暗い近未来人の日記−世相・その3 |
日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とは関係ありません。
2025年6月7日UP |
2093年12月31日
朝食後、今日はどうしようか。水野さんからまた映話かかってきたらいやだなと思っていると、一ノ瀬さんから映話があった。わたしの家から三駅離れたところで午前中に用事があって、そのあとランチしないかという内容だった。
一ノ瀬さんの用事がある駅も、うちの最寄り駅も駅前商店街は小さくて、しゃれたお店がたくさんあるのは、きのう水野さんが指定してきた店があるC駅。一瞬迷ったけど、断ったのだから、水野さんに出会う心配はないだろう。一ノ瀬さんと話をしたい気分だし。
そう思って一ノ瀬さんとC駅の改札前で待ち合わせをし、何度か入ったことのある店に彼女を案内した。駅ビルの店は混雑しやすいけど、歩いて二分ほどのその店は空席があることが多いのだ。狙い通り、空席があって、待たずに座ることができた。
「へえ。いい店ね。このへんあまり来ないから、知らなかった」
一ノ瀬さんが喜んでくれたので、ちょっと得意だった。
「ああ、疲れた。午前中、バイトだったの」と。一ノ瀬さんが言った。
「もうすぐ選挙があるでしょ。その関係」
「え?」と思わず声を上げた。一ノ瀬さんまでそういうバイトをしているのかと、びびった。
「え? どうかした?」
一ノ瀬さんがけげんそうな顔をした。もちろん、一ノ瀬さんはテレパスだから、その気になれば質問なんてしなくても、わたしの心を読み取れるはずだが、そんなことはしない。友だちに対するマナーはちゃんと守ってくれる人だ。
「あ、いや、選挙事務所でバイトしているの?」
「ううん。選管のほう」
「あ、そ、そうか」
「何かあったの?」
「うん。長いこと音信のなかった人から映話がかかってきたと思ったら、選挙事務所でバイトしてるという用件で……というのが、きのう、二件もあったのよね」
「ああ、今の時期、多いのよね。厳密には、バイトにそういうことをさせるのも選挙違反なんだけどね。そこまでは取り締まれないから」
「うん。そうよね」
知り合いをチクることにならずにほっとした。きのうの水野さんの件を一ノ瀬さんに話したいという気はあったんだけどね。
で、そのあと取り留めもないことを話しながらランチを食べていると、急に声がかかった。
「あら、天野さんじゃないの」
思わず吹き出しそうになった。水野さんだった。男の人といっしょだった。
「先約があるって、友だちとのランチだったのね」
「あ、ええ」
こちらのほうに来る用事があるというのは本当だったのか? それとも、まさか、わたしを探して? いや、別の相手を見つけて呼び出したというところかな?
そんなことを考えていると、水野さんが思いがけないことを言った。
「奇遇ねえ。ちょうどよかったわ。話したかったし。こちらにすわっていいかしら?」
言うなり座ろうとするので驚いた。たしかにわたしたちは四人掛けのテーブルで、ふたりとも窓側に座っているから、相席できなくはないけれど。でも、知人ふたりが着いているテーブルというならともかく、一ノ瀬さんとはまったく面識がないのよ? それなのに相席を申し出る? しかも、同意も待たずに座ろうとする?
