2004年9月22日UP
ハウカダル共通暦322年はじまりの月1日
きょうから新しい年がはじまる。昼が少しずつ短くなっていくのはきのうで終わり。今日からまた少しずつ昼が長くなっていく。去年一年の女神さまがいったん亡くなって、新しい女神さまが生まれた印だ。
そう思うと、なんだかなにもかも新しくなった気分になるから不思議だ。これから昼が長くなっていくったって、きのうときょうとではほとんど違いがないんだけど。やっぱり気分の問題ってやつだな。それに新年祭もあるし。
新年祭にバルドを誘ってみたら、つかのまためらったようだったけど、「行く」と答えた。
そういえば、バルドは、寮と学校を行き来するときとか、昼食を食べに出るとか必要な物を買いに出るとか、とにかく必要最小限しか寮や学校の外に出ようとしないな。以前に焼けた屋敷跡で出会ったのは、彼にしちゃ珍しい遠出だったみたいだし。自分のことが知れると命が危ないとか言ってたから、やっぱりそれと関係あるのかな?
だけど、ほとんど寮に閉じこもりっぱなしというのも、気持ちがふさいでしまうんじゃないかと思う。いま現在、とくにだれかに狙われているってわけじゃないのなら、あまり神経質にならないほうがいいんじゃないのかな。事情を知らないのだから、なんとも言えないけど。
バルドもそう思ったのかもしれない。
「年が変わるみたいに、わたしもいいかげん変わらないとな。最近、そう思うようになってきたよ」
そう言ってから、新年祭に行くって言ったのだから。
で、街に繰り出して、広場で蜂蜜菓子をもらった。太陽をかたどった蜂蜜菓子は新年祭につきもののお菓子だけど、都では王様のおごりなんだ。何代も前からそういう風習だって聞いた。
蜂蜜菓子をもらいながら、以前に出会った貧しい子供たちがいないか、思わずまわりを見まわした。
もちろんいない。ここにあの子たちがまぎれこんだら、たぶんみんなに追い払われてしまうだろう。
無料で配られるお菓子なら、あの子たちにこそ渡してやればいいのにと思うんだけどなあ。
「どうしたんだ? きょろきょろして」
バルドに聞かれたので、以前に貧しい人たちの居住区で出会った子供たちのことを話して、「あの子たちが来たら追いはらわれるんだろうなと、ちょっと思ったんだ」と言った。
いやがられないかなと心配になったけど、バルドはいやそうな顔をせず、うなずいた。
「たしかに、そういう点はいろいろ矛盾してるな、人間の世界ってのは」
そんな話をしながら、おれたちは飲み物を買って広場のはずれのほうに移動した。人ごみのなかでは落ち着いて食べられないからな。
で、周囲に人のいない一角で蜂蜜菓子を食べ、もう食べ終わろうというころ「どろぼう!」だの「魔族だ!」だのという叫び声が上がった。
「魔族……? まさか……」
バルドがささやくような小声でつぶやいた。緊張しているのがわかったので、ちょっと意外に思った。
「違うよ。ただの子供だよ。たぶんね。おれの知り合いの子だ」
「あんたの?」
バルドが問い返したとき、やっぱりというか、レイヴが向こうから駆けてきた。
レイヴが両手で持っているのは二枚の蜂蜜菓子だ。無料でもらえるお菓子なんだから、どろぼうじゃないぞ。
そう思ってたら、レイヴはおれをちらっと見ると、ちょうどおれたちが立っていたところの斜め後ろあたりにあった路地ともいえないほどの建物と建物の隙間に逃げ込んだ。
つづいて、ばらばらと数人の男たちが駆けてきて、おれたちにどなるようにしてたずねた。
「こっちに魔族が逃げてきたろう?」
「知らないよ」
「うそつけ!」
「魔族なんて知らない。黒い髪の蜂蜜菓子を持った子供なら、あっちに走って行ったけど」
広場の左手のほうを指差した。そこにはいくつかの屋台が集まっていて、人だかりになっている。
男たちは疑わしそうな顔をした。
「あっちに走っていったのなら、おれたちのところから見えたはずだ」
「そうかぁ?」
おれもわざと疑わしそうな顔をしてやった。
「でも、おれたちの前をあっちのほうに走って行ったぜ?」
「図書館だ!」と、男たちのひとりが叫んだ。
なるほど、ここからあっちの人だかりのほうに行くとちゅうに王立の図書館がある。もちろんきょうは休館しているけど、中庭には入れる。
