1
「剣士ナバール」
目の前に立つ返り血にまみれた男をにらみつけて、マルスは剣をかまえた。
「父王コーネリアスの仇」
言葉と裏腹に、その口調には自信なげな響きがある。
剣を交えても勝ち目のない相手ではあるが、それゆえの躊躇ではない。この美貌の剣士がほんとうに父の仇とは、どうしても信じられないのだ。父の供をしていた騎士の最期の言葉からして、それを疑う余地はないというのに。
父が殺された日、マルスたちが駆けつけたとき、ひとりだけまだ息のあった騎士は、たしかに、長い髪の凄腕の剣士にやられたと言ったのだ。その剣士は、盗賊団の一味らしく、仲間の盗賊に「ナバール」と呼ばれていたのだとも。
だが、父の仇だというなら、この男は、どうして行く先々で自分たちを助けてくれるのか? 王の仇として狙われる身で、どうしてアリティア軍を助け、ドルーア軍をわざわざ敵にまわすのか? アリティア軍のだれかに攻撃されたときでさえ、逃げるばかりで、反撃してこようとしないのはなぜなのか?
現に、今も、マルスを狙っていたホースメン二騎を斬り捨て、危ういところを助けてくれたばかりだ。
「マルスさま!」
大切な主君が凄腕の剣士と向き合っていると気づいて、アベルとカインが血相を変えて駆けつけてくる。
それを見てとると、ナバールは、野生の獣を思わせるすばやさで背後の森の中に飛び込み、姿を消した。
だが、立ち去ってはいないだろうと、マルスにはわかっていた。
ナバールは、森のどこかにひそんで、戦いを見守っているのだ。必要とあれば、またアリティア軍に加勢するために。
(いったい何を考えているんだ、やつは?)
山賊の用心棒をしていたその男の行動は、マルスには理解しがたいものだった。
2
ナバールは夢を見ていた。遠い日、本来あるべきはずの失われた日の夢だった。
「ナバール」
木の下からマルスが呼びかける。
「つまらなかったらごめんよ」
焚き火を囲んでのにぎやかな宴の席を目で示しながら、マルスが言う。
「そんなに気を遣わなくてもいい。おれは、宴に加わるのは苦手だが、眺めてるのはけっこう好きなんだ」
「そうだね。それはわかるよ。わたしも、みんなが楽しそうにしているのを見るのは好きだ。宴に加わって、にぎやかにしているのも好きだけど」
言いながら、マルスは、ナバールが腰かけている枝のすぐそばの枝に、器用によじのぼった。
「やっと取り返したんだ、アリティアを」
「ああ。来るのは二度目だが、いい国だな」
そんな話をしていると、まもなくオグマがやってきた。
「おーい、ナバール。食い物と酒を持ってきてやったぞ。……あ、王子もこちらにいらしたんですか」
「うん。オグマも登っておいでよ。眺めがいいよ」
「いや、わたしはやめときます」
笑って言うと、オグマは、ナバールとマルスに肉と酒を渡した。
「賢明だな。オグマみたいな大男が登ったら、枝が折れてしまう」
「なんだと、ナバール。いくらおれでも、そんなに重かぁないぞ」
ナバールがはっと目を開けると、ふたりの友はどこにもいない。夢だったのだと気がつくのに、しばらくかかった。
ずっと遠くの方から、アリティア軍の宴のにぎわいがかすかに聞こえてくる。その笑い声が見せた夢だったのだろう。
いましがたの夢とまったく同じ会話が交わされたのは、ナバールにとっては五年も前のこと。そして、いま聞こえてくる宴のにぎわいは、なつかしいその思い出とまったく同じ、アリティアの都アンリと王城の奪回を祝うものだ。
かつてとまったく同じ戦いを、まったく違う立場、違う状況で、二度も経験することになったいきさつを、ナバールは思い出していた。
暗黒皇帝となったハーディンをついに救えなかった悲しみを負ったまま、宿敵メディウスのいる〈竜の祭壇〉まであと一歩に迫ったとき、アリティア軍の前に、空中から湧き出るようにして、ふいにガトー司祭が現われた。
遠い〈氷竜神殿〉にいるはずのガトー司祭の姿に、ナバールたちははじめ、にせものかと疑った。ガーネフ配下の闇の司祭たちが、目くらましの術でだれにでも化けられることは、よくわかっている。
とっさに、オグマとナバールがすばやく馬から飛び降り、マルス王子をはじめとする軍の全員を背後にかばうようにして立った。
その後ろから、マルス王子の穏やかな声がかかる。
「失礼だよ。本物のガトーさまだ」
マルスはするりと馬を降り、ガトーの前に進み出た。目くらましの術が使われていない証拠に、マルスの手にした〈封印の盾〉には、なんの異常も見られない。
「どうなさったのですか、ガトーさま? 〈氷竜神殿〉にいらしたのでは?」
「急いでワープしてきたのじゃ。たいへんなことになっての。ガーネフが、古代の超魔法タイム・ワープを手に入れて、過去を変えようとしておるのじゃ」
「過去を変える?」
「過去を変えれば現在も変わる。ガーネフは、今のそなたに勝ち目なしと思うて、過去を変えようとしておるのじゃ」
「どんなふうに変えようとしているのでしょう?」
