容赦なく使い捨てにしてよい道具なのだと。
 死んだ親友はおそらくそれをわかっていたのだろうと思います。わかっていたうえで受け入れていたのだろうと。
 王女にもそれはわかっていたはず。わかっていたからこそ、彼女の死を忠義として受けいれ、彼女のようにふるまわなかったわたくしを裏切り者としてなじるのです。もしも知らなかったのなら、彼女の死を憤り、それを命じた女官長に怒り、わたくしがなぜ裏切ったのか理解したことでしょう。
 わたくしの気持ちがわからないというのなら、王女は、わたくしのことも亡き親友のことも友とは思わず、道具のように思っていたのです。自分の身代わりに自害するのが当然だと思っていたのです。
 たどり着いた館の寝室に毒酒とともに残されたとき、わたくしはそれと悟りました。追手がこの館を見つけたなら、囚われる前に毒酒を飲むようにと命じたのは女官長でしたが、いかに小声とはいえ、王女に聞こえなかったとは思えません。わたくしと若い女官が寝室に残り、自分が女官長とともに隠し通路を使って隠し部屋に入ったという状況からいっても、わたくしが死を命じられたことは察せられたと思います。
 ですから、わたくしは命令に従いませんでした。
 隠れていて追っ手に見つかったとき、わたくしは、王女ではないと訴えました。王女は女官長とともに隠し通路から隠し部屋に入ったと。タペストリーの裏の壁に隠された隠し通路の場所も教えました。
 いっしょに残った女官は、わたくしを殺そうとして失敗すると自害し、まもなく王女と女官長が引き立てられてきました。
 王は、わたくしをおもしろいと言い、王妃にしました。王女は側室になりました。女官長は絶望して自害したと聞きました。
 わたくしの話はこれだけです。

 王妃とロスリン妃は、険悪な視線でしばらく睨みあった。互いに嫌悪し、憎みあっているが、怒りと憎悪をむき出しにして言い争うような熱情はもはやない。自分の価値観と感情をぶつけ合うような段階はとうに過ぎ去り、いまは、互いに相容れない存在だと冷たく悟っていた。
 そんなふたりに代わる代わる視線を向けたあと、王は吟遊詩人に言った。
「いまの話でわかるように、王妃とロスリンには過去に深い関わりがあるのだが、じつは、このふたりに関わりのある妃がもうひとりいる」
 王妃とロスリン妃は驚いて王のほうを見た。今の話はふたりにも初耳だったのだ。
 王は、顔も見えぬほど頭からすっぽりベールを覆った妃に目を向けた。
「イシャよ。そなたの話も聞かせてやれ」
 王妃とロスリン妃はますますけげんそうな顔をした。ふたりとも、「イシャ」という名に心当たりがなかったのだ。
 イシャ妃はベールを外した。顔の右半分がむごたらしく焼けただれている。王妃も妾妃たちも息を飲んだ。同じ宮殿で暮らしていながら、彼女の素顔を見るのは初めてだったのだ。
「王妃様、ロスリン妃様、わたくしに見覚えがございますでしょうか? 八年前にはやけどを負っておりませんでしたが」
 そう言いながら、イシャ妃は、焼けていない左半分の顔をふたりに見せた。八年前にはそれなりの美少女であったろうと察せられるその容貌に、ふたりとも見覚えはなかった。いや、会ったことはあったかもしれないが、思い出せなかった。
「覚えていらっしゃらないようですね。無理もありません。わたくしは、おふたりから見れば、覚えるに値しない軽い人間でしたでしょうから。では、わたくしの話をいたしましょう。どうか期待なさらないで。おふたりのように重要な立場にいたわけではなく、ありふれた軽い命の下々の者に降りかかった、おそらくはよくある災難に過ぎませんから」
 そう前置きして、イシャ妃は語りはじめた。


