吟遊詩人の日記−外伝・ホープ(その2)

立川が書いたファンタジー小説「聖玉の王」シリーズの世界が舞台の連載小説です。

トップページ オリジナル小説館 「吟遊詩人の日記」目次
前のページ 次のページ(「禁断の秘歌」その1)  

 2013年10月6日UP


 ホープのいとこが去っていくばくか経ったころ、そのいとこからムグという小動物が送られてきた。鼠に似た魔界産の動物で、ひそかに屋内で飼うことができ、よく繁殖するという。
 都の貧しい人びとが食用に飼っているということだったが、そんな情報はこの村には伝わっていなかった。
 放し飼いにすると鼠に病気をうつされる恐れがあるので、鼠の入れない容器で飼うようにという注意書きがあった。
 一家は試しに甕で飼い、仔が産まれたところで村人たちに事情を話して、仔を分け与えた。仔の行き渡らなかった家には、産まれたら順に分けていくと約束した。自分たちが食用にするのはあとまわしで、村人全員に普及させるのが先というのが、両親とホープの考えだった。
「今日の夕食がろくにないのよ。一匹ぐらい食べてもいいでしょう?」
 最初の仔が産まれたとき、言っても無駄だと思いながらも、ジョーザルはそう言わずにはいられなかった。
「なんてこと言うの、ジョーザル」
 予想通り、両親の表情は険しくなった。
「夕食が満足にないのは、みんな同じだ。いまさら言うまでもないが」
「まったく、おまえときたら。いつも自分のことばかり」
「どうしてそれが悪いの?」と、ジョーザルが言い返した。
「どうして自分より他人を優先させなきゃいけないの? 自分が恵まれていればともかく、いつもおなかをすかせている状態なのに?」
「ああ、おまえはどうしてそうなの?」
 母が嘆き、父が根気よく説得しようとした。
「たしかに今日の夕食も貧しいがね。このムグの仔を一匹食べないと餓死するというほどではない。それなら、いま食べるより、繁殖させてみんなに行き渡るようにしたほうがいいだろう? 貧しいからこそ、助け合いが必要なのだよ」
 口論のあいだも、ホープだけは無言のままだった。ジョーザルを非難する言葉はひとことも口にせず、ただつらそうな表情で両親と妹の争いを見守っている。それがいっそうジョーザルには腹立たしい。
「助け合い? 助け合いってのは、お互いに相手を助けるものでしょ? 村の人たちの誰が何をしてくれたっていうのよ?」
「恩知らずなことを言うんじゃないよ。自分がどれだけ人に助けられたかかんがえてごらん。おまえがまだかあさんのおなかにいたとき、姫さまが食べ物を分けてくださった。生まれてからは、村のみんなが気を使ってくれた。だからこそ、かあさんは妊婦に必要な栄養を摂っておまえを産むことができたのだし、赤ん坊ふたりを育てられるだけのお乳を出すことができたのだよ」
「ホープのかあさんが食べ物を分けてくれたのは余裕があったからだし、赤ん坊のときにみんながよくしてくれたのはホープのためだわ。わたしのためじゃない。みんな、ホープに対してはやさしくても、わたしに対しては悪口ばかり」
「そりゃあ、おまえのほうが意地っ張りな態度をとるからじゃないの」
「違うわ」
 ジョーザルにはそういうだけの根拠がある。
 幼いころ、ジョーザルは、ホープのように愛されたくて、両親に対しても村人たちに対しても、従順にふるまっていた時期があった。
 だが、ホープはつねに特別。なにしろ村を救おうとして命を落とした吟遊詩人と姫君の子供なのだ。そのうえ、幼いころから村人たちの疲れた心を癒す歌声の持ち主だった。
 英雄的な出生のうえ、人を魅了させずにはおかぬ天性の才能があるとなれば、愛され、崇拝されるのは自然のなりゆきだろう。平凡な子供が特別な子供のように愛されようとしても無駄。それがわかるにつれ、ジョーザルは従順にふるまうのをやめた。
 その反動で、ジョーザルは反抗的な娘に育っていった。両親が実の娘のジョーザルよりホープを大切にしていることへの不満や、ホープを特別視していながら、姉妹として育っているがゆえにジョーザルをホープと比較したがる村人たちへの反発から、怒りっぽくて反抗的な言動をとることが多くなり、そのためホープと比較して叱られたり批判されたりすることがいっそう多くなって、ジョーザルはさらに不満を募らせる。その悪循環が繰り返されてきたのである。
 自分の憤りの理由をどう言えばわかってもらえるのか、ジョーザルにはわからない。というより、言ってもわかってもらえないという思いがある。
 憤りのままにジョーザルは家を飛び出し、村はずれの小川に向かった。
 小川のほとりにある楡の木陰は、ジョーザルのお気に入りの場所だった。両親やホープへの怒りが募ってたまらなくなったときやなんとなくひとりになりたいとき、ジョーザルはいつもこの木蔭を訪れた。
 木蔭で水の流れを眺めていると、たまった怒りや両親とわかりあえぬ孤独感がつかのまでもほぐされ、癒される。ゆえに、そこはジョーザルのお気に入りの場所だった。
 いまも、日没間際の夕陽を反射して流れる水の流れを見ていると、ジョーザルはほっとした。だが、その興奮が鎮まらぬうちに、安らぎは破られた。
「ジョーザル」
 あとを追いかけてきていたホープが声をかけたのだ。
