吟遊詩人の日記−禁断の秘歌(エピローグ・その3)

立川が書いたファンタジー小説「聖玉の王」シリーズの世界が舞台の連載小説です。今回で完結です。

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 2022年9月22日UP


  ハウカダル共通暦337年同盟の月19日  

 今日はレイヴがやってきた。最後に見かけたときにはまだ少年といっていい年齢だったのに、すっかりおとなの男になっていたが、確かにレイヴだった。オレインに届け物があったようだが、俺のところにも来てくれた。
「ラーブが自分自身を追放刑にした」
 意味がわからず面食らっていると、言い直した。
「今回の内戦を終結させるために、王太子が魔族の力を借りたのを、他の国々も、事情をよく知らない騎士たちも受け入れられない。魔族と戦うために協力するという十二王国間の協定もあることだしな。受け入れているのは限られた者たちだけだ」
 ああ、そうかと納得した。きのうから見ている光景を夢のようだと思っていたが、やはり現実はそんなに甘くないのだ。
「まあ、それで、関わった魔族たちを引き渡せと要求される前に、王太子……というか、新王は自分自身を追放刑にしたわけだ」
 これには驚いた。そんな決断をする王がいるなんて。
「じつは、今日、オレインに渡す報酬を自分で持参して、そのまま王国を去ろうとしていたのだが、春まで留まるようにと説得された。どうせ十二の王国の会議をこの秋に開くのは難しかろうから、春まで留まっても支障はないだろうということでな。冬の間にできるかぎりの戦後処理をしてほしいと言われて、それに応じたのだ。で、俺が代わりに荷物を運んできたわけだ」
 そう言ってレイヴは周囲に素早く視線を走らせ、俺たちのほかにだれもいないのを確かめると、声を落として言葉をつづけた。
「そういうわけで、王は春まで王宮にいる。禁忌が禁忌でなくなる日をもたらす王だと思う。春に旅立ったら何年か戻ってこないから、会ってみたいならそれまでの間だ」
 思いがけない言葉に息を飲んだ。やはりレイヴは、かつて俺が聞かせた歌について真剣に考え、覚えていてくれたのだ。そして、彼は新しい国王陛下に期待している。だれにも心を許さないように見えたあのレイヴが。
 何か言おうとしたとき部屋の入口のほうで足音と話し声が聞こえ、レイヴが目でこの話題の打ち切りを告げた。
「俺はこのまま旅に出る。春までにはシグトゥーナに戻るつもりだ」
 そう言い残して、彼は去っていった。  


  ハウカダル共通暦337年雨の月1日  

 今日、俺とラウズ様のベッドの周囲にホープ以外だれもいなくなった時間がしばらくあって、レイヴが言い残したことについて話し合った。
 ラウズ様がはっきり意識を取り戻したのは、レイヴが来た日の夜だったが、夢うつつで俺とレイヴの会話を少し聞いていたらしい。
 ラウズ様も『禁断の秘歌』の継承者で、俺の亡くなった伯父、つまりホープの父も『禁断の秘歌』の継承者だった。ホープは吟遊詩人ではないけれど、結婚後にラウズ様から秘密を打ち明けられ、校長先生公認のもと、『禁断の秘歌』の継承者となった。
 レイヴが勧めてくれたのは新王オーラーブ陛下に拝謁することだったが、俺たちはその先を考えた。『禁断の秘歌』について、陛下に打ち明けるという考えだ。もちろん、実際に陛下に拝謁して、その人となりに触れたあと、打ち明けてもよいと判断した場合の話だが。
 危険すぎるというのはわかっている。へたをすると、俺とラウズ様の首が飛ぶばかりか、校長先生をはじめ、秘歌の継承者全員を危険にさらしてしまう。
 だが、魔族と人間の村人たちが仲良くしているという今の状況を実現した王であるならば……。その魔族たちとの約束を守るために自らを追放刑にするような王であれば……。あのレイヴが信頼して期待をかけている人物であるならば……。
 陛下は昨年の冒険のあとエイリーク様の館に滞在していたので、その間にラウズ様は何度かお会いして話をしている。そのときに聞いた冒険譚の一端を、ラウズ様は俺にも話してくれた。
 その冒険で、レイヴやエイリーク様と深い信頼関係が生まれたこととか、オレインたちと出会って、魔族との戦いに疑問を抱いたこととか……。
 そういう話を聞くと、ますます『禁断の秘歌』の話を陛下に打ち明けたくなった。というか、打ち明けるべきだと感じた。
 三人で話し合って、校長先生と相談したうえで、陛下に拝謁を願い出ようということになった。


