2005年3月28日UP
ハウカダル共通暦322年はじまりの月17日
きょう、授業のあと図書館で調べ物をして寮に帰ると、バルドが出かけていて留守だった。「出かけるところがある。心配するな」と書き置きが残してあったから、気にせず勉強をしていたのだが、暗くなってもなかなか帰って来ないので、だんだん心配になってきた。
雪が降っているのに、いったいどこに行ったのか? ひょっとして、生家らしいあの家にまた行ったのだろうか?
捜しに行こうかとも思ったが、あの家に行ったのかどうかわからないし、あの家まで往復して門限までに帰ってくるのは無理だ。
バルドが門限に遅れて戻ってくるという可能性もあるから、そのときおれが寮にいないと、あいつをなかに入れてやれなくなる。ふたりそろって門限破りをして、なかに入れなくなったら最悪だ。夏ならともかく、いまの季節なら凍死しかねない。
バルドのことは心配だったが、いくら外出嫌いとはいえ、よもや生まれ育った街でまいごになって遭難したりはしないだろう。
そう思いながら待っていると、門限ぎりぎりになってバルドが帰ってきた。
「おい、心配したぞ」と言いかけて、思わず息を飲んだ。バルドが真っ赤に顔を上気させて、冷や汗をかいていたからだ。
「おい、熱があるんじゃないのか?」
額に触れてみると熱い。
「だいじょうぶ……だ。……寝てれば治るから」
おれの手をはねのけながらそういう声も苦しそうで、寝台に向かう途中でふらっと体が傾いた。
あわてて抱き止めると、かぶったままになっていた外套のフードが後ろにはねのけられて、波打つ髪の毛があらわれた。長さやウェーブはたしかにいつものバルドの髪と同じだが、色が違う。レイヴの髪よりさらに黒々とした黒髪だった。
正確には、そのとき初めてバルドの髪がみえたというわけじゃない。部屋に入ってきたときから、髪の一部はフードからのぞいていたのだが、フードの陰になっていたし、バルドのようすがただごとじゃなかったから、見過ごしてたんだ。
はじめ、バルドが髪の色を染めているのかと思った。だけど、魔族のようだといって忌み嫌われやすい色にわざわざ染めて、どこかに出かけるとも思えない。
たぶん、これがバルド本来の髪の色で、ふだんのは染めた色だったんだ。いままで気づかなかったけど。バルドが染め粉を落としたり、染めなおしたりしているのを見たことがなかったけど。
でも、バルドは子供のころ、なんらかの理由で家族を殺され、自分も殺されかけたんだ。たぶん。それなら、この国では珍しくてめだってしまう髪の色をしていたのなら、髪を染めようと思ったってふしぎじゃない。
おっと、日記に書く順番がごっちゃになっているな。こういうことをいろいろ考えたのはあとからだ。そりゃまあ、バルドの髪の色を見たときにはちょっと驚いたけど、なにしろ、熱を出して倒れたところを抱きとめたんだから、そのときには、髪の色のことなんてあまり気に留めている余裕はなかった。
それに……。そのあと、バルドについて湧いた疑問に比べたら、髪の色なんてどうってことはない。
まさかとは思うんだが……。バルドが女性じゃないのかって疑問だ。
以前にも、教室で倒れたバルドを運んだことがあったけど、あのときには別に疑問に思わなかった。
それなのにいま疑問に思うのは、まっすぐなのどが印象に残ったからかな?
女性のように細くてなめらかなのどをしているのは、まだ声変わりしていないせいだと思うんだけど……。男ののどが突き出してくるのは、声変わりするころからだし……。
だけど、なぜか、女性ののどのような印象を受けたんだ。上気していて、色っぽく見えたからかな?
