絵画・その3

トップページ オリジナル小説館 小説の目次 前のページへ


だいぶん前にコピー本にした異世界ファンタジーの最終回です。
1ページ目は、一人称で書いた「殺しの依頼」を三人称に改稿したものです。
頒布し終わって久しいので、3ページに分けて、サイトに全文掲載することにしました。


      第3話 帰郷

 イライザ姫の死から一年ほど経て、クルトは郷里の村を訪れた。
 郷里とはいっても、クルトは十八歳のときに両親と妹を流行り病で亡くしており、もはや身内はいない。天涯孤独となってすぐに村を出てからもう十年以上も帰郷しておらず、帰るべき家はない。
 村でただ一軒の宿屋に泊まると、幼なじみでもある宿の主人はクルトを覚えていた。
「久しぶりだな。元気そうじゃないか」
 再会を喜び、しばらく昔話に花を咲かせたあと、クルトは、絵を描いていた少年のことを訊ねた。もちろん、いまではもう少年ではないはずだが。
 彼の名前も家も忘れてしまっていたので、話が通じるのに少し手間がかかった。
「ああ、マシューのことか?」と、宿の主人はふしぎそうに首をかしげた。
「おまえ、あいつと親しかったのか?」
「いや、べつに。ただ、ちょっと聞きたいことがあるだけだ」
 そう答えたものの、クルト自身にも何を聞きたいのかはっきり心が定まっていない。ただ、自分が殺したアロンと、その死に関わったイライザ姫のことがずっと心にかかっていたので、郷里に近い町を仕事で訪れたとき、これを機会に郷里を訪れてみようと思い立ったのだ。
「あいつはぼんくらだが、それでもいまでは父親だ」
 宿の主人はそういって、マシューがいつも羊を連れていく草地を教えてくれた。
 クルトは礼を言って宿を後にした。家を訪ねていけば、改まってどう声をかけたものか困るが、草地で羊の番をしているというなら、声をかけやすい。
 教えてもらったあたりで、クルトはそれらしき羊飼いの若者の姿を見つけた。
 とはいえ、それがマシューかどうか自信はない。べつだん親しかったわけではなく、十年以上も会っていないのだから記憶はおぼろげだし、しかも最後に見かけたとき、あの少年はまだ子供といってもよい年令だったのだから、容姿はかなり変わっているはずだ。
「よう」
 あいまいに声をかけると、若者はけげんそうにふり向いて立ち上がった。
「マシューか?」
「ええ、そうですが?」
「いまでも絵は描いているのか?」
 マシューはまじまじとクルトを見つめた。
「クルトさん?」
 マシューが自分のことを覚えていたので、クルトは驚いた。
「おれを覚えていたのか?」
「人の顔を覚えるのは苦手なんですが、あんたのことは覚えてますよ。おれの絵を初めて認めてくれた人ですから。もうお忘れかもしれませんがね」
「いや、覚えてる。とてもきれいで、幻想的な絵で、印象に残っている」
「ありがとうございます」
 マシューは顔を輝かせ、すぐに真顔になった。
「どうかしなさったんですか?」
「あ、いや、ずっと昔に村を出たのに、急に訪ねてくれば驚くかもしれんが……」
「いえ、そうではなく。いま、とてもつらそうな表情をしなさったので」
 クルトはとまどいながら自分の顔をなでた。マシューの絵の話をしながらアロンのことを思い出したのだが、自分の表情の変化には気づいていなかったのだ。
「聞いてくれるか?」
「ええ」
 マシューに身振りでうながされて、クルトはマシューと並んで腰を下ろした。
 もちろん、起こったことすべてを話すわけにはいかない。クルトは慎重に言葉を選びながら語った。
「絵を描いてたやつがいた。あんたが描いてたみたいなきれいで幻想的な絵だ。絵そのものが似てるってわけじゃないんだが、きれいで幻想的なところが似ていた。そいつもあんたみたいに、心のなかに別の世界を持ってたんだ。でも、それは消えちまった。そいつが死んじまったからな。……みんなにつまらないやつと思われたまま、みじめに死んだんだ、そいつ。あんなにきれいな世界を持っていたのに、だれにも認められず……」
 言いながら、クルトは自分が何を言いたいのかわからなくなってきた。
「だれにも、じゃない」とマシューが言った。
「あんたはその人を認めていた。その人をつまらないやつと思っていなかった。そうでしょう?」
「いや、おれもそいつをつまらないやつと思ってた。そうじゃないと知ったのは、そいつが死んだあとだった」
「それでも、あなたはその人の死を悼み、その人の絵を覚えているんでしょう? 覚えていてあげてください。もし、おれがその人だったとしたら、それがせめてもの救いになると思います。自分の絵を覚えていてくれる人がいるってことが」
「それが自分を殺したやつでもか?」
 思わず口にしてしまい、クルトはしまったと思った。マシューの目が大きく見開かれる。
 クルトは顔を背け、視線を草の上にさまよわせた。
「それでもです」
 マシューがきっぱりした口調で沈黙を破った。
「それでも覚えていてあげてください。おれがその人でも、やっぱり覚えていてほしいと思います。その人の絵を心に残しているのは、あんただけなんでしょう?」
「そうだな。おれの知っているかぎりではそうだ。もうひとりいたが、彼女も死んでしまったし……」
「その人の恋人とかですか?」
「いや、彼女はそいつのことを知らない。ただ、自分の肖像画を描いた男がいると知っていただけだ。そいつは彼女に惚れてたと思うし、彼女もそれに気づいただろう。それでじゃないのかな、いやな縁組から逃げ出そうとしたのは。それで死んだんだ。事故か自殺かはわからない。……おれはそいつの名前や見た感じとかを彼女に教えたのに、そいつが死んだことを教えなかった。だから……」
 マシューはクルトの肩に手をかけた。
「あんたのせいじゃない。……それに、その女性は不幸じゃなかったと思います。結果は不幸なことになってしまったとしても、命を賭けるだけのものを自分の心のなかに見いだしたのなら」
 クルトはうなずいた。あのふたりについて、やりきれない思いが消えたわけではなかったが、マシューと話して少し気が楽になった。
「あんたに会えてよかった」と、ふいにマシューが言った。
「好きな娘ができて、三年前に結婚して、子供が生まれて……。それはそれで幸せなんだけど、妻子を養って暮らしていくためには、自分の世界のことはいいかげん忘れなければいけないような気がしたり……。無理に忘れようとしなくても、消えてしまいそうな気がしたり……。そんなふうになってたんですけど、あんたに会えて、自分の世界を持っていてもいいような、ずっと持っていられそうな気がしてきました。会えてよかった。おれの絵を覚えていてくれてうれしかった」
 マシューが微笑み、クルトも微笑を返した。アロンとイライザ姫に対するぬぐいきれない思いは依然としてあったが、ふたりに「覚えていてほしい」と言われたような気がした。
 それからクルトは立ち上がり、郷里をあとにした。     


上へ

前のページへ