「わからん」と、ガトーはあっさり答えた。
「わしは、シスターたちがさらわれて以来、〈氷竜神殿〉で、ずっとガーネフを追跡しておった」
マルスはうなずいた。それは、ガトー司祭の使いをつとめたチェイニーから聞いた話でもある。
特定の人物を追跡して監視する超魔法トレーサーは、〈氷竜神殿〉でのみ使える魔法だという。
「ガーネフがタイム・ワープを手に入れて、五年前のアリティアに向かったことはわかったが、その目的はしかとはわからぬ。ただ、もっともありそうな推測としては……」
ガトー司祭の言わんとしていることに気づいた者たちが、ぎょっとした視線をマルスに向ける。
「つまり、ガーネフは、わたしがもっと無力なうちに殺してしまおうとしているわけですね」
恐怖も不安も見せぬマルスのきわめて冷静な口調に、ガトーが目を細めた。
「たぶんな。そなたを抹殺するのに、それがいちばん確実じゃからの」
「打つ手はありますか?」
「うむ。わしもまた、タイムワープの魔法を持っておる。これでだれかが過去に行って、ガーネフの企みを阻止することじゃ。ただし、ガーネフはこの魔法を六回分手に入れて、傭兵と魔術師五人を引き連れて過去に向かったが、わしが持っているのは二回分だけ。ふたりしか送ってやれぬ。ふたりで、ガーネフとその部下どもをすべて相手にせねばならぬのじゃ」
「つまり」と、手に入れたばかりのスターライトの書をふところに、マリクがうなずいた。
「わたしと、だれかもうひとり強い人が行けばいいわけですね。オグマかナバールのどちらかが来てくれれば……」
「ちょっと待って、マリク」
マルスが遮り、ガトーのほうに視線を戻した。
「過去に送られた者はどうなるのです?」
「ああ、心配はいらぬ。タイムワープの魔法は、行きと帰りが対になっておっての。この水晶球に……」
言いながら、ガトーは、水晶球をふたつ取り出し、マリクに渡した。
「ここに、その者が本来属する時間と場所が映し出されるのじゃ。この水晶球に向かって戻りたいと念ずれば、戻ってくることができる。戻るべき場所があればの話じゃがな」
「それなら……」
マルスが、すぐ背後にたたずむオグマとナバールをふり返った。
「おれが行きましょう」
「いや、おれが行く」
うむを言わさぬ口調に、オグマが驚いてナバールを見た。
「おれは、以前、しばらくアリティアにいたことがある。だから土地勘が働く」
「そういえば、前にそんなこと言ってたね」
マルスは納得してうなずいたが、オグマは不審そうに眉をひそめた。
「ほんとうにそれだけか? 危険だと−行った者が戻ってこれないと思っているんじゃないのか?」
もしもそうなら、絶対におまえを行かせないぞ−という気迫をこめて、オグマがナバールをにらみつけた。
「そうなのか、ナバール?」
ナバールの直感がよくあたることを知っているだけに、マルスも不安そうに顔を曇らせる。
「もしもそうなら……わたしはだれも……」
言いかけて、マルスは口を閉ざし、目を伏せた。行かせたくない−という一言を、言ってはならないことがよくわかっているのだ。マルスがその一言を口に出せば、ジェイガンか軍のだれかが、非情な進言をしなければならなくなる。
マルスやオグマたちの気持ちを思いやって、ナバールが断言した。
「違う。危険だから言っているのではない」
事実だった。
「この状況では、行く者も残る者も一蓮托生だろう。おれとオグマでは腕は互角だからな。土地勘があるぶん、おれのほうが少しでも成功率が高い」
「土地勘があるのなら、そなたが行くほうがよいかもしれぬな」とガトー司祭も言う。
「タイム・ワープの魔法は、微妙な調整が難しくてな。ガーネフの行った先は追跡できたから、同じ日のだいたい同じ場所には送れるが、やつのすぐ目の前に送るというわけにはいかぬ。現地で捜してもらわねばならんからの」
「しかし、それならマリクがいる」
言いながら、オグマがマリクをふり返った。
「マリクのほうが、ナバールより土地勘があるんじゃないのか」
「そりゃあ、もちろん。……だけど、まあ、手分けして捜さなきゃいけないかもしれないし……。ふたりとも土地勘があるにこしたことはないんじゃないか」
マリクがそう言っても、まだ納得していないようすのオグマに、しかたなくナバールはつけ加えた。
「土地勘だけの問題じゃなくてな。なんとなくおれが行ったほうがいいような気がする。直感ってやつだ。言っておくが、危険だからではない。理由はわからんのだ。……それ以上説明しようがない」
ナバールがこういう言い方をするときには、それに従ったほうがいいことは、今までの経験から、オグマもマルスもよく知っている。
「わかった。死ぬなよ。かならず戻ってこい」
「まかせるよ、ナバール。それに、マリク。ふたりとも、かならず戻ってくるんだ。戻ってきてほしい。いいね」
心配そうな瞳を向けるマルスとオグマに、珍しく笑顔を見せると、ナバールは、マリクとともに過去へと向かった。