暗い近未来人の日記−営業所・その7 |
日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2023年5月5日UP |
2093年9月22日
久しぶりに事務部門に戻った。次の月締めが終わるまで事務部門で働き、そのあと十月も九月と同じように二週間ほど店舗部門に行って、下旬に事務部門に戻るというスケジュールなのだという。
店舗部門は一日ほとんど立ちっぱなしの日が多かったから、座って仕事をできるのはホッとする。けど、人間関係はこっちのほうがしんどいんだよな。
2093年9月29日
入社してまもなく半年というので、反省だの、感想だの、希望だのを書く用紙を配られた。反省とか感想とかは、本音を書くとまずいだろうから、当たり障りのないことを適当に書いた。
この会社を続けたいかという問いには「続けたい」に、正社員を希望するかという問いには、「希望する」にチェックした。いろいろ問題のある会社だということはよくわかったけど、収入がないと困るもんね。
入社前のアルバイトも含めて、配属されたことのある部署のうちで、正式配属されたい部署はあるかという問いには、「タイムカプセル課に配属されたい」と書いた。あそこだけは、仕事内容も人間関係も、ずっと続けたいなと思ったもの。
心配なのは、タイムカプセル課が廃止になるかもしれないという話。廃止にならずに、配属されたらいいな。
2093年9月30日
今日の昼食、事務部門の女性たちで出前のお弁当を食べた。今までにも何度かそういうことがあって、正直言って、いつも不愉快な昼食だった。
今日も、数分で食べ終えた遠藤さんが、パタパタ化粧直しをはじめた。窓から入ってくる風で、おしろいの粉が、遠藤さんのすぐ隣で食べている河野さんのほうに流れる。とんでもないマナー違反だが、遠藤さんは気にする様子もなく、パフをはたきながら河野さんに嫌味を言った。
「河野さんって、いつもゆっくり噛んで食べるねえ。ほんとによく噛むねえ」
こういうの、今回が初めてではない。前に食べたときもそうだった。わざとかどうか、前回も、遠藤さんは、河野さんの風上に位置する席に座って、食べ終わるとすぐに化粧直しをはじめたあげく、嫌味を言いつづけたのだ。
「遠藤さん」とたしなめたのは、佐倉さん。月初めには骨折して入院しており、わたしが販売部門にいる間に復帰したという人だ。七十歳だと聞いたけど、もっと若く見える。
「化粧直しは、みんなが食べ終わってからになさい。食事中の人のほうに粉が飛んでいくのは、感じ悪いわよ」
黙々と仕事をするおとなしい人と思っていたけど、遠藤さんにちゃんと注意してくれる人なんだ。
遠藤さんは、「はい」と素直に返事して化粧道具をポーチに入れた。表情は不本意そうだが、佐倉さんには悪く思われたくないのだろう。
佐倉さん、すごい。内心で喝采した。
2093年10月6日
今月も月締め業務は嫌な感じ。だけど、佐倉さんがいるので、遠藤さんたちも先月よりは多少おとなしい。先月よりはましな感じで終わりそうだと思っていたら、羽島さんと遠藤さんが給湯室でしゃべっている声が聞こえてきた。
「きのう、本社に行く用があって、村瀬さんに聞いたんだけどさ」と、羽島さんの声。
人事部の村瀬係長のことだ。会ったことはないけど、話題に出たときの印象が強烈だったので、名前を覚えている。「人事部の村瀬係長」ではなく「村瀬さん」と言ったところから察するに、羽島さんも遠藤さんも村瀬係長と親しいようだ。
「うちに来ている天野さん、ダメダメ社員みたいよ」
「そうなの? まあ、仕事のできる人には見えないけどね」
思わず足を止めて、聞き耳を立てた。
「榊さんと同じ課にいたとき、すごく敵愾心むき出しにして、やな感じだったんだって」
「あー、あるある、そういうの」
「でしょ? 仕事できないやつって、できる人に敵愾心もつのよね」
実際にはどうだったのか、説明しても無駄だな。この人たち、榊さんと同類だもの。
「なんか、ここでも、天野さん、わたしに敵愾心もってるような感じなのよね。河野さんとは異様に仲がよくてさ」
「ああ、河野さんとは同類どうしで、気が合うんでしょ」
「そうみたいね。本社から来た人だというので、ずいぶん気を遣ったんだけどな。そういう善意って、通じない人みたいね」
「そうよ。気を遣う必要なんてないよ。遠慮なくドカンと、言いたいこと言ってやればいいのよ」
「うん、そうする」
うわー。意地悪攻撃のターゲットにロックオンされたようだ。事務部門の仕事、とりえず明日まででよかった。
2093年10月22日
今日からまた事務部門。売掛や買掛、二十日が締め日の得意先が月末締めに次いで多いから、今日あたりから、事務部門が忙しくなるのだ。
で、みんなで弁当を食べていたとき、テレビで三日前に起こった狸原大臣の暗殺事件を報じていた。三日前から繰り返し、このニュースをやっている。
今日のニュースでは、事件のそもそもの背景から報じていた。去年起こったDDドリンクなる会社の企業犯罪事件。新発売の健康ドリンクに、心臓の老化を早める物質を意図的に混入し、高齢者施設やホームレスの施設に配布していたという事件だ。
忘れもしない。DDドリンクに勤めていた高校時代のクラスメートが秘密を知って殺され、わたしもその事件に巻き込まれたのだから。
事件の黒幕は狸原大臣。高齢者の寿命を縮めて年金の支払い額を減らそうという、冷酷きわまりない動機の犯罪だった。
その事実は、いったんもみ消されかけたけれど、今年の夏になって、ドリンク剤を分析した研究機関や内部告発などによって明るみに出た。
「内部告発なんて信じられない」と、遠藤さんが言った。
「自分が勤めていた会社でしょう? それを告発するなんて」
遠藤さんの言葉だと驚かなかったが、佐倉さんがそれに同調したのには驚いた。
「そうよねえ。会社としては、社員を信頼して企業秘密を明かしたりするわけだものねえ。内部告発って、その信頼を裏切るわけだものね」
え、なにそれ? 社員が会社を裏切るわけないと思うのは、信頼しているんじゃなくて、見くびっているんだと思うけど? 佐倉さんは、それを「信頼」だと考える人だったの?
「でしょ? 佐倉さんもそう思うでしょう?」
佐倉さんが自分と同意見だというので、遠藤さんはうれしそうだ。
「うーん、でも、今回の場合は殺人だものねえ。汚職とか、そういうのとはやっぱり違うわよねえ。高齢者施設に住んでいる親戚とか、知人とか、何人もいるもの。その人たちが危うく殺されるところだったと考えるとねえ。内部告発してくれてよかったという気もするのよねえ」
ああ、よかった。佐倉さんはまともだ。少なくとも、今回の事件に関しては。でも、よくある汚職とかだと、企業秘密として見て見ぬふりをすべきで、内部告発はよくないと思ってるんだ。
佐倉さんは、まじめでやさしくて、いい人で、尊敬していたのでショックだった。だけど、まじめで善良な人って、自分の属する集団への帰属意識や忠誠心が強くて、殺人に至るほどではない不正行為は黙認するという傾向が、意外に強いのかもしれない。
これから長く社会人としてやっていくうちには、榊さんや遠藤さんのようなタイプの人だけでなく、佐倉さんのようないい人と激しく対立してしまうことが出てくるのではないだろうか。そんな気がした。