暗い近未来人の日記−クリエイティブ課・その5

 日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とは関係ありません。

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2024年7月12日UP

  2093年12月17日

 課長に呼ばれて、ライターの紺野さんに仕事の催促をしてくるようにと言われた。このビルの最上階に住んでいるライターさんだという。
 最上階には、以前にクリエイティブ課の課長だった人が独立して編集プロダクションをつくり、フロアの三分の一ほどを間借りしていると聞いたことがあった。紺野さんとは、その人のことかと思ったが、違った。最上階のあとの三分の二は倉庫になっているのだが、その倉庫の一角、クリエイティブ課の資料スペースになっているところに住んでいる人だという。
「アパートの家賃が払えないというから、タダで住まわせてあげているのよ。収入が少ないと文句を言うなら、もっと働けばいいのに、仕事が遅いの。催促に行くと寝ていることもあるし。もし寝ていたら、起こして、早く仕上げるように言ってちょうだい。三日で仕上げるように言った仕事が四日かかっても仕上がっていないのでは、稼げないのはあたりまえでしょ、と。わたしがそう言っていたと伝えてちょうだい」
 気乗りがしないと思いながら、だいたいの場所を聞いて行ってみると、天井近くまである棚の谷間のような場所にビニールシートを敷き、壁際の座卓に向かって座っている女性がいた。座椅子を使ってはいるけれど、机も椅子もベッドもない。かたわらに毛布を二枚置いているところを見ると、夜はこれにくるまって眠るのだろうか。
「紺野さんですか?」
 声をかけると、女性が振り向いた。目の下に隈ができ、髪はぼさぼさで、疲れ果てた感じ。見るからに過労で睡眠不足のようだ。
「あのう、お忙しいところすみません。三日で仕上げるようにとお願いしていた仕事の進み具合を聞いてくるように言われまして……」
「五万字以上の原稿、三日で書くのはとても無理。できるだけ早く仕上げようと頑張っていますと、伝えてちょうだい」
 五万字以上? それを三日で書けって?
「書くだけじゃなくて、資料調べるのもやらなくちゃいけないし。昨夜は、それ、棚から落ちてきてたいへんだったし」
 紺野さんは、斜め後ろ、棚の前に積み上げた資料の束のようなものを指さした。そういえば、昨夜は震度三の地震があったのだった。
「これが棚から? 大丈夫でしたか」
「なんとか。でも、怖かった。ああいう置き方してるし」
見上げると、棚からはみ出すようにして置いている本やファイルがたくさんある。棚と棚の間はせいぜい一メートルほど。そこに座って仕事をしているのだから、そりゃあ怖いわ。
「これは危険ですね。早急にどこかに移すように相談します」
 言いかけるのを紺野さんが遮った。
「あ、それはいい。そんな高いところにそういう置き方するのは細野さんと加藤さんで、苦情を言うと面倒なことになるだけだし。仕事が遅れるだけだし。今も、ついいろいろしゃべっちゃったけど、仕事遅れちゃうし」
「あ、ごめんなさい」
 そう言って倉庫を出た。沈んだ気持ちで、廊下をはさんで倉庫と向かい合っている会社の社名を見て驚いた。ドアの表札が「トトカッパ・コーポレーション」となっていたからだ。
 大学では、トトカッパ文明を卒論テーマに選んだ。その古代文明の名前をこんなところで目にするとは思っていなかった。
 思わず立ち止まってその表札を見ていると、ドアが開いて、髭を生やして眼鏡をかけた男性が顔を出した。
「何かご用?」
「あ、いえ、表札を思わず見てしまっただけです」
「ああ、変な名前でしょ? トトカッパ文明にあこがれてつけたんだ。……倉庫に来たんだよね?」
「はい」
「棚の間で仕事をしている人を見かけなかった?」
「紺野さんをご存じなんですか? わたしは紺野さんに用があって来たんです」
「あ、クリエイティブ課の新人さん?」
「仮配属中です。今年入社したので」
「ああ、そうか。紺野さんは元気にしてた?」
 言葉に詰まった。元気だったとは言い難い。
「だいぶんお疲れのようでした」
「そうか。そうだよなあ。アパート追い出されて、こんなところで仕事をしているんだし。紺野さんは、ぼくがクリエイティブ課の課長だった時から仕事をしてくれているライターさんで、悪い条件の仕事でもがんばってくれるから、ついそれに甘えてどんどん仕事をまわしたんだけど。それで一社の仕事だけするようになって、かえって気の毒なことになってしまったかもしれないと、気になっていたんだ」
 そうか。前の課長はいい人だったんだな。この人が課長のときに、クリエイティブ課で働きたかったなと、ちょっと思った。それでも、クリエイティブ業界がブラックなのに変わりはなかっただろうけど。


