2005年7月30日UP
はっと気がつくと、おれは寮でベッドに横たわっており、バルドが息を切らしておれをのぞきこんでいた。
「ああ、よかった。間に合った。すまない。魔力が不安定になって、ちょっと暴走してしまった」
おれは跳ね起きてバルドの肩をつかんだ。
「無事だったんだな! よく戻ってきてくれた」
「すまない。これも夢なんだ」
バルドの言葉に、おれは目をぱちくりした。そう言えば、ベッドの配置がいまの部屋とは違う。ここはバルドと同室だったときの部屋だ。
「いまは都の外にいるんだ。あのあと、川の流れに乗って、そのまま城壁を越えて外に出たんだ。で、魔力でおまえに夢を見せている」
「そんなことができるのか」
「自分でもできるかどうかよくわからなかった。だけど、寮のある場所はわかっているし、おまえはよく知っているやつだから、できるんじゃないかと思った。あの晩も、わたしの心の声をおまえは聞きつけてやって来たし……」
「あの晩?」
「最後に会った晩だ。そんなつもりはなかったんだが、内心でおまえに助けを求めてしまっていたらしい」
そういえば、あの晩、バルドがいるような気がする方角に向かったら、バルドに会えたんだっけ。あれは偶然じゃなくて、魔力とかが関係していたのか。
「それに、この石もあったからね」
バルドは、シャツの下から熱を出したときによくにぎりしめていた水晶球のようなものを取り出して見せた。
「魔力を増幅する力を持つ石なんだ。いままで人間のふりをしていられたのは、半分はこの石のおかげだ。わたしの本来の魔力だけではとっくに見つかって殺されていた」
「で、その魔力ってのは、もう戻ったのか? 不安定になっていて人間の姿になれないとか言ってなかったか」
「ああ。いまはだいじょうぶだ。まだ半年ぐらいは強くなったり弱くなったりするだろうが。さっきは、わたしの過去の記憶とおまえの怒りに引きずられて、魔力をちょっとうまく制御できなくなって、場面を切り替えるのが遅くなってしまったけどね。ひどくあせったよ。夢のなかでおまえが殺されてしまうかと思った」
「それはこっちのセリフだ。……痛くはなかったのか? あんなに石をぶつけられて?」
「ああ。わたしは夢だと知っていたからな。おまえは夢だと知らなかったんだから、痛かったんじゃないのか?」
おれは最後の場面を思い出した。確かに石をぶつけられて痛かった。しかし、いまは痛くはないし、傷も負っていない。それは、むろん、バルドも同様で、どこも怪我をしているようすはなかったし、髪を刈られたりもしていなかった。
「すまない。制御できなかったんだ。現実だとわかっていれば、実際に体が痛んでいるわけじゃなくても、暗示にかかって痛みを感じてしまう。夢のなかで殺されていたらどうなったか……」
「夢のなかで殺されたら、死ぬのか?」
「ふつうはだいじょうぶだと思うけど、暗示にかかりやすい人間なら、あるいは……。軽率だった。すまなかった」
「もういいよ。無事だったんだし。おれのほうこそ、このあいだの晩は、考えなしに叫んだりして、おまえを危うく死なせるところだった。よく無事だったな」
「魔力のおかげだ。あのときうまく魔力が働かなくなっていたんだが、生きるか死ぬかの土壇場になれば働いてくれるものらしい。魔力で体を温めることも、服を乾かすこともできた」
「それはよかった。……戻って来いよ。役人や兵隊たちはあのときの魔族がおまえだとは気づいていない。なんとかごまかせる」
「だめだ。ばれたときにおまえが危ない。さっきの夢でよくわかった」
「後先考えずに駆け寄ろうとしたことか?」
おれはさきほどの夢を思い出して、少し恥ずかしくなった。もしもおれが吟遊詩人の歌の英雄たちのように強くて、バルドを助けだせるだけの力があったら、あれは英雄的行為ともなっただろうが、あの場合はどう考えてもやけくそとしか言いようがない。
「あれは、そのう……、夢だからあんまり頭がちゃんと働かなかったんだ。現実におまえが捕まったら、もっと冷静にちゃんとうまく助ける方法を考えるよ」
「それなら同じだ。あの状況で、ちゃんとうまく助け出せる手段などない」
おれはぐっと詰まった。たしかにその通りだったからだ。
