寂しい山道で、ゆうに八十歳は越えていそうな白髪の老人が、山賊らしい人相の悪い男たちに取り囲まれていた。
「じじいじゃ売りもんになんねえ。殺っちまえ」
久々の獲物と思えば、薄汚れた灰色の上着をまとった貧乏くさい老人。所持金と手荷物を奪うにしても、たいして持ってはおるまい。
男たちは失望し、その腹いせに、老人をなぶり殺しにしようとしていた。
老人は怯えるようすもなく、手にした剣をすらりと抜いた。
そのとき、山道を下から登ってくる足音が聞こえ、男たちのふたりほどがふり返って、ヒューとうれしそうに口笛を鳴らした。
「こっちのほうが上物だぜ」
姿を現わしたのは、身なりはみすぼらしいながら、ちょっと珍しいほどの美少年である。年は十代半ばぐらいだろうか。
「じいさん、運がいいな。見逃してやるぜ。行きな」
「なんの。老いたりといえど、わしはこれでも剣聖オードの血を引く者。人の難儀を見過ごしにできようか」
「ばかなじじいだ。ではあの世に行け」
斬りかかった男が一瞬に絶命する。みごとな剣さばきだった。
少年もまた、すらりと剣を抜き、隙のない身のこなしで身構えた。
戦いは長くはかからなかった。十人近くの男たちが、またたくまに老人と少年に斃され、残りの数人はほうほうのていで逃げ去った。
「たいした強さだの、坊。助太刀なぞいらなんだぐらいだ」
「坊じゃない」と、少年が怒ったように答える。
「ほう、そりゃあ、すまなんだの。嬢ちゃんだったか」
「そういう意味じゃない! ガキ扱いするなと言ってるんだ」
「ああ、悪かった。では、名は何と呼べばいい? わしはダムドという者じゃが」
「おれはナバール」
「そうか。では、ナバール、そなたは強いが、剣の基礎を習ったことはないな。基礎から習えば、もっと強くなれよう。老い先短い身ゆえ、わしのソードマスターとしての剣技をだれにも伝えられぬのは、無念と思っておったところじゃ。引き継いでくれぬか」
ナバールは、自分の技量を凌駕する老人の剣技に感心していたところで、もっと強くもありたかったので、老人の申し出を受けた。
ダムドの家に住み込んで半年あまりののち、ナバールは基礎をマスターし、その剣技はダムドを上まわるほどになった。
「もう教えることはない。そなたの剣さばきは、まるで伝説に聞いたラクチェさまのようだ」
「そんな剣豪の名は聞いたことがない」
「この大陸では知られておらずとも、ユグドラル大陸ではだれ知らぬ者とてない伝説のお方じゃ。そのラクチェさまの血を引くたったひとりのお子が、このアカネイア大陸に向かって船出し、行方知れずになったという。わしは、祖父からその話を聞いて、ラクチェさまの子孫を探すべく、この大陸を訪れたのじゃ。そなたが、そのラクチェさまの子孫かもしれぬ」
「おい、勝手に決めるな。おれはただの孤児だ」
「そうかもしれぬが……。わしはそなたがラクチェさまの子孫と思いたい。ほかにラクチェさまの子孫がおられたとて、この年では、もはや出会うことは望めまいからの。……ラクチェさまの子孫に会えればお渡ししたいと思っていたものがあるのじゃ。ユグドラル大陸で、ソードマスターの称号を得た者にだけ着ることを許される着衣なのじゃが……。受け取ってもらえまいか」
称号などといったものの苦手なナバールは躊躇したが、ダムドには恩義を感じていたし、夢に破れた老い先短い老人の頼みを断りきれず、承諾した。
「これが、ラクチェさまが着ておられたのと同じデザインの服じゃ」
老人が見せた衣服に、ナバールは目をむいた。
「おい、これは女物の服じゃないか。ラクチェってのは、女だったのか」
「そうじゃ。じゃが、どんな男よりも強かったという」
「……で、これをおれに着ろというのか?」
「いや、それは見せただけじゃ。着たいのなら止めはせぬが。……着たいのか?」
「……んなわけないだろ」
「そなたに譲りたいのはこれじゃ」
ダムドが見せたのは、彼自身がいつも着ているのと同じガウンのような上着だった。ただ、ダムドの上着が古びて灰色っぽくなっているのに対して、ナバールに手渡したのは、もっと鮮やかな薄紫。色彩が鮮明なのがアダになって、ダムドの服よりいっそう悪趣味に見える。
「着て見せてもらえないか」
すがりつくような目で見られて、しぶしぶナバールはそれを着た。
「おお。これでもう思い残すことはない」
涙ぐんでいる老人を前に、ナバールは、突っ返すわけにもできず、それを着てダムドの家を去った。
そうしてしばらくその服を着ているうちに、ナバールは、それが意外と動きやすく、長めの上着の裾がはためくのは、敵の目を撹乱する役に立つことに気がついた。好色な男たちに目をつけられて、不快な思いをすることも多かったので、体のラインが隠れるデザインも気に入った。
もともと服装にはかまわないたちだったので、デザインが少々悪趣味なのは、着馴れているうちに気にならなくなった。
かくてナバールは、短いあいだとはいえ剣の師だった老剣士への義理立てと、自身の便利さから、同じデザインの上着を長く愛用するようになったという。