アルウェンの髪型 その2

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 2003年11月8日UP 今回更新はここ。「4」と「エピローグ」です。

「おとうさま。わたしたち、婚約しようと思うの」
 アルウェンの言葉に、エルロンドは目をぱちぱちした。その表情がけわしいので、エステルは不安になった。
 じつのところ、「婚約」の意味がエステルにはよくわかっていない。
「『婚約します』って、そう宣言するだけでいいのよ。婚約したからって、結婚しなくちゃいけないってわけじゃないんだし」
 アルウェンはそう説明し、エステルは「結婚」の意味も知らなかったので、どういうことなのか検討もつかなかったのだ。ただ、アルウェンが「わたしにまかせて」とか、「かんたんなことよ」というので、まあいいかと思っていたのだが……。
(ひょっとして、エルロンド卿が怒るようなことなのだろうか?)
 そんな疑問を感じたが、この場でアルウェンにたずねるわけにもいかない。
「ア、ル、ウェ〜〜ン」
 エルロンドは怒りもあらわにアルウェンの鼻先に指をふり立てた。
「なにを考えてるのか知らんが、こんな年端もいかない子供を巻きこむんじゃないっ!」
 エステルはむかっとした。子供扱いされたくないお年ごろである。
「わたしは子供じゃありません」
 エルロンドはエステルをふり向いた。怒った顔ではあるが、アルウェンに向けていたときよりはいくぶん表情がやわらいでいる。なんといっても、エステルはまだ子供だ。母親以外の人間と隔絶されて育ったから、同年代の人間の少年と比べてもずっと世間知らずだろう。どうみても「婚約」の意味がわかっているとは思えない。
 そう思うと、今度の件でエステルに本気で腹を立てる気にはならない。
「あー、エステル、おまえは『婚約』の意味がわかっているのかな? わかっていないだろう?」
 エステルはぐっと詰まった。無知をさらすのは恥ずかしいし、まずいんじゃないかとも思ったが、エルロンドがじっと見つめているので、しかたなく口を開く。
「えーと、『婚約します』と宣言すればいいんですよね。そうしたら、アルウェンは髪型を変えなくてもいいんでしょう?」
 アルウェンに足を軽く蹴られて、エステルはまずいことを言ったと気がついた。
「なるほど。髪型か」
「あのう……。なにかまずいんでしょうか」
「まずいとも。たいへんまずい」
「でも、アルウェンには、いまの髪型が似合っていると思いますけど?」
 そう言いながら、エステルの視線はどうしてもエルロンドの額のはえぎわあたりにいってしまう。
 たしかに、息子のふたごや闇の森のレゴラスといった若いエルフたちに比べて、はえぎわがかなり後退している。アルウェンがこの髪型をいやがるのも無理はない。けれども、それを口に出しては、エルロンドが気を悪くするだろう。
 エステルが困っていると、エルロンドが言った。
「髪型のことを言ってるんじゃない」
「違うんですか?」
「婚約の話をしてるんだ!」
「じゃあ、髪型はいいんですね。今のままでも」
 エステルがパーッと明るい笑顔になった。無邪気なその笑顔に、エルロンドは意表をつかれ、つかのま言葉を失った。
 アルウェンはそれを見逃さなかった。
「まあ、おとうさま、ありがとう。エステル、あなた、最高よ」
 アルウェンが大喜びでエステルに抱きつき、エステルはにこにこしている。
 やられた、とエルロンドは思った。
 目の前にいるこの養い子は、天然なのか、それとも策士なのか?
 たぶん前者だろうと思うが、そう言い切る自信はない。エルフの長のひとりとはいえども万能ではないのだ。
 もちろん、エルロンドは、自分の口からアルウェンのいまの髪型を許すといったわけではないのだから、改めて髪型を変えるように命じることはできる。
 だが、内心でひやっとした婚約云々の話がうやむやに流れてほっとしていたので、あまり髪型の話を蒸し返す気分ではない。
 アルウェンは明らかにエステルを子供扱いしているし、エステルの態度も、知り合いになったおねえさんになついている子供といったところだ。恋愛めいたものがあるようには見えない。アルウェンのほうが、実年齢はむろん、外見年齢もずっと年上なのだから、あたりまえだが。
 髪型のほうは、そのうちロスロリエンの母がうまく説得してくれるだろう。アルウェンは、もう少ししたら、ロスロリエンにいくことになっているのだから。
 そう思ったので、エルロンドはもうふたりを叱るのをやめ、アルウェンの髪型のことはうやむやになった。


