2004年5月17日UP (2005年8月16日 修正 このすぐ下の部分に魔族についての説明追加しました)
ハウカダル共通暦321年収穫の月18日
きょうの歴史の時間は、魔界からの魔族の侵攻がはじまった時代についてだった。
魔界から魔族が侵攻してきたとき、人間の十二の王国にはすでにたくさんの魔族が住んでいた。
魔族ってのは、一見、人間に似ているんだけど、やたらにきれいで、髪が真っ黒で、耳が尖っている。小さな頃には性別がなくて、少し育ってから男の子と女の子に分かれ、おなかに袋があって、赤ん坊はそのおなかの袋で育てるんだそうだ。
で、人間の王国に住み着いた魔族のなかには、文官や学者、騎士などとして高い地位に就いた者、兵士になった者もたくさんいた。
彼らははじめ魔界からきた魔族たちと戦ったが、やがて魔界の魔族たちに通じたり、合流するようになった。もともと彼らは魔界からの先兵や間諜として人間の王国に潜入していたのではないかともいわれた。
人間の側は、裏切って魔界軍に走った魔族の身内や、魔界からの間諜の疑いのある魔族たちを処刑した。処刑とはいっても、各国の王が処刑を命じる前に、一般民衆の手によっておこなわれた私刑が多かったらしい。
ホルム王国で国王が国内の魔族の殲滅に踏み切るきっかけとなったのは、宰相一家の私刑だった。なんと当時のホルム王国の宰相も魔族で、一家ぐるみで間諜という疑惑を持たれながら、そのまま宰相の任に就いていたのである。
地位が高いためか、王でさえ宰相には手を出しかねていたのだが、血気にはやった若者たちが宰相一家の邸宅を襲った。邸宅は炎上して、一家は全滅した。
この事件の報が広まると、都のあちこちで魔族たちが暴動を起こし、王は国内の魔族の殲滅を命じたのだという。
いままで漠然と聞かされていた戦いのはじまりって、魔界の魔族が攻めてきて、人間とともに暮らしていた魔族がそれに呼応した……ってだけだったけど、くわしく習うとちょっと驚いたな。
だって、人間とともに暮らしていた魔族が処刑されたってことは、赤ん坊や小さな子供なんかも殺されたんだろ?
たとえ親たちが間諜だったとしても、子供が殺されるのはかわいそうだよなあ。
そんなことを考えていたら、先生が「バルド」と呼びかけた。
「どうした? 気分が悪いのか?」
驚いてバルドのほうをふり向くと、顔色がまっさおで、かなりつらそうにしていた。
「すみません。授業のとちゅうですけど、抜けさせていただいていいですか?」
そう言う声も弱々しく、立ち上がると足元がふらついている。
「おい、だいじょうぶか? ……だれか」
先生が言いかけたので、おれは立ち上がった。
「おれがついていきます。寮で同室なので」
バルドのところに行って肩を貸そうとすると、バルドが弱々しくふり払った。
「ほっといてくれ。ひとりで歩ける」
「無理だよ。ふらついてるじゃないか」
強引に肩を貸し、教室を出るとき、先生が後ろから声をかけた。
「応急室でしばらく休ませるといい」
応急室ってのは、貧血とか暑気あたりなんかで気分が悪くなったときとか、ちょっとしたケガをしたときなどに、ベッドで休んだり、応急手当てを受けられる部屋で、薬師さまが常駐している。
「そうします」
そう言って教室の外に出たんだけど、肩を貸しても、バルドは歩くのがきつそうだった。
「おぶってやるよ」
そう言って背中を向けると、バルドはためらったようだったが、歩こうにも歩けないようで、結局、素直におれの背中におぶさった。
どうしてバルドの具合が悪くなったのかはよくわからないけど、たぶん貧血かなんかだろうな。授業でやってたのがわりと残酷な話だったし……。
漠然とそう思ってたら、当たっていたのが応急室まで行ってわかった。
「よくこうなるんです。薬はいりません。ベッドだけ貸してください。しばらく休んだら治りますから」
バルドが薬師さまにそう言い、バルドをベッドに下ろして寝かせてやったら、驚いたことにバルドがおれの手をつかんで言ったんだ。
「おまえも残酷だと思ったよな、きょうの授業の話」
「ああ」
うなずくと、バルドがほっとしたようにほほえんだ。バルドはいつも無表情か、でなければ怒ったような顔をしているかで、ほほえむところなんて見たのははじめてだったから、ちょっとびっくりした。
「残酷な話が苦手なんだな、おまえ」
バルドがうなずいた。
「むかしのことを思い出して……」
言いかけて、バルドはしまったという顔をした。
「すまん、忘れてくれ」
よくわからないが、バルドは子供のころにでも、何か残酷な場面を目撃するというような、恐い体験をしたんだろうな。それで、残酷な話を聞くと気分が悪くなるんだろう。それを人には隠しているんだろうな。
残酷な話を聞くと気分が悪くなるなんて言うと、軟弱者扱いするやつだっているだろうし。
「わかった。忘れるよ。でも、打ち明けたくなったらいつでも言ってくれ」
バルドはうなずいてもういちどほほえんだ。それから、おれの手をしっかりつかんだまま眠ってしまった。
手をほどこうとしてもほどけないし、無理に力を入れると起こしてしまいそうで困っていると、おれがバルドのベッドから離れないのを不審に思ったらしく、薬師さまがのぞきこんで苦笑した。
「寝不足もだいぶんたまっていたようだな。環境が変わると眠りが浅くなる人はよくいるから」
ああ、そうかと思った。この学校に入学して、寮で同じ部屋になった先輩とはうまくいってなかったんだ。おれと同じ部屋になってからも、おれに気を許していないって感じだったし。緊張とかで寝不足になっていてもふしぎじゃない。
そこへ、過去のつらい体験を思い出すような話を聞かされて、気分が悪くなったんだろうな。
そう思うと、ますますバルドを起こしてしまうようなことはよそうと思って、おれはベッドのそばで彼が目覚めるのを待つことにした。
バルドの寝顔を眺めていると、妹たちのことを思い出した。わりと女らしいディアはもちろん、勝ち気なエダも、寝顔は無邪気なもんだ。
いままでおれに気を許そうとしなかったやつが、こうして無防備な寝顔を見せていると、なんだか小さな子供みたいでかわいくなってくるからふしぎだ。
で、バルドは、歴史の次の授業が終わるころまで眠りつづけ、ようやく目を覚まして、おれを見てあわてていた。
「どうして教室に戻らなかったんだ?」
「おまえがおれの手をつかんだまま離さなかったからだろ?」
そう言うと、バルドはますますあせっていた。
「すまない。……あの、何か妙なことを口走らなかったか? その、眠る直前のことはおぼろげながら覚えてるんだけど……。寝言とかで……」
「いや、ぐっすりよく眠っていたよ」
「ぐっすり……。そうだな。久しぶりによく眠ったような気がする」
それから、おれたちはいっしょに授業に出た。次の授業もいっしょだったからだ。バルドはすっかり元気になったみだいだったし、寮に帰ってからも、きのうまでのようにピリピリしていない感じがした。
・「応急室」は現代の保健室とほとんど同じようなものなので、「保健室」にしようか思ったんですが、「保健室」って、どうも現代的なイメージがしてしっくりこないもんで、あえて「応急室」なる造語をつくりました。 ・「薬師」は、医師ほど本格的ではないかんたんな治療をしたり、薬の調合をする人です。 |