立川が書いたファンタジー小説「聖玉の王」シリーズの世界が舞台の連載小説です。
外伝「ホープ」がまだ途中なのですが、「聖玉の王―塔の街」で、「吟遊詩人の日記―禁断の秘歌」として書く予定の話に触れる部分が近づいてまいりました。
それぞれ別の話で、一方だけ読んでも支障のないように書いてはいますが、「塔の街」のその場面を先に読むと、「禁断の秘歌」が少しネタバレになるかも。
それに、「禁断の秘歌」を先に読んでから「塔の街」のその場面を読んだほうがピンときておもしろいかも。
というので、「ホープ」をいったん中断し、「禁断の秘歌」を先に書くことにします。ホープ」は「禁断の秘歌」のあとで再開します。
2014年6月15日UP
ハウカダル共通暦324年準備の月10日
今日からいよいよ歌を教えてもらえることになった。今日も校長先生とカイ先生がふたりともおられた。
「秘歌はたくさんあり、増えることもあれば、秘歌でなくなることもあるので、吟遊詩人として旅立ったあとも、少なくとも三年に一度以上、できれば年に一度は学校を訪れ、それを確認することになっている。歌を覚えているかどうかの確認も兼ねてな」
校長先生の言葉に、少しほっとした。秘歌の数が多ければ、商売でまったく歌わない歌をすべて覚えていられるかどうか、じつは自信がなかったのだ。
秘歌ではないふつうの歌については、吟遊詩人たちが国王への報告のためなどに都を訪れたとき、学校にも立ち寄って情報交換したり、歌を確認するのは知っている。秘歌も同じようにするのかどうか、気になっていたのだ。
「だから、必ずしも旅立つ前にすべての秘歌を覚えなければならないというわけではないし、覚える順番が決まっているわけではない。どういう分野の歌から覚えたいかね?」
もちろん、魔族に関する歌だが、即座にそう答えれば、おれが魔族に思い入れがあることに気づかれ、そこからバルドの秘密がばれてしまうかもしれない。そう思って答えをためらっていると、校長先生がとんでもないことを言った。
「とくに希望がないなら、今日は、羊飼い出身の音楽学校生イスラの歌にしよう」
よくわからない冗談だと思いながら黙っていると、校長先生がいたずらっぽくウインクした。カイ先生もくすくす笑っている。
「じつは、きみを主人公にした秘歌があるのだよ」
「いやだな。何の冗談ですか」
校長先生が真顔になった。
「ほんとうにあるんだ。きみを主人公にした歌が」
カイ先生も笑うのをやめ、まじめな表情でうなずいている。
「きみがまだ一年生だったころの話だが、役人たちが貧民窟で配る食事に病気の羊を使い、きみがそれに抗議したことがあっただろう?」
あの一件は、もちろん覚えている。けっして食べてはならない病気の羊を、役人たちは貧しい人たちに配給するスープに使ったんだ。しかも、それをひどいことだとは思っていなかった。いつか病気になっても、いま飢えるよりはましだろうと言った。
役人たちだけでなく、配給を受けた人たちの何人かは、危険な病気の羊だと知ってもなお食べた。未来に希望がなく、そのとき腹を満たすほうがいいと考えたのだ。それが悲しかった。
でも王様はわかってくださった。二度と配給の食事に病気の羊を使わせないと約束してくださった。それに、その騒ぎで朝の仕事をなくしたおれに、もっといい条件の仕事を与えてくださった。
そのときの悶着は、王様の耳にまで入ったぐらいだから、当然、先生方にも伝わって、役人に睨まれると厄介だから言いふらさないようにと忠告されたっけ。もっともだと思ったから、日記にも書いていなかったことだけど。
「羊の病気ついての歌は、もちろん、秘密にするような歌ではない。だが、役人が病気の羊の肉を貧民に食べさせようとしたという事実を歌として披露するのはまずいだろう。それを暴いたのが吟遊詩人をめざしている若者とあってはなおさらだ。国王陛下は教訓として受け止めてくださるだろうが、当事者の役人たちは快く思うまい。いくら近くにいた市民たちが騒ぎを聞きつけ、噂がすでに広まってるとは言っても、いつまでもその話がぶり返されると、根に持たれて厄介なことになるかもしれない。だからこそ、きみにも、触れ歩かないように忠告したんだ」