   3 イシャ妃の話

 わたくしは、バスラ王国の近衛兵の娘でした。父は、近衛とはいっても、百人以上もいる近衛の末端の兵士で、出世の見込みもほとんどありませんでしたが、王国と王様に忠節を近い、いつでも命を捨てる覚悟でひたすら忠実に働いておりました。職務のために自分が命を失うことが何時あるかわからないので、その覚悟をしていてほしいと、母とわたくしに何度も言っておりました。
 わたくしが王女様より五つも年下だったことを、父は残念がっておりました。王女様と髪の色や目の色が似ているので、同じ年か一つぐらいの差なら、影として仕えることができたかもしれないというのです。
 父がそう言うと、母は怒りました。両親は仲が良かったのですが、母は、それだけは許せないというのです。
 母がなぜ怒ったのか、今ならよくわかりますが、当時はまだ子供で、父を尊敬していましたから、母の怒りは理解できませんでした。
 ですから、十歳で行儀見習いを兼ねた侍女見習いとして王女様のお側に仕えることになったとき、家族と離れる不安や淋しさはありましたけれども、名誉なことと喜びました。一年後、セレス王国の侵攻により、王女様を逃がすため、影姫様のおひとりのお供をするようにと仰せつかったときにも、名誉なことと受け止めました。
 けれども、いざ毒の入った盃を渡され、それを飲み干さなければならないというとき、体がすくみました。理屈ではありません。頭では、それを飲んでお役目をまっとうしなければならないと思っていたのです。でも、体が思ったように動きませんでした。なんとか杯に口をつけて毒酒をなめても、王女様の乳姉妹様や影姫様、それに先輩の侍女たちが苦悶の表情で血を吐いて倒れるのを目にすると、飲み干すことはできませんでした。
 そうするうちに、荒々しい足音が近づいてくるのがわかりました。
 生きて敵兵に捕らえられたら、死ぬより恐ろしい目に遭わされる……。
 何度もそう言い聞かされていたので、わたくしは恐怖に震えながら、あわてて毒酒を飲み干そうとしましたが、一口飲んで杯を取り落としてしまいました。
 扉が開く音がして、わたくしは、毒で朦朧となりながら、必死で逃げようとしました。転倒し、這って逃げようとしたとき、わたくしは激しい熱さに包まれました。いえ、熱かったのか、痛かったのか、今となってはよくわかりません。苦痛と恐怖にのたうちながら、わたくしは気を失いました。
 目覚めたとき、わたくしはぐるぐると包帯を巻かれ、手厚い手当てを受けておりました。敵兵が部屋に踏み込んだとき、わたくしは這って暖炉に頭から突っ込んだのだと聞かされました。
 飲んだ毒がごく少なかったのと、手当てが早くて適切だったおかげで、わたくしは命を取り留めたのです。が、顔はこのように酷いやけどを負っておりました。
 そのあとほぼ五年間、わたくしは、侍女見習いとして暮らし、十六歳の誕生日を迎えたのち、王の側室となりました。
 かつて受けた教えに従うなら、母国が滅ぼされたあと敵国の王の側室になるなど、死を選んだほうがましなほどの屈辱。それを受け入れるぐらいなら、名誉のために死を選ぶべきなのでしょう。
 けれどもその頃には、わたくしには、何が屈辱で何が名誉なのか、わからなくなっておりました。
 それというのも、影姫様が王妃になり、王女様が側室になっている姿を目にしていたからです。かつては雲上人だった高貴な方々にとって、それが死を選ぶべき屈辱でないのなら、なぜ、取るに足りない下々のわたくしが、名誉のために命を断たなければならないのでしょう? わたくしの目の前で血を吐いて死んでいったもうおひとりの影姫様、王女様の乳姉妹様、先輩の侍女の方々は、どうして死ななければならなかったのでしょうか?
 そう思うと、何もかもどうでもよくなって、わたくしは王の側室となりました。
 今が幸せだというと、嘘になりましょう。けれども不幸かというと……。それほど不幸でもないような気がします。
 わたくしには、いま、幼い娘がおり、娘を愛しいと思っています。もしも故国が滅ぼされず、同等の身分の殿方に嫁いで、娘を生んでいても、やはり娘を愛しいと思ったことでしょう。けれども、その娘に、国だの忠誠だの名誉だのが命を懸けるほど尊いものだと教えたことでしょう。いま、わたくしは、娘にそのようなことを教えずにすみます。
 そう思えば、いったいどちらのほうが幸福で、どちらのほうが不幸なのか。何が幸福で何が不幸なのか、いまのわたくしにはわかりません。
 わたくしの話は以上です。

 イシャ王妃の話が終わると、吟遊詩人は、もの問いたげな視線を王に向けた。
「あとおひとかたのお話だけお聞かせ願えましょうか?」
「あとひとり? わしの妃はこの三人だけだぞ?」
「陛下のお話をお聞かせ願えましょうか?」
「わしの話?」
「そうです。後宮に多くのお妃を持つ王様には幾人もお目にかかりましたが、容姿で選んで美女を集めようとするわけでもなく、富や領地を増やすために他国の姫君たちと婚姻しようとするわけでもなく、悲しみと絶望を抱えた女性ばかり選んでお妃に迎える王様は珍しい。何か、わけがおありなのではないかと思いまして」
「それもそうか。では、わしの話を聞かせよう」
 そう言って、王は、自分の若き日の話を語り始めた。