抱き上げたときとか、ぬれている外套を脱がせて寝台に寝かせたり、上着を脱がせたりしたときの感じも、腕とか胸とか少し柔らかかったような気が……。軽かったから、太って脂肪がついたってわけじゃないと思うけど……。
バルドが子供のときに命を狙われて、素性がばれたら危険な身の上で、いまでも安全になったかどうか確証が持てないのなら、性別を隠してもふしぎじゃない気がするし……。
いや、でも、女性のはずないよな。女性なら、それとわかるぐらい胸が出っ張ったりしていると思うけど、そんなことなかったし……。
わー、なに書いてんだ、おれ。バルドのようすに動転したんで、気持ちを落ち着けようと思って包み隠さず書いてんだけど、よけい動揺してきた。
こうやって書いていると、自分の心のなかをいやおうなく覗きこむことになるしな。
正直に書いてしまおう。おれは、もしバルドが女性なら、同じ部屋でふつうに生活する自信がないし、どうしようとも思っているけど、その一方で、女性ならいいなという気持ちがちょっとある。
それにしても、医者を呼ばなくてもだいじょうぶかな? 苦しそうなんだけど。
寝台に寝かせたあと、「医者を呼ぼうか?」って聞いたら、「呼ぶな」って言ったから呼んでないけど。
まあ、髪の色を変えて素性を隠しているのなら、染め粉を落とした状態で医者を呼んだらまずいだろうけど。まして、もしも女性だとしたらなおさらだけど。
たぶん、寒い戸外にずっといて、風邪をひいたんだろう。風邪をひいて、熱を出して、でもべつに医者を呼ばずに寝ていて治ったことは、おれも妹たちも何度もあるから、まあだいじょうぶだろうけど。
でも、風邪でも、こじらせてあんまりひどい熱を出すと危ないんだ。
おれにできることといったら、額を冷やしてやるぐらいだもんな。それと、バルドに頼まれて、机の引き出しに入っていた水晶球みたいなのを手に持たせた。占い師が使うやつみたいだけど、何かバルドにとって大切なものらしい。
それを手にすると、バルドはほっとしたような顔をした。気のせいか、呼吸も少し楽になったような気がする。
ハウカダル共通暦322年はじまりの月18日
バルドのそばについていて、いつのまにか眠ってしまったらしい。
目が覚めると、バルドはいつのまにかいつもの髪の色に染めていた。熱があるのに、なにやってんだ、こいつは。
もっとも、ゆうべに比べて熱は少しましになったようだ。でも起き上がるのはちょっと無理そうなので、朝食を部屋に持ってきてやった。
バルドは、食欲がないと言って、パンは食べられなかったし、スープも少しすすっただけだったけど、ミルクはおいしそうに飲んでいた。
「わたしのほんとうの姿を見たんだろ?」
ちょっと迷ったけど「ああ」と答えた。自分で髪を染めたんなら、おれが黒髪のところを見たことぐらいはわかっているはずだ。
「それで?」と、バルドがたずねた。
「それでって?」と聞き返すと、バルドはふしぎそうな顔をした。
「届け出ないのか?」
「だれに?」
なんなんだ? 吟遊詩人の歌で、滅ぼされた王家の生き残りの王子に賞金がかけられ……って話があったけど、バルドもそういう心配をしているんだろうか? ひょっとして、バルドは、子供のころにほんとうに賞金をかけられたことがあったのだろうか?
だとしても、そんなのは過去の話だと思うけどな。
過去の話なら、いまの王様が即位なさるとき、前の王様の弟たちが反対して、都周辺はほとんど内乱状態になったって聞いたから、それに関係して滅ぼされた家とか、あるだろうとは思うけど。
でも、仮にバルドがそういう一族の生き残りだとしても、いまさら罪に問われるだろうか?
問われる……のかな?
「おまえが子供のころに命を狙われたことがあったとしても、もう過去のことで、いまは安全だと思うよ。でも、もしいまでもおまえを狙っているやつがいるとしたら、おれがおまえを守る。できるかぎりのことをするよ。もちろん、おまえが人に知られるとまずいと思っているようなことを口に出したりはしない」
言ってから、照れくさいことを口走ったような気分になった。
バルドが変に思ったり、笑いだすんじゃないかと心配になったけど、彼は微笑んだだけで、すぐに真顔になった。
「残念ながら過去のことじゃないんだ。だから秘密を守ってくれればいい。もし、……もしもわたしが捕まるようなことがあったら、守るとか助けるとか思わずに忘れてくれ。でないとおまえまで危険だから」
その言葉を聞き、差し出された熱っぽい手を取って、涙ぐんだ真剣な瞳を見たとき、なんとしてもバルドを守らなければという気持ちが改めて湧いてきた。ほんとうにそれほど危険なのかどうか、わからなかったけど。
妙にどぎまぎしたので、あわてて話題を変えた。
「そりゃそうと、ゆうべはどこに行ってたんだ?」
聞いてから、よけいなことを言ったかなと少し後悔した。よけいな詮索をすると思って、バルドが気を悪くしないか気になったのだ。
それは杞憂で、バルドは気にしているふうもなく、あっさり答えた。
「あの焼けた家につきあってもらったとき、手紙を見つけただろ? あれにわたしの家族の墓の場所が書いてあった。罠かもしれないと思ったし、確かめるのが恐くてずいぶん迷ったんだけど、いくらなんでもそんなに長いあいだ罠をはりつづけているわけはないと思って、思い切って行ってみた。そうしたら墓があったんだ」
バルドは毛布にもぐりこんで顔を隠した。泣いているみたいだった。
「みんな死んでしまったということはよくわかっていた。そのはずなのに、墓に家族全員の名前が刻まれているのをみたら……。思ったよりショックを受けてしまった。たぶん、心のどこかで、わたしと同じようにしてどこかで生き延びている者がいるんじゃないかと、ほんの少し期待してたんだと思う」
それで帰りが遅かった理由も、熱を出すまで雪の降る戸外にいた理由もわかった。
ともあれ、バルドの風邪がひどくならなくてよかった。
ただ……。どうも、おれも風邪をひいたみたいだ。昼間は何ともなかったんだけど、夕方になってから、鼻がつまって、ちょっと寒気がする。
バルドに気をつかわせたくないから、暖かくしてさっさと寝よう。