  ハウカダル共通暦337年先見の月10日  

  俺もラウズ様も、囚われているあいだに体力がめっきり落ちていたので、ひと月ぐらい養生してから旅立ち、きのうの夕方シグトゥーナに到着した。で、今日、校長先生とカイ先生、ラウズ様と俺の四人で、国王陛下に拝謁する件について話し合った。
 校長先生とカイ先生は、去年の春まで、王太子時代の国王陛下と王女殿下の教師をしていた。それぞれ月二回、一刻(約九十分)ずつの授業だったが、おふたりの気性はじゅうぶんわかる。国王陛下は、心やさしく、争いを好まない少年だったという。
「魔族を滅ぼして戦いを終わらせる王になるという予言の話には違和感を覚えていたよ。『戦いを終わらせる王』というのが、じつは和睦によって戦いを終わらせる王という意味だったと聞いてみれば、そのほうがしっくりくる」
 王女殿下も、少し勝ち気で気まぐれなところはあるが、情が厚くてやさしい少女で、親に決められた縁組に不満を持ちながらも、王太子殿下と友情を温めていたという。
 おふたりの気性、とくにオーラーブ陛下の気性と、陛下が内乱を鎮めるのにオレインたちと協力したこと、オレインたちを助けるために自らを追放刑としたことなどと考え合わせると、この方には『禁断の秘歌』について打ち明けてもよい。というより、『禁断の秘歌』のことを打ち明けるべきお方だろう。
 四人の意見がそう一致したので、明日、俺と校長先生とカイ先生とで陛下に拝謁を願い出ることにした。ラウズ様は自分も行くとおっしゃったが、万一のことを考えてひとりは残るべきだという校長先生の説得に、しぶしぶ応じた。


  ハウカダル共通暦337年先見の月11日  

 陛下に拝謁できるのは、午後の二刻(約三時間)。予約は午前中から受け付けている。なので、朝、門が開いてまもない時刻に王宮に行ってみると、拝謁を願い出ている者がすでに長蛇の列となっていた。明後日まですでに予約が埋まっているということで、並んでいる者たちは予約の日時を聞いて散っていく。
 それで、順番が来たとき、 三人の名前を告げたあと、拝謁したい目的を問われて答えに困っていると、校長先生が代わりに答えてくれた。
「この者、吟遊詩人イスラは、先の内乱でヴェンド村に囚われ、救出されました。その体験を踏まえ、われら、陛下のご存じないことで語れることもあるかと参じました」
 受付を担当していた官吏は少し眉をしかめた。たいした用ではないと思ったようだった。だが、予約を拒まれることはなく、五日後の五番目という予約が取れた。何らかの事情で予約が変更になったときには、校長先生のところに知らせるという。
 一日七組ずつで予約を組んでいるというから、拝謁時間は短い。陛下の人となりを判断して、内密にこみいった話をできる時間を割いてもらえないか打診するのが精いっぱいだろう。
 落胆しながら音楽学校に戻り、ラウズ様も交えて四人で昼食をとっていると、王宮から使者が来た。予約の日時ではなく、今夜、王宮に来てほしいという内容だった。もちろん、即答で応じた。
 時間からしても、夕食は王宮で提供してくれるという申し出からしても、一般的な拝謁ではない。かつての師と旧交を温めようと思われたか? それとも、吟遊詩人の売り込みだと誤解され、夕食か宴席の余興に曲を奏でるようにという要請なのか?
 宴席なら、内密の話をするのは無理だろう。それでも、五日も待つよりはいい。


