マリータの日記−ダキアの森にて・その1

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 2003年10月28日UP


  776年9月2日   2003年9月2日UP

 日記をつけるのは、ほとんど半年ぶりだ。とはいっても、時間の感覚はない。そのあいだずっと悪い夢を見ていたようだ。半年近くたったというのも、このダキアの森で目覚め、日付けを聞いてはじめてわかった。
 あまりにもいろんなことがありすぎて頭が混乱していたら、サイアスさまがこのノートとペンとインクをくださった。「紙に書いてみれば、多少なりとも頭の整理がつきますよ」とおっしゃって。
「ありがとうございます。子供のころから囚われる日の前日まで、わたしは日記をつけていました。日記とはいっても、書きたいことがあったときに書くといういいかげんなものでしたが。いまほど日記を必要としたことはありません」
 そう言うと、サイアスさまは「よかった」と喜んでくださった。やさしい方だ。このような方がどうしてレイドリックのところになどいたのだろう?
 あーっ、こういうことを考えはじめるとよけい混乱してしまう。
 とにかく、頭を整理するのに、囚われたあの日のことから順にふり返ってみよう。

 あの日、レイドリックが兵士たちを連れていきなりフィアナ村に押し寄せてきた。
 かあさまやリーフさまたちが出発したのが早朝で、レイドリックが攻めてきたのはお昼前ぐらい。これが偶然のはずはない。レイドリックは、かあさまが留守にするのを見はからって、村に攻めてきたのだ。
 わたしとナンナさまは戦おうとしたけど、とても無理だった。わたしたちには村を守る力はなかった。月光剣を覚えていい気になっていたけど、ひとりかふたりずつならともかく、数人以上を同時に相手にできるだけの力はなかった。その数人のうちにはかなり強い人もいたし、そのうえ、村の人たちを人質にとられてしまっては……。
 いや、いいわけはするまい。もしもわたしがかあさまぐらい強かったら、なんとかなったかもしれないのだから。
 オーシンのおとうさんがのろしでダグダに知らせてくれたけど、ダグダたちが来るまで、わたしはとても持ちこたえられなかった。
 やむなく、わたしとナンナさまは降伏した。村の人たちは無事だろうか? わたしたちは村の人たちの安全を条件にして降伏したのだけど、レイドリックは信用できない男だ。
 ただ、わたしたちがフィアナ村から連れ出されたってことは、かあさまたちが村に帰ってきたとき、人質にできるのは村の人たちってことになる。そのためにも村の人たちに危害を加えることはしないだろうとは思うのだけど。
 かあさまたちが戻ってくるころには、おそらくダグダたちも到着するだろう。村の人たちが無事でさえいれば、かあさまたちがきっと村を解放する。フィンさまやリーフさまもおられるのだし……。フィアナ村から連れ去られるとき、そう信じることにした。かあさまはフィアナ村を解放して、それからわたしとナンナさまを助けにきてくれる、って。
 そう信じたとおり、かあさまは助けにきてくれた。フィアナ村の人たちはみんな無事に助けだせたんだろうか? あのとき、かあさまに聞くことができなかったからわからない。だって、そのとき、わたしは……。
 いけない。先走っては。かあさまと再会したときのことまでに、まだ書くべきことがある。でも、ここから先のことは……。ちょっと心の準備が必要だ。つづきは明日書くことにしよう。


