サラライナ物語 沙蘭国の王女たちー洛帝国編1

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 東に向かうにつれ、岩砂漠は次第に草原地帯となり、草原の草も丈が高くなっていく。点在する砦も規模が大きくなっていき、やがて街が現れた。洛帝国西端の街、西康である。
 街は二重の外壁で囲まれ、外側の外壁に設けられた門をくぐったところに関所があり、訪れる者を審査して通している。国賓である花嫁行列の一行はすぐに通過できたが、一般の隊商などは行列をつくって待っている。
 二重の外壁の間は広々とした畑地で、道路からかなり離れたところに農家らしき建物も見える。内側の外壁に設けられた門をくぐると、商店や宿屋などが並ぶ街並みが広がっていた。
 ここまでに通過した砦も西康の外壁も石造建築だったが、通りの両側に並ぶのは木造建築が多い。壁は白の漆喰、屋根は緑の瓦、木の柱は朱色に塗られ、入り口には金色の装飾が施されて色とりどりの織物が垂れ下がっている。
「けばけばしい街並みだな」
 それが、西康の街並みを初めて目にしたときのセウネイエーの感想だった。
 見慣れたサラライナの街は白を基調とする建物が多いので、この色鮮やかさは、けばけばしく悪趣味に映る。
「わたくしは、少し懐かしい感じがします」
 そう言ったのはカウリン。彼女の故郷、滅びたサシャ王国は、洛帝国との通商や文化の影響が強かった国で、街にも王宮にも洛帝国風の建築物が多かったのだ。白っぽいサラライナの街並みも好きだが、故郷を思い出させる街並みはやはり懐かしい。洛帝国は祖国を滅ぼした憎き敵なので、その想いは複雑ではあったが。
 感慨深げなカウリンの表情を見て、セウネイエーは口を閉ざした。洛帝国には悪感情があるので酷評したが、彼女の故郷を侮辱する気は毛頭ない。
 一行が案内されたのは、門から役所まで続く大通りに面した建物だった。通りの両側に並ぶ建物のなかでも格段に大きく、ひときわ絢爛豪華な建物で、貴賓客の宿泊用に設けられた宿屋だと、玄焔の説明でわかった。
 今夜この宿に泊まれるのは、洛帝国の文官たちと沙蘭国の王女ふたり、それに王女たちの身の回りの世話をするための侍女四人のみである。そのほかの者たちは、近隣のもっと庶民的な宿に分宿するよう命じられた。
 王女たちの部屋はそれぞれ居間と寝室に分かれ、居間には侍女たちの部屋の出入り口があって、鈴を鳴らせばいつでも侍女たちが主人の用を足せる構造になっていた。
 レアウレナエー付きの侍女としてカウリンと同室になったサムピナは、他の侍女たちを差し置いて自分が四人のひとりに選ばれたことにすっかり恐縮している。
「他の侍女たちの思惑なら、気にすることはない」
 カウリンが笑って言った。
「こちらに泊まればいろいろ仕事があるが、主人と同宿でなければゆっくり休息できる」
「たしかに」と、カウリンの背後でレアウレナエー姫も笑って言った。
「たまには休息も必要でしょう。すまないね。そなたたちは休めなくて」
「申し訳ありません。失礼なことを申しまして」
 王女に聞かれていたと気づいて、カウリンが恐縮した。じつのところ、べつに王女たちから離れて休息したかったわけではない。サムピナを気遣って口にした軽口だ。レアウレナエー姫もそれはよくわかっている。
「洛人には、サムピナがカウリンの血縁者ではないかと思っている者がけっこういそうです。せっかくだから、そう思わせておくことにしましょう」
 董玄焔にはその推測が外れていたと知られたが、わざわざ他の官吏たちにそれを伝えることはしないだろう。洛人たちはけっして一枚岩ではない。
 サムピナをこの宿に入れたのには、邪な洛人の兵士に目をつけられやすそうなサムピナを保護するという目的もあったのだが、それは彼女の前では口にしない。
