4 魔法の成就
アオラとサオラは、容姿も性格も何から何までそっくりのふたごだったが、嫁いでからは、まったくそっくりというわけではなくなった。
騎士の息子に嫁いだアオラは、夫からは温かく、夫の両親や親族からは冷たく迎えられ、そのいずれからも、騎士の奥方らしく、つまり貴婦人らしくなることを要求された。
貴婦人は、高貴の方々には礼儀を尽くし、平民や使用人に対しては誇り高くあらねばならぬ。立居振舞や言葉使いはつねに優雅でしとやかに、殿方に対してはつつましく控え目にふるまい、それでいて目下の若い騎士たちに慕われなくてはならぬ。
矛盾しているようだが、特定の貴婦人に敬愛を捧げるのが未婚の若い騎士の習いであり、多くの崇拝者を持ち女神のごとく君臨するのが貴婦人の名誉であった。ただし、崇拝者はあくまで崇拝者の位置にとどまらねばならぬ。崇拝者が恋人に変われば、敬愛が不義となり、名誉が不名誉となるのは当然のことだった。
これらの要求は、アオラ本来の性格には合わぬことも多かったが、蔑まれるのがいやでそれらしくふるまっているうちに、いつしかアオラは貴婦人らしくなっていった。
一方、商人の息子に嫁いだサオラは、夫からは歓迎され、夫の父親からは困ったように迎えられた。夫の母親はすでに亡くなっていたが、かわりに義妹が値踏みするような視線を兄嫁に向けた。そして、そのいずれもが、サオラに商家の嫁らしくなることを期待した。
商家の嫁たる者は、夫が商用で留守のあいだはかわりに商売を切り盛りし、商売上の細々した事柄について決定を下し、つねに損得勘定を忘れず、使用人たちにはてきぱきと指図せねばならぬ。
その毎日はサオラ本来の性格には合わぬことも多かったけれど、頼りないと言われるのがいやでそれらしくふるまっているうちに、いつしかサオラは商人の妻らしくなっていった。
その暮らしの違いは、ふたりでひとりのようだった姉妹を別人へと変えていった。
どちらの夫も都の名士だったので、宴や舞踏会で姉妹が顔をあわせることも多かったが、会うたびに、ふたりの印象は差が開いていったのだ。
上品で清楚な衣装に身を包み、若い騎士たちの崇拝の視線を浴びながら淑やかに微笑むアオラと、華やかな衣装に身を包み、積極的に如才なく人々に話しかけるサオラとでは、もはやだれにも容易に見分けがつく。
ふたりの心も、もはや底でつながった二つの湖のようではなくなった。
かつては、喜びも悲しみも共有していた姉妹であったが、いまは違う。
アオラが平民の出身ゆえに夫の両親や親族から蔑まれ、物陰で悔し涙を流しているとき、サオラははつらつと商売にいそしみ、夫や客や商人仲間たちと機知に富んだ会話を楽しんでいることがあった。
サオラが商売のことで何かしくじりをして、夫や舅から侮蔑的な言葉を受けて泣いているとき、アオラは、崇拝者の若い騎士たちに取り囲まれ、失望させぬよう、しかし色恋の対象とされぬように気を遣いながらも、それなりに楽しいひとときを過ごしていることもあった。
だが、それでもなお、姉妹ふたりきりで語り合うときには、互いのうちに、いまだ完全にふたりに分かたれきれぬ部分を見いだすことがあった。ふたりの共有する部分は、娘時代に比べてずいぶん小さくなってはいたが。
それに、自ら別れを告げた美しき恋人ツァラネインが恋しくなり、会いたくてたまらず、声に出してであれ心の中であれ彼の名を呼ぶのは、なぜかふたり同時だった。少女時代のあの美しい思い出こそは、姉妹の心のいまだふたりに分かたれざる部分に深く根ざしたものだったのだ。
ふたりとも、《魔物さん》との別れぎわに告げたとおり、けっして彼を忘れることはなく、恋うるのをやめることもなかった。
とはいえ、アオラもサオラも、世の中の多くの妻たちに比べて不幸な結婚をしたとはいえないだろう。
ふたりとも夫を愛してはいなかったが、それは、親や主君の決める結婚が当たり前だった時代では珍しいことではない。ふたりとも、少なくとも夫を嫌ってはいなかったし、夫からは熱愛されていたのだから、平均的な夫婦よりはむしろ恵まれているといえたやもしれぬ。
