立川が書いたファンタジー小説「聖玉の王」シリーズの世界が舞台の連載小説です。
この回は、「聖玉の王」2〜4巻のネタバレになる内容を含みます。
コミケなどで「聖玉の王」2〜4巻を入手されて、これから読もうと思っている方は、そちらを先にお読みください。
2022年8月23日UP
ハウカダル共通暦337年豆の月15日
グンナル陛下が殺された! わがホルム王国の国王陛下が! しかも、犯人は王太子殿下らしいという。
信じられない。王太子殿下には、国王陛下を暗殺するような動機はないと思うけど。動機があるとしたら、王妃殿下の兄にあたるブーリス卿ではないかと思うけど。
王太子のオーラーブ殿下は、俺の村の領主様の異母弟で、幼いころに決められたアーストリーズ王女殿下の婚約者。王妃殿下は、亡くなった前王妃の子の婿養子より、自分が生んだシグバルディ殿下を次期国王にしたいと望んでいる。でも、国王陛下には、オーラーブ殿下を廃太子にして実子を王太子にするつもりはまったくない。陛下本人が俺にそう言ったのだから、まちがいはない。
それというのも、オーラーブ殿下は十一年前の王太子選びの儀式で、五歳にして王太子に選ばれたお方。しかもシグバルディ殿下がまだ二歳で、ブーリス卿が野心家となると、王太子の変更などする気にはなれまい。
オーラーブ殿下に拝謁したことはないけれど、一昨年の魔族との戦いで行方知れずとなった陛下を、昨年、殿下が探し当てて救出なされたというから、優れたお方なのだろう。どんな冒険をなされたのかぜひお聞きしたいところだが、その冒険のあと、殿下はうちの領主様の城に滞在しておられ、俺は陛下直々の命令を優先しなければならなかった。
吟遊詩人というのは、一種の間諜のようなところもあるからね。国王も王太子も不在だったというホルム王国の状況に、国内の諸侯たちや近隣の国々がどのような反応を見せているか、陛下は知りたがっておられた。それで、陛下に拝謁したあと、ホルム王国の辺境地域を巡り歩き、さらに、こうして隣接するバルダンガ王国の都にいるというわけだ。
バルダンガ王国は武勇重視の好戦的な国だから、陛下は警戒しておられたが、その警戒はおそらく杞憂だ。俺が見聞きした限りでは、国王も国民も魔族への警戒心と敵意が強いから、ホルム王国に陛下が戻って、ほっとしていたように思えた。そこへ陛下暗殺の報が伝わって、由々しきことと動揺しているようだ。 ホルム王国でいったい何があったのか?
とりあえず、できるだけ急いで戻るしかない。
ハウカダル共通暦337年同盟の月2日
途中で馬が手に入ったので、思ったより早く領主様の館に到着した。館は殺気立っており、領主のエイリーク様はお留守だと言われた。留守を守る騎士たちは素っ気なく、状況がわかりづらかったが、すぐ近くにあるラウズ様とホープの家を訪ねて、状況がわかった。
ラウズ様はお留守だったが、ホープがおチビちゃんたちと温かく迎えてくれ、起こったことを説明してくれた。
それによると、やはり王太子殿下は去年の秋からずっとエイリーク様の館に滞在しておられ、陛下の暗殺犯ではありえない。陛下を暗殺したのは、魔族と結託したブーリス卿。その確信のもと、エイリーク様と王太子殿下はシグトゥーナに向かって出陣したという。
「で、ラウズ様はおふたりといっしょに?」
「いえ、ヴェンド村に……。七日前にヴェンド村に出かけたままよ」
ヴェンド村は、かつては俺の村と同じくエイリーク様が治めておられたが、四年前からトスティ卿の領地となっている。その前年、魔族との戦いのとき、魔族の子供を逃がした兵士をエイリーク様がかばい、その咎で領地を減らされたと聞いた。
トスティ卿は第六騎士団の騎士だから、ブーリス卿の配下にあたるが、昨年、妻子がブーリス卿に人質にされ、その心労で奥方が亡くなったため、ブーリス卿を恨んでおり、エイリーク様とは親しい。
だから、ラウズ様がヴェンド村に出かけても、拘束されるようなことはないと思うのだが……。
いや、でも、昨年は、トスティ卿は妻子を人質に取られて、ブーリス卿の命令に従わざるを得なかった。もしも、今年も人質を取られていたら……。
「夏至祭だから、吟遊詩人として近隣の村々を巡り歩く……という名目だけど、ほんとうは、トスティ卿の領地に異常が起こっていないか様子を見に出かけたの。二日か三日ほどで帰ると言っていたのに……」
「わかった。ヴェンド村に行ってみよう」
「だめよ!」
テーブルについたホープの手が震えている。夫を心配するあまり俺に話したのを後悔しているのだと察せられた。
「それはだめ。あなたまで帰れなくなったら……」
「危険かもしれないけど行かなくちゃ。ラウズ様のことはもちろん心配だけど、それだけじゃない。ヴェンド村には知り合いが何人もいるし、トスティ卿のところにはエダもいるし」
俺の村とヴェンド村はかつて同じ領主様に治められていたから通婚も盛んで、母方の叔母とか、幼なじみとか、そのほか知り合いが何人か住んでいる。しかも、妹のエダは女だてらに騎士になりたいと言い出し、いろいろあって、トスティ卿の従騎士となり、同僚の騎士と結婚して、いまでは二児の母となっている。もしもトスティ卿が敵の手に落ちていれば、エダ一家も危ない。
