吟遊詩人の日記−美しき同室者・その4

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 2004年7月13日UP   


  ハウカダル共通暦終わりの日々8日

 冬期の授業になって、先生も生徒もだいぶん入れ替わった。農閑期だけ農村から出てきて都で勉強するやつって、意外と多いんだな。
 仲間が何人もできてうれしい。いや、今までだって友だちは何人もいたけど、やっぱり、農村出身の似たような境遇のやつってのは親近感がある。
 ま、なかには、おれが通年で勉強できる恵まれた境遇っていうので、敵愾心を燃やすやつもいて、だれとでも親しくなるってわけにはいかないけどな。
 それはしかたがない。どっちかというと、おれも農村出身で羊飼いだと言ったら、親しみを持ってくれるやつのほうが多いんだから、まあいいや。
 それに、農村出身者ばかりのグループって、音楽学校だけじゃなく、おれも通ってる一般教養の学校とか、兵学校の生徒なんかもいて、ちょっと新鮮だ。
 ただ……。
 最近、つい、休み時間にしゃべったり、いっしょに昼食をとったり、休日に出歩いたりするのって、そういう農村出身の友人たちといっしょのことが多い。それで、これまでつきあってきた連中と疎遠になってしまいかけてる。
 まあ、家族が田舎に住んでいて、冬のあいだは家族のところで過ごすってやつもいるから、みんなと疎遠になったってわけじゃないんだけど……。
 でも、通年で通っているやつとかに、「最近、つきあい悪いぞ」とか言われたりする。おおかたはいままでそんなに親しかったってわけじゃなくて、まあ表面的なつきあいなんだけど、おれがあとから知り合った連中とばかりつきあっているのは不快なのかもしれない。
 おれとしちゃ、みんなで仲良くすればいいと思うんだけど、なんとなく同じ階層の者どうしが集まってグループをつくったら、それでグループごとに分かれてしまうみたいだな。べつに仲が悪いとかってわけじゃないんだけど。
 おれだって、上流階級のやつばかり集まっているときには、みんなの輪からはずれているような違和感を少し覚えていたしな。べつに仲間はずれにされるとかじゃないんだけど、おれだけみんなと微妙な距離があるような、そんな気分はぬぐえなかった。ウォレスが相手だと感じなかったんだけど。
 いや、まあ、いいんだ、同級生のおおかたのやつらについては。
 ただ、それでバルドともあまり話していないのがちょっと気になる。
 もちろん、同室なんだから、あいさつとか、ちょっとした世間話ていどは日常的にしてるんだけど。
 でも、そういうんじゃなくて、バルドとはもっとよくいろんなことを話して、理解しあいたいと思っているんだ。
 バルドにはつらい過去があるみたいで、気になってしかたがない。
 べつに、バルドの過去を詮索するつもりはないんだが……。なんだか、あいつ、放っておけないというか、気になるというか……。何か人の助けを必要としているような気がするんだよな。


