聖玉の王3 囚われ人 (冒頭部)

トップページ オリジナル小説館 「聖玉の王」リスト 1巻の冒頭部

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 レイヴとサーニアが到着したその日のうちに、エイリーク卿は、数人の伝令を、自分の地所に帰っている第三騎士団の騎士たちのもとに送った。シグトゥーナの手前で、部下たちと合流するためである。
 伝令たちは、また、間諜を兼ねていた。騎士たちへの伝令の役目をはたしたのち、第六騎士団の動きを探るために送り込まれた間諜たちのもとにいき、連絡をとるという任務である。王を殺したザファイラ帝国とやらの魔族の存在を考えれば、危険な任務だったが、それは必要な諜報活動だった。
 危険な任務をためらうことなく引き受けた伝令たちを見たとき、ラーブは、ふとザファイラ帝国の刺客たちを思い出し、恐くなって、彼らを呼び止め、声をかけた。
「生きて……生きて戻ってほしい」
 伝令たちは、真剣な表情でそう言う王太子に、ある者は少し驚いたような顔をし、ある者は顔をほころばせた。それは、ザファイラ帝国の魔族たちと違って、人間的な表情だった。
「ご兄弟ですね。エイリークさまによく似ておられる」
 ひとりがほほえんでそう言い、それから伝令たちは旅立っていった。
「あいつらは、あの魔族の刺客たちとは全然違うと思うぞ」
 なおも心配そうなラーブに、レイヴが声をかけた。
「ちょっとびっくりした顔をしたやつもいたけど、自分の価値観がひっくり返るほど仰天したり、理解できんというようすのやつはいなかった」
「そりゃそうだ」と、エイリークが憮然とした顔をする。
「彼らは、もとはふつうの農民などから抜擢して養成したんだ。家族だっているし、命は惜しいと思うぞ。もちろん、薬物なぞ、やってはいないしな」
「ああ、ええ、それはわかります。ただ……」
 どう言ったものかと困っているラーブに、エイリークがほほえんだ。
「ふむ。まあ、彼らを見て、あの魔族の刺客たちを思い出してしまったのも無理はないことです。間諜はたしかに危険な職業だし、あの魔族たちは、まあ、一種の間諜ですからな。だが、これは忘れてはいけないことですが、騎士も、その上に立つ王もまた、危険な職業です。もちろん、次の王たる王太子も。この状況では、王太子殿下、あなたは彼らよりむしろ危険な立場にいるのです。これは忘れてはなりません」
「はい」
 うなずきながら、ラーブは、兄が臣下の言葉づかいを崩さないのを少し淋しく感じた。臣下の言葉づかいといっても、かつてのようによそよそしくはない。温かな情愛に満ちてはいたが、それでも、やっぱり、ふたりだけのときか、そばにリーズかレイヴかテイトか、または妻のカーラしかいないときのように、ふつうの兄が弟に対するようにしゃべってほしい。この一年で、長年の溝を埋めてあまりあるかのように兄の愛情を感じていたので、よけいにそう思う。
 だが、同時に、これはしかたのないこととわかっている。いくら兄の腹心たちとはいっても、何人もの騎士たちがいる前で、王太子と第三騎士団長という立場を崩すわけにはいかないのだ。とくに今は、間諜以上に危険な立場だと念を押されたことにより、ラーブは、自分の公的な立場と責任をことさら強く意識していたので、兄に甘えたい気持ちを飲み込んだ。
 そんなラーブの腕を、リーズが強くつかんだ。ふり向くと、リーズの顔は心なしか青ざめ、エイリークのほうを見ていて、自分がラーブの腕をにぎりしめているのに気づいていないようだ。
 彼女の手の震えから、ラーブは今さらながら改めて気がついた。危険なのは自分だけではなく、亡き王のひとり娘たるリーズもまた、王太子の自分と同じぐらい危険な立場にいるのだということに。
「だいじょうぶだよ。恐がらなくても」
 ラーブは思わずリーズに声をかけた。
「きみはわたしが守るから」
「な、何よ」
 リーズははじかれたようにラーブから手を離し、顔をまっ赤にした。
「わたしがいつ恐がったっていうのよ?」
「え、いや、だって、その……」
「守ってもらわなきゃいけないのはラーブのほうでしょ? いつだってそうなんだから。わたしがラーブを守らなきゃいけないんだから。いい?」
 リーズは指をふり立ててそう宣言すると、ぷりぷりしながらきびすを返し、城に入っていく。
「な、なんだよ。何を怒ってるんだ?」
 当惑しているラーブに、カーラがほほえんだ。
「アーストリーズさまはオーラーブさまのことがとてもお好きなのですわ」
 カーラの言葉に、ラーブはますますわけがわからなくなった。
「ふむ、まあ、それはわかるが……」と、エイリークが妻の言葉にうなずき、つづく言葉を飲み込んだ。
 リーズとラーブが五歳で婚約を決められ、七歳で一方的にそれを通告されたことについて、エイリークは内心で心配していたのだが、成長したいま、どうやら互いに憎からず思っているらしいようすにほっとしていた。王女の気の強さ、勝ち気な愛情の示し方も好ましく思う。とはいえ、上に立つ者が人前で痴話ゲンカをするのはあまり感心したことではない。幸い、この場にいる者たちは、王女がまだ一六歳ということもあって、その言動をほほえましく思ったようだが、だれもがそう思ってくれるとはかぎらない。
 内心で、エイリークはそう思ったが、もちろん、いくら少数の腹心ばかりとはいえ、部下たちの前でそんなことを口には出せない。王女に対して批判めいたことを口にすれば、王女が軽く見られてしまう。それに、王女だって、もっとおおぜいの前、言動に注意を払う必要のある者がいる場でなら、もっと注意深く行動するだろう。
「まあ、女心はデリケートで複雑ということですわね。……さて、わたしたちも、出立の準備をいたしましょう」
 カーラがそう言って、屋内に入るようラーブをうながしたので、エイリークはなんとなく妻のほうをふり返り、妻の目配せで気がついた。ラーブがリーズを追いかけて仲直りしたいという気持ちをおさえているということに、カーラは気がつき、配慮したのである。
 以前にカーラが猜疑心からレイヴを陥れようとして以来、エイリークは、夫婦の愛が冷めたというわけではないものの、妻を愚かしく感じる気持ちがしこりのように残っていたのだが、この心配りを見て、改めて妻を見直した。ここしばらく忘れてしまっていたが、たしかに、カーラは、恋愛がらみの他人の感情に敏感で、必要な心配りのできる女性であり、彼はそれに尊敬の念を覚えたこともあったのだ。
 ラーブやリーズのそばに、カーラのような人間がついていればいいのだが……と、エイリークは思ったが、それはつかのまのことだった。愛や恋より差し迫った問題が目の前にあるのだ。平和になってから考えればいいようなことを長々と考え込んでいるような場合ではない。


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