「ああいう状況になったら、わたしと知り合いじゃないふりをして見捨てるしかないんだ。わたしだって、あそこまで過激な反応を望んだわけじゃない。ただ、あんなふうになったら、ほかの人間たちのように嗜虐的にならずに、内心で酷いと憤慨したり、悲しんだりしてほしいと思った。それを確かめたかっただけなんだ。でも、おまえは、悲しむだけじゃなくて、ぶち切れるんだな」
「あれは夢だったからだよ」
「うそつけ。いまも、さっきのも、ふつうの夢じゃないんだ。おまえがいま、現実にわたしと話をするときにはこう話すだろうことをしゃべっているのと同じように、ああいう場面になったら、おまえはたぶん同じことをするだろう」
おれは反論できなかった。確かに同じ状況で、冷静さを保てる自信はない。だが、それがどうだというのだろう。バルドが言ったように、冷静に考えても助け出す方法がないのなら、ぶち切れたって同じじゃないか。
「魔族を助けようとすれば、人間だって殺されてしまう。魔族と人間の戦争がはじまって以来、人間の目には、魔族を助ける人間は裏切り者と映るみたいなんだ。さっきの夢は、わたしの想像だけど、まったくの想像ってわけでもないんだぞ。昔は、ああいう魔族の処刑が頻繁に行なわれたんだ。はじめは暴徒が勝手に行なった私刑、のちには国王の命による公開処刑で。その公開処刑を再現したんだ。わたしだって、そのう……、まったくの再現はやめて、少し変えようかとも思ったんだけど……」
バルドの歯切れの悪い言い方と、目をそらせたのとが気になって、おれは思わず口をはさんだ。
「変えるって、どんなふうに?」
バルドは顔を赤らめた。
「ちゃんと服を着ているふうにだよ」
おれも顔が赤くなったんじゃないかと思う。いや、よく考えれば、バルドは女性じゃなかったのだから、お互いに恥ずかしがる必要はないんだけど。
「想像が記憶に引きずられて、変えられなかったんだ。こんな形で記憶を再現したり、おまえの反応を見ていると、昔の記憶に少し自信がなくなった。姉の恋人が裏切ったという記憶に」
おねえさんが恋人に裏切られて死んだというのは以前にも聞いたが、バルドがそれをはじめてくわしく話してくれた。
「姉の恋人のシグステインは人間だった。魔族と人間は種族が違うし、成長の速さや寿命が全然違うから、ふつうは恋愛や結婚の対象にはならないのだが、まれには姉たちのような恋人たちもいた。双方の親はふたりのつきあいにいい顔をしていなかったが、両家は仲が悪いわけではなく、家族ぐるみのつきあいがあった。魔界の魔族たちが進攻してくると、両家の関係はぎくしゃくしはじめたが、シグステインは変わらず姉を愛しているように見えた。だが、暴徒たちがわが家を襲ったとき、そのなかに彼がいたんだ」
「ほんとうに暴徒の仲間だったのか? おまえたちを助けようとして駆けつけたんじゃないのか?」
「助けようとしてくれていたのかもしれない。と、いまになって思う。だけど、ずっとその可能性は思いつかなかった。彼が姉を殺したと思い込んでいたからだ。あの家にはいざというとき脱出するための隠し通路があって、姉はわたしの手を引いて隠し通路に入ったが、少し進んだところで、すぐに追いつくから先に逃げるようにと言って引き返した。わたしは言われたとおりに通路を少し先まで行ったが、姉がなかなか来ないのでようすを見にいった。そうしたら、通路の出入口の隙間から、シグステインが姉の胸から剣を引き抜くところが見えた」
おれはどう言っていいのかわからなかった。そんな体験をしたのなら、バルドが人間不信になったのも無理はない。おれが無言でいると、バルドは言葉をつづけた。
「姉は逃げる途中も、彼が裏切ったはずはないと言いつづけていた。だから、姉が引き返したのは、それを確認するためだろうと思う。姉が危険を冒しても確かめずにはいられなかった気持ちは、いまのわたしにはよくわかる。そうまでして信じていた恋人に裏切られて殺された……と、いままで思っていたんだが……。違うかもしれないという気がしてきた。シグステインは、姉を逃がしようがなかったので、せめて惨たらしく辱めを受けて殺されることのないよう、自分の手で楽にしたのかもしれない。それに、よく考えれば、わたしは彼が姉を刺すところを見たわけじゃない」
