黒髪の娘・その6

400字換算で70枚ていどのファンタジー小説の6ページ目です。
このページのつづきは、選択肢によって2つに分かれます。

トップページ オリジナル小説館 世界設定
「黒髪の娘」目次 1ページ目 前のページ

 ソーラはカニガに連れられて何日も旅した。カニガの提案で、魔族の追っ手たちに彼らが死んだと思わせるため、出発してまもなく見かけた小さな湖に、ソーラのショールとカニガの帽子を投げ込んできたので、ひどく寒い。
 最初の二日ほどは、あんな小細工では魔族たちをごまかせず、すぐにも追っ手がかかるのではないかと心配したが、追っ手はかからなかった。
 魔族たちをだましおおせたのは、カニガを取り巻く翳りのせいではないかと、ソーラは思った。人間の娘の口を封じたあと、そのまま自分も身投げしてしまいかねない危うさをこの男が持っているので、湖に浮かんだショールと帽子を見て、魔族たちはあっさり納得したのではないだろうか、と。
 その翳りのゆえに、カニガはあまり楽しい道連れとはいえなかった。ふたりはほとんど口をきかず、歩いているときも、野営のときにも沈黙が重くのしかかった。
 それでも、ずっとひとりで山中を旅してきたソーラにとって、そばにだれかがいるというのは大きな慰めだった。
 何日旅しただろうか。
 オスロー村からひとりで旅した日数よりは少ない。その半分ぐらいだろうかというころ、ふたりは海を見下ろす峠に出た。
「あの岬のつけ根に村がある」
 カニガが海に突き出した小さな岬を指差した。出立するときに聞いたのと同じ明るい口調だった。
「小さな村だけど、村人の十人にひとりぐらいは黒髪か、それに近い暗褐色の髪だった。たぶん、いまもそう変わってはいないだろう」
「その村って、あなたが恋人と住んでいた村?」
 ずっとたずねたかった問いを、ソーラは初めて口にした。
 しばらくの沈黙ののち、カニガが「ああ」と肯定した。
「あなたはどうするの?」
「村の背後の丘に、おれが彼女と住んでいた家がある。そこまで送っていくよ」
「その人がまだ住んでいると思うの?」
「まさか。とっくに嫁に行ったと思うよ。……でも、おれと住んでいたときみたいに婿を迎えていれば、そこに住んでいるかもな」
「彼女以外の人が住んでいるかもしれないんじゃないの?」
「うん、そうかもな。隣に母親と妹が住んでいたから、彼女が嫁に行って、妹が婿をとっていれば、妹一家がそこに住んでいるかもしれない。でなければ、家をだれかに売ったかもしれないし」 

