吟遊詩人の日記−美しき同室者・その10

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 2005年7月15日UP   


  ハウカダル共通暦322年種蒔きの月21日

 バルドはついに帰って来なかった。彼の失踪は、まだだれにも話していない。ゆうべいなくなったとわかったら、ゆうべの魔族騒ぎと結びつけて考えるやつがいないともかぎらない。そんなことになったら、バルドが戻って来られなくなってしまう。
 もう戻って来ないかもしれないが、戻れる余地は残しておきたい。あすは部屋替えなのだから、あすには寮長先生に話すしかないのだが、まだきょうのところは黙っていたほうがいい。きょうまでバルドは部屋にいたことにするんだ。
 そう思って、寮食堂の係に「同室のやつが風邪気味で、食欲がなくて起きるのもつらいようなので」とうそを言い、朝食のうちミルクだけもらっていって、自分で飲んだ。途中で出会ったやつに声をかけられたときにも、「バルドがまたちょっと具合が悪いんだ」と言っておいた。
 ここふた月ほどの間に何回か、バルドが朝食に出て来ないことがあって、「春先にときどきこうなるらしい」と言ってあったので、べつに疑われなかった。
 そうやって、バルドが朝には部屋にいたって印象づけておいたのは正解だった。学校に行ったら、ゆうべ都に魔族が出たって、話題になってたんだ。しかも、「人間のきれいな若い男が魔族に変身した」って噂になって広まっていた。
 そうか。そういえば、バルドはたしか、魔力が不安定になってるとか言ってたっけ。それで、人が見ているところで、髪の色と耳の形が本来の姿に戻ってしまったんだな。
「酔っぱらいの見まちがいじゃないのか?」
 そう言ってみたら、みんなも「そうかもな」と同意したので、ちょっとほっとした。
「きれいな若い男っていうので、バルドかもと思ったよ。おれの知ってるなかで、あいつがいちばんきれいだから」
 そういうやつがいたのにはぎょっとしたけど、べつに本気でそう思っているわけではなさそうだった。
「バルドなら、ゆうべも朝も部屋にいたよ。その話をしたら、笑うだろうな」
 そう言ったら、そいつもみんなも笑ってたから、べつに不自然な言い方にはなってなかったと思う。


