サラライナ物語 沙蘭国の王女たちー道中編2

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 思わぬ事故で二日足止めされたとはいえ、一行は、洛の使節たちがはじめに見積もっていたより数日早く、水も食糧もかなりゆとりがあるうちに鴻山砦に到着した。七日の行程といわれていても、女連れだから倍はみておいたのだが、サラライナの女たちは洛人よりはるかに旅慣れていて、まったくそんな必要はなかったのだ。
 鴻山砦が目の前に近づくと、洛人たちは喜びに目を輝かせ、サラライナ人たちは砦の予想以上の巨大さに目を丸くした。
「へえ、大きいのね」
 サムピナが思わず上げた感嘆の声はサラライナ語だったので、明羽に意味はわからなかったが、何に感心しているのか見当はついた。
「兵士が何千人も駐留しているからね」
 明羽が教えてやると、サムピナはますます驚いた。
「そんなに? オアシスの小さな国なら、住人全部でも、そんなものなのに」
「ほんとうの意味での住人はひとりもいないよ。ここにいるのは、軍隊と武将たちの妻子に、下男下女ぐらいのものだ。たまに、使節だの、旅芸人だのが立ち寄ることもあるがね」
 これまでの旅のあいだに、チムチャとサムピナの兄妹は、朱明羽とすっかり親しくなっていた。ことにサムピナは、明羽が危険を顧みずに助けてくれたことに感謝し、好意を示した。
 明羽が体力を消耗したまま、砂鳥に揺られて旅したのは一日だけだが、そのあいだ、サムピナは何かと世話を焼いた。明羽がすっかり元気になって、砂鳥を降り、自力で歩いて旅するようになってからも、休息のあいだによく話しかけてくるようになっていた。
 洛の兵士たちのあいだでも、サムピナは人気者だった。なんといっても、サラライナの女たちのなかで洛語をまともに話せるのは、セウネイエー姫とカウリンとサムピナだけ。事実ではなかったが、洛の兵士たちはそう思っている。王女はもちろん、カウリンにも、とても気やすく話しかけたりできないような雰囲気があるから、一行の中で洛の兵士が話しかけやすい侍女はサムピナだけだった。
 もちろん、王女たちも、そんな重荷をサムピナひとりに負わせておくようなことはしない。言葉がわからない演技は、続けようと思えば、まだ続けることができる。洛人たちは、サムピナがカウリンと商人志望の兄に教えられて洛語が話せるようになったと信じ、今まで洛語を話さなかったのは、少女らしく異国の兵士が恐かったからだと思い込んでいる。だが、そろそろ潮時というものだろう。
 鴻山の砦で一息つくとすぐ、王女たちとカウリンは、侍女のなかから希望者を募って、サムピナをつきそわせ、めいめいが好みで選んだ洛人のところに行かせた。
「もしもし、今、忙しいか?」
 人気者の少女に声をかけられ、しかも、その横に、砂漠の旅のあいだに寝床をともにしたことのある女、あるいは心が通い合った気になれた女が立っているのを見ると、男たちはたいてい表情をゆるめる。
「この人、洛の言葉、教えてほしい、言っている。カウリンさま、忙しい。わたし、あまりうまくない」
 憎からず思っている女が、積極的に洛の言葉を覚えたいというのは、たいがい大歓迎された。ことに、砦に残らなければならない兵士にとっては、女と過ごせる日数が限られているからなおさらだ。
 だが、たまには例外もあった。砦に妻や妾を置くことを許された兵士たちだった。
「うちのやつが嫉妬深いもんでな。残念だが」
 侍女とサムピナは、すばやく相談すると、今度はこう持ちかける。
「ほかの男の人に、言葉習うの、いや。あなた、教えてくれないなら、女の人に習いたい。奥さんに紹介してほしい。そう、言っている」
「それはかまわんが……。うちのやつに妙なことを吹き込んだりせんでくれよ」
 兵士の言葉は、もちろん侍女にはわかっているのだが、サムピナがもっともらしく通訳してみせる。
「だいじょうぶ。ほかにも、洛の言葉、習いたい人、いる。みんないっしょなら、奥さん、あやしまない」
 サムピナの働きで、侍女たちは全員、その日のうちに洛語の教師を見つけていた。