   4 王の話

 わしはどうやら、絶望の淵にいる女性に惹かれる傾向があるようだ。たぶん、それは、わし自身が絶望を経験したからだろう。
 セレス王国は、いまでは強国だが、わしが子供のころ、滅亡したことがある。幼すぎて記憶は朧げだが、たぶん、わしが七歳の時のことだ。父王も母もそのとき殺されたと聞いた。
 母は何人もいた側室のひとりで、兄は十二人もいたというから、王位からほど遠く、王子たちのなかでさほど大切にされていたわけではなかっただろう。実際、母の記憶はあっても父王のことはまったく覚えていないのだから、父に捨て置かれて育ったのだろう。
 それでも、王子として、それなりに恵まれた暮らしを送っていたという記憶は朧げにある。
 だが、国の滅亡によって、わしは奴隷になった。成人していれば殺されただろうと思う。処刑を免れたのは、幼かったからだろう。それに、征服したセレス国の民に寛大なところを見せるためとか、奴隷として売って多少の金銭を得るといった目的もあったのかもしれない。
 ともあれ、わしは辺境の農園に売られた。
 え? それが絶望の経験なのか、だと?
 いいや、違う。絶望するには、あまりにも幼かったのだ。王子時代の記憶は夢か現実か定かでなくなるほどあいまいになって、奴隷になってからの生活が当たり前になっていたので、希望はなかったが、絶望もなかった。ただ、割り当てられた仕事をして、与えられた食事を食べ、ずっとそうやって生きていくのだと思っていた。
 辺境であり、奴隷でもあったので、かつてのセレス王国でどのような政変が起こっているか、わしはまったく知らなかったのだが、じつは、王国滅亡の際に落ち延びていた兄のひとりが、十数年の歳月を経て王国奪回の兵を起こし、さらに数年の戦いを経て、セレス王国を再建。国が落ち着いたところで、生死不明の弟妹たちを探しはじめた。
 それは、愛情からというよりは、有力貴族や他国の王家と婚姻という形で同盟を結ぶにも、後継者の予備を確保して国民を安心させるためにも、手駒が圧倒的に足りなかったからだろう。
 ともあれ、わしは、三十を過ぎたころ、兄に見いだされ、王弟として迎えられた。その前後数年の間に、わしのほかに五人の元王子と八人の元王女が見つけ出されて迎えられた。それ以外のきょうだいたちがどうなったかは知らぬ。亡国の際に亡くなった者もいただろうし、奴隷暮らしのあいだに亡くなった者もいただろう。征服者の後宮に入れられていた王女たちのなかには、王国奪回の際に死亡した者もいたと聞いた。
 いずれにせよ、顔も名前も覚えていないきょうだいたちだから、どうでもよい。王となった兄のこともまったく覚えていなかったが、王弟として迎えられ、厚遇されたことには感謝していたので、せいいっぱい仕えた。
 そのためか、ほかのきょうだいたちは婚姻のために王宮を去っていったが、わしは兄の手元に残された。いずれ兄に王子が生まれればその補佐役となり、王子に恵まれなければ世継ぎとなることを期待されていた。
 そのまま何事もなければよかったのだが、王弟として迎えられて五年後、隣国との戦で、兄が戦死した。わしはなんとか戦を勝利に導き、敵を撃退したが、セレス王国は、世継ぎがまだ生まれないまま王が戦死するという事態に立ち至った。
 家臣たちは、わしが兄の王妃を娶って王位を継ぐことを期待していたが、兄を深く愛していた王妃は、とてもすぐにはそのような気にはなれないようだった。
 それはわしも同じで、懐妊中の王妃が出産するまで待ち、その子が王子であれば、成人するまでわしが摂政となって、そのあとその子が跡を継げばよいと思っていた。生まれた子が王女であれば、そのときはそれから考えればよいと。
 家臣たちにもそう言ったが、それでは国民が不安になると、なかなか納得してくれない。わしは、家臣たちを説得する一方で、悲しみに打ちひしがれた王妃を慰めつづけた。
 兄は王国を奪回してからようやく結婚したので、亡くなったとき五十歳近かったが、王妃はまだ三十歳を過ぎたばかり。わしより五つも年下なので、姉というよりは妹のようだった。それが、悲しみを慰めているうちに、妹というより、愛しい女性へと変わっていった。
 誓って言うが、わしは、兄の存命中、王妃に恋情を抱いたことはない。兄の死の直後も同様だ。それが、ひとたび恋情を抱くと止めようがなく、しだいに、家臣たちの望むように王妃と結婚するのが最善の道と考えるようになった。
 そこで、わしは、王妃をそう説得しようとした。わしだけは理解者と思っていた王妃は、腹を立て、わしに不信感を募らせるようになった。王妃の心が離れれば離れるほど、わしはかえって王妃を強く欲するようになり、ある日、ついに王妃を力づくで自分のものにした。
 すすり泣く王妃を彼女の私室に残して退室したわしは、しばらくして、お互いに頭が冷えたところで話し合おうと、彼女の部屋に戻った。
 だが、そこに王妃の姿は見当たらず、窓のはるか下に斃れているのが見つかった。三階の高さだったからな。すでに絶命していた。
 わしが殺したようなものだが、誰もわしの所業を疑わなかった。夫を亡くした悲しみがあまりにも深く、ついに堪え切れなくなってあとを追ったのだと、だれもが考えた。王妃が生んだふたりの王女たちさえ、わしを疑わなかった。
 そのあと、わしは、皆に望まれて王となった。少しもうれしくなかった。王妃の悲しみと無念さを思うにつけ、罪悪感と後悔に苛まれた。その罪悪感と後悔と絶望に耐えるため、わしは王としての仕事や戦に励み、セレス王国を徐々に強国にしていった。
 家臣たちは、わしが王妃を迎えて世継ぎをもうけることを望んだが、とてもそのような気になれなかった。もしも、わしがあのような非道なことをせず、王妃が無事に子を産んでいたら……。それが王子であれば、生涯、主君として仕えたであろうのに……。
 幾たびそのような夢想をしただろうか。
 だが、それはかなわぬ夢。王妃も、王妃の腹の子も、わしが殺したのだ。それなのに、わし自身が別の女性を王妃として娶り、わし自身の子を産ませるなど、とても考えられなかった。バスラ王国を滅ぼした七年前までは。
 七年前、捕虜としたバスラ王国の女たちのなかで、三人の女がわしの興味を引いた。国を滅ぼされ、家族を殺された悲嘆だの、敵の王であるわしへの憎悪だの、そんなものは珍しくもない。だが、わしに対する以上に、同じ亡国の苦しみを味わった母国の人間に激しい憤怒と憎悪を抱き、それがゆえに、国を滅ぼされたこと以上に、かつては信頼していた母国の人間の裏切りに深く傷つき、絶望した女たち。わし自身の絶望を見るようでもあり、自害した王妃の絶望を見る思いでもあった。
 そこで、わしは、三人を王妃と側室とした。つねの後宮の妃たちのように王の寵を争うわけではなく、後宮入りする以前の関わりから他の妃を憎む女たち。わしはそれをおもしろいと思った。こういう言い方をすると妃たちは怒るだろうし、実際、いま顔色を変えているが、おもしろいと思ったのだ。憎悪に絡み取られ、絶望しながらも、自分の立場を受け入れて生きていることも含めてな。
 三人を見ていて気がついた。わしは、苦しみ、絶望し続けていると思いながらも、王という地位を受け入れ、ぜいたくな暮らしにも慣れた。絶望しながらも、後宮でのぜいたくな生活を享受している三人の姿は、そんなわしを見るようだった。もしも自害した王妃があのまま生きておれば、わしを愛さぬにしても、憎みながらも、わしの王妃という立場を受け入れただろうか。そう思わぬでもない。
 そういったことも含めて、わしはおもしろいと思ったのだ。人とは存外したたかなものかもしれぬな、と。

