吟遊詩人の日記−王都のその3

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 2003年8月2日修正 


  ハウカダル暦321年豆の月11日

 ウォレスの誕生祝いに出かけた。シグムンドのときと違って、家族以外はおれだけという内輪のパーティだった。
「ああ、よかった。この子にちゃんと友だちができたんだねえ」
 ウォレスのおかあさんが涙ぐみながらそう言ったので、ちょっとびっくりした。ウォレスって、母親に心配されるほど友だちがいなかったっけ? まあ、優等生ってので敬遠されてはいるけど。ウォレス自身、金持ちや貴族の学友とは距離をあけようとするところがあるし……。でも、いいやつなのにな。
「都ははじめてで、わからないことだらけで、ウォレスにいろいろ教えてもらって助かっています」
 そう言うと、おかあさんはホホホと笑った。体が弱いとかで、はかなげな印象の人だ。家族はほかに、おにいさん夫妻と妹さんだった。いつも洗濯を頼んでいるおねえさんは、おにいさんの奥さんだ。
 ムグはというと、居間を兼ねた食事室の片隅に甕が二つ置いてあって、そこにそれぞれ、おとな数匹と子ども数匹ぐらいずつのムグが入っていた。
「あと、にいさんたちの寝室と、かあさんたちの寝室に一つずつムグの甕がある。部屋が狭いから、ここに全部は置けないんだ」
 ウォレスがそう言ったので、寝室につづくドアが二つしかないと気がついた。おにいさん夫婦で一部屋、おかあさんと妹さんで一部屋ってとこか。ウォレスの部屋がない? ひょっとして、おにいさんが結婚したので、ウォレスの部屋がなくなった? 家が貧しいといいながら、ウォレスが寮費のかかる寮にわざわざ入っているのは、それが理由なんだろうか?
 疑問に思っていたら、あとで寮に帰ってからウォレスが話してくれた。おれの推測どおりだけど、ウォレスはそれを不満に思っていない。そもそも彼が音楽学校に入学できたのは、おにいさんのおかげらしい。おかあさんが病気になったとき、おにいさんが債務奴隷になって、四年間鉱山で働いて、おかあさんの薬代を工面したんだけど、ほんとはそれは三年間で足りたんだって。
 でも、おにいさんは一年余分にきつい鉱山の仕事をして、お金をつくってから家に戻ってきた。いざというときの蓄えを多少なりともつくるのと、ウォレスを音楽学校にやるために。
「兄貴はよれよれになって戻ってきた。過労で死ぬ人間だって珍しくないようなところなのに。おれのために一年余分に働いたんだ。だから、幸せになって欲しい」
 ウォレスがしみじみと語っていた。いいにいさんなんだな。おれ、妹たちにそんな兄貴らしいこと、してやったことなかったな、そういえば。
 おっと、かんじんのムグのことを書き忘れてる。
 ムグは、魔族と同じで、生まれたときには性別がなくて、生後半年ぐらいで性別が分かれ、卵を産むようになるんだって。卵は、鳥なんかと違って、産み落とした時点で、中にもう胎児みたいなのが入っている。それを食べるちょっとぜいたくな料理もあるけど、ふつうはもったいないからやらないそうだ。
 性別は、だいたいオス一匹にメス二匹ぐらいの割合で分化する。オスはほとんど育ちしだいに食べてしまうが、たまに、生まれたのとは別の甕に移して種オスにする。血が濃くなりすぎないように、ムグを買っているほかの家と、若いオスを交換することもある。いま甕にはいっているおとなのムグは、種オスがそれぞれの甕に一匹ずつで、あとはメスだそうだ。メスをたくさん残したほうが効率がいいのは、ニワトリや羊といっしょだな。
 メスもおおかたは育てば食べるが、何匹かに一匹、じょうぶそうなのを残しておいて、卵を産ませる。年に3〜4回、一回に3〜6個ぐらいずつ卵を産む。エサは雑草でいいし、じょうぶだから、飼うのはわりとかんたんらしい。ウォレスんちでは、家族で年に二百匹近くのムグを食べているんだそうだ。
 きょうみたいに、ひとり一匹ずつ丸焼きにして食べるのは特別なごちそうで、一匹か、ときには二匹をスープに入れて家族全員で食べるのが、わりとふつうの食事らしい。
 うーん、これ一匹を四人で食べるのなら、やっぱり食べ足りないだろうなあ。
 もちろん、ほかの動物の肉や魚を市場で買って食べることもあるけど、ムグのおかげで食費がかなり助かっているらしい。
「ムグがなければ、肉を口にするのは何日かに一回とか、でなければスープに肉のきれっぱしが浮いているだけみたいな、貧しい食事になるだろうね。よく繁殖してくれるんで助かるよ。狭い家でも飼えるし」
 ウォレスはそういって笑った。
「飼ってればかわいくなって、子どものときなんて、食べるのはいやだと思ったこともあったぜ」とも言ってた。
 そうだな。そう言えば、おれも、かわいがっている羊が肉にされるって聞いて、泣いていやがって、おやじに叱られたことがあったっけ。見てると、けっこうかわいいもんな、ムグって。

