暗い近未来人の日記−クリエイティブ課・その4

 日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とは関係ありません。

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2024年6月12日UP

  2093年12月3日

 今日、仕事中に奇妙な映話がかかってきた。 「奥谷さんをお願いします」  そう聞こえたのだが、奥谷さんという人はいないので、「大谷さん」の聞き違いかと思い、大谷さんに取り次いだ。
「はい、大谷です。え、男性の大谷? え、奥谷? そういう名前の編集者はいないのですが」
 聞き違いじゃなかった。やっぱり、「奥谷さん」と言っていたのか。
 フリーハンドモードで話しているから、会話は聞こえる。映話の相手はフリーライターさんのようで、月末に入るはずの報酬が入っていないという内容だった。
 大谷さんは、本のタイトルを聞くと首をかしげ、話しながら、手がけた本のリストを調べた。
「あのう、そういうタイトルの本を扱っていませんが。発売が伸びた本のリストの中にもありませんが」
「ええっ」
「まちがいなく、うちからの依頼ですか?」
「もちろんです。わたし、もう何年もオロファド社さんの仕事しかしていませんもの。奥谷さんからの仕事は初めてでしたけど、細野さんにわたしのメルアドを聞いたと言っていましたよ?」
「細野に?」
 ふたりの会話に、細野さんが「ちょっと」と割り込んだ。
「ぼくは知りませんよ。奥谷なんて人は知らないし、あなたに依頼するようにと、後輩のだれかに指示したこともありませんよ」
「え? じゃあ、なんで奥谷さんは細野さんの名前を出したんですか? なんでわたしのメルアドを知ってるんですか?」
「知りませんよ、そんなこと! あなたの勘違いでしょ? 頼んでいない仕事の報酬なんて払えませんよ!」
 そう言うと、細野さんは、一方的に映話を切ってしまった。
「変な話ですね。うちの名前を騙って、ライターさんにただ働きさせた人がいる……ということですか」
 思わず口をはさむと、細野さんにじろっと睨まれた。
「だとしても、こちらには関係ないでしょ? 湯口さんが騙されてただ働きさせられたというなら、それは彼女の問題でしょ?」
「関係ないというわけにはいかないのではないでしょうか」と、大谷さんが言った。
「その奥谷という人は、うちの社名だけでなく、細野さんの名前とか、湯口さんの名前やメルアドを知っていたわけでしょう? 企業情報を盗まれた可能性が高いのですから、調べたほうがいいのでは?」
「そんな時間、ないでしょ? 忙しいんだから!」
 ちょっと変だなと思った。ウイルスとかハッカーとかにやられたのなら大変だと思うのに、なんでスルーするんだろう? 目先の忙しさに追われて他のことが目に入らないのだろうけど、これ、放置したらまずいよね。というか、細野さんの態度、ちょっと不自然な感じがするのだけど。
 そう思いながら大谷さんのほうを見ると、大谷さんも、細野さんのほうに不審そうな視線を向けていた。


  2093年12月4日

 きのうは出張で留守だった課長が今日は戻ってきたので、大谷さんがきのうの件を課長に相談していた。
 課長は細野さんを呼び、ふたりで応接室にこもった。ときどき課長の甲高い声が聞こえたが、内容は聞き取れない。課長にしては珍しく、声を抑えているようだった。 しばらくして応接室から出てくると、課長が大谷さんに向かって言った。
「細野くんから話は聞いたわ。ライターがお金欲しさにごちゃごちゃ言ってきたからといって、いちいち鵜呑みにしないで! もしも湯口さんがほんとうに詐欺に引っかかったのだとしても、それはこちらに関係ない話でしょ?」
「え? や、だって、こちらの企業情報が漏洩しているかも」
 大谷さんが言いかけるのを、課長が遮った。
「調べる必要があると判断すれば、こちらで調べます。あなたがあれこれ考えることじゃないわ。あなたはこういうよけいなことに気を取られず、自分の仕事をしなさい」
 有無を言わせない口調でそう言うと、課長は立ち去りかけ、再び大谷さんを振り向いた。
「そうそう、前から気になっていたこと、ちょうどいい機会だから言わせてもらうわね。あなた、細野くんや加藤くんとうまくいってないようね。そりが合うとか合わないとかは、まあ、ある程度は仕方ないけど、少しは相手のことを考えて、歩み寄りとかしたらどうなの? 今回みたいに、根拠もなく同僚を陥れようとするなんて、感心しないわ」
 課長の背後で、細野さんが勝ち誇ったように、にやにやしている。
 あまりの言い草に大谷さんがあっけにとられている間に、課長はさっさと立ち去った。