「明日は、他の侍女たちは休みを満喫できますが、そなたたちには働いてもらわねばなりませんね。宴席に招かれていますから」
 西康には、この地域一帯の統治を任命されている太守の居城があり、その太守から、宴席への招待を受けているのである。
 太守の宴席に招かれたのはレアウレナエー姫とセウネイエー姫のふたりだが、カウリンたち侍女四人は付き添うことができる。王女たちの身の回りの世話はもちろんだが、じつはそれ以上に重要な情報収集という役目もある。情報収集していると洛人たちに気取られないように、無理せず、さり気なく、探り出せるだけの情報を聞き出さなければならない。
 自分にできるだろうかと不安になりながらも、サムピナは、亡き父の名誉回復のためにも全力を尽くそうと張り切っていた。

 翌日の宴席は、サムピナには肩透かしだった。カウリンと並んでレアウレナエー姫の後ろに控えている以外、することがほとんどなかったのだ。
 肩透かしと感じたのは、カウリンとセウネイエー姫も同様だった。サラライナでは、レアウレナエー姫とセウネイエー姫は、世継ぎの王女とその妹として、諸外国の使節に対して顔を見せて謁見していた。酒食をともにするときも同様だった。国王を補佐する後継者として外交の場に顔を見せるのは当然と考えられていたのだ。
 だが、太守の宴席では、王女たちのそれぞれの席の前には薄い帳が設けられていた。左右に分けられた帳の隙間から舞などの余興を見ることはできたが、真正面に立った者以外の姿を見ることも、見られることもない。高貴の女性はめったに人前に姿を現わさぬものという洛帝国の慣習は耳にしたことがあったが、外交の場にも適用されるとは、意外でもあり、滑稽にも思われた。
 結局、王女たちがまともに対面して会話を交わしたのは、あいさつに来た太守と、その傍らに控えた子息のみ。彼らの反応はまず上々であろうと、レアウレナエー姫は判断したが、それが後に役に立つかどうかは何とも言えぬ。
 おそらく洛人たちとの接触は、今後もこのような帳越しになるであろうと予測しながら、宴は終わった。

 二泊した割には実りがいまひとつと思われた西康だったが、思いがけない事件が、出立して城門を出たとたんに起こった。泥まみれに汚れた少年が一行の前に飛び出してきたのである。
「無礼者!」
 兵士のひとりが剣を振り上げるのとほとんど同時に、少年が叫んだ。
「にいさま!」
 少年にしては高い、少女のような声だった。
「春華(しゅんか)! 春華か? どうしてこんなところに?」
 董玄焔が叫びながら馬から飛び降り、剣の鞘で兵士の剣を受け止める。
「副使殿?」
 兵士が驚いて剣を引く。
「お知り合いで?」
 兵士が訊ねるのとほとんど同時に、洪金栄が怒鳴った。
「何者だ、その無礼な小僧は?」
「わたしの妹です」
 玄焔が答えた。彼にしては珍しく、当惑げな響きがある。
「妹? 女なのか? そなたの妹がどうしてこんなところにいるのだ?」
「わかりません。郷里にいたはずなのですが」
 玄焔は妹に向きなおった。
「どうしてこんなところにいるのだ? 伯父上や伯母上はご存じなのか?」
「伯父さまと伯母さまは亡くなりました」
 玄焔は驚愕に目を見開く。
「毒キノコに当たったのです。わたしも危うく死ぬところでしたが、三日寝こんだだけで助かりました。ひと月以上も前のことです」
「なんてことだ……。おまえだけでも助かってよかった。……で、どうして、おまえはこんなところにいるのだ? 伯父上たちの葬儀は?」
「わたしの治療代とおふたりの葬儀代で、家にあった貯えでは足りなくなり、里長からお金を借りました。それで葬儀は執り行えたのですが、里長は、借金の代わりに、二の若様の妾になれと。にいさまが戻るまで待ってくださいとお願いしたのですが、二の若様は待てないとおっしゃって、わたしを押し倒そうとなさり……。それで、夢中で逃げてきたのです」