「はい。それはもっともだと思いましたので、ご忠告どおりにしました」
校長先生はうなずいた。
「賢明な判断だ。とはいえ、そのような事実があったことは、いつか教訓として必要になったときのために、歌として残しておいたほうがいい。それで、歌をつくって秘歌としたのだ。そのうち役人が交代して秘密にする必要がなくなったときか、または同じ過ちが繰り返され、それをやめさせるため、伝承者のだれかがこの歌を明るみに出すべきだと判断したときには、この歌は秘歌ではなくなるだろう。まあ、秘歌のなかでは危険度の低い歌だし、きみが当事者だから、最初の秘歌としては手頃だろう」
そう言って、校長先生は、いたずらっ子のような表情で微笑んだ。
「じつは、この歌を最初に選んだのには理由がもうひとつあってね。わたしがつくった歌に誤りがないか、つけ加えるべき点がないか、当事者のきみに確認したいのだ」
校長先生が歌いだすと、恥ずかしくて顔が熱くなった。きっと、真っ赤になっていたにちがいない。
起こったできごとそのものは事実だけど、自分が吟遊詩人の歌の題材になるって、ものすごく恥ずかしい。
「どうかね?」
歌い終わると、校長先生がたずねた。
「騒ぎを聞きつけてようすを見に行った人から聞いた話と、あとできみに聞いた話をもとにつくった歌だが、事実と違う点はあるかね?」
「おれが、一度も足を踏み入れたことのない貧民窟に行ったというところは違います。一度行ったことがある場所です」
「ほう?」
「それと、ひとりで役人たちに抗議したというのも違います。そこに住んでいる少年が助けてくれたんです」
「ほう? その話をもっとくわしく話してくれないかね?」
それで、スープが配られている場所を聞くために、レイヴに事情を話したことや、レイヴがスープを飲もうとしている子供を止めてくれたり、おれが役人に殴られるのを止めようとしてくれたことを話した。
「ふむ。盗みをして暮らしている子供たちのなかに、とりわけすばしこい黒髪の少年がいるらしいのは知っているし、見かけたこともある。名前や容姿は伏せて歌に取り入れよう。ほかに事実と違う点はあるかね?」
「いえ、そのほかは何も……」
「では、つけ加えたいようなことは?」
それで、病気の羊の肉と知ってもなお、スープを食べた人がたくさんいたことを話した。
「いつか病気で死ぬ危険を避けるより、いま飢えないほうを選んだ人がたくさんいたんです。高齢者が大半とはいえ、やりきれませんでした」
「うむ、まあ、残飯をあさったりとか、野生のムグを捕まえて食べたりとかしているぐらいだからな。貧民向けの安食堂では残飯を使ったりもしているし。それらと病気の羊とどちらが危険度が大きいかとなると、なんともいえん。だが、それでも、病気の羊だと隠して食べさせるようなことはすべきではないね。知らなければ、飢えか危険か、本人の意思でどちらかを選ぶこともできないのだから」
「ええ。子供や若い人には、食べるのをやめた人も多かったようです。それが救いです」
校長先生は、しばらく考えると、おれが今話した内容を歌につけ加えて歌った。そのあと、カイ先生も同じ歌を歌った。
「これでよし。さあ、では歌ってみてくれ」
校長先生に言われて、ますます赤面した。自分が主人公の歌なんて、聞くだけで照れくさいのに、歌うなんてもっと恥ずかしい。
「歌いにくいか。まあ、それはしょうがない。ともかく、ひとりになったときにでも反芻して、こういう歌があると心にとめておいてくれればいい」
それから、次回の授業で習いたい歌の希望を聞かれたので、もう本心を隠すのはやめにして、「魔族に関する歌を」と答えた。どう思われたかどきどきしたが、校長先生もカイ先生も不審に思わなかったようで、理由などは全然聞かず、あっさり了承してくれた。