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「ねえさん」
ソーラが十五歳になったある日、村を眼下に見下ろす山で茸を摘んでいると、すぐ下の妹のイリアが探しにきた。
四つ年下のこの妹は、ソーラの唯一の理解者だった。人目にふれるところでは母を刺激しないようによそよそしくふるまっていたが、ふたりきりになると親しく話し、ソーラを力づけてくれた。それでも、姉が山のどこにいるかわからないというのに、息を切らせながら探しにくるのも奇妙だ。
「どうしたの?」
「兵隊がきたの」
「ああ、また兵士の募集ね。それとも徴兵?」
「徴兵の兵隊だけど……。かあさんがその兵隊に言ったの、ねえさんのこと。……魔族の娘がいるって」
ソーラはさほど驚かなかった。いつかこういうときがくるだろうと、漠然と感じていたのだ。
「兵隊は、ねえさんが帰ってきたらつかまえるって言ってる。逃げて。スタック村までいけば……」
スタック村には、母の両親が今も健在だ。だが、もう何年も会っていないので、ソーラの味方になってくれるかどうかわからない。かつてはソーラをあれほど愛してくれた母親だって、いまは兵隊に引き渡して殺そうとしているのだ。ならば、祖父母だってわからない。それに、母が兵隊に祖父母のことを話せば、スタック村にも追っ手が迫るだろう。
「だめ。そんなとこに逃げてもつかまってしまう。すぐにわかることだもの」
「じゃあ」と、イリアは親類何人かの名を上げた。婚姻はなるべく他村の者どうしでおこなうというこの地方の慣習により、よその村にも親類はいる。義父の姉夫婦と妹夫婦、母の姉夫婦だが、それぞれ義父と義祖母の葬儀のとき以来、会っていない。
ソーラは力なく首を横に振った。
「逃げこめる場所なんてない。どの村に逃げても、みんなわたしを憎むだろうから。このまま帰って兵隊につかまるのが、まだしもいちばんましかも」
「まし……って?」
「剣か槍で刺されるか、首をはねられて終わり。一瞬ですむなら、なぶり殺しにされるよりはましかもしれない」
口ではそう言ったが、自分に向かって剣がふり下ろされる光景を思い浮べると、全身に震えがきた。妹に危険を知らされながら、いままでどこか現実感がなかったのだが、はじめて実感として恐怖がこみあげてくる。
「いやっ!」と、イリアが泣き叫んだ。
「いやよ! どうしてねえさんが殺されなきゃいけないの! なにも悪いことなんてしていないのに……」
すすり泣くイリアを、ソーラが抱きしめた。
「ごめん、イリア。もう、ばかなことは言わない。ねえさんは逃げるわ」
イリアは泣きやんで顔を上げた。
「逃げるわ。どこに逃げたらいいのかわからないけど……。逃げながら考えるわ」
姉の言葉に、イリアはほっとしたようにほほ笑み、スカートのポケットから布でくるんだ包みを取り出した。
「ビスケットと干し肉を持ってきたの。お弁当がいると思って……」
「ありがとう。気がきくわね」
ソーラは、このしっかり者の妹をもういちど抱きしめ、まだ幼い弟妹のことを頼むと、別れを告げた。
ソーラは北をめざした。イリアには言わなかったが、行き先は決めてあった。
人間の世界で受け入れてもらえないなら、行く場所は魔族のもとしかない。
人間は魔族の血を半分引く娘を受け入れてくれなかったが、魔族は、人間の血を半分引く娘を受け入れてくれるだろうか? 母は魔族の血を半分引くわが子を憎んだが、父は人間の血を半分引くわが子を愛してくれるだろうか?
そんな不安はあったが、ほかに行き先はどこも思いつかなかったのだ。
それに、精神的に虐げられた日々のうちに、ソーラはかなり人間に対して愛想を尽かしており、その反動で、見たこともない魔族を美化して捉えていた。父の種族はきっと人間ほど狭量ではないだろうと考えたのである。
魔族がどこにいるのか、場所ははっきりわからなかったが、ともかく北にいけばいいだろうと、ソーラは思った。