  ハウカダル共通暦337年先見の月12日  

  きのうは帰りが遅くなったし、書くべきことも多く、頭の中を整理してから書きたくもあったので、今日になって昨夜のことを書いている。
 王宮に到着してすぐに通されたのは、予想通り通常の謁見室ではなく、食卓の用意をされた部屋だった。酒宴を催すような広間ではなく、家族か親しい客と食事をするようなしつらえの部屋で、テーブルには六人分の席が用意されており、楽師用の席らしきものはない。
 で、おれたちを案内してきた廷臣に勧められ、三人並んで着席するとまもなく、オーラーブ陛下とアーストリーズ殿下が、占い師サーニアと思われる老女を従えて部屋に入ってきた。
 起立して敬礼した俺たちに座るよう促すと、陛下は自分も着席した。殿下はその右隣に、老女は左隣に座った。こちらは、陛下のすぐ前が校長先生、老女の前がカイ先生、殿下の前が俺となった。
「お久しぶりです、ステイン先生、カイ先生。それから、吟遊詩人のイスラ。三人ともよく来てくれましたね。昼間は謁見の予定が詰まってしまっていて、こういう時間になって申し訳ない」
「いえ、貴重なお時間を割いていただいてありがとうございます」
 校長先生が恐縮しながら答える。ステイン先生というのは校長先生のことだ。
「ほんとうにお久しぶりでございます。しばらくお会いしないうちにごりっぱになられましたな。心身ともに大きく成長なされて……」
 感慨深げな校長先生の言葉に、陛下は少し照れくさそうに微笑ん
「この一年半ほどでけっこう背が伸びました。リーズもですが」
 陛下が右隣にちらりと視線を向けると、アーストリーズ殿下も笑顔で口を開いた。
「ええ。わたしも背が伸びました。ラーブほどじゃないけど」
「それにお美しくなられましたな。お会いできてうれしゅうございます」
「わたしも先生方にお会いできてうれしいです。吟遊詩人のイスラにも会ってみたかったの」
 殿下がそうおっしゃって俺のほうを振り向いたので驚いた。
「あのレイヴが子供のころから親しくしていた人って、どんな人だろうと思って」
「え?」と、われながら間抜けな声を出してしまった。
「まあ、その話はあとで」
 陛下がたしなめるようにおっしゃり、控えていた廷臣に合図を送った。
「まずは食事にしましょう。あ、その前に、イスラはサーニア様と初対面だね。こちらはわたしの先生で、今回の内乱鎮圧の仲間でもあったサーニア様」
「え?」
 俺だけじゃなく、校長先生とカイ先生もサーニアを凝視した。
「サーニア殿ともお久しぶりですが、そのようなことが……」
 校長先生の言葉に陛下が答えようとしたとき、アーストリーズ殿下が陛下の腕をつかんで制した。
「その話も食事のあとでなきゃ」
「あ、うん。そうだね」
 陛下の言葉と同時ぐらいに、果実酒とスープが運ばれてきた。パンといっしょに庶民が食べるスープはメインの食事だが、上流階級は、食事の最初に、具が少なくて飲み物に近いスープを口にする。いま運ばれてきたのもそんなスープだった。目に見える具は小さく切った塩漬け肉の燻製と野菜がほんの少しだが、もっと多くの食材が、だしを取るために使われているに違いない。
 コクがあっておいしいスープが下げられたあと、パンとバター、鳥の炙り肉、塩漬け肉と根菜と茸の煮込み料理、魚の燻製を添えた酢漬けの野菜といった料理が供された。いままでに目にしたことのある王侯貴族の食事に比べてとくに豪華ということはなく、むしろ質素だったが、たいへんおいしかった。
 客として出された料理であって、余り物を下げ渡されたのではないというのももちろんあるが、それだけじゃない。料理人が心をこめてつくったと感じさせるおいしさだ。恐怖で支配するような冷酷な主人の食卓には、どんなに豪華であっても、こういう心のこもった料理は出ない。