一ノ瀬さんが驚いてこちらを見た。
「この方は?」
「学生時代のバイトでいっしょだった人。で、いまは選挙事務所でバイトしているって。きのう映話かかってきたけど、先約あるって断ったの」
「へえ」
一ノ瀬さんの目が鋭くなった。水野さんがテレパスに心を読まれることになったのは自業自得だからね。
「おい」と水野さんの連れが水野さんの袖を引っ張った。
「やめよう。悪いよ」
次いで水野さんの耳に小声でささやくのが聞こえた。
「選管だ。午前中にうちの事務所に来た女だ」
「え?」
水野さんはちらりと一ノ瀬さんを一瞥すると、わたしに向かってわざとらしくにっこりした。
「やっぱりお友だちとランチしているところを邪魔しちゃ悪いわねえ。今日は失礼するわ。また今度ね」
そう言ってふたりは離れたところにあるテーブル席に座った。
「どうやら映話してきただけじゃなかったようね」
一ノ瀬さんのささやきに思いっきり頷き、小声で昨日のいきさつを話した。
「いっしょにバイトしていた時には素敵な先輩と思ってたんだけど。ああいう人だったとは。ショック。水野さんは『押す人』だったのかな。わたしは押されにくいタイプと思ってたんだけど、違ったのかな」
「いや、あの人は『押す人』じゃないわね。美人で社交的で華があるから、周囲に魅力的と映るだけ。でも、自分に自信があるだけに、思い込みが激しくて、好かれたいと思った相手に乗せられやすくて、自分で自分をマインドコントロールしてしまう傾向はあるのかな」
「そうなの?」
「あの男の人を結婚相手としてゲットしたいと思っている」
「やだ。騙されてるの?」
「どちらかというと男のほうがくせ者だけど、騙しているわけじゃないわね。彼女を結婚相手候補と考えてはいるから」
「似たものどうしか」
「まあ、あの人たちの恋愛はどうでもいいんだけど。問題は、ランチの後、別の店で、ターゲットとして呼び出した相手にアプローチしようとしていることね」
一ノ瀬さんが言った別の店とは、きのう、水野さんがわたしを誘おうとしていたケーキのおいしい店だった。
一ノ瀬さんはため息をついた。
「バイトは午前中だけで、午後はフリーのはずだったんだけど。会う相手が最初からその候補者の支持者なら、関知する必要はないんだけど。相手がいやがっても強引なことをしそうな人たちだから、放ってはおけないわね。ちょっと失礼。どうしたものか相談してみる」
一ノ瀬さんはメールを送り、しばらくして返ってきた返信を読み、またメールを送り……を繰り返し、こちらを振り向いた。
「午後も仕事で、その店に行ってくれって。友だちもいっしょのほうが見つかっても偶然を装いやすいだろうから、友だちがよければ協力してもらってくれって。友だちの分のバイト代は出せないけど、ケーキセットの代金は経費で落としていいって」
経費って……、それ、わたしらが払う血税よね? いいのかね? でも、悪いのは、テレパスを雇って探偵のようなことをさせるしかないほど悪質な選挙違反をする人たちなのだから……。いいよね。
そう思ったので、一ノ瀬さんに「どうする?」と訊かれたとき、即決で「行く」と答えた。
目的の喫茶店で、水野さんたちが入ってすぐに店に入った若い女性三人組のすぐあとに続いて店に入った。奥のほうに座っている水野さんたちの席に近いけれど、パーティションとプランターを隔てて視覚に入らないという席が空いていたので、そこに座る。
しばらくすると、入り口が開く「ちりん」という音に続いて、一ノ瀬さんが「来たわね」とささやき、水野さんが呼びかける声がつづいた。
「ここよ、ここ。大崎さん!」
その名前に覚えがある。たまたま同姓というのでなければ、わたしと同じ時期にあの図書喫茶でバイトをしていた人だ。
「え、あの、水野さん、ひとりじゃなかったんですか? 彼氏といっしょだったのなら、おじゃまだから……」
とまどいながらそういう声は、たしかにわたしの知っている大崎さんだ。
「図書喫茶でいっしょだった人」
小声で一ノ瀬さんに告げる。一ノ瀬さんが頷き、小声で答えた。
「ちょっと怯えて、来たのを後悔しているのがわかる」
「いいの、いいの。彼氏じゃないから」と水野さんの声が聞こえる。
「わたしの仕事仲間よ。いっしょにお話しさせてもらおうと思って」
「あ、あの、わたし、やっぱり帰ります」
プランターの隙間から、連れの男が立ち上がったのがわかった。
「まあ、まあ。せっかく来てもらったんだから、座って、座って」
一ノ瀬さんが立ち上がった。