 二の若様というのは、村を治める里長の次男だ。以前から春華に懸想しているそぶりはあったが、村一番の秀才で出世頭の玄焔には遠慮があり、その妹への無理強いは控えていたし、春華に武芸の嗜みがあることもあって、これまで玄焔はさほど心配はしていなかった。
 だが、どうやら里長の次男は、予想以上に愚かで、暴虐だったようだ。
「待て。待て」と、正使の洪金栄が割って入った。
「ならば、この娘は、里長に無断で自分の村里を出奔したのではないか。副使どのの妹御はとんだ罪人だ。捕らえて連行せねばなるまい。花嫁行列に不浄な罪人を同行させるわけにはゆかぬゆえ、誰ぞ、西康の太守の元に連行して、村里からの逃亡者として処理させよ」
「お待ちください」と、玄焔が異議を申し立てた。
「罪人として扱うのは何卒ご容赦ください。もとはといえば、里長の二の若君の不埒な行ないが原因です。妹は自分の操を守るために逃げただけです。里を無断で出奔したことについては、わたしが任務完了次第、帰郷を願い出て里長に謝罪いたしますゆえ」
「ならぬ。身内が官吏だからといって、出奔の罪が許されてよいものではない。そもそも、男に押し倒された状態で、どうやって逃げたのだ? ……よもや、殺めたわけではあるまいな?」
「殺してなんかいません! 蹴飛ばして逃げただけです!」
「蹴飛ばした? 蹴飛ばしただけなら、すぐ追いかけて来るだろう? そのような旅支度までして逃げおおせる余裕はあるまい」
「そりゃあ、旅支度は、逃げる必要を感じて準備していましたし……」
 春華は顔を赤らめて、ためらいがちに言った。
「股間を思いきり蹴飛ばしましたから、準備していた荷物を持って逃げるぐらいの余裕はありました」
 洪金栄は目をむき、玄焔は思わず片手で顔を覆った。確かに、彼と亡き父が春華にそういう護身術を教えた覚えがあった。
 背後で様子を見ていた沙蘭国の女たちから、ぷっと噴き出す声が漏れた。洛人たちの多くはあきれていたが、兵士たちの何人かは笑いをかみ殺していた。洛帝国の男たちの通念では、女はしとやかで従順であるべきだとされており、女が男の暴力にそのような形で反撃するなどとんでもないと思う男が多かったのだが、多少は例外もあったのだ。
 それに、里長など上位の者の横暴に怒りを感じたことのある者、姉妹や幼なじみなどが村や奉公先などで手籠めにされるなどして怒りを感じたことのある者も幾人かおり、そういう男たちは、春華の話を痛快に感じたのである。
 むろん、洪金栄はそういう性格ではない。自分よりも身分の高い男に求められた女は、従順に従うのが当然という価値観の持ち主だった。
 夫や婚約者がいて操を立てたいなら、相手の要求に応じたのちに自害すればよい。そもそもこの春華という娘はそれにも当てはまらない。里長の次男の妾にと望まれており、その当人に押し倒されたのなら、ありがたく受け入れればよいだけではないか。
「とんでもない娘だ。大恩ある里長の子息にそのような仕打ちをするとは。しかも、そのうえ、めでたい輿入れ行列の邪魔をし、兄に泣きつけば何とかなると思うとは、なんたる恥知らず。副使どの、よもや情に流されて、このような者をかばうわけではあるまいな」
「兄の邪魔をするためにここまで参ったわけではありません!」
 春華が叫んだ。
「沙蘭国のお姫さまをお妃さまにお迎えする輿入れ行列なればこそ、参りました。お姫さまに申し上げます。いずれ洛人の女を幾人か、侍女として召し抱えられることになるはず。どうか、わたくしを侍女にしてくださいませ。わたくし、武芸の嗜みが多少ございます。沙蘭国の言葉も、片言をほんの少し程度なら話せます。必要ならもっと覚えます。ですから、良家のお嬢さまを侍女にするより、役に立つと思います」
「なんて図々しい娘だ!」
 洪金栄が叫んだ。玄焔でさえ、春華の大胆な申し入れに驚いていた。
 春華は、正使の叫びを無視して、自分が知っているわずかな沙蘭語を叫んだ。