  ハウカダル共通暦322年種蒔きの月21日

 部屋替えの日になってしまったから、やむなく寮長先生にバルドの不在を報告した。もちろん、彼が失踪したなんて言わず、たんにゆうべから帰っていないと言っておいた。
「バルドは体調が悪かったと聞いたが、外出したのか?」
「体調はよくなったんだと思います。そういうことが何度かあったので。気分が悪くなくなったら、授業に出るって言ってましたから」
「なるほど。じゃあ、きみの不在中に学校に出かけたか、どこか別のところに出かけたかして、戻って来なかったんだな」
「はい」
 寮長先生はちょっと考えこんでから言った。
「きのうの午後、役人が来た。おとついの晩、魔族が都に入りこんでいたというんだ。学生に化けているかもしれないとか言って、うちに問い合わせて来たんだ」
 思わず、ぎくっとした。役人が寮に来ていたなんて知らなかった。それ以上にぎくっとしたのは、寮長先生が、バルドの話をしているときにいきなりこの話を持ち出したことだ。
 ひょっとして寮長先生はバルドのことを疑っているんだろうか?
「いくらなんでも無理でしょう? 学生に化けるなんて」
 さりげなく言ったつもりだけど、不自然じゃなかったかどうか、自信がない。
「わたしも無理だと思う。魔族のなかには人間に化ける能力を持っている者もいるらしいと聞いたことはあるし、寮の全員が互いに見知っているわけではないが、わたしは全員の顔を知っている。助手たちや食堂の係、入寮して長い者たちもたぶんほぼ全員の顔を覚えているだろう。見知らぬ者が寮にまぎれこめば気がつくと思う。役人にもそう言った」
 ああ、その可能性かと、おれはほっとした。
「そういうふうにほっとしたときには、気がゆるんで、内心の感情が顔に出てしまいやすいものだ」
 寮長先生が苦笑してそう言ったので、おれはあせった。温厚な人だけど、年の功っていうのか、油断できない。
「な、なにを、いったい……」
「いや、べつに。きみの表情を見ていて、ふとそう思っただけだ」
「そ、そうですか」
 寮長先生の真意はわからない。やっぱりバルドの秘密に気づいているんだろうか?
「で、役人が疑っていた可能性はもう一つあった。ここでずっと暮らしている学生のひとりが魔族という可能性だ」
「……無理でしょう?」
「わたしもそう思って、役人にそう言っておいた。同じ屋根の下で何ヵ月もいっしょに暮らしている者の目をいつまでもごまかしきれないだろうとね」
「そうですよねえ」
 これって、やっぱり、寮長先生は気づいてたってことなんだろうか?
 いや、でも、もし気づいてたんだとしたら、気づいたうえで黙ってたんだから、バルドをかばうつもりがあったってことなんじゃ……。
 そう思ったけど、聞くわけにはいかない。
「で、それとバルドの話とどう関係あるんです?」
 そうたずねてみたけど、不自然に聞こえなかっただろうか?
「学生のなかにきれいな顔の若者はいないかと聞かれた。おとつい騒ぎになった魔族は、美しい若者に化けていたという話だからね。きれいな顔の若者はたくさんいるが、魔族かもしれないと思われるような不審な者はうちの生徒にはないと言っておいたがね。学生が行方不明となると届け出ないわけにはいかないし、バルドの容姿はけっこう目立っているから、急にいなくなったとなると、役人が調べにきて、きみにバルドのことを訊ねるかもしれん。いちおう言っておこうと思ってな」
「ありがとうございます」
 おれは素直に礼を言った。寮長先生は警告してくれたんだ。
「で、役人が来たらどう答えるつもりだ」
「もちろん、バルドがその日の晩も翌朝も寮にいたって言います」
「役人が信じてくれればいいが、信じてくれなければ、拷問すると言って脅かすかもしれん」
「拷問されたって、友だちを売るような真似をするもんか」
「そう思いながら、そういう決然とした表情で相手をにらみつけたら、疑われるぞ。きみの言うことが真実であろうが、なかろうがな」
 ああ、そうか。バルドをかばおうと思ったらだめなんだ。バルドはほんとうに部屋にいたって、自分で思いこまなければ。
「だって、バルドはほんとうに部屋にいたんです。ほんとですってば。無実の友だちにぬれぎぬを着せるなんて、おれにはできません」
「それでいい」
 寮長先生はほほえんだ。
「部屋割りどおりにバルドの部屋は取っておくから、すまないが、彼の荷物はきみが運んでやってくれ。三日ほどして戻らなければ役所に届けよう。一晩か二晩の無断外泊ってのは、長年寮をやっていれば、まあ前例が何件もあるからな」
「あの……。やっぱり役所に届けたほうがいいんでしょうか?」
「それはそうだろう。外出して何日も戻って来なければ、事故とか、さらわれたという可能性もある」
 事故はともかく、さらわれたって可能性はないんだけど。事故といえば事故には違いないが、役人に捜索してもらう必要はないし、捜索されても困るんだけど。
 バルドが失踪したって言ったのはまずかった。なにか事情があってしばらく休学するとか、でっち上げればよかった。それならバルド自身が届け出なかったってのも変なんだけど、いまからそういうことにできないだろうか?
 でも、寮長先生は、ほんとうに真相を察してバルドをかばおうとしてくれているんだろうか?
 それがはっきりしないと、うかつなことを口に出せないぞ。
 そう思いながら無言でいると、寮長先生が言葉を続けた。
「学生の失踪を届け出ずにおけば、学校が責任を問われるだけでなく、とくに今回のような場合には、その学生自身も不審人物とみなされかねない。役人が聞き込みにきた直後に失踪したというのではね」
 言われてみればそうだ。へたなでっち上げをすれば、よけいまずいかもしれない。
 バルドが無事かどうかわからないし、無事でも戻ってくるかどうかわからないけど、戻ろうと思えば戻れるようにしておかなければ。


  ハウカダル共通暦322年若葉の月5日

 寮長先生が警告してくれていたとおり、きょう夕食を食べ終えてまもないころ、役人がやってきた。兵士をふたり連れていたので、内心ぎくっとした。あの夜出会った兵士たちのだれかだったらまずいと思ったんだけど、別人で助かった。
「魔族をかばいだてすると容赦しないぞ」
 そう言う役人に、「ほんとに魔族だったら、かばったりしませんよ」と言ったときには、内心でちょっといやな気分がした。
 バルドがこの言葉を聞いたら、どう思うだろう? だが、バルドが疑われないようにするためには、たぶん、こういう言い方が正しい。
「ほんとにあいつは人間ですよ。だって、おれ、半年もいっしょの部屋に住んでたんですから、人間じゃなければ気づくと思いますよ。魔族が出たとかいう騒ぎのあった晩だって、ちゃんと部屋にいたし。そんな変な疑いをかけるより、ちゃんと捜してくださいよ。きれいなやつだから、人さらいにさらわれたりしていないか、心配なんですけど」
 おれの嘘はけっこう真実味があったらしい。役人たちは納得して帰っていった。寮長先生が警告しておいてくれて助かった。


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