  2093年12月12日

 奥谷なる人物は、どうやら本格的な詐欺師だったようだ。それがわかったのは、警察が聞き込みに来たからだ。ただ働きさせられた被害者は、ライターとイラストレーター合わせて、現時点でわかっているだけで五人おり、湯口さんはそのひとりに過ぎなかった。しかも、被害者の中には、湯口さんのほかにも、うちの仕事をしているライターさんがもうひとりいた。その人は、まだ仕事の途中だったので、騙されたことに気がついていなかったらしい。
「で、そのおふたりに聞き込みしたところ、こちらの細野さんから奥谷経由で仕事を請けたので、御社の仕事と信じて疑わなかったということなのですが。細野さん、個人経営の編集プロダクションをしている奥谷という男をご存じですか?」
「いいえ、知りません」
「奥谷は、細野さんは友だちだと言っており、調べましたところ、同じ大学の同じ学部で同じ学科の同期だとわかったのですが」
 細野さんは考え込むように顔をしかめた。
「あー、そういえば、そういう名前のやつが同期にいましたかねえ。同じ学科といっても、二百人近くいましたからねえ。言われてみれば、そういう名前のやつがいたかもしれないということぐらいしか思い出せません」
「友だちというほど親しくなかった、と?」
「もちろんです」
「では、奥谷が、こちらのライターさんふたりの連絡先を知っていたことについて、心当たりは?」
「ありませんよ。奥谷が編集プロダクションをしていたというなら、ライターたちがそれぞれ売り込みをして知り合いになり、自分から教えたのではないですか」
 このあいだの湯口さんの話からすると、そんなはずはないのに。細野さんの突っぱね方が不自然で怪しいと感じるのは、わたしの考えすぎだろうか。
「ライターさんおふたりの証言とあなたの証言には、食い違いがありますね」
「だからどうだと言うんです? ふらふら底辺の内職仕事をしている人間と、きちんと正社員をしているわたしと、どちらが信用できると思いますか」
 なにそれ? 自分がいつも仕事の依頼をしている人たちなのに、よくこんな見下したような言い方ができるわね。というか、やっぱり何か不自然だ。
 刑事さんたちが細野さんの言い方をどう思ったのかはわからなかったが、「なるほど」と言っただけで、肯定も否定もせず、それ以上追求することもなく帰っていった。
 刑事さんたちが帰った後しばらくして外出先から戻ってきた課長は、話を聞いてかんかんに怒った。細野さんに対してではなく、奥谷なる詐欺師に対してでもなく、詐欺の被害に遭ったライターさんふたりに対して。
「あの人たちにとって、こちらは得意先でしょ。得意先の迷惑になるようなこと、よく警察に言ったりできるわね。自分の証言でこちらがどれだけ迷惑するかを考えてしかるべきでしょ。想像力ってものがないのかしら。いいわ、あのふたり、しばらく仕事をまわさず、干してやりなさい。得意先の迷惑になることを言うとどうなるのか、思い知らせてやるといいわ」
 課長も変な人だ。変すぎて、課長もなんだか怪しく思えてきた。


