2003年8月2日修正
ハウカダル暦321年夏至の月6日
シグムンドの誕生パーティは深夜までつづき、おれたちは用意されていた寝室に泊めてもらった。早朝に起こしてもらって仕事にいったけど、ひどく眠かった。きょう、学校は休みだけど、仕事はあったから。どっちかというと、夏至祭をひかえていつもより忙しいもんな。前の晩に夜ふかしするとわかっていたからといって、休みをとるわけにもいかなかったしな。
仕事はなんとかこなしたけど、やっぱり眠気が尾を引いてぼーっとしてたんだろうな。帰りに市場のそばを通り抜けたとき、財布をすられてしまった。小汚い服装の男の子がぶつかってきて、あやまりもせずに走っていったんだが、そのときにやられたらしい。そばにいた野菜売りのおばさんに、「あんた、持ち物はだいじょうぶかい?」と言われて、たしかめたら、財布がなくなってたんだ。
「盗みとかして暮らしている子だよ」と、おばさんが説明してくれた。
「王妃様が、親のない子のめんどうを見る施設をつくったのに、そこに入らずに盗みをして暮らしてる性悪な子がたくさんいるんだ。とくに、あの子。見ただろ? あのまっ黒の髪」
たしかに、その少年は黒髪だった。珍しいし、噂に魔族が黒髪だってきいたことがあるから、思わずぎょっとしたけど、まさか魔族じゃないよな。いくらなんでも、魔族の子どもが都に入り込んだりしたら、とっつかまっているはずだよな。
そう言ったら、おばさんは首をふった。
「あたしもそう思うよ。いくらなんでも、魔族ってことはないよねえとは思うんだけどさ。耳もとがってないし。でも、あの黒髪とか、性悪さとか、すばしっこさとか。魔族じゃないかねえ」
ともかく、これだけ特徴のある子どもなら、捜せるかもしれない。そう思って、いろんな人に聞いてみたけど、子どもは見つからなかった。ただ、名前がレイヴらしいってことだけはわかった。
しかたがないので、きょうのところはあきらめ、役所に届けてから寮に帰ってひと眠りした。睡眠不足で頭がすっきりしなかったし。目が覚めてから、もう一回探しに出かけたけど、わからなかった。あの財布には、きのうもらったおひねりがたくさん入ってたのに。くっそ〜〜。
ハウカダル暦321年夏至の月7日
実家に泊まりがけで帰っていたウォレスが戻ってきた。おれがしょげかえっているのに気づいたらしく、どうしたのかとたずねてきたので、財布をすられたことを話した。
「そりゃ、災難だったな。財布が見つかる望みは、まあないと思ったほうがいいだろうな」
ウォレスが同情してくれた。
「盗みをして暮らしてる子が多いとか聞いたけど、どうして王妃様のつくった施設に入らないんだろうな」
そう言ったら、「戦争にいくのがいやなんじゃないか」という返事が返ってきた。
「施設にいれば兵士にならないといけないってわけでもないけど、男だと、兵士以外のものになるのは、まあむずかしいな。施設を出たあと、親も教養もない者がつける仕事は少ないってのもあるけど、兵士は不足していて、国に養われたてまえ、兵士になりたくないなんてとてもいえるような雰囲気じゃないらしい。で、兵士になれば、いちばん使い捨てにされやすいしな」
うーん。そういう理由なら、おとなしく養われていずに、かっぱらいでもしてひとりで生きようというのも、わからなくはないかな。盗みをして暮らしてても、役人につかまったら処罰されるんだから、危険な暮らしには違いないけど、戦争にいくよりはましだろう。
ハウカダル暦321年夏至の月8日
きょうは夏至祭だった。街はたいへんな人手だった。村の夏至祭も、酒やごちそうが出たり、みんなで踊ったりしてにぎやかだったけど、都はその比じゃない。
広場に、いつもの十倍ぐらいの店が出ていた。通りを歩いている人も、いつもの十倍ぐらいはいそうだ。王様のおごりだというので、広場に大きなビールの樽がいくつもあった。みんな、それぞれ角製や土器の杯をもって行列に並んでいる。おれも行列に並んでビールをもらい、その場にいた人たちと乾杯した。
楽しかったけど、おとついのことがあったから、財布には気をつけていた。小銭が少ししか入っていないけど、盗られるのはもうごめんだ。
そうしたら、あんのじょう、財布をすりとろうとする子どもがいた。おとついのレイヴって子とは違う。もっと年下で、よくある栗色の髪で、あの子ほどすばしこくはなかった。
その子の腕をつかまえたら、そばにいただれかが叫んだ。