 話がそれたが、要するに、陛下は使用人たちに慕われている主人のようだと察せられたんだ。
「吟遊詩人さんのためにちょっと説明するなら、今日のお料理は、いつものおふたりの食事より少し豪華」
 食べながら、サーニアが解説してくれた。
「え? そんなことまで歌にするの? 料理人が予定していた料理に、鳥の炙り肉を増やしてもらっただけだけど」と、陛下。俺たちに気を使わせまいとしているようだ。
「それと、食後のお菓子とね」と、殿下も微笑む。
 殿下の言葉どおり、料理の皿が下げられると、いい香りの香草茶とともに、たっぷりの焼き菓子と干した果実を盛った皿が並べられた。香草茶のお代わりができるように、数杯分は入っていそうな素焼きのポッドも、めいめいの席に置かれた。
「では、呼ぶまで下がっていて。遅くなるかもしれないから、自由にしていていいよ」
 陛下の言葉で使用人たちが退室し、部屋に六人だけになると、陛下がサーニアに目配せを送る。サーニアは目を閉じ、五つ数えるぐらいの短い時間でまた目を開けた。
「結界を張りました」
「ありがとう」
 陛下が俺たちのほうを向いて説明した。
「あなたがたに聞く話が内密にする必要のある内容なのかどうかはわかりませんが、念のため、われわれの話を誰も聞けないようにしました」
 それは願ってもないことだが、結界を張ったって、どういうこと?
「わたしにはそういうことができます。それが、この席にわたしが同席した理由の一つです」
 サーニアの言葉に、ますます面食らった。それは校長先生やカイ先生も同様だった。
「サーニア殿、あなたはいったい……」
「ステイン先生にもカイ先生にも秘密にしておりましたが、わたしの正体をお見せしましょう。驚かないでください、というのは無理でしょうけど、どうか取り乱さずに、わたしの話を聞いてください」
 そういうと、サーニアが変身した。人間の老女の姿から、若くて美しい魔族の女性の姿にと。
 椅子からひっくり返りそうになるほど驚いた。これは予想もしていなかった。目を離せずにいると、隣で校長先生の声がした。
「これは驚きましたな。陛下はご存じだったので?」
「わたしも知ったのは半年ほど前です。義父上が殺されたあと、下手人にされかけたサーニア様やレイヴが義兄上の城に逃げてきたとき、打ち明けてくれました。わたしも驚きました」
「そうですなあ。私の母と同じぐらいのお年かと思っていたのに、こんなに若くて美しい女性だったとは」
 驚くところはそこ? と言いたくなるような言葉を校長先生は口にしたが、そこに驚いたというより、気持ちを落ち着けようとして発した言葉だろう。たぶん。
「実年齢は、先生のおかあさまより年上ですよ」
 サーニアが微笑んだ。
 たしかに、魔族は成長速度も寿命も人間の七倍ぐらいなのだから、校長先生のご母堂よりはるかに年上だろう。
 それにしても、「サーニア」? 人間の老女と思い込んでいたときには気に留めなかったその名前が、魔族の若い女性とわかると妙に引っかかった。
 サーニアという名前は、ありふれているというほどではないが、とくに珍しい名前というわけではない。俺の村にもひとりいたし、吟遊詩人として旅する間に出会った多くの人々のなかにも何人かいたように思う。
 人間の女性の名前としてはとくに珍しくはないが、魔族の女性の名前として珍しいのかどうか、俺は知らない。ただ、俺の知っている歌の中に登場するサーニアという魔族の女性はただひとり。『禁断の秘歌』のひとつ、ソルホグニとサーニアとガンザをめぐる恋と友情の歌に登場する女性。