  2093年12月15日

 奥谷の詐欺事件が、ネットのニュースサイトで取り上げられていた。被害者はわかっているだけで五人、被害総額は推定四十万円ほどという小さな事件だから、もちろん、テレビのような大事件ばかり扱うメディアでは取り上げられない。大きな事件だけでなく、日常的な小さなできごとや識者の見解、動画の紹介や商品の紹介など、雑多な内容を扱うサイトだから取り上げたのだろう。
 記事を書いたのは、どうやらこのニュースサイトのライターさんらしく、他人事とは思えずにいろいろ調べたらしい。
 それによると、奥谷は、三年前に起業するにあたって、ライターやイラストレーターに発注せず、ATですべて仕事をこなすという方法を採ることにした。人件費のかからない画期的な方法だと思ったのだが、思ったほどうまくいかなかった。
 文章にしろイラストにしろ、定型に近いものなら、一般家庭に広く普及しているようなもので事足りる。儀礼的な礼状やビジネス文書の添え状などはもちろん、さまざまなお知らせ、営業用のチラシやメール、学校の教師が生徒に配るプリントの文章やイラストなど、たいがいATが使われている。
 ただし、商業的に売り物になるものを作ろうとすると、そうはいかない。一般的に使われているソフトで、同じような内容の文章やイラストを制作すれば、見慣れた読者が見ればATを使ったと歴然とわかる文章やイラストになって、酷評されたり、売れなかったりするからだ。
 この問題をクリアするためには、自社のソフト独自のオリジナリティある文章やイラストを作成できるように、独自のプログラムを作成してもらわなければならない。
 奥谷は、創業にあたり、大金をはたいて、そういうプログラムを組んでもらった。その先数年間にライターやイラストレーターに支払うことになるだろう報酬の試算と、プログラム作成費用とを比較し、三年ほどで元が取れ、それ以降はシステムのほうが安上がりだと判断したのだ。
 だが、オリジナリティある文章やイラストとはいっても、レベルは別の問題。「自宅でできる仕事がしたいから」という理由でライターやイラストレーターの仕事を始めたばかりの人と同じぐらいのレベルの文章やイラストは、確かに短時間で作成できるが、それ以上のレベルの仕事は無理。人間と違って進歩もほとんどない。
 もっと大金をかければ、もう少しレベルの高いシステムを構築できたのだろうが、彼に準備できた創業資金では、それがぎりぎりいっぱいだったのだ。
 とはいえ、安く使えるフリーランサーを集めて酷使し、どしどし使い捨てにしていく方法を採るなら、出来は同じようなものだろう。
 期待したほどの収益は出なかったものの、自分の生活費に困るほどではない利益はなんとか出せるという状態で三年近くが経過したころ、システムの状態が悪くなってきた。通常のメンテでは直せず、ハードごと新しいものに替える必要があるという状態だ。
 そんな資金はないというので頭を悩ませながら出席した同窓会で、同業の三人ほどから、腹立たしいけれども耳寄りな情報を聞いた。この三年ほどの間に、フリーランサーの報酬の相場が著しく値下がりした。きちんとした契約を結ぶわけではなく、依頼する側の一存でいくらでも安くしていけるのが業界の慣習なのだから、人間を使ったほうが機械より安上がりだというのである。
 三年で元が取れるという計算で、システムが三年でだめになったのなら、人間を使ったほうが安上がりですんだ。失敗した。悔しいと思う一方で、それならなんとかなると安堵した。
今から人間を使うことにすれば、システム再構築の経費がかからない。後々のメンテの経費もかからない。機械にはメンテがいるが、人間にはいらない。過労や低収入のために仕事を続けられなくなった人間は、使い捨てにすればいいだけだ。
 そう思って、同業の三人から、その時点で仕事がオフになっているフリーランサー何人かの名前と連絡先を教えてもらった。ほとんど一社の仕事しか請けていない人のほうが安く使いやすく、泣き寝入りさせやすいと聞き、その人がいつも仕事をしている会社の名前を出して、報酬を踏み倒したのだという。