 その家は無人ではなかった。故郷でソーラが住んでいた家と同じように、塀や門を設けていない小さな家で、その横に洗濯物がはためいていたので、離れたところからでも人が住んでいるとわかった。
 家から少し離れた見晴らしのよい場所に小さな墓が三つあった。少し土を盛り上げた上に平たい石を置いた墓で、銘はない。二つはすぐ近くに並べられ、もう一つは数歩ほど離れている。
「おれがいたとき、墓は一つだった。彼女の父親の墓だった」
 カニガは二つ並んだ墓のうちの一方の前に立った。ゆるやかな斜面になったいちばん高いところ、大木の根元につくられた墓で、三つのうちいちばん古ぼけて見える。
「これがたぶんそれだ。木のすぐ下にあったんだ。それなら、この隣の墓は、彼女の母親の墓だろうな」
 ひとりごとのようにつぶやきながらカニガが視線を向けた墓は、おそらく三つのうちでもっとも新しいと思われる。年老いてから亡くなり、夫の傍らに葬られたのだろうか。
 カニガはさらにその先にある墓に目を向けた。無言だったが、彼の内心の恐れはソーラにもわかった。
「妹さんのお墓かもしれない」
 重苦しい沈黙に堪えかねて、ソーラはそう口にしたが、カニガは無言のまま、身じろぎもしない。
 どのぐらいそうしていたろうか。
 扉が開く音がしたので、ソーラとカニガは同時にふり向いた。
 戸口から姿を現わしたのは、ひとりの女だった。
 女は、洗濯物を取り入れようとしかけて、ふとソーラたちのほうをふり返り、手を止めた。驚いているのが、離れたところからでもわかった。
 女はふたりのほうに歩いてきた。近づくにつれ、白髪混じりの栗色の髪をしたあまり若くはない女で、おそらくソーラの母親よりかなり年上だろうと思われた。
「カニガ?」
 女が信じられないといった表情でつぶやき、カニガが「ヒルダ!」と叫んで駆け寄った。
 女は足を止め、駆け寄るカニガと背後のソーラを交互に見ながら、怒ったように首を横に振った。
「いいえ。わたしはヒルダじゃないわ。妹のイルマよ」
「イルマ?」
 カニガがとまどったように足を止めた。
「ヒルダだろう? たしかにヒルダの面影がある」
「面影だけでしょう? わたしはねえさんに似ていたもの」
「そりゃあ、わりとよく似た姉妹ではあったけど……」
 カニガが自信なさそうにつぶやいた。
「違うわ。ねえさんは亡くなったもの」
 イルマと名乗った女は、ソーラの背後の墓を指し示した。並んで立つ対の墓から少し離れた墓である。
「うそだ」
 墓のほうをふり返り、またイルマのほうに向き直りながら、カニガが震え声で言った。
「亡くなったなんて……。まだそんな年じゃないはずだ」
「年寄りというほど年をとる前に死んでしまう人なんて、珍しくはないでしょ?」
 イルマがむっとした口調で答えた。
「とくにねえさんは若いうちに亡くなったわ。まだ二十三歳でね」
「二十三歳? おれが立ち去って一年も経っていないときに?」
「あなたが立ち去って四ヵ月ほどあとよ」
「いったいどうして……」
「あなたが帰ってくると信じて、しょっちゅうあのお墓のあるあたりに立って、待って、待って、待ちつづけ、ある冬の朝、あそこで雪に埋もれて凍え死んでいたの。あなたがねえさんを殺したようなものよ」
 カニガが大きく目を見開いた。
「おれは、お互いのためだと思って去ったんだ。ヒルダが、人間と魔族の寿命が違うのをひどく気にするようになったから。で、おれも、おれがまだ若いうちに、ヒルダが先に年を取って死んでしまうのが恐くなった。だから立ち去ったんだ。お互いに同族のあいだで伴侶を見つけたほうがいいと思って」
「それで? いまさら何をしにきたの? あなたとは不釣り合いに年をとってしまった昔の恋人に、いまの若い恋人を見せるつもりだった?」
 イルマの言葉で、ソーラは彼女の誤解に気づき、違うと言おうとした。が、それより早く、カニガがイルマの言葉を否定した。
「違うよ。この娘は恋人じゃない。魔族でもないよ。人間の娘だ」
 ソーラは、自分が告げようとしていた事実にもかかわらず、なぜかちくりと胸が痛むと同時に、いわれのない腹立ちを感じた。
「この娘の村にはほかに黒髪の者がいなくて、そのため魔族の娘とまちがわれて殺されかけたっていうんだ。それで、この村なら黒髪の人が少ないながらに住んでいたから、受け入れてもらえるだろうと思って連れてきたんだ」
「変な人ね。あなたは魔族で、人間と魔族は戦っているのに」
「この娘は関係ないだろ? 兵士じゃないんだから」
「でも、あなたは関係あるわよ」
 イルマが挑戦的に宣言した。
「その娘は人間でも、あなたは魔族だもの。わたしがこの丘を駆け降りて、魔族がいるって叫べば、村人たちはあなたを追いかけるわ。わたしはそうするわよ。あなたはねえさんの仇なのだから」
「では、そうしたらいい」
 困っているふうでも、怒っているふうでもない口調で、カニガが答えた。
「べつにかまわないよ。その娘を保護してくれるのなら」
「村の人たちが来る前に逃げられると思っているでしょう? でも、無理よ。村には猟犬だっているんだから」
「逃げないよ。仇を取りたいなら好きにすればいい」
 ふたりの会話を聞いていて、ソーラは恐くなっていた。怒りのために顔を赤くしたイルマと投げやりになったカニガは、対照的なようでいて、どこか狂気を感じさせるところが共通している。それはソーラに母のヒルダの狂気を思い出させた。
「わたしの口を封じようとは思わないの?」
 まるで口封じされたがっているかのような口調でイルマが言った。
「思わないよ。そんなことをしたいとは思わないし、する必要もない。ヒルダのところにいくだけだし」
 ソーラは青くなり、イルマは顔をくしゃくしゃにした。
「なぜ、いまごろになって現われて、そんなことを言うのよ? まるでいまでも、わ……ねえさんを愛しているかのようなことを」
「そうだな。いまさらだな。ヒルダはさぞかしおれを憎んでいるだろうな。彼女が復讐を望むなら……」
