吟遊詩人の日記−禁断の秘歌(その4)

立川が書いたファンタジー小説「聖玉の王」シリーズの世界が舞台の連載小説です。

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 2021年8月9日UP


  ハウカダル共通暦324年吹雪の月21日  

 今日も宰相ジランについての歌をいくつか教わった。王立図書館創設についての歌とか、穀物の不作を予測して被害を最小限にとどめた功績とか、隣国との戦争を回避した話とか……。図書館の本では功労者の名前も魔族であることも伏せて語られていたジランの功績が、はっきり、魔族の宰相ジランの功績として歌われていた。
 そのほか、魔族が侵攻してきたときにも、ジランがホルム王国や人間たちのために尽くしたことがわかった。

 ニザロース王国の北の国境を越えて、
 魔族の大軍が侵攻してきたとき、
 かの王国は他の国々に救援を求めた。
 馬が力尽きるまで急ぎ救援を求めた使者の懇請について、
 ホルム王国の重臣たちの意見は分かれた。
 遠き国の難事ゆえ、しばしは様子を見るべしという慎重論。
 早急に援軍を派遣すべしという意見。

 宰相ジランは救援すべきだと主張した。
 放置すれば、いずれはホルム王国にまで災いが波及するやもしれぬ。
 十二の王国すべてに災いが波及するやもしれぬ。
 なればニザロース王国に援軍を出す一方で、
 他の諸国にも使者を送り、同盟して救援すべきだとも。
 一国だけでことにあたろうとすれば、
 北方に野心ありと疑われるやもしれぬ。
 一国のみの救援では力が足りぬやもしれぬ。
 十二の王国すべての危機なれば、
 同盟を組んでことに当たるべしと。

 クルール三世陛下は、ジランの提案をよしとされた。
 かくて最初に到着したホルム王国をはじめ、
 諸国が次々に参戦して、
 魔族の軍を北方に押し返した。
 これが十二王国同盟のはじまりとなった。

「魔界から魔族が侵攻してきたとき、ジランは人間の味方をしたのですか」
 ふしぎそうにそう言うと、校長先生は頷いた。
「ジランだけではない。人間の王国に住んでいた魔族たちは、人間の味方をした。なぜなら、彼らにとっても、魔界から侵攻してきた魔族たちは故郷を脅かす侵略者だったからだ」
 なるほど。人間の王国に長く住んでいれば、そこが故郷となる。まして、人間の王国で生まれ育ち、魔界を知らない魔族にとってはなおさらだろう。
 それはわかるような気がする。慣れ親しんだ人間たちを仲間と思い、魔界から侵攻してきた魔族たちを侵略者と捉えて、人間たちと共に戦った。それなのに、人間に敵と思われ、迫害された。その悲しみはいかほどだったろうか。バルドやジランや、そのほか迫害された魔族たちの悲しみは。


  ハウカダル共通暦324年雪解けの月10日  

「人間と魔族の間にかつて心の交流があった最たるものとして、今日は恋の歌を教えよう。人間と魔族の間には、かつては友情ばかりか、恋や婚姻さえもあったのだ」
 そうして教えてもらったいくつかの歌から、人間と魔族が戦っていなかった時代でさえ、人間と魔族の恋には大きな障害があり、必ずしも周囲から祝福されるものではなかったとわかった。
 まず、人間と魔族との間には子供が生まれない。本人たちがそれでもよしと考えたとしても、跡継ぎをもうけるよう期待される立場の者であれば、周囲の猛反対を受ける。
 それ以上に当人たちにとって大きな問題は寿命の違いだ。魔族は人間の七倍の寿命をもつので、魔族と夫婦になった人間は、連れ合いがまだ若く美しいうちに、自分だけが老いさらばえていくという苦しみを味わう。人間と夫婦になった魔族は、連れ合いが急速に老いて寿命を終え、ひとり取り残されるという孤独を味わう。
 その苦しみに耐えきれずに別れた恋人たちもいれば、承知の上で連れ添った夫婦もいたというのが、数々の歌からわかった。  そういえば……と、思い出す。
 バルドの姉は人間の男と婚約していた。子供が授からないことも、寿命の違いも承知の上で婚約したのだな。
 それほどの覚悟と強い愛情があったのに、戦争が彼らを引き裂いたんだ。