 たんに同じ名前という可能性が高いのに、サーニアが魔族の女性だと知ったとたん、あの歌がぐるぐる頭に浮かんで離れず、思わず口走った。
「サーニアって、ソルホグニの恋人の? ガンザの妹の?」
 人違いだろうと恥ずかしく思うのとほとんど同時に、人違いではないとわかった。サーニアが驚愕の表情で立ち上がり、テーブル越しに、俺のほうに身を乗り出したのだ。
「ソルホグニと兄を知っているの? なぜ? なぜ、あなたが知っているの? ソルホグニが亡くなったのは五十年以上も前よ。あなたが彼のことを知っているはずないわ」
 サーニアがまじまじと俺を見つめた。
「あなた、人間よね? 魔族じゃないわよね? わたしに見破れないほど変身のうまい魔族はいないと思うけど、ザファイラ帝国のことはよくわからないから」
 サーニアだけでなく、こちらを見ていた陛下の顔にまで警戒の色が浮かんだので、あせって叫んだ。
「人間です! あなたとソルホグニとガンザのことを知っているのは、そういう歌があるからです! 恋と友情の!」
 叫んでから、しまったと思った。『禁断の秘歌』のことは頃合いを見て話すつもりだったのに、いきなり口走ってしまった。
「え? 歌? 恋と友情?」
 毒気を抜かれて困惑している表情のサーニアや、けげんそうな陛下や殿下に、校長先生が説明をはじめた。
「あー、じつは、われわれが拝謁を願い出た理由の第一はこれでございまして」
「ソルホグニと兄のことが?」
「恋と友情の歌が?」
 サーニアと陛下がますますけげんそうな様子で口々に言ったので、校長先生は言い直した。
「いや、これは秘密の一部でして……。じつは、これまで忠誠を誓っている歴代の国王陛下にも秘密にしてきたことなのですが……」
 陛下が真剣な表情となり、サーニアが「ちょっと待って」と、校長先生の言葉を遮って、つかのま目を閉じた。
「失礼しました。わたしとしたことが。驚いた拍子に結界が緩んでしまいました」
「だれかに聞かれた?」
 陛下の問いに、サーニアが首を振った。
「いいえ。わたしの結界が少し緩んだだけです。聞き耳を立てている者はおりませんでした」
 陛下はうなずくと、俺たちのほうに向きなおり、思い出したように香草茶を一口すすった。
「では、その秘密について伺いましょう。お茶とお菓子はご遠慮なくどうぞ。長い話になるかもしれないと思い、多めに用意させましたから」
 陛下の思いやりに、俺たちもありがたく香草茶を口にした。その一口で、高ぶっていた神経と緊張がいくらか静まった。
「じつは、ごく一部の吟遊詩人の間で、王家や身分高い方々の怒りを買わないように真実を後世に伝えるため、秘密裏に歌い継がれる歌がいくつもございます」
 校長先生が説明をはじめた。
「いつとも知れぬ昔から多少はあったようですが、急激に増えたのは、魔族と人間の戦いが始まってからです。それまでふつうに歌われていた魔族の功績をたたえる歌などを人前で歌うわけにはいかなくなり、実際にあったことが忘れ去れるのを恐れる気持ちから、人前で歌えなくなった歌や新しくつくられた歌が、『禁断の秘歌』と呼ばれて語り伝えられるようになりました。イスラがいましがた口にしかけていたのもその一つです」
 校長先生に目で促され、俺は、ソルホグニとガンザとサーニアの歌を歌った。
 ホルム王国の忠実な騎士だった人間のソルホグニと魔族のガンザ。ふたりの友情と、ガンザの妹サーニアとソルホグニの恋。ふたりの結婚を控えて、魔族の大軍が北のニザロース王国に迫り、ふたりとも時の国王に従って出陣したこと。その戦いで、ソルホグニがガンザをかばって戦死したこと……。