「あ、ああ、そうね。エダのことも心配。とうさんやかあさんのことも心配。ジョーザルたちのことも心配」
ホープの実家のある村の領主はブーリス卿の配下だし、義妹のジョーザルは夫のウォレスや子供たちとともにシグトゥーナに住んでいる。
「これ以上だれも危険なところに行かないでほしいわ」
「そういうわけにはいかないよ。ラウズ様やエダたちのことが心配だし、それに、起こっていることを知って伝えるのは吟遊詩人の役割だ」
吟遊詩人には密偵のようなところがあるが、事実を知って伝えるのは王様や領主様のためばかりではない。多くの人々のためであり、後世の人々のためでもある。少なくとも俺はそう思っている。というか、『禁断の秘歌』の継承者はみんなそう思っているんじゃないかな。
「そういうところはあの人と同じね。あの人もよくそう言っているわ。それはわたしもわかってる。よくわかってはいるのよ」
「明日は実家に立ち寄って、それからヴェンド村に行ってみる。ここまでの日記を預けておきたいんだけど、いいかな?」
ヴェンド村の状況がよくわからないのなら、日記は持っていかないほうがいい。万一奪われて、中を見られては困る。今までも、日記はできるだけこまめに校長先生に預け、音楽学校の地下室に保管されている。
「あの人も直前までの日記を置いていったわ。シグトゥーナに安全に行けるようになったときまでに自分が戻らなければ、音楽学校の校長先生に渡してほしいと言われたわ。でも、その前にあなたが来たら、あなたに預けてくれてもいいって」
「俺も同じことを頼みたい。シグトゥーナに安全に行けるようになったときまでに俺が戻らなければ、音楽学校の校長先生に渡してほしい。でも、その前にラウズ様が戻ってきたら、ラウズ様に預けてくれてもいい」
ホープはしばらく無言だったが、やがて頷き、引き受けてくれた。
ハウカダル共通暦337年同盟の月17日
最後に日記を書いてから今日までのことをまとめて書くことにする。とはいっても、その期間のほとんど、俺は意識のない状態だったんだけど。
実家に帰ってみると、家族も村人たちも、王様が殺されたというので不安そうにしながらも、いつも通りの生活を営んでいた。エダが帰省していないかと思っていたが、帰っていなかった。ヴェンド村との間が、この春以降、ほとんど行き来が途絶えているとも聞いた。
ヴェンド村には母の叔母が住んでいるので、ヴェンド村に行くというと、手土産として、母にジャムと焼き菓子を託された。大叔母とはいっても、母とは七つほどしか年が離れていない。両親とはそれなりの付き合いがあるようだが、俺が最後に会ったのはエダの結婚式のときで、その前に会ったのはディアの結婚式のとき。親元を離れてからは妹たちの結婚式にしか会っていないという疎遠な付き合いだ。
それでも大叔母に会ったとき、以前に会った時とだいぶん違うという印象を受けた。無表情で無気力そうな暗い感じの人だけど、以前はそんな感じではなかったような気がしたんだ。
まあ、でも、明るい戸外と暗い室内の違いとか、おめでたい結婚式の場と不穏な社会情勢の時という違いがあるし、同居している息子夫婦と孫息子ふたりがそろって留守ということだから、不安なのかもしれない。
そう思って、以前との印象の違いは深く考えず、土産の菓子といっしょに出された香草茶を無警戒に飲み干した。
そのあと気分が悪くなり、意識が朦朧としてきて、はっきり意識を取り戻したのは昨日のことだ。
とはいっても、その間の記憶がまったくないというわけではない。どこまで夢か現実かわからないぼんやりとした記憶が途切れ途切れに残っている。
まず、俺は、大叔母の家から馬車で運び出されたような気がする。で、牢屋のようなところに閉じ込められていたような気がする。そこには俺のほかにも何人か監禁されており、そのひとりはラウズ様で、「イスラ、きみもか」と呼びかけられたような気がする。ときどき、水とかミルクとか、粥のような食べ物を与えられ、口にしていたような気がする。
人間の兵士といっしょに魔族の姿を見かけたような気もする。で、彼らに何か尋問されたとか、何か命令されたという記憶もおぼろげにある。そのとき、「こいつは使えない」とか、「あとで神官様に任せよう」とか、「とりあえず生かしておけ」といった言葉を聞いたような気がする。
そんな状態で過ごしたのは、きのう聞かされた話からすると十二日ほど。だが、そのときには何日経ったかなんてわかっていなかった。
すべての記憶はあいまいで断片的。救出されたときの記憶も、まるで夢の中のできごとのようにぼんやりしている。戦闘の音や扉が破られた音などを聞いたような気がする。で、馬車に乗せられ、運ばれたような気がする。そのとき、魔族の美しい少女の姿を見かけたような気がする。
「バルド?」
思わずバルドの名を呼ぶと、魔族の少女は振り向いた。バルドではなかった。落胆しながらバルドの姿を思い出していると、少女が問いかける声が聞こえた。
「なに? あなた、バドウェンの知り合いなの? ひょっとして吟遊詩人のイスラって、あなたのこと?」
バドウェン? バルドの本名じゃないか。どうしてこの少女がそれを知っているんだ?