「やめてよ!」と、ソーラがいたたまれなくなって叫んだ。
「ヒルダさんって人のひとは、そりゃあ気の毒だと思うけど、でも、もう二十何年も前のことなんでしょ? その人は、亡くなったときにはカニガをとても愛していたんでしょうけど、でも、もしもカニガとずっと暮らしていて、いまも生きていたら、『魔族の男なんて大嫌い』って言って、愛さなくなったかもしれないわよ。わたしの母だって、一時はのぼせあがった魔族の男をあとで憎むようになったんだもの。母ほど極端じゃなくても、好きで結婚した相手と別れて別の人と結婚しなおした人とか、好きで結婚したんだろうに夫婦喧嘩ばかりしている人とか、村に何人もいたわよ」
 夢中でまくしたてながら、ソーラは、自分でも何を言いたいのかよくわからなくなってきた。そんなソーラに、イルマは淋しげな微笑を浮かべた。
「そうね。もう二十何年も経ったんだものね。もしも、ねえさんが生きていて、カニガと暮らしていたら、ふたりは釣り合わなくなって、愛しつづけるのは難しくなったでしょうよ」
「なぜ?」と、カニガが首をかしげた。
「人間はふしぎだ。ヒルダもそれを気にしていた。年をとる速さが違っていたら、釣り合わなくなるって。早く年をとるほうはそうなのかな?」
「早く年をとるほうはそうよ。遅く年をとるほうだって別の意味でそうでしょう?」
「別の意味?」
「恋人と年がどんどん離れていったら、嫌気がさしてきて、釣り合う年ごろの若い恋人が欲しくなるでしょうって言ってるのよ」
「まさか。そりゃあ、自分の母親ぐらいに見える女性といきなり出会って恋はしないだろうけど、好きな女性とずっといっしょに暮らしていて、相手のほうが先に年をとったからといって、嫌いになったりはしないよ。人間はそんな理由で好きな人を嫌いになったりするのか?」
「人間は」と、ソーラが口をはさんだ。
「くだらない理由で好きな人を嫌いになるわよ。魔族と人間が戦争をはじめたとかいうような、その人とまったく関係ない理由でね」
 イルマはソーラをちらりと見ると、また視線をカニガに戻してたずねた。
「魔族は違うの? 魔族は好きな人を嫌いになったりはしないの?」
「そりゃあ、魔族にだって、さっきソーラがいったような夫婦はいくらもいるさ。浮気性のやつだっているし、心変わりだってある。おれだって、もしヒルダと結婚していれば、ヒルダがおばあさんになって死んでしまって、そのあとずっとひとりで生きていくうちに、別のだれかを好きにならないとは限らないさ。でも、ヒルダを嫌いになるなんて考えられない。まして、おれより先に年をとったなんて理由で」
 三人とも、この会話にもどかしさといらだたしさを感じていた。カニガとイルマは、互いに相手の言葉が真実かどうかわからず、自分の知りたいことをつかめないもどかしさを感じていたし、ソーラは、彼らの会話に不安を覚えるとともに、自分のほんとうに言いたいことが伝わっておらず、話が噛み合っていないというもどかしさといらだたしさを感じたのだ。
「あなたの言うことを信じたいわ。でも、もう遅すぎる」
「そりゃあ、ヒルダが死んでしまったのなら、遅すぎるけど……」
「生きていたとしても遅すぎるわ」
「なぜ?」
「人間にとって、二十五年という歳月は長いのよ。そちらの娘さんの言ったとおり、別れて二十五年も経てば、別の人と結婚して子供もいるかもしれない。あなたのほうも、いっしょに暮らしている女が年をとったからといって嫌いになったりしないというのがほんとうだったとしても、二十五年の空白を経て、いきなり自分の母親ぐらいの年になった女と再会したとき、もういちど恋をしたりはできないでしょう?」
「そんなことはない。もういちどいっしょに暮らして、これまでのことを償いたい」
「それは償いよ。恋でも愛でもないでしょ?」
「違う」
「違わないわ。そもそも、いまになってヒルダを訪ねてきたのはなぜ? ヒルダとやり直したかったからではなくて、その娘さんのためでしょう?」
 カニガが答えに窮したのをみて、ソーラは思わず「違うわ」と口をはさんだ。
「わたしのことはきっかけよ。カニガがずっとヒルダさんのことを気にしながら、訪ねるきっかけがつかめなかったんだってことは、なんとなくわかるわ。カニガがずっと苦しんできたってことも。あなたにはわからないの?」
 イルマはソーラを見つめ、それからまたカニガに視線を戻した。
「そうね。あなたが苦しんできたのはわかる。それがわかっただけでも、来てくれてよかったわ。でも、だからこそ、あなたは認めなくては。ヒルダが死んでいようが、生きていようが、あなたとヒルダの恋は終わったのだということを」
 大きく見開いたイルマの両眼から涙があふれ、静かに頬を伝い落ちた。
「ヒルダはもうあなたを恨んではいないし、あなたはもう苦しむ必要はないわ。すべては終わったのだから」
 カニガは力なく首を左右に振ったが、自信はなさそうだった。
 ソーラは、今度はイルマに賛成だった。イルマの心ははかりかねたが、彼女がカニガを許したのはわかったし、彼女が言ったように、すべては終わったのだと、カニガが考えてくれればいいのにと思ったのだ。
「イルマさんの言うとおりよ。行きましょう」
 ソーラがカニガの腕をつかんで引っ張ると、彼は驚いたように「だめだよ、きみはここに残らなきゃ」と答え、イルマをふり向いた。
「この娘を助けてやってくれ」
「隣は空き家だから、そこに住むことはできるし、はた織りがじょうずにできるのなら、布を織って暮らせるわ。それが無理でも、村で何か仕事を見つけられるでしょうよ。ただ、いま、村に黒髪の人はいないの。以前は黒髪で、いまは白髪って人ならいるから、黒髪だからといって、魔族と誤解されたりはしないと思うけど」

 

ここから先は、ソーラの選択によって、2つの展開を用意しています。
どちらか一つをお選びください。

A.カニガとともに旅立つ

B.ここに住みつく


上へ

前のページへ