「いいぞ。にいちゃん。つかまえててくれ。きょうこそ役人に引き渡してやる」
たじろいで、思わず手を離したら、その隙に子どもは逃げ出した。そばにいた人がその子をつかまえようとしたとたん、小石が飛んできて、その人の手にあたった。
石が飛んできた方向を見ると、黒髪の子どもが逃げていくのが見えた。レイヴって子だ、たぶん。
あとを追いかけようとしたけど、すぐに見失ってしまった。追いかけたとき、広場のはずれの少しさびしいところに出たんだけど、そこではじめて気がついた。うす汚れたかっこうをした子どもが何人もいる。祭りに出たいけど、広場に入れば追い払われるので行けない……というふうに見えた。だれもが祭りを楽しめるわけじゃないんだ、この都では。
ハウカダル暦321年太陽の月12日
かあさんとホープからそれぞれ手紙が来た。うちの村からホープたちの村を通ってシグトゥーナにくる商人がいて、手紙を預かってきてくれたんだ。
手紙を届けてくれた商人の話では、商人たちは、うちの村とシグトゥーナを行き来することはけっこう多いけど、ホープの村を通ることはあまりないらしい。村々が貧しすぎて、あまり商売にならないんだそうだ。ホープの村にいく商人は、ほとんどが領主様の館の用らしい。
ってことは、安心して手紙を託せる人はめったにこないということだよな。
それでも、ホープの手紙では、「相変わらずです」というふうに、婉曲な書き方をしている。まんいち領主様やその息のかかった人に見られるとまずいからだろうな。
ホープの村の貧しさを思い出す。で、思うんだが……。ムグのことをホープたちに教えてやれないかな? たしかホープたちは、庭で鳥やなんかを飼っても税金の対象にされると言っていた。でも、ムグなら家の中で飼えるって聞いたから、こそっと飼って、食糧の足しにできないかな?
ムグを飼うのはむずかしいんだろうか? どのぐらいの食糧が手に入るんだろう?
ウォレスに聞いてみると、冷たい返事が返ってきた。
「自分が気持ち悪くて食べられないのに、他人には勧めるのか?」
以前のこと、根にもっているみたいだ。
あやまってから、ホープたちのことを話した。もちろん、ホープの身の上は伏せておいたし、どこの村かもいわなかったけど。いとこの住んでいる村がとても貧しくて、しかも領主様が過酷なのだということは話した。
「まだムグを食べたことはないけど、いっぺん食べてみようとは思っているよ。……そのう、丸焼きとかは、形がわかってしまうからちょっと苦手だけど……。スープを売ってるのも見かけたし……」
そう言ったら、ウォレスは「スープ?」と、ふしぎそうな顔をした。
「ムグは、家庭料理ならスープにすることもあるけど、広場で売っているのは丸焼きばかりだろう?」
「いや、広場のだいぶん北にはずれたところで売っているのをときどき見かけるよ。石畳がとぎれて、草ぼうぼうの空き地になっているところがあるだろう?」
「それはひょっとして、貧民窟の入り口じゃないのか」と、ウォレスは目をむいた。
「そうなのか? 貧しそうななりの人をよく見かけると思ったが」
「あきれたやつだ。そんなところで売っているものを食べるんじゃない! 不潔じゃないか」
ウォレスの言い方に、軽蔑がにじみ出ているので驚いた。ウォレスは貴族や金持ちを軽蔑していると思っていたが、自分たちより貧しい人々も軽蔑しているんだろうか?
「なんで不潔なんだ?」
問い返したら、「ときどき残飯を使っているからだ」という返事が返ってきた。
そ、そうか……。それはたしかに気持ちが悪いな。
「それに、そういうところでは、子どもなんかがつかまえてきた野生のムグを安く買いたたいて使っていることがある。野生のムグは食べないほうがいい。おまえ、以前に、ムグはネズミに似ていて気持ちが悪いと言ってたが、たしかにムグは、魔界原産のくせに、ネズミに似た生き物らしくてな。ネズミの病気がうつることがあるみたいなんだ。だから、食べるのは、食用として家庭で飼っているのにかぎったほうがいいんだ」
ネズミの病気……。それは恐いかもしれない。ネズミは恐い病気を運ぶって、聞いたことがある。
「ムグのスープを食ってみたいなら、今度うちに来いよ。ムグの実物も見せてやる。じつは、次の次の休み、おれの誕生祝いをするんだ。学校の友だちを呼べとか言われてたからちょうどいい」
そう言ってくれたので、ありがたくウォレスの申し出を受けることにした。