ああ、そうかと、おれは吟遊詩人の歌で聞いたいくつかの話を思い出した。戦いに敗れて城が落ちるとき、自害する前に王妃を自分の手にかけた王の歌も、瀕死の重傷を負った友に止めを刺した戦士の歌もあった。偶然に見つけた遺骸から剣を引き抜いたために無実の罪に問われた男の歌も。
「おねえさんは別のだれかに瀕死の重傷を負わされて、その恋人は止めを刺しただけかもしれない。でなければ、別のだれかに刺殺されたところを彼が見つけただけかもしれない……っていうんだな」
「そうだな。そういう可能性もあるな。わたしが考えたのは、姉は自害したのかもしれないということなんだが」
バルドは真剣な目でまっすぐにおれを見た。
「シグステインは命懸けで姉を助けようとしたのかもしれない。それで、姉は彼を巻き添えにしないために自害したのかもしれない。理性のたががはずれた人間どもにかかったら、人間だって無事じゃすまないからな。魔族の友だちをかばったばかりに人間に殺された人間は確かにいたんだ」
「起こってもいないことを恐れるのはよせよ。それは何十年も前のことだろう? 昔といまとでは時代が違うだろう?」
そう言ったけど、自信はなかった。バルドを捜しにいったときに出会ったあの兵士たちは、たしかに魔族というだけでバルドを捕らえようとしたのだ。
「違わないよ。わかっているだろう? 魔族と人間の戦争はつづいていて、王国の軍隊はほとんど毎年のように出征している。魔族狩りが長年にわたって行なわれていないのは、ただ、人間の諸王国に住んでいる魔族たちのほとんどが、殺されるか、北に逃げたからにすぎない。わたしがシグトゥーナに留まるのは、わたしにとっても、おまえにとっても危険だと思う。もともと危険だったんだが、このあいだの一件で危険度が増してしまった」
「しかし……。どこに行くつもりなんだ? 安全な場所なんてないだろう?」
「北に行くさ。人間の領域の外に。魔界から来た魔族も、人間の領域から逃げ出した魔族たちも、北部のどこかにいるはずだからな」
「どこにいるかもわからないのに」
「探せば、そのうち見つかるだろう。向こうが見つけてくれるかもしれないし。ほんとうはためらいがあったんだが。両親は魔界から来た魔族たちを非難していたからね。人間の十二の王国には魔族だって住んでいるのに、そこに侵攻してきたといって。だから、吟遊詩人になって、人間の王国に残っている同胞がいないか探してみようと思っていたんだ。探して見つからなければ、それから北に向かっても遅くはないとね」
「そうか。それで音楽学校に入学したのだな」
「ああ。吟遊詩人になれば、どの国でも自由に旅できるようになるからな。北に向かうにしても、吟遊詩人の通行証を持っていたほうがずっと安全だと思った。だが、状況が変わった。やはりすぐにでも北にいくしかわたしの生きる場所はないと思う」
「ほんとうにそうなのか? 通行証なしで旅するのは、この音楽学校にいるより危険じゃないのか?」
おれにはわからなかった。ただ、どちらの道を選んでも、バルドの身はひどく危険なのだということはわかった。
「もう決めたんだ」
バルドはきっぱりと言った。
「行く前におまえと話せてよかった。それから……。わたしは性別が決まる時期になってしまったと言っただろう? わたしはたぶん女性になると思う。だから、こんなことをしても気持ち悪いと思ってくれるなよ」
そう言うと、バルドはふいに顔を近づけ、軽く唇を触れ合わせてまた顔を離した。
「わたしのほんとうの名前を言い忘れていたな。ホルム王国の宰相だったジランの子のバドウェンだ。……じゃあ、達者でな」
バルドが微笑んだところで、今度こそほんとうに目が覚めた。これで、夢のすべてだ。
おれの願望が見せた夢かもしれない。バルドに生きていてほしい、もういちど話して誤解を解きたいと、切実に思っていたから。
だけど……。夢にしては真実味があった。バルドが語った姉とその恋人の話といい、吟遊詩人をめざした動機といい、つじつまが合っている。
バルドは生きていて、おれともういちど話をしたいと思ってくれて、あの夢を見せたんだ。そんな気がする。そう信じたい。ほんとうはただの夢だったのかもしれないのだけど。