  ハウカダル共通暦324年雪解けの月21日  

「今日も魔族と人間の恋の歌を教えよう。前回は、人間と魔族の間にまだ戦争が起こっていない時代の歌ばかりだったが、今回は、戦争に引き裂かれた恋の歌だ。このあいだから宰相ジランの歌が多かったことだし、まずは彼にゆかりのある歌から」
 校長先生がそう言ったので、思わず緊張した。次いで、この緊張が先生にばれたのではないかと、ぎくりともした。
「ジランの令嬢リラウェンと第五騎士団の騎士シグスティンの恋の歌だ」
 思い浮かんだのは焼け落ちた古い屋敷。姉が婚約者に裏切られて殺されたと言っていたバルド。自分は裏切ったのではないと訴えていた手紙。その手紙の署名はたしかシグスティンだった。

 第五騎士団の騎士見習いとなったシグスティンは、
 宰相ジランの美しき令嬢リラウェンに夢中になった。
 初めて会ったときリラウェンは、
 実年齢は彼の祖母よりはるかに年上なれど、
 人間でいえば十七歳にあたる。
 それでも十四歳のシグスティンより年上。
 自分にあこがれの目を向ける騎士見習いの少年を微笑ましく思っても、
 おそらくそれは恋ではなかっただろう。
 だが三年経てばふたりはほぼ同年代。
 年上の姫君に対するあこがれは恋となり、
 年下の少年に対する慈愛も恋となった。

 見た目はお似合いのふたりだが、
 人と魔族とでは婚姻には向かぬ。
 いずれシグスティンはリラウェンの父ほどの年となり、
 さらには祖父ほどの年となろう。
 そしてリラウェンは若くして、
 老いた夫を見送る寡婦となろう。
 寿命も違えば子もなせぬ苦難の恋に、
 どちらの親族もよい顔をせず、
 別の相手を見つけるようにと助言した。
 だが二人の決意は固く、
 苦難を承知の上で婚約した。
 はじめは反対していた親たちも、
 ふたりの想いの強さに心を動かされ、
 ついには婚約を祝福した。

 結婚式をふた月後に控えたある日、
 ふたりの運命を変える事件が起きた。
 魔界の魔族がニザロース王国に侵攻してきたという。
 リラウェンの父たる宰相ジランは、
 十二の王国の同盟を提唱し、
 ニザロース王国の救援を主張した。
 ジランの提唱は受け入れられ、
 あわただしく行われる出陣の準備。
 シグスティンの所属する第五騎士団は王都警備の任により残ったが、
 彼の父も兄たちも王とともに出陣した。
 リラウェンの兄ふたりも王とともに出陣した。
 ためにふたりの結婚式は遠征軍が戻るまで延期となった。

 遠征軍はなかなか戻らず、
 戦況は何度か届いたものの詳しくはわからず、
 残された人々の心に不安が募る。
 不安の中で駆け巡るさまざまな憶測と噂。
 人間とともに暮らしていた魔族は魔界軍と結託していたのだとか。
 王は信任する魔族の騎士たちに殺されたのだとか。
 留守を任された宰相ジランは王都を占領するつもりなのだとか。
 王の親征がジランのはかりごとなのだとか。
 ジランが王都を占領するころには、
 魔界軍がホルム王国まで押し寄せてくる手筈なのだとか。
 よく考えればあり得ない噂も、
 出征した王や身内を案じる人々の不安や、
 自国も魔界軍に攻撃されるのではないかという恐怖のまえに、
 あり得ることに思えてくる。
 廷臣たちや騎士たちですら、
 根拠のない噂に動揺しがち。
 ジランが噂を否定しても、
 当事者のことゆえなかなか信じてもらえぬ。
 シグスティンが噂をあり得ぬことと笑い飛ばしても、
 婚約者への愛ゆえに目が曇っているのだと言われ、
 リラウェンが魔性の女と疑われるのみ。
 噂を信じぬ冷静な者たちももちろんいたが、
 しだいに少数派となっていき、
 王都は不穏な空気に包まれた。