ふしぎに思いながら、意識が遠のいた。
それからどのぐらい経ったのか、バルドが俺の名を呼ぶ声が聞こえ、バルドが心配そうにのぞき込んでいるのが見えた。学生時代の少年の姿ではなく、別れる直前や夢で見た少女の姿。いや、そのときより二つほど年を取り、少女からおとなの女性になりかけた年頃の姿。
夢かなと思っていると、バルドが口を開いた。
「うん、夢だよ、これは。残念ながら。きみがそんなに危険な目に遭うとわかっていたら、オエインといっしょに行ったのに」
「オエイン?」
「きみが生死の境にいると教えてくれた。戻ってくるんだ。生きていてくれ。生きていてくれれば、いつか会えるから。こんな夢じゃなくて、いつか現実に会えるから」
「うん、会いたいよ。俺はおじさんになってしまったけど。現実に会う時には、もっとおじさんになっていそうだけど」
「そんなことは問題じゃない。おじさんになっていようが、おじいさんになっていようが、生きているきみと現実の世界で会いたいんだ。だから戻ってくるんだ」
バルドが懸命に呼びかける声を聞きながら、また意識を失った。
それからどのぐらい経ったのか、今度はかあさんとディアが呼びかける声で目を覚ました。
そこは病院のようなところで、かあさんとディアがのぞき込んでいた。
「にいさん! よかった! 目を覚ましたのね!」
ディアの歓声で次々に顔を見せたのは、ホープと、医師らしき人物。それになぜか、夢うつつに見た魔族の美少女。その背後には魔族の若者。ずっと敵対していた魔族がいるのに、だれも怖がっておらず、親しい人間に対するような態度をとっている。
「まだ夢を見ているのかな」
思わずつぶやくと、ディアが笑いながら説明した。
「あ、びっくりしたよね。この人たちは、魔族だけど味方なの。王太子様やご領主様に協力して、にいさんたちを助け出してくださったのよ」
隣の寝台にはラウズ様が横たわっており、この魔族たちが俺といっしょに助け出したのだという。
思わず頬をつねってみると痛い。
「ほんとよ。この人たちは味方なの。にいさんだけじゃなくて、エダねえさんも助けてくれたのよ。ここにはいないけど。ほんとよ。魔族といっても、いろんな人がいるのよ」
夢のような光景だ。王太子殿下もエイリーク様も、いまのディアと同じように考えている? バルドが魔族として命を脅かされる心配はない?
「そんなに言い募らなくても、この人は魔族にあまり偏見をもっていないわね」と、オレインがディアに笑いかけた。
「あなたのおにいさんはいい人ね。いままで出会った人間のなかで、レイヴの次ぐらいにいい人だわ」
「え?」
思いがけない名前が出たので驚いた。
「きみはレイヴとも知り合いなのか?」
「知り合い……というよりは親しいと思うけど。あなたもレイヴの知り合いなんでしょ? レイヴがそう言っていたもの」
「え? レイヴがここに来ていたのか?」
「来ていないけど、伝える手段があるの」
よくわからないけど、レイヴはこの魔族の少女とかなり親しいらしい。人付き合いを好まないレイヴの性向からすると意外だ。俺のことを知り合いと言ってくれたのも、意外でもあり、うれしくもあった。
ずっと昔、『禁断の秘歌』について話して以来、レイヴとはほとんど話したことがない。
なにしろ、吟遊詩人として本格的に活動を始めてからは、シグトゥーナに帰るのは年に二回か三回ぐらいで、数日滞在してはまた旅立つという生活のうえ、レイヴとは連絡を取り合うような付き合いがなかったのだ。街角で偶然見かけたとか、歌の聴衆の中に姿を見かけたということは何度かあったが、話しかけようとする前にどこかに行ってしまうので、ろくに話す機会はなかった。が、秘密を共有したことによって、なんとなく彼とは心が通じているような気がしていた。
最後にレイヴを見かけてからもう何年も経っており、もう少年からおとなの男に成長しているはずだ。
なんだか今日はびっくりするようなことばかりだ。ともあれ、ホープが預けていた日記を返してくれたので、ここまでの記録をまとめて記しておく。