 日暮れどきになって、ほっとひと息ついたサムピナに、朱明羽が声をかける。
「よう、忙しそうだね」
 明羽のかたわらに董玄焔の姿を認めて、サムピナは緊張した。玄焔とも言葉を交わしたことは何度もあるが、いまだに顔を見ると警戒せずにはいられない。
 玄焔のほうは、チムチャとサムピナ兄妹になんらかの興味を持っているようだ。おりをみて何度も話しかけてきたのは、単なる好意だけとは思えないから、よけいサムピナは恐ろしい。
「そんなに怖がらないでくれないか。取って食いはしないから」
 玄焔が苦笑した。穏やかな笑顔には、何の悪意も感じられない。たしかに、もしも味方であれば、信頼できる好ましい人物なのだと、サムピナは残念に思った。
「怖がっていない。失礼だ」
「それは悪かったね。ひょっとして、高貴の姫君を侮辱したことになるのかな?」
「え?」
 玄焔の言っている意味がわからず、サムピナは首をかしげた。
「きみは高貴の家の出じゃないのかな、ひょっとして」
 何もかも見抜いていそうな副使の問いにしては、あまりにも的はずれだったので、サムピナはかえってとまどった。明羽も、わけがわからずけげんそうに玄焔を見る。
「たとえば、滅びたサシャ国の王族だとかじゃないのかな?」
 副使は思っていたほど鋭い人ではないのかもしれない。そんな安心感から、サムピナは大胆になった。ほかの侍女たちが兵士相手にしているように、玄焔から情報を引き出せないものだろうか。
「どうして、そう思った?」
「いや、べつにたいした理由じゃない。王女がたやカウリンどのが、ずいぶん君たちのことを気にかけているようだからね。カウリンどのの縁者かもしれぬと、ふと思っただけだ」
 玄焔とて、べつに確信していたわけではない。ただ、彼らに対するセウネイエー姫の気遣いようが、ずっと不自然に思えていた。いくら子供相手とはいえ、どうしてこれほど保護者のようにふるまおうとするのか。そんなに気遣わねばならないような子供なら、どうして遠い洛帝国まで連れていくのか。その理由としてふたつの可能性を考え、ひとつを口に出しただけだ。
「もし、そのとおりだ、言ったら? わたし、サシャの王族で、カウリンさまの縁者……」
 言いかけて、サムピナは混乱した。
「えっ、カウリンさまって、サシャの王族だったの?」
 思わず口走り、しまったと気づいて口を押さえる。
「悪かったね、妙なことを聞いて」
 玄焔が微笑んだ。もうひとつの可能性は、いま確かめるつもりはない。少なくとも、明羽の前で口にすれば、まずいことになるのは目に見えている。
 立ち去りかけて、玄焔はふと足を止め、ふり返った。
「心配しなくても、洛に害をなさないかぎり、カウリンどのの素性を人に話すようなことはしない。明羽も口が固いしね」
 玄焔が立ち去った後、明羽が思わずつぶやく。
「驚いた。カウリンどのが……」
「だれにも言ってはだめよ。お願い」
 サムピナも初めて知った事実だが、これが明るみに出れば、カウリンは捕らえられるかもしれない。
「言わないよ」
 明羽がきっぱりと約束した。
「それにしても、副使どのは、どうしてそんなことを知っているんだろう。なんとなく、君たちが副使どのを警戒する気持ちも、わかるような気がするよ」
「いい人、いうのもわかる」
 こんなふうにわざとたどたどしい話し方をするのも、サムピナには無意味な気がしてきた。さっきは驚きのあまり流暢な洛語で叫んでしまったが、玄焔にはいぶかるようなようすはなかった。たどたどしい話し方が演技だということぐらい、とっくに気がついているのではないだろうか。だとすれば、明羽の前で演技をすることに、どんな意味があるというのか。
「そうだな。いい人でも、恐いものは恐いもんなあ。おれも、星寧姫さまは恐いし……」
 それは、サムピナも気がついていた。
「あんなにおやさしい方なのに」
「そりゃあ、まあ、そうだけど」
「セウネイエー姫さま、頭いい。だから、恐いのか?」
 洛の言葉で話していても、サムピナは、王女の名前だけは頑固にサラライナ式の発音をした。敬愛する王女の名前を変えて口に出すなど、サムピナにとっては許しがたいことだったのだ。