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  ハウカダル暦321年豆の月17日

 ホープたちの村のほうにいく飛脚がいるって聞いたから、ムグを届けてもらうことにした。ムグはウォレスに譲ってもらった。腹に卵をもっているメス二匹と若いオス一匹。三匹はそれぞれ別の甕で飼ってたやつだ。つまり、メス二匹の卵の父親は別のオスだし、いっしょに入れたオスとも別のやつってことになる。これなら、最初が三匹でも、何代かは血が濃くなり過ぎないように繁殖させることができるってわけだ。
 ウォレスに聞いた注意書きをつけておいた。小さな壺に入れて送るけど、着いたらもっと広い容器に移すようにとか、子ムグが育って、オスとメスに分化したら、同じメスからうまれたオスとメスを交尾させないように、別の容器に移すようにとか。乳離れしたら親から離してもだいじょうぶだとか、種オスは年をとるまで若いのと取り替えないほうが、血が濃くなり過ぎるのを防げるとかも書いておいた。
 ムグが、ホープたちの役に立つといいなあ。ほんとうは、村じゅうにいきわたるほど送ってあげられればいいんだけど。おれにはこれがせいいっぱいだ。


  ハウカダル暦321年同盟の月13日

 ホープからお礼の手紙がきた。いいアイデアかもしれないと書いてあった。どうやら喜んでくれたみたいだ。
 メス二匹のうち、一匹は五個の卵を産み、四個が孵化したばかりだそうだ。もう一匹は三日ほど遅れて四個の卵を産み、まだ孵化していない。両方の卵がかえって、子ムグが乳離れしたら、一匹ずつ組み合わせて、村人に譲るつもりだという。気味悪がる人もいるけど、欲しがった人も何人かいて、あげる順番を決めているという。
 とりあえず、食べるより増やすほうを優先するつもりで、子ムグをあげることになっている家も、繁殖させてからさらに別の家に子ムグをまわす……というふうに、すでに取り決めをしているんだそうだ。
 ウォレスにその話をすると、「ずいぶん仲がいい村だなあ」と驚いていた。
 そうだよなあ。ふつう、食うにも事欠いていれば、自分たちが食べるほうを優先するよなあ。あの村の人たちがそうなのかな? それとも、ホープの養父母がそういう性格なのかな。血縁でもないホープを育ててくれたぐらいだから。


  ハウカダル暦321年同盟の月21日

 きょうとあすは同盟記念日のお祭りだ。お祭りったって、魔族の侵攻に対応するために十二の王国が同盟を結んだ記念日なのだから、べつにおめでたいものじゃないけどさ。
 でも、学校はお休みで、きょうとあすの二日間、広場やあちこちで吟遊詩人たちの歌が聴ける。それがとても楽しみだ。村にも、毎年この日には、少なくともひとりかふたりの吟遊詩人が来ていたけど、都には何十人もの吟遊詩人が集まるそうだから。
 あちこちみてまわって、何人かの歌を聴いた。いままで聴いたことのない歌もいくつもあった。あしたも聴いてまわるぞ。


