2005年7月30日UP
ハウカダル共通暦322年若葉の月5日
ゆうべ、ずいぶん奇妙な夢を見た。あれはほんとうに夢だったのだろうか?
バルドがいなくなってから、何度か彼の夢を見たけど、こんなふうに思ったのは初めてだ。だって、たいていは、なにごともなくバルドと同じ部屋で暮らしてたり、学校でほかの連中も交えてだべってたりするような、とりとめのない夢ばかりだったから。
一度だけ、バルドが遺体で発見されたという知らせを受けて、駆けつけるとちゅうで目が覚めたってことがあったけど。あれはこの部屋に移って最初の晩だったかな。
恐ろしい悪夢だったけど、それでも夢は夢だ。その場面の前の場面は思い出せないし、記憶はあいまいで、つじつまは合っていなかった。
でも、ゆうべの夢は、ただの夢とは思えなかった。妙に生々しかったんだ。それに、はじめから終わりまでちゃんと思い出せる。
夢は、学校で授業の休み時間に「魔族が捕らえられて、広場で一昼夜さらしものにされたあと処刑されるらしい」という話を耳にはさんだところからはじまった。
急いで広場に駆けつけてみると、バルドが杭に縛りつけられていた。いつもの見慣れた姿ではなく、黒髪で尖った耳の姿となり、その尖った耳がよく見えるようにか、髪を短く刈り取られていた。上半身の衣類をはぎとられ、腹部に横一直線の筋が見えた。魔族は腹に赤子を育てるための袋があると聞いたことがあったから、その袋の口だとわかった。
魔族の印ともいえる袋が見えるようにむき出しにされた肌は傷だらけだった。見物の群衆が次々に石を投げつけるからだ。
おれが都に来てからいちどだけ公開処刑が行なわれたことがあったが、これほど酷くはなかった。広場に引き出され、杭に縛られてすぐに槍で突かれて終わりだった。たしかそれは、どこかの下級貴族の館に押し入って、一家と使用人と合わせて十人ほどを無残に皆殺しにしたとかいう盗賊団だった。
小さな子供まで殺すような残酷な所業をした者たちでさえ、処刑されたとはいえ、これほど無慈悲な扱いをされていない。それなのに、どうしてバルドがこんな目に遭わされるのか?
驚いたことに、その石をぶつける群衆のなかには、同じ音楽学校の学生たちもいた。
「何をするんだ!」
思わず、いまにも石をぶつけようとしている学生のひとりに飛びつき、腕をつかんだ。おれの前にバルドと短い期間同じ部屋だった先輩だった。
「同じ寮で暮らしてきた仲間ですよ?」
「冗談じゃない! あれは魔族だぞ!」と先輩がどなった。
「そんなものと同じ部屋で暮らしたことがあるなんて恐ろしい。へたをすれば寝首を掻かれていたかもしれないんだ。おまえもだぞ」
「寝首なんて掻かれていないじゃないですか」
「おれたちに隙がなかったからさ」
むちゃくちゃ言っているなと思った。いま思い出しても腹が立つんだけど、これに関して先輩に腹を立てるのはお門違いだ。だって、あれはあくまで夢であって、ほんとうに先輩があんなことを言ったわけじゃないのだから。
ともあれ、先輩に言い返そうとしたとき、頭の中で、バルドが呼びかけてくる声が聞こえた。
『落ち着いて。わたしが魔族でも、おまえが友だちだと思ってくれるというのはよくわかったから』
驚いて、おれはバルドのほうを見た。
『ああ、これは遠話で話しかけているんだ。魔力を持っている者ならできる。おまえがわたしに言いたいことも、頭のなかで呼びかけるだけで、こちらに伝わる』
『助けてやる。いま助けてやるからな』
思わず心のなかで叫んだ。
『無理だ。魔族を助けようとすれば、人間だって殺されてしまう。人間は魔族に対してだけでなく、人間に対してだって残酷になるときがあるんだ。そうやって殺された人間だっていたんだ。……そうだ、なぜ忘れていたんだろう。あの時代、魔族をかばって命を落とした人間だって、たしかにいたのに。どうかしてた。おまえの誠意を疑うなんて』
あんな場面でなければ、おれはバルドの言葉を喜んだだろう。バルドがいなくなってからずっと、おれは彼の誤解を解きたかったのだから。
『わたしは、わたしがおまえに失望したのは誤解だったと確認したかった。どうしても確かめずにはいられなかった。もしもおまえが魔族のことを誤解しているのなら、その誤解を解きたいとも思った。あのまま別れるのはいやだった。もういちど話して、わかり合いたかった』
『おれもだ』
『そう思っていてくれてよかった。それを知りたかっただけだったんだ。ばかなことをしたと思うよ。おまえを危険にさらすかもしれないとは思いもしなかった。だから落ち着いてくれ。わたしのせいで、おまえに何かあったら、わたしはどうしていいのか……』
バルドの言葉を、おれは最後まで聞いていなかった。せっかく逃げのびたのに、おれともういちど話をするために都に戻ってきて捕まったのかと思ったのだ。
それに、目の前に傷だらけになったバルドを見て、もうとてもがまんができなかった。
おれは、わけのわからない叫び声を上げながら、先輩を突き飛ばして、バルドに向かって突進した。周囲の群衆が怒りの声を上げ、警備についていた兵士二人がこちらに向かってきた。
『待て! 待てというのに! 冷静になってくれ!』
頭のなかでバルドの声が響いた。
『これは夢なんだっ!』
だれかの投げた石がおれの頭に当たり、バルドの悲鳴を聞きながら、おれの意識は暗転した。