プロローグ
もしも、冒険物語の世界に入っていけたら……。
そう思ったことはないだろうか?
え、何を夢みたいなことをいうのかって?
そう、夢でしかありえないはずなのだ。戦士が剣で戦ったり、魔法が実在したり、怪物がうようよいる世界に入っていくなんてことは。
だけど、ほんとうに起こってしまった。
これは夢なんかじゃない。巻き込まれたのは、わたしひとりじゃないんだから。何人もの人が同じ体験をしたとしたら、それが夢であるはずはない。
え、ひところはやった異世界ファンタジーの話かって?
そう、たしかに、主人公が異世界に迷い込んだり、現実と異世界の間を行ったり来たりする話なら、わたしもいくつか読んだことがある。
戦いが日常茶飯事の世界に放り込まれた主人公は、最後には心身ともに無傷で、やっぱり無傷の現実に立ち戻る。でなければ、異世界のヒーローと結ばれて、ハッピーエンドだ。
そんなにたくさん読んだわけではないけれど、ごく少数の例外をのぞいて、“現実”と“主人公”はたいがい無傷で安全だった。
それなら、どんなにかよかっただろう。現実はあくまで現実で、絶対不変。主人公は、ちょっぴり“成長”することはあっても心身に傷を負うことはなく、戦いの場をくぐり抜けても手を汚すことはなく、最後には“善良な一般市民”に立ち戻れるというのなら。
だけど、わたしたちの身に起こったことは−−この現実に起こったことは、そんなに甘くはなかった。
え、何が起こったのかって?
では、話してみよう。わたしの身に−−そしてこの世界に起こったことを、そもそもの最初から。
第1章 冒険のはじまり
1
そもそものことの起こりは、ドリーム・ソフト社の発売した通信機能付きテレビゲーム機「ゲーム・ネットワーク」−通称「ゲーネット」と、おまけとしてついているゲーム・ディスクだった。
ゲームのタイトルは『リムニーの冒険』。少女戦士リムニーが世界の破滅を救うために仲間とともに冒険の旅をつづけるという、ファンタジーのRPGだ。
ま、よくありそうな設定だけど、ゲームの進め方が変わっている。通信機能を利用したゲームなのだ。話の大半が、ドリーム・ソフト社の本社や支店にあるマザー・コンピュータの中にあって、必要なときに通信回線がONになり、呼び出す仕組みになっている。だから、今までのゲームの何十倍もの地図とストーリーが用意されているらしい。
電話料金も、ゲーム雑誌を読んだところでは、それほど高くはつかない。通信回線を使うのは、別のマップの地域に移動するときだけで、一回につきせいぜい三十秒ほどだし、ドリーム・ソフト社の支店は全国に十二あるから、最寄りの支店のマザー・コンピュータを利用できる。
通信機能付きのテレビゲーム機は何種類か出まわっているけれど、『リムニーの冒険』のおかげで、「ゲーネット」がいちばんよく売れているらしい。
で、まあ、わたしも、発売後すぐに、わざわざ並んで「ゲーネット」を買ってきた。
遊びはじめてすぐに、『リムニーの冒険』はたいしたゲームだと感心した。全体の出来はまだわからないけれど、キャラクターの能力値は種類が多くて凝っているし、グラフィックもきれいだ。
ちょっと不満だったのは、主人公の名前が最初から決まっていること。RPGには、プレイヤーが自分で主人公に名前をつけるというのが多いのだけど、このゲームでは、「リムニー」と名前がついている。ま、タイトルが『リムニーの冒険』なのだからしかたがない。
それで、その『リムニーの冒険』とはどういう話かというと……。
リムニーはフェリシア国の少女戦士。十八歳で両親はいない。小さなころから弓や剣が得意で、自分から望んで戦士となった。
ある日のこと、リムニーは王の前に呼び出された。
「戦士リムニーよ。巫女姫フィノーラが恐ろしい予言をした。世界に滅亡の危機が迫っている。危機がどのような形で訪れるのかも、どうすれば防げるのかも、まったくわからない。それを探りだし、世界を破滅から救ってほしい」
「わかりました」
王の前を退き、城を出ようとすると、ひとりの侍女に呼び止められ、巫女姫フィノーラの部屋に連れて行かれる。
部屋には巫女姫のほか、魔法使いがふたり。ひとりは白い髭の老人で、もうひとりは白髪だか銀髪だかの若者だ。
「魔法使いのダムザとケレムをいっしょに連れてお行きなさい。それから、急いで都に戻りたいときには、この指輪をお使いなさい」
そう言って、フィノーラ姫は、《帰還の指輪》というアイテムをくれる。
まずまず定石通りの始まり方だ。冒険の目的がいまひとつはっきりしないけれど、長い話のようだから、そのうち出てくるのだろう。
たちまち、わたしは『リムニーの冒険』に夢中になった。
たかがゲームなのだが、テレビゲームやパソコンゲームに熱中したことのある人になら、わかってもらえるだろう。
よくできたゲームには、一種の麻薬のような魅力がある。
しかも、わたしはちょうど、就職して四ヶ月ばかりたち、仕事にも慣れてきたかわりに、会社という組織に幻滅して、宮仕えにいやけがさしてきたころだった。
早い話、気楽な短大生だったころと打って変わった生活に、ものすご〜くストレスがたまっていて、そのぶん、『リムニーの冒険』に熱中したのだ。
え、冒険物語の世界に入っていったと初めに言ったのは、要するにゲーム中毒になったんだろうって?