  ハウカダル暦321年同盟の月22日

 きょうはひどい失敗をした。
 吟遊詩人たちの歌を聴いてまわっていたとき、追い払われている子どもたちがいたんで、思わず声をかけたんだ。「まだ学生で、あんまり歌を知らないけど、それでよかったら歌ってあげようか」って。
 身なりが貧しいばっかりに、吟遊詩人の歌が聴けないなんて、あんまりだと思ったから。ひどいよな。追い払うなんて。吟遊詩人本人じゃなくて、聴いていた聴衆がやったことだけど、詩人は止めなかった。それもちょっとショックだったんだ。
 子どもたちについて、以前、夏至祭のときにちょっと踏み込みかけたあたりのもっと奥のほう、たぶんこの子どもたちの住みかと思われるあたりまでいったら、そりゃあひどいもんだった。共同住宅らしい崩れかけの古い建物もあったけど、それはましなほうだ。
 建物と建物とのあいだの隙間に入って、すわりこんでいる者もいた。どうやらそこに住んでいるらしい。完全に崩れた建物の柱と柱のあいだに草で屋根をつくり、壁もドアもない住みかでなんとか雨をしのいでいる者もいる。
 これからだんだん寒くなっていくのに、こんな吹きっさらしで凍えないのだろうか。
 子どもたちがせがむので、魔族との戦いや同盟について、知っている歌をいくつか歌った。「同盟の誓い」とか、「同盟の日」とか、「ボルド谷の戦い」とか。
 歌っているうちに、ほかの子どもたちとかおとなたちも集まって、いつのまにか周囲に人だかりができた。本物の吟遊詩人になったみたいで、ちょっといい気分だった。
 聴衆のずっと向こうのほうに、聴いているのかどうかよくわからない風情でたたずんでいる人影があって、以前におれの財布をかっぱらったレイヴとかいう少年じゃないかと思ったけど、きょうはかまわないことにした。どうせ、お金が残っているとは思えないし、この雰囲気をこわしたくなかったから。まわりの聴衆にとっては、たぶんレイヴって子は仲間なんだろうから、つかまえようとしたらこちらに敵意をもつだろう。そんなことにはなりたくなかったし、それに……。
 ここの人たちのようすをみていたら、もうあれはあきらめようという気にもなってきた。
「あたしたち、おひねりが払えないんだけど」
 聴衆のひとりで、おふくろぐらいの年の女性が言った。
「かまいません。おれ、まだ学生で、まだほんものの吟遊詩人にはなっていないんです。だから、ご遠慮なくリクエストしてください。知っている歌なら歌いますよ」
「ほんとかい?」
 みんな目を輝かせていろいろリクエストをしてきたので、知っている歌なら歌った。とはいっても、知っている歌は、リクエストされたうちの五曲に一曲ぐらいで、ちょっとなさけなかったけど。
 なぜか、リクエストをするのは年配の人ばかり。それもたいていは女性。男たちや子どもたちはじっと聴いているだけだ。
「きみたちは? 知っている歌なら歌うよ」
 子どもたちに声をかけたら、子どもたちは首を横に振り、ひとりが答えた。
「よくわかんない。あまり聴いたことないし。聴こうとしたら、追っぱらわれるし」
「ここの子どもたちには歌を聴く機会はめったにない」と、年寄りのひとりが口をはさんだ。
「歌を知っているのは、若いころに娼婦やなんかで街中で暮らしていた女たちや、以前はもっとまともな暮らしをしていたこともあったという者たちだけだ」
「歌をつくって」と、子どもたちのひとりが言った。
「吟遊詩人は自分で歌をつくることもあるって、ばあちゃんに聞いたことがある」
 それで、おれは即興でなにか歌をつくろうと思った。最初に浮かんだのは、こうやって歌を聴いてもらえる感動と感謝の気持ちをあらわした歌で、本物の吟遊詩人と比べればずいぶん拙いものだったと思うが、みんな喜んでくれた。
 そこでやめておけばよかったんだけど……。「もっと歌をつくって」とせがまれて、つい調子に乗ってしまったんだ。わき起こってきたのは、都にくるとちゅうでみた貧しい村々のようすや、都の貧しい人々をみたときの衝撃。それまで知らなかった現実を知ったときの衝撃……。
 それをつい歌ってしまった。周囲の聴衆たちがどう思うかも忘れて。
 はっと気がつくと、小さな子とかごくわずかな人々がすすり泣き、そのほかの多くの人々は、怒った顔でこちらをにらみつけている。彼らの誇りをひどく傷つけたのだと気がついた。
「で? 豊かな村に育ったあんたは、貧乏なわたしらを哀れんでいるわけだ」
 ついさきほどまで喜んで聞いてくれていた女性が、冷たい声で言った。
「違う。おれはそんなつもりじゃ……」
 そう言ったとたん、小石が飛んできて頬にあたった。ふり向くと、おれをここに案内してきた子どもたちのひとりが、目に涙をためてこちらをにらみつけていた。怒りに満ちた視線や表情より、その涙が心に痛かった。
「違う」と言ったけど、何が違うのか、自信がなくなった。
 たしかに、彼らを哀れむつもりも、見下すつもりもなかった。でも、傲慢で考えなしだったのはたしかだ。
 みんなが去っていったあと、レイヴって少年だけは、あいかわらず離れた木の下にずっといた。こちらを見ていたから、やりとりは聞いていたのだろう。
 でも、とても盗まれた財布のことを蒸し返す気分じゃなくて、そのまますごすご帰ってきた。


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