 人々の不安と不信が頂点に達したとき、
 ついに暴徒と化した人々が、
 ジランをはじめ魔族たちを襲った。
 大勢の魔族たちが殺された。
 ホルム王国の人々のために尽くした魔族たちも。
 暴徒と化した人々とかつては友人だった魔族たちも。
 不安と恐怖が生み出した狂気の前に、
 それまでの感謝も愛も友情も打ち砕かれた。
 ごく一部の例外を除いて。
 シグスティンはその例外のひとり。
 逃げ延びたリラウェンのもとに、
 ひそかに食べ物を運んでかくまおうとした。
 だがそれが同僚たちの知るところとなり、
 シグスティンの身にも危険が迫ると、
 リラウェンは恋人を守るため、
 わが身に短剣を突き立てて自害した。
 嘆き悲しむシグスティンに、
 同僚たちの疑いは晴れぬ。
 逃げ延びたジランの子はリラウェンのほかにもうひとり。
 その子バドウェンの行方も知っているのではないかと疑って、
 シグスティンを捕えて詰問し、
 ついには拷問にかけた。
 激しい拷問のなかシグスティンは告げた。
 バドウェンの行方は知らぬ。
 仮に知っていたとしても教えぬであろうと。
 そして拷問のすえ帰らぬ人となった。
 彼の最期の言葉は、
 「リラウェン」であったという。

 そういうことか。あの手紙の「裏切っていない」というのは本当だったのだ。
 あの手紙を残したからには、シグスティンはバルドがあの館内に隠れていると知っていた。知っていたうえで、バルドをかばい続けて殺されたのだ。
 バルドにこの歌を知ってほしい。リラウェンとシグスティンの愛が本物だったと知ってほしい。
 バルドは悲しみ、自分の誤解を悔いるだろうが、それでも、姉が恋人に裏切られたりしてはいなかったのだと知ってほしい。
「わたしはこの歌のリラウェンもシグスティンもバドウェンも知っているよ」
 校長先生が涙ぐみながら言った。初耳だった。
「彼らと知り合ったとき、わたしはまだ子供だった。少年のころのシグスティンがリラウェンにひとめぼれした気持ちがよくわかる。じつに美しく、やさしく、すばらしい女性だった。バドウェンは、見かけの年齢は当時のわたしと同じぐらいで、いっしょに遊んだことがある。生きていれば、見た目はたぶんきみと同年代ぐらいか。わたしはこのとおりのじじいだ。出会っても、お互いにそれとわかるまいよ」
 ひょっとして、校長先生は、バルドがバドウェンだと気づいていたのではないだろうか。知っていたうえで、学校内にかくまおうとしていたのではないだろうか。
「リラウェンとバドウェンだけでなく、子供のころに親しくした魔族、いっしょに遊んだ魔族は何人もいた。その全員が殺されたか生死不明だ。彼らが人間の敵だったとはどうしても思えない。それを後世に伝えたい。敵としての魔族しか知らない世代に伝えたい。それが、わたしが禁断の秘歌の後継者となった動機じゃよ」
「わたしも……。わたしも伝えたいです。禁断の秘歌を聴いて知ったことを」
 校長先生は大きくうなずいた。
 校長先生のことはこれまでもずっと尊敬していたが、このときほど心が深く通じ合ったと感じたことはなかった。


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