嫁いだときに直面した婚家での苦労も、そういつまでもつづいたわけではない。姉妹とも玉の輿で、夫の親や親族に渋い顔をされながら嫁いだだけにつらく当たられたが、その苦労も歳月とともに薄らいでいった。ふたりとも、しだいに婚家での暮らしになじんでいったし、それに伴って、舅たちからことさら侮辱されることも減っていったのだ。かわりに、孫を催促されることが多くなりはしたが。
多くの女たちが姉妹を羨んだ。ことに、夫に顧みられぬ妻、甲斐性のない貧しい夫を持った妻、玉の輿にあこがれる娘たちは。
少なくとも他人から見れば幸福な妻でありながら、アオラもサオラも、不幸ではなかったかわりに幸福でもなかった。ほんとうに幸福な時間は《魔物さん》と三人で過ごしたときだという想いがついてまわり、失われた過去をなつかしまずにはいられなかったのだ。
そんな満たされぬ想いが募ったとき、姉妹は森の魔物の名を呼んだ。
「ツァラネイン」
声に出して、あるいは心のうちで思いをこめて呼びかけると、その呼び声は、彼女たちの体内に刻印されたツァラネインの真の名に届き、震わせた。
それは、姉妹にとって、《魔物さん》とともに過ごしたひとときがつかのま還ってきたかのごとき至福だった。千回目に彼を呼ぶとき、魔法が成就すると言われたが、千回目を待つまでもなく、毎回毎回が魔法のようだった。
そう。姉妹にとっては、都での生活でもっとも幸福な時間は、ツァラネインの名を呼ぶひとときだったのである。
そうして都で二度目の春を迎えたある夜、姉妹のツァラネインを呼ぶ声は、同時に千回目に達し、魔法が成就した。
ふたりはすぐにそれと気づいた。ふたりとも、ツァラネインを呼ぶごとに数えていたわけではなく、それが千回目だとも知らずに呼んだのだが、いつもと違うことは感じられた。
千回目の呼び声は、いつもと同じように、姉妹の体内に刻印されたツァラネインの真の名に届き、揺さぶった。
だが、いつもと違って、それだけでは終わらなかった。魔物の真の名が千回目の呼び声に揺さぶられたとき、それは姉妹の胎内に納まり、胎児となったのであった。
姉妹はすぐにそれと知った。《魔物さん》のかけた魔法はすでに姉妹の一部であり、しかも、おのれの体内でのことであったゆえ。
魔法が成就しても、姉妹はツァラネインの名を呼びつづけた。ただし、今度は、恋人だった森の魔物への呼びかけにとどまらぬ。胎内のわが子への呼びかけでもあった。
生まれてくる子の名はツァラネイン。互いに相談するまでもなく、姉妹はそう決めていた。ツァラネインの名前から生まれる子供にそれ以外の名をつけることなど、思いもよらぬことだった。
「子供ができたの。名前はツァラネインよ」
夫に告げると、いずれの夫も、喜ぶ一方で眉をひそめた。
「ツァラネインなんて、妙な名前じゃないかね? もっとふつうの名前にしたほうがよくはないか」
だが、姉妹は聞き入れなかった。
「サオラと約束したの。ふたりとも、子供にツァラネインって名をつけようって」
「アオラと約束したの。ふたりとも、子供にツァラネインって名をつけようって」
まったくの嘘ではなかった。口に出して約束したわけではなかったが、ふたりとも、互いに同じ考えであるとよくわかっていたのだから。
月満ちて、ある寒い冬の夜、アオラとサオラは同じ時刻に赤子を産んだ。どちらも男の子で、《魔物さん》を思い出させる美貌に、髪は母親ゆずりの栗色。魔物と同じ緑の髪でなかったことに、どちらの母親も安堵した。ほんの少し残念ではあったが。
ふたりの赤子はうりふたつだった。母親たちがそれを知ったのは、産辱の床を離れてまもなく、アオラがサオラの家を訪ねて会い、ツァラネインと名づけた互いの赤子を見せあったときのことだった。 半ば予想していたことだったので、ふたりとも驚きはしなかった。
「この子は魔物なのかしら。それとも人間なのかしら」
「少なくとも外見では人間ね。髪の色だって緑じゃないし」
「緑の髪だったらどうやってごまかそうかと、心配してたわ」
「ええ。栗色の髪でよかったわ。目もブルーベリーの色じゃなくて」
魔物の名前から生まれた子とはいえ、千回ツァラネインを呼んだのは、人の子たる自分たちの声。しかも、人の子たる自分たちが産んだ子供。赤子たちが人間であってもふしぎではないと、姉妹は結論づけた。