「オネガイシマス。ドウカ」
 沙蘭語を聞いたことがあるのは幼い子供の頃のことなので、かなりあやしい発音だったが、通じたのか、馬上の女性が輿の貴人と言葉を交わしているのが目に入った。
 その馬上の女性が近づいてきて、よく通る声で洪金栄に向かって宣言した。
「レアウレナエー姫さまのお言葉を伝えます。彼女を侍女として召し抱えたいとの仰せです」
「正気ですか、カウリンどの」
「正気です。レアウレナエー姫さまのご意思です。いずれ洛人の女性を侍女として迎えるようにとは聞いておりましたが、まさか、レアウレナエー姫さまご本人がその選考を行えないなどということはございませんよね?」
「そ、それは、もちろん。しかし、こんな卑しい身分の娘を……?」
「卑しい? 副使どのの妹御なのでしょう?」
「いくら兄が出世して官吏になったとはいっても、農村に住む卑しい庶民の娘には違いありません。しかも、いましがたの会話を聞いておればおわかりのように、従順さのひとかけらもない粗暴な娘ですぞ」
「自分の村からここまで、女性ひとりでは危険であろう旅を成し遂げた勇敢な娘御です。護身術の嗜みもあり、サラライナ語を学ぼうという気概もあり、身元も確か。侍女として迎えるに異存はありません。わがサラライナには、危険な旅を成し遂げた者を尊重する慣習がございますゆえ、彼女の勇気を高く評価いたします。それがレアウレナエー姫さまのご意思です。正使どのはそれを拒絶なさいますか?」
「い、いや、めっそうもない」
 麗蓮姫の意向を拒否すれば、妃となってから、皇帝にどのように伝えられるかわかったものではない。この姫ならば皇帝の寵愛は深かろうから、へたをすると、皇帝に嫌われて進退にかかわる事態にならないともかぎらない。
「わたしの一存で了承するわけにはいきませぬゆえ、とりあえず、その娘を同行させ、侍女に加えたい旨を皇帝陛下におっしゃっていただけますでしょうか」
「わかりました。では、董春華とやら、こちらへ」
 カウリンに手招きされてサラライナの侍女たちに加わりながら、春華は、勝ったと思った。
 子供のころ、兵士だった亡き父の赴任に伴って鴻山砦に住んでいたことがあり、そのとき、砂漠の国々では、危険な長旅をした者をねぎらい尊重する慣習があると聞いたことがあった。実際、賊に襲われて沙蘭国にたどり着いた兄が丁重に保護されて送り返されてきたことがあった。
 だから、春華は、里長の次男の妾にという話を断るのが難しそうだと思ったとき、輿入れ行列を待ち受けて侍女にしてもらえないかと考えたのだ。ただ、それを実行すれば兄に迷惑がかかるのではないかと恐れてためらっていたのだが、里長の次男が強硬手段に出たので、実行に移したのである。
 受け入れてもらえるかどうかは賭けだった。もしも受け入れてもらえず、兄を窮地に追い込むことになりそうだったら、自らの命を断つ覚悟で、西域からの旅人が確実に通る西康を目指したのである。
 その賭けに勝った。これで、嫌いな男の妾にならずにすむ。兄にも迷惑をかけずにすんだ。自分も死なずにすんだ。しかも、鴻山砦に住んでいた子供のころからあこがれていた沙蘭国の姫君に仕えることができる。
 ほっとしながら、春華は輿入れ行列に加わった。
 レアウレナエー姫やセウネイエー姫たちもまた、内心でこの珍客を歓迎していた。危険な旅を達成した者を尊重するという慣習を別にしても、彼女は董玄焔の妹。敵にまわせば強敵だが味方にすれば頼もしそうな高官の妹。この状況から推して、玄焔が送り込んだ間諜という可能性はまずあるまい。それに、彼女自身、自分で売り込んだように侍女として使えそうだし、なかなかおもしろそうな娘だ。彼女を侍女にできたのは大きな収穫だと、王女たちは考えていた。


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