  ハウカダル共通暦321年終わりの日々13日

 きょうで一年の最後だっていうんで、田舎出身の者ばかりで飲みに出かけることになったとき、シドが、いい店を知っていると言い出した。シドは、毎年冬だけとはいえ、もう五年前から都の学校に通っているから、おれなんかよりずっと都にくわしい。
 シドが言ったのは、おれが一度も行ったことがない店だ。というより、その店があるというあたりは、おれはまだ行った覚えがない。
 都は広いから、くまなく見てまわったわけじゃないんだ。ふだん行く場所は限られているし、気ままに散策した場所も、都全体からすれば一部分だ。
 で、おれはその店に行くのに賛成した。初めての場所ってのは好奇心をそそるからな。
 べつに反対する者もなくて、みんなでその店のある一角に向かったんだけど、そのとちゅう、塀の崩れた屋敷があった。大きな屋敷だけど、都の邸宅はどこも庭があまり広くないから、塀だけではなくて石造りの建物も崩れ落ちているのがわかった。
「なんだ、ここ?」
「火事でもあったのか?」
 だれからともなく訊ねて、シドが答えた。
「ああ。もう何十年も前に火事か何かで廃墟になったあと、人が住んでいないそうだ」
「どうして取り壊さないんだ?」
「出るらしいんだ、ここ」
「出る?」
「幽霊だよ。見たやつがいるらしい」
 そう聞いて、思わず足を止め、塀の崩れから庭をのぞきこんだ。みんなも同じようにしている。
 幽霊の話って、ひとりのときなら恐いけど、おおぜいなら恐怖より好奇心のほうが先に立つんだよな。
 もう日暮れだけど、日没の光がまだ少し残っているし、雪明かりもあって、庭のようすは薄闇のなかにうっすら見てとれる。荒れ果てて、枯草の上にうっすら雪が積もっていて、庭というより荒地のようだ。たぶん、夏には草ぼうぼうだっただろう。かつてはこじんまりとしながらも美しい庭園だった時代もあったのかもしれないが。
「幽霊なんて、いるわけないよな」
 陽気にそう言っていたニールが、ふいに庭の一角、大きな木が一本立っているあたりを指差し、かすれた声で言った。
「だれかいる!」
 目を凝らすと、木の向こう側に人影が見えた。薄暗いうえに半ば木の陰に隠れてよくわからないが、人影は崩れた館のほうを見ており、幽霊には見えない。そして、バルドに似ているように思えた。
 そう思ったとたん、おれは人影のほうに向かって歩きだしていた。後ろでみんなが口々に止める声が聞こえたけど、確かめずにはいられなかったんだ。
「バルド?」
 近づきながら声をかけると、人影がびくっとしたようにふり向いた。思ったとおり、バルドだった。
「なんだ、おまえか」
 薄闇のなかで、バルドが泣き腫らしたような目をしているのがわかった。
「どうして、ここに?」
「たまたま通りかかったんだ。みんなで飲みにいくとちゅうに」
 と、バルドがびくっとして警戒するような表情になった。そのとたん、すぐ背後で声が聞こえた。
「どうした? 知り合いなのか?」
 仲間たちがすぐ後ろから近づいてきてたんだ。
「あれ? バルドじゃないか」
 バルドの表情で、彼がみんなを遠ざけたがっているのがわかった。
 ここしばらくバルドがいくぶん打ち解けた態度をとっていると思っていたが、どうやらおれに対してだけだったらしい。学校や学友たちに慣れたんじゃなかったんだ。
 それに、泣いていたのなら、ひとりになりたい気分なのかもしれない。なんで泣いていたのかはわからないが。
 ここはそっとしておいて、みんなを連れて立ち去るのが正解だろう。
 そう思ったんだけど、バルドのようすがどうしても気になった。
 で、おれはみんなのほうをふり返って言った。
「わりぃ。また、今度誘ってくれ。こいつ、ちょっと気分が悪くなったそうだから、送っていくよ」
「おれも手伝おうか?」
 ふたりほどが声をかけたのを断った。
「だいじょうぶだ。たいしたことないから」
「そうか。じゃあ、また、今度な」
 彼らが立ち去るのを見送ってからふり返ると、バルドはとまどったような顔をしていた。
「なんで残ったんだ? わたしはべつに気分が悪くなんてなっていないぞ」
「いや、なんか、わけありみたいでほっとけない感じがしたから……」
「ほっといてほしかった。もう少しひとりでいたかったんだ」
「悪かった。迷惑なら帰るよ」
「そうしてくれ。すぐ追いかければ、やつらに追いつくよ」
「いや、寮に帰る。騒ぎたい気分じゃなくなったし」
「怒っているのか?」
 自分のほうが怒っているような顔で、バルドが言ったので、おれはとまどった。
「怒るって……。何を怒るんだ?」
「おまえを騒ぎたい気分じゃなくしたことについてだ」
 それで気がついた。バルドはたぶん、こういうふうに人と距離をおこうとする言動について、文句をつけられることが多かったんだろう。
「おれが騒ぎたい気分じゃなくなったのは、おれの問題で、おまえに文句を言うようなことじゃないよ。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。言い方が気に障ったんならあやまるよ。すまん」
 バルドは少し驚いたような顔をした。
「力になりたいと思ってるけど、押しつけるつもりはない。悩みがあるんなら、ぶちまけたくなったときにいつでも言ってくれ。……じゃあな」
 帰ろうとしかけると、バルドがおれの腕をつかんだ。
「少しつきあってくれ。何も言うわけにはいかないが、それでもよければつきあってくれ」
 すがるような真剣な瞳に見つめられ、おれはバルドにつきあった。
 とはいっても、バルドが食い入るように崩れた屋敷跡を眺めるそばで、じっと立っているだけだったけど。
 バルドはそのあいだずっとおれの腕をつかんでいた。怯えているようでもあり、緊張しているようでもあった。
 どのぐらいそうしていたろうか。すっかり日が落ちて月明かりだけが頼りとなったころ、バルドが口を開いた。
「もういい。帰ろう。中を見てまわろうと思っていたけど、その勇気がない」
「そうだな。もっと明るいときに来たほうがいいよ」
「ああ。……もっと明るいとき、中を見てまわる勇気が出たら、つきあってくれるか?」
「いいよ」
 即答したら、バルドがほほえんだ。
 それから、おれたちは夜道を寮に帰った。驚いたことに、バルドは灯りを持ってきていなかった。
 おれも持ってなかったんで困ったけど、バルドは夜目が効くから平気だという。まあ、月明かりと雪明かりがあったから、おれも歩けなくはなかったけど。
 で、帰るとちゅうでバルドはおれに約束させた。あの屋敷については何も聞かず、人にも話さないでほしいと。いっしょにいた連中に聞かれたら、適当にごまかしてほしいと。
「頼む。わたしを殺したくなかったら、そうしてほしい」
 バルドの言い方にぎょっとした。
「なんだって? 命を狙われているのか?」
「いや。いま、わたしを狙っている者がいるってわけじゃない。だけど、わたしのことがくわしく知れると命が危ないんだ。とにかく、どんなことにしろ、だれかがわたしに好奇心を持つかもしれないようなことはいっさい言わないでほしい」
 冗談とは思えない真剣な口調だったので、おれは秘密を守ると約束した。
 どういう事情があるのか知らないけど、聞くなというのだから聞かずにいよう。話したくなったら、話してくれるだろう。


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