映画と原作とで違っている点について、いろいろ感じたことがありましたので、思いつくままに書いてみました。
べつに、映画と原作を比べて、どっちがいいとか悪いとか論じるつもりはありません。小説と映画という表現形態の違いもありますし、批評するのは好きじゃないので。ただ、映画と原作の違いが興味深かったので、いろいろ並べてみたくなっただけです。
なにぶんにも映画を見たのは各1回で、原作は図書館で借りて読んだため手元になく、照合しながら書いているわけではありませんので、記憶違いがあるかもしれません。その点、ご容赦ください。
・二作目の感想のところでも書きましたが、とくに映画のほうがよかったと思ったのは、二作目でエントたちがサルマンを攻撃したとき、カゲでメリーとピピンが活躍しているところですね。小気味よかったです。
・デネソールが戦いのさなかに黙々と食事をしていたりして狂気じみているのが、映画では不自然でよくわからなかったのですが、あとで原作を読みなおしたら納得しました。映画で納得いかなかった人は、この部分、原作を読むのをお薦めします。
・瀕死のファラミアが息を吹き返すシーンもそうですね。映画では、瀕死だったはずなのに、何もしなくても目を覚ましましたが、原作では、アラゴルンが王の力で癒していましたね。
・デネソールが死ぬシーン、映画のほうがガンダルフが荒っぽいですね。感想のところでも書きましたが、ガンダルフがキレてデネソールを殺したように見えました。原作ではそんなことありませんでした。
・エルフたちのイメージが、原作のほうが神秘的ですね。とくにアルウェンは受けたイメージがずいぶん違いました。変なたとえですが、『風と共に去りぬ』の登場人物でいえば、映画版のアルウェンがスカーレット・オハラとすると、映画版はメラニー・ウィルクスという感じですか。いや、映画版と原作との違いが、なんとなくスカーレットとメラニーの違いを連想させたもので。
・顔を隠して出陣したときのエオウィン、原作では戦死を望んでいるという悲壮な感じでしたけど、映画版では「大切な人を守るために戦う」っていうようなことを言っていて、ポジティブでしたね。ナズグルを倒したあともぴんぴんして、また出陣して、もはやだれも文句を言わない強者になっていました。原作版のほうが姫君らしいけど、映画版のポジティブなエオウィンも好きですね。
原作になかったのに映画にあったシーンで、記憶に残っているのを列挙してみます。(原作とつきあわせて書いていないので、もし記憶違いがありましたらご容赦ください)
1.ボロミアが変になったあと、フロドがアラゴルンを試すように指輪を差し出すシーン
これは一作目の感想のところでも書きましたね。じつは萌えたシーンです。アラゴルンがガンダルフやガラドリエルのように天をふりあおいで叫びだすんじゃないかと、アホなことも考えましたが。このシーンをネタに小説もUPしていますので、よろしかったらどうぞ。(だいぶん前にアップした話です)
指輪を見せたとき
2.ファラミアに拉致(?)されたフロドが飛竜に乗ったナズグルに襲われるシーン
これも好きなシーンです。ハラハラしたし、ファラミアが指輪の恐ろしさを認識し、フロドを自由にして送り出す理由として、説得力があったので。
3.アラゴルンが崖から落ちて馬に起こされるシーン
これは何のために入れたんでしょうね。アルウェンを出すため? 無事に戻ったときのレゴラスとの熱い友情シーンのため? おもしろかったけど。
4.ゴクリとスメアゴルの葛藤と、スメアゴルが指輪を見つけたときの思い出のシーン
とても印象に残っています。ゴクリの内面とか、あの葛藤が、どうやってフロドをだましてシュロブのところに連れていく企みに行き着くのかとか、興味をそそられました。フロドを慕っていたように見えたスメアゴルの意識がどうなったのか、説明やほのめかしがなかったことへの物足りなさとかは少しあるんですけど、そのぶん、想像をかきたてられましたね。で、それを小説にしていますので、よろしかったらどうぞ。(以前にUPした話です)
スメアゴルの記憶
5.フロドがゴクリにだまされてサムを追い払うシーン
これも好きです。指輪がフロドに及ぼす影響とか、それから推して指輪がサムに影響を及ぼしてしまうんじゃないかという恐れとか考えれば、フロドがこういう態度をとっても無理もないと思いました。咲け谷にいたとき、ビルボが一時的におかしくなったのとか、ボロミアがおかしくなったのとか、体験しているわけですしね。サムが信頼できる友人かどうかというのと、指輪がサムに悪影響を与えないかというのは別の次元の話で、フロドにはそれがよくわかっているわけですから。