 王の話が終わると、吟遊詩人が尋ねた。
「陛下もお妃さまがたも、絶望を抱えておられるとのことですが、では、希望は? 未来に希望はございませぬのか」
 王はしばらく考え、口を開いた。

 そうだな。希望があると意識したことはなかったが、希望はあるな。イシャ妃が自分の生んだ王女について触れたが、わしはこの三人の妃たちとのあいだに、三人の王子と四人の王女をもうけた。そのうち王子ひとりと王女ひとりは幼くして亡くなってしまったが、ほかの子供たちは元気に育っておる。その子供たちには、父母のような悲しみや憎しみや絶望に打ちひしがれることなく、幸せになってほしいと思っているし、そのためにできるだけのことをしてやりたいと思っている。
 兄夫婦が残した王女たちについても同様だ。姉王女は、表敬訪問に訪れたエブラ国の王太子と好意を持ち合うようになったのがわかったので、彼のもとに嫁がせた。彼が、野心のためではなく愛情のために王女を欲していると察せられたのでな。以来、エブラ国とは友好な関係を保てるよう、気を配っている。
 妹王女は、わが国の下級騎士と相愛になったので、少し身分違いではあるが、降嫁させた。誠実な若者で、出世のためではなく愛情のために王女を欲しているとわかったのでな。その男には、人に妬まれるような身びいきはしないが、適度に目をかけている。彼の能力から推しても、ほどほどに出世して、夫婦は平穏な人生を歩んでくれるだろう。

 王の話を聞いて、吟遊詩人は微笑んだ。
「そう聞いてほっといたしました。歌の最後を絶望以外のもので締めくくることができますゆえ」
 そうして、吟遊詩人はバスラ国を去っていった。


上へ