吟遊詩人の日記−バルドの家族・1

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 2006年2月7日UP  


  ハウカダル共通暦322年ミウ麦の月12日

 かつてホルム王国の宰相だったジラン。バルドは自分の父の名をそう明かした。
 それはどんな人物だったのか? どんな一家だったのか?
 魔族だったとはいえ、宰相を務めていた人物なら、その功績とか、家族が暴徒に襲撃された前後の事情とか、記録が残されているかもしれない。
 知りたいと思い、おりをみて図書館で調べてみたのだが、なかなかわからない。ホルム王国の歴史について書かれた本は何冊かあったので、魔界から魔族が侵攻してきたころのあたりを集中的に探してみたのだが、宰相ジランの名もなければ、ほかの魔族についての記述もない。
 魔族については、学校の授業で習ったのと同じようなことが書かれている箇所はあったけど、ただそれだけだ。だれか特定の個人について書かれた記事はどこにもない。
 どこか不自然な気がする。そのころには、魔族は人間といっしょに暮らしていたのだから、歴史に名を残したような人物もいたんじゃないのか? 王の名はもちろん、騎士団長何人かの名も記されているのに、宰相の名がまったく出てこないなんて、奇妙じゃないのか?
 魔界軍の侵攻がはじまったのは、ハウカダル共通暦二八四年。それ以降で宰相の名が最初に登場するのは二八八年で、名はシグルド。ジランではない。
 おそらくこの年までにジラン一家は殺害されたのだ。で、彼の功績などについての記録は抹消されたんだ。
 書物ってのは、傷んでくると筆写される。古いものも大切に保管されているはずだが、図書館で自由に閲覧できるようになっているのは、せいぜいここ三十年ていどのあいだに筆写された書物ばかりだ。
 だから、筆写するとき、魔族の功績なんかは削られたんじゃないのか?


  ハウカダル暦322年夏至の月2日

 きょう、図書館で、歴史のカイ先生に声をかけられた。
「歴史に興味が出てきたようだね」
 内心でどきりとした。図書館で歴史の本ばかり読んでいるのは、目立ってしまってたんだ。
 バルド一家のことを調べているなんてばれたらたいへんだ。バルドの正体を知られてしまう。
 カイ先生は、バルドのことを知っても黙っていてくれるかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。
 わからない以上、バルドのことを知られてはいけない。もしもカイ先生の口から役人に伝わったら、バルドに追っ手がかからないともかぎらないのだから。
「ええ、まあ」
 どう応対していいかわからず、あいまいに答えた。
 そうしたら、カイ先生は、おれが読んでいた本をひょいとのぞいた。
「魔族と人間の戦いがはじまったあたりの時代だね」
 ぎくりとしながら、「ええ」と答えた。
「その……、この時代のことを歌った歌が多いので」
 感謝祭のときのことを思い出しながら、なんとかもっともらしい返事をした。
「感謝祭で吟遊詩人が歌っていたのは、魔族との戦いの歌がずいぶん多かったけど、おれ、この時代のことをよく知らないんです。だから、ちゃんと知っておいたほうがいいかと思って……」
「ああ、そうだな。たしかに、感謝祭で歌われるのは魔族との戦いの歌が多い。歌うためには知っておかなければならん。知ったことを全部歌うわけにもいかんがな」
「どういうことです?」
「吟遊詩人になれたら、そのときにわかるよ」
 意味がよくわからない……と思ったんだけど、先生が立ち去りかけたとき、はっと気がついた。
「あの……」
 呼び止めると、先生がふり返った。おれはごくりとつばを飲み込んだ。
「なにか秘密の歴史があるんですか? 吟遊詩人も歌にしないような秘密が?」
「秘密はつねにある。歴史であれ、現在起こっていることであれ。知っていることを何でも歌にしていいというものではない」
 そりゃ、そうだろう。いわれるまでもなく、おれは秘密を抱えている。バルドの正体という秘密を。吟遊詩人になれても、この秘密を歌にするわけにはいかない。
 バルドのことだけじゃないぞ。
 いとこのホープの出生だって、守らなければならない秘密だ。
 そういうことはこれからだって出てくるだろう。
 期待したのに、一般論を言われただけかとがっかりしたが、そうではなかった。
「とくにその時代は秘密が多いな」と、先生は口にしたのだ。
「この時代の秘密……。それはどういうものなんですか?」
「言えないな。秘密だから」
 はぐらかすような答えに、おれはむっとした。
「それなら、なぜ、そういう中途半端なことを教えてくれるんですか?」
「もちろん、本来なら、秘密の存在自体が秘密だ。だが、きみは吟遊詩人を志望しているから、秘密があることは教えてもいいと思ったのだ。まだ吟遊詩人になっていないから、内容までは教えられないがね」
「つまり……。吟遊詩人になれたときには教えてもらえるわけですか?」
「ああ。きみが希望すればだが」
「希望すれば? 希望しない人もいるんですか?」
「むろんだ。秘密を知っても歌にできないし、人にしゃべれないというのは、なかなか重いからね」
 カイ先生は困った顔をした。
「わたしも、ほんとうならきみにこんな話をするべきじゃなかった。きみがこの話をだれかに不用意にしゃべったりすれば、わたしもきみも処罰されるのだからね」
「処罰?」
 夢のなかでバルドが言った言葉を思い出した。
 たしか、魔族をかばって殺された人間が何人もいたとか言ってなかったか?
「まさか……。死刑とか?」
 おそるおそるたずねると、先生は苦笑した。
「まさか、それはないだろうが、吟遊詩人への道は閉ざされると思ったほうがいい。へたをすると、国外追放とか、牢屋に入れられるといった刑罰を受けるかもしれないし」
 ちょっとほっとしたけど、やっぱりそれはいやだ。吟遊詩人にはなりたいし、牢屋に入れられるなんてまっぴらだ。
「おれ、だれにも言いません」
「そうしなさい。もしも歴史の本を調べていて何か気づいたことがあっても、不用意に人には話さないほうがいい」
 先生がそう言い残したのが、ちょっと引っかかっている。
 もしかして、歴史の本をたんねんに調べれば、秘密とやらのヒントが見つかるのだろうか?
 ひょっとして、先生は、それでおれに釘をさそうとして話しかけてきたんだろうか?
 それなら……。
 いつか吟遊詩人になれたときにわかる秘密だとしても、いま知りたい。だれにも話すわけにはいかないとしても。
 もっと歴史の本を調べてみよう。


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