 成長したエステルは、成人と認められ、アラゴルンと名乗ることになったとき、人間界への旅立ちに先立って、ロスロリエンに招かれた。
 ガラドリエルの威厳と神秘的な美しさにぼうっとなっていたアラゴルンは、久しぶりにアルウェンに再会した。
 かつては姉と弟のように見えたふたりだが、いまでは同年代のように見える。最初に出会ってからいままでに何回か会う機会があり、そのたびにエステルは成長していたが、アルウェンは最初に出会ったときのままだ。今回会うのは、二年ぶりである。
 なつかしくて再会を喜んでいると、ガラドリエルがふたりの婚約の件を持ち出した。
 たいへんなことになったと、アラゴルンは思った。十二歳のときとは違って、いまでは、「婚約」の意味を知っている。人間と結婚したエルフは不死を捨てなければならなくなるということも。
 それで、ふたりきりになった早々にアルウェンに相談した。
「ガラドリエルさまは、わたしたちが本気で結婚を望んでいると思い込んでいる。きちんと事情を話したほうがいい」
 アルウェンの答えは意外なものだった。
「あなたは望んでいないの?」
「え?」
「あなたはわたしとの結婚を望んでいないのって聞いたのよ」
「望むも、望まないもないだろう? わたしは人間で、きみはエルフなんだから」
「人間の血も混じっているのよ。エルフと人間の結婚は可能だわ」
「可能って……。人間と結婚したら、エルフは不老不死じゃなくなるんだろう?」
「そうよ」
「じゃあ、たいへんじゃないか」
「わたしはかまわないわ」
 アラゴルンは混乱した。
「きみは、髪型を変えたくなくて婚約の話をでっち上げたんじゃなかったのか?」
「それは、最初に出会ったときの話でしょう?」
 アルウェンは笑った。
「そりゃあ、あのときは、あなたはまだ子供だったもの。恋愛の対象として見てはいなかったわ。でも、いまは違う。こんなにすてきな殿方に成長したのだもの」
 頬をなでられて、アラゴルンはどぎまぎした。エルフに顔や体に触れられると、アラゴルンはどぎまぎせずにはいられない。まして、アルウェンは妙齢の女性なのだ。
「わたしはあなたを愛しているわ。ひとりの男性として」
「いや、しかし……。きみは不死を捨てなきゃいけなくなるんだよ?」
「かまわないわ。あなたとともに生きるためなら」
「なぜ?」
 アラゴルンの声がかすれた。アルウェンが少し恐くなっていた。
「なぜ、わたしなんだ? エルフの殿方が何人もいるのに?」
「わたしが愛しているのはあなただからよ。あなたのためなら不死を捨ててもいいけれど、あなた以外のだれのためでも不死を捨てる気はないわ」
「そんなこと……。だめだ。わたしのために不死を捨てるなんて」
「わたしがいいと言っているのよ。それより、あなたは? わたしのこと、好きじゃないの? エルフの女だと魅力を感じない?」
「まさか」
 アラゴルンがたじたじと答えた。恋愛感情といえるかどうかはアラゴルン自身にもわからないが、アルウェンに対してあこがれとも友情ともつかぬ好感情があるのは確かだ。好意をもっている女性にいわば命がけで迫られて、拒絶するのはむずかしい。
「きみは魅力的だと思うよ、アルウェン」
「じゃあ、決まりね」
 アルウェンがうれしそうに言い、ふたりの婚約が成立した。アラゴルンには、それでよかったのかどうか、わからなかった。


エピローグ

 後年、指輪の所持者を守って旅に出たとき、アラゴルンは仲間になったレゴラスの髪型が気になってしかたがなかった。
 レゴラスにはこれまでにも何度か会ったことがあるが、この旅のあいだほど長くともに過ごしたことはない。それだけに、つい彼の頭をしげしげと見つめてしまう。
「どうかしたのか?」
 レゴラスがけげんそうにたずねた。
「わたしの頭になにかついているのかい?」
「いや。……その髪型、変える気がないかと思って……」
「似合わない?」
「いや、よく似合ってるけど……」
 エルフの髪型は、レゴラスのきれいな顔立ちによく似合っている。彼ほどこの髪型が似合うエルフはいないんじゃないかと思えるほどだ。
 それだけに、レゴラスのはえぎわが後退するところなど、見たくはない。おそらくそうなるのは、定命の自分の寿命が尽きてのちだろうが、やっぱりいやだ。しかし、かといって、同じ髪型のエルロンド卿のはえぎわが後退しているなどと指摘するわけにもいかない。
「そのう……、その髪型、髪が傷まないか?」
「いいや、べつに。なぜ?」
「いや、それならいいんだが……」
 アラゴルンは引きさがったが、やはりレゴラスの髪型が気になってしかたがなかった……。


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