  2093年12月24日

 紺野さんが熱を出して倒れているのが見つかり、救急搬送された。倒れていたのが廊下だったので、トトカッパ・コーポレーションの社長の白石さんが気づいて救急車を呼んだのだけど、いつもの仕事場で倒れていたら、手遅れになっていたかもしれない。
 それというのも、救急車が来る前、知らせを聞いて最上階に行った課長が、白石さんに文句を言っているのが聞こえてきたからだ。
「こちらに先に知らせてくれればよかったのに。いきなり救急車を呼ぶなんて」
 もしも見つけたのがうちの会社の人だったら、すぐに救急車を呼ばなかったかもしれないな。
「迷惑だわ。タダで仕事場を貸してあげたばっかりに」
 ぐったりして意識がない紺野さんを見下ろして、課長が言い放った。
 まもなく救急隊が駆けつけて来ると、紺野さんを運び出す際、だれか付き添うようにと求められた。
「この人、うちの社員じゃないんですけど」
 課長が眉をしかめ、白石さんが言った。
「ぼくが行きますよ。知っている人なんだし、見つけたのはぼくですから」
 課長はつかのま思案した。やはり、今は別会社の人に何もかも任せるのはまずいと思ったのだろう。わたしのほうを見て言った。
「天野さん、あなたも行ってちょうだい」
 で、わたしも救急車に乗って付き添った。
 結果を書くと、紺野さんは、とりあえず命を取り留めたものの、かなりひどい状態だった。栄養失調などで免疫力が大幅に落ち、風邪をこじらせたと思われるという。過労と睡眠不足もかなりたまっていたようで、点滴を受けながら眠り続けているということだった。
 風邪をひかずにそのまま働き続けていれば、過労死した可能性がある。いちおう命を取り留めたものの、衰弱が激しいので予断を許さない。いったいどういう働き方をさせていたのですかとも言われた。
 健康保険も使えない状態だったので驚いた。紺野さんの私物が入っているらしいバッグを病院に持っていっており、白石さんの立ち合いで中を探させてもらって、身分証明を見つけたのだが、健康保険は、保険料未納付のため使えない状態になっていたのだ。
 救急搬送なので、健康保険や治療費がなくても、とりあえず治療や入院はさせてもらえるが、快復後に紺野さんはその費用を払わなくてはならない。払えるんだろうか。
 帰社してから課長にそういう話をすると、課長の顔が険しくなった。
「だから何? 治療費が払えなくたって、そんなの彼女の問題でしょ? ただで住まわせてあげて、そのうえ治療費まで面倒見てあげたら、それこそ、おんぶに抱っこじゃない?」
 おんぶに抱っこ? それ、全然違うでしょ?
 あきれていると、課長がこちらに指を突きつけて喚いた。
「だいたい、あなた、午前中にこちらを出て、どうして今までかかったのよ? もう五時過ぎてるわよ。病院に預けたんなら、さっさと帰ってくればいいでしょ。どさくさにまぎれて、さぼってんじゃないわよ」
 あまりの言い草に茫然とした。命も危ない状態だったから、診断結果が出るまで待っていたのだけど。
 大谷さんや、そのほか何人かのスタッフはねぎらってくれたが、細野さんと加藤さんはにやにや笑っている。
「紺野さんもね。こちらの言う通りのスケジュールで仕事をこなしていたら、月十何万かにはなるはずだぜ。その二倍も三倍もかかるのが悪いんだよね」
「まったくだ。仕事をこなせないのなら、転職していればよかったのに。そういう活動もしてなかったみたいだし」
「ま、貧すれば鈍するってやつだな」
 このふたりも、課長も、人間じゃない。五万字以上の原稿を三日で仕上げるように言われて、そういうスケジュールで仕事できたとして、月十何万? あの人たちのことだから、月三十日働いて、そういうのが十本という計算よね。ということは、資料調べ込みの原稿料が五万字以上で一万何千円か。本一冊で五万円というのも安いと思っていたけど、それよりさらに安い?
 それだけ酷使されていれば、転職先を探す余裕がないよね。金銭的にも、時間的にも、精神的にも。で、そういう状態に追い込んだ当事者が、「貧すれば鈍する」なんて、他人事みたいに言うんだ。
 よく「過労で自殺」といったニュースを見ると、「死ぬぐらいなら退職すればいいのに」と思っていたけど、紺野さんの一件で、「退職」「転職」という選択肢もないぐらい追い詰められることがあるのだと実感したわ。


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