 サーニアが涙をはらはらこぼし、手で顔を覆ったので、あわてて歌を中断した。
「あの、結界とかは……」
「ああ、ごめんなさい。大丈夫よ。歌を続けて」
 それで、俺は歌を続けた。王とともにガンザが帰国すると、彼の両親をはじめ多くの魔族たちが暴徒たちに殺されており、生死不明の祖父や弟妹たちを探しながら、追われるように王国を去ったという、最後のくだりまで。
 サーニアばかりか、アーストリーズ殿下まで顔を覆ってもらい泣きし、陛下の目にも光るものがある。
 歌い終わると、余韻に浸るようにしばしの沈黙が流れたのち、陛下が口を開いた。
「知らなかった。こういうことがあったということも、こういう歌が秘かに伝えられていたことも」
「申し訳ございません。歴代国王陛下に秘密を持っておりました」
 校長先生が謝ると、陛下は首を振った。
「いいえ。秘密にしていたのは当然のこと。伝えるのも命がけであったと察せられます。命がけで事実を後世に残そうとしてくださったこと、ありがとうございました。わたしを信じて打ち明けてくださったことにも感謝いたします」
「そう言っていただけるとありがたい」
「ほかにも何曲か聞かせていただけますか? 人間と魔族がともに暮らしていた時代がわかるような歌を」
 それで、魔族が最初に人間の世界にやってきたときの歌、魔族の宰相ジランが音楽学校を創設した歌、魔族が侵攻してきたときにジランの提唱で十二王国の同盟が結ばれた歌を順に歌った。
 歌い終わると、陛下が口を開いた。
「魔界の魔族が侵攻してきたとき、人間の王国に住む魔族たちは人間の味方だった。わが国の宰相は魔族で、その先頭に立っていた。時の国王は、魔族の宰相も騎士たちも、人間の臣下と同じく信頼していた。なのに迫害が起こってしまったのですね」
 のどが疲れて香草茶をいただいていた俺に代わって、校長先生が答えてくれた。
「恐怖と不安は人を狂わせます。時の国王陛下でさえ止めようがないぐらい、多くの人々が恐怖と不安で狂気に陥ったので
「恐怖と不安……」
「そうです。陛下が都を去ると聞いて、わたしが心配しているのもそこ。どうか、国民が陛下不在によって恐慌に陥らないよう、ご配慮を」
「じつは、兄……エイリーク卿にも、できるだけ頻繁に安否を知らせるようにと言われています。個人的にわたしたちの身を心配してくれてのことと受け止めていましたが、国民に不安を広めないためにも、密な連絡が必要だとよくわかりました。国王代行としての騎士団の権限をはっきりさせるとともに、できるかぎりの安否連絡を心がけます」 「ぜひともよろしくお願いいたします」
「それはそうと」と、陛下がサーニアのほうを振り向いた。
「ザーニア様も、恐怖と不安で冷静さを失うと正しい判断ができなくなるというようなことを、何度もおっしゃっていましたね」
「ええ。多くの人が恐怖と不安で冷静さを失ったとき、どんな恐ろしい事態になるかは、実体験しましたからね。いずれ国王として人の上に立つ身なら、なおさら恐怖や不安に打ち勝つ強い心が必要だと思ったのです」
「でも、魔族に偏見を持つなとか、魔族を擁護するようなことはいっさいおっしゃらなかった」
「そういうことを言ってグンナル陛下の耳に入ったら、わたしはあなたたちの教師からはずされたでしょう」
 そりゃそうだと、俺は内心で思った。教師からはずされるだけではすまない。抹殺されただろう。グンナル陛下はりっぱな方だったが、そういう非情さも持ち合わせていたと思う。だからこそ、バルドは逃亡しなければならなかったのだ。
 命がだいじ。そのため、サーニアはおふたりの教育に慎重だったのだ。そう思ったが、彼女の話には続きがあった。
