吟遊詩人の日記−美しき同室者・その6

トップページ オリジナル小説館 「吟遊詩人の日記」目次 前のページ 次のページ

 2005年1月22日UP   


  ハウカダル共通暦322年はじまりの月7日

 きのう、バルドが例の館を見にいきたいと言い出し、つきあった。雪は積もっているけど、歩けないほどじゃないし、せっかくバルドが自分の過去と直面しようという気になったんだ。どういう過去かは知らないけど、見たいという気になったときに見たほうがいいと思う。
 でも、バルドは気にしていたみたいで、人通りのないあたりにさしかったとき、ぽつりと言った。
「こんな季節につきあわせてすまない。人に見られる心配のない季節のうちに行きたいので、無理を言った」
 ああ、そういうつもりもあったのかと、はじめて気がついた。よほど人に知られるのを恐れているんだな。
 その館は、玄関が石段を五段ほど上ったところにあり、ポーチには屋根もついているので、玄関の前に雪はほとんどなかった。
 煉瓦の壁は残っているが、扉は焼け落ちてしまっており、そのまま中に入れた。
 内部はところどころ崩れたり焼け落ちたりしているが、部屋がいくつもある邸宅だったのはわかる。たぶん、かなり地位が高くて金持ちの一家が住んでいたのだろう。バルドはかなりいい家のお坊っちゃんだったんだな。
 バルドは慣れた足取りで、居間らしき部屋に入った。居間だと見当がついたのは、それが広い部屋で、でも居心地悪いほど広すぎはせず、煉瓦の暖炉が半ば崩れながらも残っていたからだ。
 おそらくここには、かつては絨毯か毛皮が敷かれたり、ふかふかの長椅子が置かれたりしていたんだろうな。かつて訪れたことのあるシグムントの家の居間みたいに。
 バルドは、なつかしそうな、しかしつらそうな表情であちこち歩きまわったり、壁をなでたりしていた。
 そのうち、バルドは、壁の一点でふと手を止めた。
「どうかしたのか?」
「ああ、いや」とバルドは複雑な微苦笑を浮かべた。
「ここに秘密の戸棚があるんだ。で、つい思ってしまった。一家のなかで生き残った者がいて、ここを訪ねてきていたら、この戸棚に手紙でも入れているんしゃないかとね」
 そう言いながら、その秘密の戸棚ってのをなかなか開けてみようとしないバルドの気持ちはなんとなくわかった。
 彼は、たぶん、生き残っている家族がいるはずがないと思ってるんだ。もしも生き残っている家族がいる見込みがあるのなら、必死で捜しているだろう。でも、 「ひょっとしたら……」という期待を捨て切れずにいて、ひとときだけでも夢を見ていたいんだ。
 バルドは、その壁の前でしばらくじっとしていたが、意を決したように戸棚を開けた。
 巧妙に隠された戸棚だ。なんの変哲もない壁と見えていたんだが、バルドが腰ぐらいの高さのところにある煉瓦の一ヶ所をはずすと把手が現れ、それを左に引っ張ると、小さな戸棚が現れた。
 バルドが凍りついたように戸棚の一点を見つめているので、横からのぞきこんで驚いた。そこには、ほんとうに一通の手紙が入っていたのだ。
 もしもこの手紙が火事になる以前からここにあったのなら、レンガに隠されていた場所とはいえ、煙や火が中に入りこんで燃えてしまったのではなかろうか。
 つまり、火事のあとでだれかがここに来て入れた手紙って可能性が高い。
 かといって、新しい手紙ではない。かなり古ぼけて、まるで何十年も前のもののように見える。でも、火事があったのはバルドが子供のころで、隠し戸棚の開け方とか覚えている年齢になってたってことは、どんなに古くてもせいぜい十二、三年以上前ってあたりだろう。
 封筒の表書きは「バドウェンへ」となっていた。
 バルドはかなり驚きながら、震える指で手紙を戸棚から取り出し、封筒から一片の紙を取り出して一読した。
 期待と、その期待を裏切られはしまいかと恐れる気持ちが入り混じった彼の表情は、みるみる怒りに変わっていった。
「信じられるもんか!」
 吐き捨てるようにつぶやくと、バルドは紙片を二つに引き裂き、その場に投げ捨てた。
「おい?」
 その紙片を拾い上げたとき、バルドの秘密に触れるようなことを書いてあるらしいその私信を読んでは悪いと思いながら、つい手紙の一文が目に入った。「わたしは君たちを裏切っていない」という一文と、最後の「シグステイン」という署名だ。
 全部読んでしまいたい気持ちをおさえて、目を手紙から引き離し、立ち去ろうとするバルドの跡を追いかけた。
「おい、待てよ。いいのか、これ?」
「あ、ああ、そうだな。すまん。始末しなきゃ」
 バルドは手紙を上着のポケットにしまうと、また戸棚のところに戻って再び隠した。
「何があったのか知らんが……。身内が生きているんじゃないのか?」
「こんな男が身内であるもんか」
 バルドの憎悪は、さっき目に入った「わたしは君たちを裏切っていない」という文面と関係あるんだろうな。
 一家を襲った災厄が身内の裏切りによる。少なくともバルドはそう思っているということだろうか。
「こいつはわたしたちを裏切った。兄になると思って信じていたのに。姉はこいつをとても愛していたのに、こいつは姉の愛を裏切った。そのうえ、こんな手紙でわたしをおびき出そうとしたんだ」
 バルドの言葉で、この手紙を書いたシグステインという男が、バルドの姉の恋人だったのだとわかった。一家の秘密の戸棚まで教えていたところをみると、結婚まで決まっていたのかもしれない。
 その義兄になるはずだった男がほんとうにバルドの一家を裏切ったのかどうかはわからない。もしもなんらかの理由で一家の皆殺しに加担したのなら、ただひとり逃げのびたバルドをおびき出そうとしていたという可能性もたしかにあり得る。バルドが疑っている通りに。
 もしそうなら、あんまりだ。ちらっと見た手紙で訴えている通り、この男がバルドたちを裏切ったのではないと信じたい。


上へ   次のページへ