「うん、まあ、だいたいそういうことだ。でも、それだけじゃなくて……」
 明羽は言葉に困った。サラライナの路上でセウネイエー姫に会ったとき、心をかすめた疑問。竜巻を起こしたふしぎな騎士は、セウネイエー姫ではないのか? まさかと思いながらも捨てきれずにいる疑惑のために、王女を怖れずにはいられないのだが、そんなことを言ったら、正気を疑われかねない。
「何と言ったらいいか……あのお姫さま、なんとなく人間じゃないような……いや、人間的なことはたしかに人間的なんだけど、どこか人間離れしているように見えるんだ。なんだか、神仙みたいでこわいんだよ」
 初めて聞く単語を耳にして、サムピナは首をかしげた。
「神仙? 何、それ?」
「ふつうの人間にはない力を持つ人のことだよ。ほんとうにはいないと思うけど」
「神さまや女神さまみたいなもの?」
「うん、まあ、だいたいそんなもんだ」
「姫さま、きれいで強いから」
 サムピナが王女に超自然的なものを感じていないようだということは、明羽にもわかった。それとも、もし仮に王女が常人にはない力を持っていたとしても、サラライナの人々は、ごくあたりまえのこととして受けとめるのだろうか。
 竜巻を起こしたのがセウネイエー姫だというのは、直感的に浮かんだ疑惑でしかない。根拠といえば、背格好や印象が似ていることと、王女もまた相当な剣の使い手らしいということぐらいのもの。符合が合いすぎている気はするが、確証はない。
 だが、竜巻を起こせるような力を持つ人物がサラライナにいるということだけは、たんなる疑惑ではなく、はっきりしている。そんな超人的な騎士の存在を、サラライナの人々は知っているのだろうか。
 聖騎士伝説のことをサムピナに聞いてみようかと、明羽はふと思ったが、聞くのはためらわれた。見栄っぱりなたちではないが、伝説に怯えていると思われるのは心外だった。

 休息のために滞在しているあいだ、侍女たちは目に見えて洛語に習熟していった。最初から習熟していたとは知らない洛人たちは、よほど熱心に勉強しているのだろうと感心した。だが、勉強に費やしていると洛人たちが思い込んでいる時間、侍女たちが剣の稽古に励んでいることを玄焔は知っている。
 砦の裏手の林が侍女たちの練習場だった。二、三人ずつ、思い思いの時間に抜け出して練習する。それをときおり董玄焔が眺めていることに気づいた侍女はいない。
 かなり離れたところからだが、玄焔は、侍女たちがなかなかの剣の使い手だと見て取った。おそらく、この砦に駐屯している洛の兵士たちより、平均して実力は上だろう。いちばんへたなのは最年少のサムピナだが、それでも初心者ではないようだ。
 侍女たちの秘密の練習に気づいて三日目の夜、月明かりのもとで、玄焔はセウネイエー姫がひとりの侍女を相手に練習しているのを見かけた。最初、王女の姿が目について練習を眺めていた玄焔は、たちまちもうひとりの侍女に注意を引きつけられた。
 その侍女は、砂漠を旅していたあいだと同じように、顔布をつけていた。侍女たちひとりひとりの顔を玄焔は記憶していたが、顔布のために誰かわからない。だが、遠いことでもあり、相手が激しく動いているので判別しにくいが、体型が侍女たちのだれとも似ていないような気がする。侍女たちは、女にしてはがっしりと肩幅の広い体格の者ばかりだったが、この侍女はほっそりしていて、むしろセウネイエー姫と体格が似ているように見える。
 カウリンだろうかと玄焔は思ったが、カウリンが練習するところは目にしたことがある。侍女たちのなかで最もうまいのはわかったが、それでもセウネイエー姫の剣さばきにまさるとは思えなかった。
 サラライナに向かうとちゅうの砂漠で、一度セウネイエー姫と戦ったことのある玄焔は、姫の腕前のほどをよく知っている。事実、今こうしてセウネイエー姫の練習を見ていても、相当な凄腕と見て取れる。
 だが、相手をしている侍女はそれ以上だった。王女の剣先をかわすすばやい動きも、打ちかかる勢いも、隙のない動きも、ほとんど神業といってよい。
 やはりカウリンなのだろうかと、玄焔は思う。侍女たちと練習していたときには、相手の技量に合わせて手加減していて、それでこれほどの実力とはわからなかったのだろうか。