男たちは、レイヴが図書館に逃げ込んだと勝手に決めつけて、図書館のほうに駆けていった。
男たちが図書館の中庭に入りこんだのを見届けると、バルドが二歩ほど歩いて、さきほどレイヴが駆け込んだ建物の隙間のそばに行き、呼びかけた。
「出ておいで。やつらは図書館に入った。おまえがいないとわかると戻ってくるから、いまのうちに逃げるんだ」
レイヴがひょこっと顔を出し、不本意そうな表情でバルドとおれを見ると、何も言わずに右手のほうに駆け去り、建物を二つ通り過ぎたところにある路地に駆けこんだ。
「ありがとう。助かったよ」
レイヴを見送ってから、広場の中央部のほうに移動しながら、バルドに礼を言った。
「あそこは行き止まりになってたんだな。知らなかった」
バルドがいなかったら、レイヴがあの建物の隙間を通り抜けてどこかに逃げ去ったと思い、声をかけずに立ち去るところだった。
「ふつうは知らないだろう。追われでもしなければ、あんなところに入りこむ必要はないからな」
「ふーん。よく知ってたね」
何気なく言ってから、しまったと思った。バルドがつらそうな顔をしたからだ。
「すまん。何かいやなことを思い出させたようだな」
「いや、気にしないでくれ。……あの子は、身なりからすると、貧民窟の子か、親も家もないって子だな」
「ああ。さっき話していた子供たちのひとりだ。まあ、あの子個人についていえば、同情するのは失礼なぐらい、たくましいけどね」
「そのようだね。そういう子なら、たぶん、盗みなんかもしょっちゅうやっていて、人に追われるのに慣れてるだろうね」
「そりゃあ、まあ、そうだけど……。でも、悪いやつじゃないよ。生きていくためにはしかたがないんだ」
「非難したんじゃないよ。そういう子なら、あそこが行き止まりだと知ってたんじゃないかと思ったんだ。知らなかったとしても、そういう子は、通り抜けできるかどうかわからないところには逃げ込まないと思う」
バルドの言いたいことがよくわからなくて首をかしげたら、バルドが楽しそうに言葉をつづけた。
「おまえがいたから逃げ込んだんだよ、たぶん。ごまかしてくれると、とっさに信じたんだ」
「そうかな?」
そう思うと、なんだかうれしくなった。
「じゃあ、機嫌が悪かったのは、とっさに信じたのが悔しかったのかな? ちょっとつっぱってて、プライドの高いやつみたいだから」
そう言ってから、そういうところは、レイヴとバルドはちょっと似ているかもと思った。ほかは、顔がきれいな以外、全然似ていないんだけど。
「で、おまえ」と、バルドがふいに真剣な顔になった。
「あの子が魔族かもしれないと疑ったことはないのか?」
「よせよ。髪が黒いってだけでそんなこと疑うのはどうかしてるぜ」
バルドがあんまり真剣な表情で、しかも緊張しているみたいなので心配になった。
「そう疑ってるんなら、はっきり言っとくけど、レイヴは魔族じゃないよ。近くで見たことがあるけど、耳が尖ってなかった。魔族って、耳が尖ってるんだろ?」
「疑ってるわけじゃないよ。疑ってるんじゃなくて……。あの子がもしも魔族だったらおまえはどうするのか、おまえの考えを聞きたいんだ。役人に引き渡すのか?」
「まさか。だって、そんなことをしたら、殺されちまうじゃないか。そりゃ、あの子とは偶然何度か会っただけで、友だちとはいえないかもしれないけど、なんとなく友だちみたいな気分になってるんだ。間接的に殺すようなこと、できるわけないよ」
バルドがほっと緊張を解いて微笑んだ。
「それを聞きたかったんだ」
「なぜ?」
バルドはちょっとためらってから、ささやくような声で言った。
「ずっと以前、親しくしていた人に裏切られて殺された人がいた。それから、わたしは長いこと、人を信じないようにしてきたんだ。人はどう変わるかわからないと思って……。おまえはその人を殺したやつとは全然違うと思っているけど、つい確かめずにはいられなかった。……すまん。これ以上聞かずに忘れてくれ」
バルドがいまにも泣きだしそうに見えてあせった。悪いことを聞いた。
「忘れるのは無理だけど、これ以上は聞かないし、もちろんだれにも話さない。……ひとりで抱えているのがつらくなったら話してくれ」
バルドは「いつかそうする」と答え、それから、おれたちはその話に触れず、祭りを楽しんだ。