いいや、違う。まあ、話を聞いて欲しい。最後まで。
『リムニー』の冒険は、はじめのうちは、ふつうのよくできたRPGだった。
怪物にさらわれた子供を助け出したり、盗まれた宝物を奪い返したり−といったイベントをいくつかこなすうちに、行く先々で出会う人々が、意味ありげな情報をくれる。
「《神秘の扉》に怪物どもを近づけてはならぬ」
「《神秘の扉》は異世界に通じているんだとさ」
「北の辺境に、異世界から魔法使いを呼べる賢者がいる」
「フェリシアの国境には結界が張り巡らされている。だれも、結界から外へ出て行けない」
「異世界の魔法使いなら、結界を破ることができるそうよ」
「選ばれた勇者だけが、異世界の魔法使いとともに結界の向こうに行ける」
それにもうひとつ、とある洞窟で見つけた意味ありげな巻物。リムニーにも魔法使いたちにも読めない古代文字が書かれていて、フィノーラ姫が読んでくれた。
「《神秘の扉》の彼方、ここならぬ国より偉大なる七人の魔法使い来たらん。大いなる力持てし七人の魔法使い、闇の道切り開きて、真の勇者を夜明けの神殿に導かん」
どれも、ゲームを進めるのに重要なヒントだということはすぐにわかったが、どれも、聞いたときには、ほんとうの意味がわかってはいなかった。わかっていたら、たぶん、ゲームをやめていたにちがいない。
そのあとゲームを進めていくと、北の辺境に住む賢者を訪ねて、異世界の魔法使いを呼びだしてもらえばいいということがわかった。
が、賢者の庵を訪ねあてると、賢者は、魔女のベルタにさらわれたあとだ。
洞窟の地下深くに賢者を助けに行くと、魔女は、悪役らしからぬセリフを言う。
「異世界の魔法使いを呼んではならぬ。《神秘の扉》を開けてはならぬ。さもなくば、二つの世界に災いが降りかかるだろう」
これもまた、あとになって思えば、深い意味があったのだ。
だが、そうとわかるのは、もっと先のこと。このときは、たんなるゲーム中のメッセージと思っていた。
それはともかく−
結局、強制的にベルタと戦うことになり、
戦闘のあと、傷を負った魔女はどこかへ逃げ去ってしまう。
それで、賢者を助け出して辺境の庵に戻ると、賢者が言う。
「では、異世界の魔法使いを呼んでしんぜよう」
賢者が杖を降りかざすと、画面一面にふいに白い光が広がる。光がやわらいだあと、画面の色は黒に変わり、白い文字のメッセージが現われた。
「名前を入力してください」
その下には、テレビゲームでおなじみの五十音の表。ひらがなとカタカナと両方ある。
プレイヤーが主人公の名前をつけるというのは、今までのゲームにもよくあるが、主人公の名前が決まっていて、とちゅうから登場する脇役にだけ名前をつけるというのは、なかなか珍しい。
「れいみ」と入力しようとして、やっぱり気が変わった。これでは、ほかのキャラと名前の雰囲気がちぐはぐだ。「リムニー」と語感が合うように、「レイミー」にした。
魔法使いの名前を入力すると、妙なメッセージが出た。
「すみませんが、次の日曜、十二日の夜九時にゲームを再開していただけますか?」
つづいて、「はい」か「いいえ」かを質問された。
ふと気がつくと、いつのまにか通信回線がONになっている。電話回線を通して、ドリーム・ソフト社のメインコンピュータとうちのゲーム機がつながっている状態だ。
いったいどうなっているんだろう? ここから先の準備がまだできていないのだろうか?
だが、それにしても、時間まで指定するというのはふに落ちない。
妙だと思いながら、ためしに「はい」と入力してみると、ふたたびメッセージが出た。
「十二日の夜九時ですよ。お忘れなく」