 たぶんそうだろうとは思いながらも、玄焔は、目の前の侍女の剣さばきから、カウリンとは別の人物を想起していた。
 遠い少年の日、父親のもとを勝手にひとりで抜け出して砂漠を旅し、佼虞(コウグ)の賊に襲われたとき、危ういところを救ってくれた凄腕の騎士。七、八人はいた賊どもを斬り伏せるのに、たいして時間はかからなかった。
 あまりにも昔のことでもあり、その騎士の剣さばきが、今目の前にしている侍女のものと同じだったかどうか判然としない。だが、この侍女は、奇妙に命の恩人の騎士を思い起こさせる。砂漠でセウネイエー姫とはじめて出会ったときにも、同じようなことを感じてぎょっとしたが、この侍女から受ける印象はそれ以上だ。
 似たような印象を受けるはずで、目の前で打ち合っている王女と侍女の剣さばきがよく似ていることに、玄焔は気がついた。ただ、侍女のほうが数段洗練されている。同じ師匠から習ったか、それとも、この侍女が王女に剣を教えたのだろうか。
 もっとよく見ようと、玄焔は、見つからぬように注意しながら、王女と侍女の方に近づいていった。
 侍女の剣が、激しい勢いでセウネイエー姫の剣を叩き落とした。と思ったとたん、侍女は、隠れて見ている玄焔に向かって剣を投げつけた。
 練習用の木剣が、玄焔の頬をかすめて背後の木の幹にあたり、地に落ちた。月明かりのもととはいえ、夜の暗さで、木の陰に隠れている玄焔に気づいたのは、かなりの鋭敏さだ。それに距離を考えると、狙いの正確さも勢いも常人離れしている。
「だれだ?」
 叫ぶと同時に、セウネイエー姫が腰に下げた本物の剣を抜いて駆けよる。
 敵意がないことを示すようにゆっくり木の陰から出た玄焔は、数歩も歩かないうちに、目の前に剣を突きつけられた。玄焔が思わず感心するほどのすばやさだった。
「董玄焔か。そこで何をしている?」
 剣を手にしたまま、セウネイエー姫が口を開いた。
「練習を見ておりました」
 玄焔は王女の背後に目を向けた。木剣を投げた侍女は、王女の数歩後ろに無言で控えている。曲者の正体を確かめるために王女が駆け出したというのに、侍女が落ちつきはらって控えているとは奇妙な話だ。
「そちらのご婦人は?」
「わたしたちの侍女に何の用だ?」
「侍女? そんな侍女はいなかったように思いますが。カウリンどのでもないでしょう?」
 玄焔が侍女の方に近寄ろうと一歩踏み出しかけたとたん、セウネイエー姫が剣先で制止した。ほんの一瞬のことだが、王女の表情に狼狽の色が走ったのを、玄焔は見逃さなかった。
「だれかわからぬならけっこう」
 セウネイエー姫は平静さを取り戻し、からかうような笑みを浮かべた。
「彼女に懸想したのならあきらめることだ。洛人がサラライナの侍女に言い寄ること、わたしは好かぬ」
 玄焔の鼻先に剣を向けたまま、セウネイエー姫はすばやく侍女を一瞥した。
「かまわぬ。先に戻っていなさい」
 侍女は深々とサラライナ風の礼をすると、ゆっくり砦の方に引返していく。
「待て。聞きたいことがある」
 侍女を追おうとした玄焔は、またもや王女に制止された。
「侍女に言い寄るなと言ったはずだ」
 もちろん、玄焔が言い寄っているのではないことなど、王女にはわかっている。それなのにわざと曲解しているふりをするのは、侍女を先に去らせるためだと、玄焔には見当がついた。
「わかりました。彼女が何者なのかはもう聞きますまい。そのかわり、ひとつだけ彼女に聞いておいていただきたい。昔、砂漠で、佼虞(コウグ)に襲われていた洛人の少年を助けことがなかったかと」
「何の話だ、それは?」
「助けられた少年の名は、董玄焔といいます」
 意表をつかれて、セウネイエー姫は玄焔を凝視した。
「サラライナの女に助けられたのか?」
「いいえ。騎士のいでたちをしていました。正直言って、ずっと少年だと思っていたのですが、女性だったかもしれません」
 作り話か事実か判断がつきかねて、眉根を寄せたセウネイエー姫は、ふと姉王女の言っていたことを思い出した。たしかレアウレナエー姫は、かつてサラライナを単身訪れた洛の少年がゲンエンと名乗っていたと言っていた。