 その記事を書いた人は、奥谷や、彼にフリーランサーたちの個人情報を無断で漏らした編集者たちに怒りを表明するとともに、機械より人間のほうが安上がりという業界の現状を問題視していた。
 現在、多くの業界でさまざまな業務に機械が導入されているのには、機械に置き替えられる仕事であれば、たいていは人件費より機械のほうが低コストですむという理由が大きい。クリエイティブ業界の場合、単純作業に比べてシステム構築に経費がかかるという面があるものの、機械に可能な業務で、機械と同等レベルの仕事をする人間のほうが機械より安上がりということは、他の業界ではあり得ない。
 たとえば、奥谷が使っていたシステムの場合だと、三年で元が取れるという試算だったが、もしもフリーランサーたちに、仕事の平均的な所要時間と報酬から換算して、最低賃金レベルの報酬を払うとすれば、おそらく一年か一年半程度で元が取れるという試算になるだろう。だが、業界のフリーランサーたちの報酬相場が異常に低いので、三年で元が取れるという試算になった。さらに、三年の間に報酬相場がもっと下がったので人間を使ったほうが安上がりだったという計算になるのだ。
 クリエイティブ業界のフリーランサーたちの報酬は安すぎる。運よく割のいい仕事がまわってきたり、仕事がよほど速かったりすれば、働いた時間に対する報酬が最低賃金程度かそれ以上になるという人もいるが、それは何十人にひとりいるかどうかだろう。
 そんな低額の報酬で働く人たちに、使う側が感謝しているかというと、とんでもない。底辺の人間と見下し、弱い立場だから踏みつけにしてもよいと考える。だからこそ、住所や連絡先といった個人情報を気軽に教え、安く使えるとそそのかす。あるいは、仕事の報酬を払わなくても泣き寝入りするだろうと侮るのだ。
 そう力説するこの記事の著者に、同感だと思った。
 この記事についての読者のコメントがいくつか載っていて、そのうちの二つがとくに目についた。
 一つは、男尊女卑の激しかった昔の農村を引き合いに出したもの。
「たぶん二十世紀半ば以前の話で、地域にもよると思うが、男尊女卑が激しくて嫁の地位が低かった農村で、『牛や馬は買うのに金がかかるから死なれたら困るが、嫁はタダだから死んでもかまわない』という理由により、農耕用の牛馬より嫁のほうが酷使された時代があったと、何かで読んだことがある。ひどい時代だと思ったが、『機械は金がかかるから壊れたら困るが、人間は過労死しても、ただ働きになったために食い詰めてもかまわない』というのは、その時代から変わってないなと思った」
 そういうような内容だった。わたしも、そういう昔の農村の話はどこかで読んだことがあったから、じつは、今回の事件では、この人と同じ連想をしていたんだ。
 で、もう一つは、編集関係の仕事をしているらしい人のコメントだった。
「こいつ、ばかだよな。『だれだれから頼まれた』などと言わずに、『だれだれから紹介された』と言って、自分の名前を出して仕事を依頼すればよかったんだ。で、仕事が終わったあとは、『支払いはこちらが相手から報酬を受け取ってから』などと言って引き延ばすとか、クレームをつけて、とことん値切って支払うとかすればよかったんだ。どうせ、この業界、いつ支払うとか、いくら支払うとか、決めずにスタートするのが慣習なのだから。極端な話、一日十数時間働いて二週間ぐらいかかる仕事に対して、支払いが一年後に百円だとしても、一円でも払っていれば詐欺にはならないんだぜ」
 そういうような内容だったので、ぶったまげた。本気で言っているんだろうか? それとも、この業界に対する皮肉か告発として書いたのだろうか?
 この人が本気じゃなかったとしても、これに近いことをしている人はいそうな気がする。というか、うちの課長とか、細野さんとか、加藤さんとか、このコメントほどじゃないにしても、五十歩百歩のことをしているという気がする。怖い業界だ。


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