「そういう理由ももちろんありますが、それ以上に、わたしは、あなたたちの価値観を自分の望む方向に誘導するようなことをしたくなかったのです。自分で考え、恐怖や不安、憎悪や偏見に捕らわれることなく、公正な判断をできる人間に育っていくのを見守りたかった。いずれ、わたしの正体を明かすことも、魔族との和解を訴えることもあるかもしれないけれど、それは、あなたがたが自分の意志で判断できるおとなに成長してからのこと。そう思っていました」
 サーニアの言葉を聞いて、それまで漠然と感じていた彼女に対する不信感が払拭された。
 バルドがその気になれば戻ってこれるような国になって欲しい、人と魔族が仲良く暮らせるようになってほしいと願い、陛下にそのような期待をかけてはいたが、魔族の女性が教師の立場から少年時代の陛下の価値観を誘導していたかもしれないと想像すると、やはり抵抗があったのだ。
「それにしても」と、アーストリーズ殿下が口を開いた。
「レイヴは『禁断の秘歌』のことを知っていたのかしら? イスラという吟遊詩人が面会を求めてきたら会ってみるといいと、ラーブに勧めていたのだけど」
「ある程度は」と、俺は認めた。
「じつは、最初に歌ったソルホグニとガンザとサーニアの歌に限って、『禁断の秘歌』の継承者でもなければ吟遊詩人でもない少年に、歌って聞かせたことがあります。十三年前、シグトゥーナ近くの森にあった魔族の隠れ里が殲滅されたあとのことです。魔族に助けられたのに、その魔族たちが殺されてしまったという嘆きが深いのを知り、ガンザの名を口にしていたのを耳にして、禁忌を破ってもあの歌を伝えるべきだと感じたのです」
「ああ、あのとき」と、サーニアが頷いた。
「あの孤独な少年の日のレイヴにも、信頼できるおとながそばにいてくれてよかったわ」
「いや、そばにいるというほどのことは……。病気になったのも知らなかったし……。ただ、あの歌を聴かせたとき、まだ子供だけど、信用して命を預けてもいいと思ったのは確かですね」
「吟遊詩人のイスラに会えば、有益な話を聞けるかもしれない……と、レイヴが言ってたんだ。ガキのころ世話になったような気がする、とも」と、陛下。
「それって、レイヴにしては、最大級の賛辞と感謝の言葉だと思うけど」と、殿下。
 そうか。レイヴはそんなふうに思ってくれていたんだな。うれしくもあり、照れくさくもあり、たいしたことをしてやれなかったのにという思いもある。
「彼は、陛下のことを、禁忌が禁忌でなくなる日をもたらす王だと思うと言っていました」
 陛下は照れたように少し顔を赤らめた。
「その期待に応えたいと思っているよ。いましがた聞いたような歌を堂々と吟遊詩人たちが街角で歌っているような、そんな国になるようにできるかぎりの努力をしたい。できれば、魔族と人間がふたたび親しく交わって暮らせるような、そんな国にしたいとも思っている」
 ああ、そんな国になったら、どんなにいいだろう。そうなったら、バルドも戻ってくるだろうか。この方なら、そんな時代をもたらしてくれるだろうか。
 なんだか明るい気分になった。陛下にお会いできて、話せてよかった。
 それから俺たちはしばらく雑談した。陛下たちが経験した冒険の一端も少し聞かせていただいた。
 陛下の二度にわたる冒険を最初から最後まで順を追ってくわしく聞こうとすると何日もかかりそうだから、いまは無理だけど、何年か先に陛下が帰国されたとき、取材して歌にできたらいいな。これから陛下が経験するだろう冒険も加えて、一大叙事詩にできたらいいなと思っている。

 

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