「砂漠で、と言ったな。隊商にでも加わっていたのか?」
「いいえ。ひとりでした」
「無謀だな」
「たしかに」
 玄焔は素直に認めた。砂漠をひとりで旅するのは、ほとんど自殺行為に等しい。砂漠には、佼虞をはじめ、略奪を生業とする民が出没する。もし、砂漠をひとりで歩いている者がいたとしたら、近くにオアシスの町か村があるか、でなければ、隊商が全滅して、ただひとり生き残った者だろう。
「話に聞く沙蘭国に行ってみたかっただけですが。そのとちゅうで、佼虞に襲われました」
「わたしが幼い子供だったころ、たしかに、サラライナをひとりで訪れた洛の少年がいたと聞いたことがある」
「たぶん、わたしのことでしょう。けれど、ひとりではありませんよ。とちゅうから、わたしを助けた騎士がサラライナの門の前まで送ってくれました。薄茶色の兜に薄茶色の甲冑、白い顔布の騎士でした」
「それがわたしの侍女だというのか?」
「わかりません。だから確かめようとしたのです」
「人違いだろう」
 剣を鞘にしまいながら、セウネイエー姫が言った。
「だが、もし彼女がその騎士だったら、どうするつもりだ。よもや恩返しなどする柄ではあるまい?」
「べつにどうもしませんよ。ただ……そうですね、もう一度会ってみたいとは思っています」
 肩をすくめて立ち去ろうとするセウネイエー姫を、背後から玄焔が呼び止めた。
「王女、もうひとつたずねてもよろしいか?」
「何だ?」
「どういうつもりで、あの不運な案内人の息子と娘を連れてきたのです?」
 立ち去りかけていたセウネイエー姫は、またつかつかと玄焔の前に歩み寄り、いったんしまっていた剣を抜き放った。
「どうしてわかった?」
「では、やはりそうだったのか」
「かまをかけたのか」
 セウネイエー姫の頬が怒りで紅潮した。
「あの子たちには手を出すな。父親を殺したうえに、あの子たちにまで手出ししたら、たとえ洛の副使でも容赦せぬぞ」
「そういうところを見ると、仇討ちさせるために連れてきたわけではないようですね」
「何だと?」
「あの子たちは何の目的でついてきたのですか?」
「名誉回復のためだ。父親がおまえたちをサラライナに案内してきたので、名誉が失われた。少なくともあの子たちはそう考えている。わたしや姉の役に立ってみせるのが、あの子たちにとっては名誉回復の手段なのだ」
「ほんとうに? 名誉を回復したと納得させるという、ただそれだけのために、あんな幼い子供たちに同行を許したのですか?」
「あの子たちにとっては、それが重要なのだ」
「だんじて父親の復讐が目的ではないと?」
「当然だ。それなら連れてはこない。あの子たちの腕でそなたや朱明羽に勝てるはずがないし、仮に勝てたとしても、洛人をあやめて無事ではすむまい。それに第一……」
 言いながら、セウネイエー姫は玄焔を睨みつけた。
「父親の仇というなら、わたしも仇のひとりだ」
 砦の中にさっさと入っていく王女を、玄焔は驚きとともに見送った。そもそもチムチャとサムピナが案内人の子だと推察したのは、彼らに対する王女の気遣いようからだ。彼らの父親の死に、王女が責任を感じているだろうとは察していたが、王女が自分を仇と言いきったことには、驚くと同時に感心もした。

 砦に戻ったセウネイエー姫は、自分にあてがわれた部屋にではなく、姉王女の部屋にすべりこんだ。
 妹王女を待っていたように出迎えたのはレアウレナエー姫。脱いだばかりとみられる侍女の装束や顔布を、カウリンとサムピナが手早く片づけている。
「驚きました。わたし、レアウレナエー姫さまって、おしとやかな方とばかり思っていましたから」
 正直に口に出したサムピナを、カウリンがたしなめるように睨みつける。
「失礼ですよ、サムピナ」
「すみません」
 しょげかえったサムピナに、レアウレナエー姫はあでやかな微笑を向けた。
「かまいませんよ。でも、だれにも言ってはいけません。洛人はもちろん、そなたの先輩たちにもですよ」
「はい」
 元気よく返事したサムピナは、だがすぐに顔を曇らせ、おそるおそるたずねた。
「あの、でも、董玄焔に見られたのでは?」