「失礼。いやがる女性に無理強いしている声が聞こえてきたものですから」
「あ、天野さん」と、水野さんが一ノ瀬さんの背後から近づくわたしに気づいて叫んだ。
「なぜ、ここにいるの? わたしたちをつけて来たのね!」
「てめえら、訴えてやるぞ。プライバシーの侵害をしたってな」
男がすごんだ。
「どうぞ。何を訴えるのかしら」
「なんだと! てめえ!」
「お客さま」と、責任者らしい中高年男性が駆け寄ってきた。
「騒ぎは困ります。いかがされましたか」
「こいつらが変な言いがかりをつけてきやがったんだ!」
「いやがる女性を無理やり自分たちの席に座らせようとしていたので、見かねて止めたのです」
一ノ瀬さんが大崎さんの肩に置いた男の手に視線を走らせ、男があわてて手を引っ込める。
「お客さま」
責任者らしい人が男に咎めるような視線を向け、水野さんが抗議の声を上げた。
「嘘よ! 大崎さんは知り合いよ! ここで待ち合わせてたのよ! 大崎さん! そう言ってやってよ!」
水野さんに視線を向けられて、無言だった大崎さんが口を開いた。
「そちらの女の人は確かに昔の知り合いですけど、こちらの男の人は初対面です。男の人を連れてきて待ち伏せしているなんて知りませんでした。怖かった。ほんとに怖かった。怖くて声も出せずにいたら、そちらの人たちが見かねて止めてくれたんです」
「ひどいわ、大崎さん! 天野さんもよ! 見損なったわ!」
水野さんと男はプリプリしながら勘定をすませて店を出て行った。
「それにしても天野さん。すごい偶然。久しぶり」
「友だちとお茶してるとこだったの。じつはわたしも、きのう、水野さんに誘われて、断って……」
言いかけて、こんなところで立ち話は、お店の邪魔だろうと気がついた。
「よかったら、大崎さんもいっしょにお茶する?」
一ノ瀬さんのほうを振り向いて「いいよね」と同意を求めると、一ノ瀬さんも頷いて言った。
「どうぞ、どうぞ。いますぐ店出るのはいやでしょ?」
大崎さんは大きく頷き、わたしたちのテーブルに来て、わたしの横に座った。
「じつは、すぐにお店出るのは怖かったんだ」
「でしょうね。待ち伏せとか、してるかな」
ちらっと一ノ瀬さんのほうを見ると、一ノ瀬さんは考え事をするときのように視線を上に向けており、数秒ぐらいでまたわたしたちのほうを見て言った。
「そうねえ。数分ぐらいはいるかもね」
どうやらテレパシーで探りを入れてくれたようだ。
それから、わたしは、きのうのことを大崎さんに話した。
「そうかあ。わたしには、仲間を連れて行くとは言わなかったな。名簿を貸してほしいとは言われたけど。水野さんひとりで来ると思ってた」
「うーん。仲間を連れて行くってきいたとたんにわたしが断ったから、大崎さんにはそれを言わなかったのかな」
水野さんが映話する順序が、わたしが先だったから、大崎さんが怖い思いをすることになったけど、もしも先に大崎さんに映話して、仲間を連れて行くと言って断られていたら、わたしが怖い思いをすることになったかもしれない。
「それにしても、水野さんがあんな人だったなんて。ショックだわ」
大崎さんがしみじみと言った。
「素敵な人だと思ってたのよ。こんな人になれたらいいなって」
「わたしも」
ふたりしてため息をついた。やっぱり、外見のかっこよさに騙されたんだろうな。水野さんは、たぶん、『押す人』じゃない。『押す人』だったら、わたしも大崎さんも騙しきることができたと思うから。わたしだけじゃなく、この店の責任者っぽい人も騙すことができたと思うから。
「水野さんって、もとからこういう人だったのかな? それとも、悪い男に引っかかって、ああなったのかな」
「どうなんだろう? まあ、変な男に引っかかったって面はあるかもね」
「それにしてもさ、バイト先で変な男に引っかかったにしてもさあ。そもそも、なんでこんなバイトを始めたんだろ? あの人なら、もっといい仕事見つかりそうなのに」 大崎さんの言葉に、それまで黙っていた一ノ瀬さんが口を開いた。
「最近増えているみたいよ。違法なバイトとか、違法すれすれのバイトに手を出す人が」
「そうかあ。不況のせいかなあ、やっぱり。時給のいいバイトに手を出してしまう人が多いのは」
「だね」
三人そろって嘆息した。そのあと気分を変えて、読んだ本の話とか、他愛もない話をしばらくしてから、三人そろって店を出て駅に向かった。さすがに水野さんたちはあきらめて帰ったようで、途中で見かけることはなかった。