 ジョーザルは振り向き、ホープを睨んだ。先ほどの憤りに加えて、安らぎの場に侵入された怒りが加わっていた。
「なによ?」
「とうさんとかあさんが自分のことより他人のことばかり考えるって文句を言っていたのは、わたしのことを言いたかったんでしょ? 自分の娘より他人の娘のほうをだいじにしているって」
「なによ、わかってるんじゃない」
「それで? わたしがそれを喜んでいるとでも思っているわけ?」
「喜んでいるんでしょ」
「あなたにはわからないのね。それがどんなに重荷なのか」
 ジョーザルは腹を立てた。
「とうさんやかあさんにあれだけ愛されていて、重荷だっていうの?」
「もちろん、とうさんにもかあさんにも感謝しているし、愛してもいる。でも、大きすぎる期待は重荷だわ。期待の内容が具体的でないならなおさらね。どうやって期待に応えればいいのかわからないもの」
「勝手なことを」
 腹を立てながらも、ジョーザルは、いつものように優等生的ではないホープの言葉に興味を引かれていた。だからといって、ひどい言い分だと思う気持ちに変わりはなかったが。
「とうさんやかあさんがかわいそうだわ。あんたに惜しみない愛情を注いでいるのに。恩人の娘だからといって、実の娘よりも深い愛情をね」
「わかっているわ。だから、わたしも同じことをする。わたし自身よりも恩人の娘を大切にする」
「え?」
 ホープが何を言いたいのかわからず、ジョーザルはけげんそうな表情になった。
「恩人の娘……ってだれ?」
「もちろん、あなたよ」
「え?」
「自分たちが食べていくのが精一杯のこういう貧しい村で他人の子供を育てるなんて、とてもたいへんなこと。でも、父さんと母さんはわたしを育ててくれた。そうしてくれなければ、わたしは死んでいた。父さんと母さんは命の恩人だし、あなたは恩人の娘。だから、ジョーザル、わたしはあなたのために何でもするつもりよ」
 発想の飛躍についていけず、ジョーザルは口をぱくばくさせた。
「言ってちょうだい、ジョーザル。わたしにどうして欲しいの?」
 ジョーザルは怖くなって一歩後ずさった。
「へ、変よ、ねえさん」
 さらに一歩さがろうとしたとき、ホープがさっと動いてジョーザルの手首をつかんだ。
「危ない」
「えっ?」
 ホープのほうに引き寄せられながら振り向いて、ジョーザルは、小川に落ちかけたのだと気がついた。
 引き寄せられて姉との距離が接近したのに狼狽し、ジョーザルは姉の手を振り払った。
「へ、変なこと言って混乱させないでよ! わけのわからないこと言ったって、そんな屁理屈で丸め込まれないわよ」
「屁理屈? わけがわからない?」
 困惑した口調で問い返しながらも、ホープは後ろに下がった。
「なぜ、わけがわからないの? 父さんと母さんは恩人の娘だからというので、自分たちよりも、実の娘よりもわたしを大切にしてくれた。だから、わたしはその恩に報いるの。恩人の娘であるあなたをわたし自身よりも大切にするの。それのどこがおかしいの?」
「お、おかしいでしょ。そんな聖人君子みたいなことできるわけないわ」
「やらなくちゃいけないの。わたしは聖人君子みたいでなくちゃいけないの。それがわたしに期待されている役目なのだから」
 それだけ言うと、ホープは身を翻して立ち去った。
「変よ」
 混乱しながら立ち尽くしていたジョーザルは、姉の姿が見えなくなってから、ようやくどこが変なのか気がついた。
(恩人の娘っていうなら、ねえさん、あんただってそうじゃないの)
 実の娘ではなくても、ホープだって父と母の娘だ。ジョーザルだけを恩人の娘というのは変だ。それに両親だって、恩人の娘だからという理由だけでホープをかわいがったわけではあるまい。
 では、ホープがジョーザルに対して示した優しさはどうなのだろう?
 「妹だから」という優等生的な愛情も苦痛だったが、あれが姉妹の情ではなくて「恩人の娘だから」という理由なら、それはそれで腹立たしい。そんな理由の献身など望んではいない。
 そう思う一方で、ホープもまたそういう愛情を望んではいまいとも思う。そんな理由で大切にされたら、たしかに重荷だろう。
(いや、でも、父さんと母さんの愛情がそんな理由だけってことは絶対ないし)
 それがわからないなら、ホープは愚か者だ。頑固で偏狭だ。
(いや、やっぱり、ねえさんにはめられたのかも)
 期待されているのもたいへんなのだと言いたくて、あんな例え話をしたのかもしれない。
 あれこれ考えていると、ますますホープの考えていることがわからなくなる。
 ただ、「聖人君子でいなければならない」と言ったときの悲痛な響きは、姉の悲鳴をはじめて聞いたように感じられ、ジョーザルの心に残ったのだった。


「禁断の秘歌」という話を先にUPしたいという事情から、外伝「ホープ」はいったん中断。「禁断の秘歌」終了後に再開します。
ジャンプ先の「次のページ」は、それまで「禁断の秘歌」1ページめです。「ホープ」再開後、「ホープ」のつづきにリンクし直します。

ご感想や励ましのメッセージなどございましたらゲストブックにどうぞ。
(ゲストブックからはプラウザの「戻る」でお戻りくださいませ)

この作品を気に入ってくださった方は、
下記から小説検索サイトNEWVELに投票してやってくださいませ。

NEWVELへの投票

上へ

前のページへ