「顔を見られてはいません。それより、わたくしもセウネイエーも、ずいぶん汗をかきました。湯浴みの用意を頼みますよ」
「はい」
 サムピナが部屋を出ていくと、レアウレナエー姫は、妹姫の方をふり向いた。
「董玄焔は、あれがわたくしだとわかったようでしたか?」
「いいえ。でも、うすうす気づくかもしれません」
「そうですね。侍女たちのだれでもなさそうだとは疑っていたようですから。侍女たちのだれでもなければ、残るはわたくししかいない」
「でも、気づいても、よほどのことがないかぎり、黙っているのではないでしょうか?」
「そうですね。言っても、だれも信じないでしょうから」
「それもありますけど。あの男、ねえさまを、いえ、さっきの侍女を恩人かもしれないと思っています」
「というと?」
「ねえさま、このあいだ、サラライナまでひとりでたどり着いた洛の少年のことを話してらっしゃいましたよね。それは董玄焔だったかもしれないと……」
「ええ」
「その通りでした。本人がそう言っていました。サラライナにくるとちゅうでキオグハンに襲われて、サラライナ人らしい騎士に助けられたそうです。それ、ねえさまのことですよね?」
「ええ、たしかにラク人の少年を助けた覚えがあります」
「ねえさまの剣さばきを見て、もしやと思ったみたいでした」
「まさか。かなり昔のことなのに。剣さばきだけで気づいたというなら、恐るべき勘観察力と記憶力ですね。でも確信はなさそうだったでしょう?」
「ええ。ずっと少年だと思っていたそうです」
「では、謎のままにしておきましょう。何か聞かれたら、とぼけつづけることです」
「董玄焔が、わたしたちのなかに恩人がいるかもしれないと想像を働かせて、手心を加えようとするかもしれない。そう期待するのは、やっぱり甘いんでしょうね」
「そういうことも絶対ないとは言いきれないけれど、あてにしてはなりません。そんな昔の話を持ちだしたのも、そなたに信用させるためかもしれないのだから」
「そうですね」
 うなずいたものの、セウネイエー姫は、これからもずっと、洛人たちを相手に虚々実々の駆引きを続けなければならないことを思うと、気が重くなってきた。
 出発した当初は洛人への怒りに燃え上がっていたから、どんな演技も駆引きも苦痛ではなかったのだが、今では、ともに旅してきた洛人たちの大半に対しては、それほど悪感情を持てなくなってきている。董玄焔や朱明羽は、政治上の事情さえなければ好感のもてる人柄だと思えたし、兵士たちはみんな、上からの命令で動かされているだけの庶民にすぎない。
 ほんとうに嫌悪感を覚えるのは正使の洪金栄をはじめとする都の役人たちぐらいのもの。嫌ってはいない者を相手に騙しあいをつづけるのは、年若いセウネイエー姫には少々苦痛だった。
 だが、姉の前でそんな感情を表に出して心配をかけるようなまねはしたくない。セウネイエーは話題を変えた。
「チムチャとサムピナの素性も董玄焔に知られてしまいました」
「なるほど。勘のよい男ですね」
 レアウレナエー姫はつかのま思案し、すぐに言葉を続けた。
「べつにたいした問題はないでしょう。あれほどの使い手が、ほんの子供を危険視するとは思えません」
「ええ」
 玄焔がチムチャとサムピナを警戒するあまり、先手をとって危害を加えようとするだろうとは、セウネイエーも心配していない。厄介なのはむしろ、サムピナたちが、自分たちの父親を斬ったのが朱明羽だと知った場合だ。
 兄妹が供に加わることを望んだのは、本人たちの主張どおり名誉回復のためで、仇討ちのためではないことはわかっている。彼らが父を殺した相手として憎んでいるのは、洛帝国そのもので、身を守るために父を斬った一兵士ではない。
 だが、それでも、父に直接手を下したのが朱明羽だと知っても平静でいられるかどうか……。ふたりが明羽と親しくなればなるほど、事実を知ったときの衝撃は大きいのではないか。
 姉王女を守るだけでも前途多難なのに、チムチャとサムピナまで守りきれるかどうか、今さらながら、セウネイエー姫は不安を禁じえなかった。


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