  776年9月3日   2003年10月2日UP

 剣の夢を見た。あの恐ろしい暗黒の剣。あれが夢に出てきたのは、あれのことを考えながら眠ったからだろうか。
 あの剣を最初に見たのは、レイドリックに捕われて、マンスターに到着したその日のことだ。
 わたしとナンナさまは、マンスターに着いたとたんに引き離された。離されまいとして暴れたけどダメだった。
 牢の一室に閉じこめられてからは、わたしは暴れるのもわめくのもやめた。そんなことをしても体力をムダに消耗するだけ。それより、体力を温存して、チャンスを待ったほうがいい。
 どのぐらいそうしていただろうか。たいした時間でもなかったような気もするし、半日ぐらいじっとしていたような気もする。
 ともかく、牢の鉄格子の前に、レイドリックが供をふたり連れてあらわれた。供のひとりは下働きらしい女で、もうひとりは家来らしい男だった。
 女はスープとパンの食事を差し入れ、男は布にくるんだ何かを牢に放りこんだ。
「退屈だろう。おもちゃを持ってきたやったぞ。オードの末裔にふさわしいおもちゃをな」
 レイドリックはそう言って高笑いをした。
「なんのことだ?」
「おまえの背中のアザのことだ」
 わたしとナンナさまは、捕らえられたとき、武器を隠し持っていないか確かめるというので、衣服をはぎとられた。どうやらあのとき、背中のアザを見られてしまったらしい。
 とうさまはあのアザを人に知られてはならないと言っていた。敗れた悔しさと、下着だけにされた屈辱に気をとられて、アザのことなんて忘れてしまっていたけど、あれをレイドリックのような者に見られたのは、とてもまずかったかもしれない。
 ともあれ、レイドリックたちが立ち去ったあと、布の包みを広げて見ると、あの剣が出てきたのだ。
 わたしはレイドリックの真意がわからなかったから、バカにされているのだと思った。牢に入れてしまえば、剣を渡しても何もできないと、みくびっているのだろう、と。
 それなら、剣など持たせたことを後悔させてやろう。この剣で稽古をつづけながら、隙をうかがって脱出し、ナンナさまを探し出して、ふたりで逃げ出そう。
 そう思って、わたしは剣を手に取った。そのとき、わたしの頭にあったのは、ひたすら強くなりたいという願いで、剣はその気持ちに呼応しているようだった。
 いまにして思えば、あのとき、わたしはあの剣を放り出すべきだった。なにか、ふつうの剣でないのは感じたのに。剣を手にしてまもない時期なら、あれを手放すこともできたのに。
 愚かにも、わたしは、強くなりたいという気持ちで頭がいっぱいで、剣を手放さなかった。
 わたしは、あの暗黒の剣を手にして、剣の稽古をはじめた。剣を振っているうちに、 「強くなりたい」という思いばかりが頭を占めて、逃げることは忘れてしまった。大切なことを忘れ、ものごとをちゃんと考えられなくなり、熱に浮かされたように、「強くなりたい」と、ただそればかりを望んでいた。
 そうして、わたしは、あの剣に魅入られてしまったのだ。


  776年9月4日  2003年10月28日UP

 また、あの剣の夢を見た。いまわしい剣だ。夢のなかにまで出てくるなんて。どうせ夢を見るのなら、フィアナ村にいたときの楽しい夢を見たい。でも、それはそれで、目が覚めたときにつらいかもしれない。
 あの剣に囚われていたあいだの記憶は、霧がかかったようにぼうっとしている。それでも、覚えていることは覚えている。
 わたしは、「強くなりたい」と、そればかり考えていた。強い相手と戦いたいとも望んでいた。
 その望みどおり、何度か闘技場みたいなところに引き出されて、戦わされた。たぶん、レイドリックがどこからか集めてきたならず者か傭兵くずれみたいな人たちだろう。
 いまにして思えば、それぞれ、そこそこ強かったのではないかと思う。ひょっとすると、ハルヴァンと同じぐらいの技量はあったかもしれない。
 けれども、戦ったときには、相手が強いという感じは全然しなかった。フィアナ村で剣の稽古をしたときとは剣が違う。あの魔剣を使っていたから、ハルヴァンを相手に練習していたときとは比較できない。
 いつも数合も剣を交えないうちに、わたしは相手を葬り去った。わたしと戦った相手は、たぶん、みんな死んだと思う。
 人数は、たぶん数人だったように思う。ちゃんと覚えていない。どんな人を自分が殺したのかもよく覚えていない。戦ったことも、剣が人間の肉を切り裂く感触も覚えているのに、相手のことを覚えていない。関心がなかったからだ。
 わたしは彼らのことをこれっぽっちも恨んだり憎んだりしていなかった。あたりまえだ。恨む理由も憎む理由もないのだから。
 恨んでも憎んでもいない人を何人も殺したというのに、わたしは相手にまったく関心をもたなかったし、心を痛めることもなかった。ただ、戦って相手を斃すのがおもしろくてたまらなかったんだ。
 いま思い出しても、たしかに人を殺したはずなのに、実感がない。それが恐い。
 もちろん、これはあの剣の作用だろう。
 だけど、戦ったときのあの興奮と高揚した気分は、剣のせいだけじゃないと思う。
 わたしはたしかに戦いを楽しんでいた。そういうところが、わたしにはたしかにあったんだ。
 子供のころから「強くなりたい」とずっと思っていて、それに疑問をもったこともなかったけど、今度のことでよくわかった。わたしはかなり好戦的な人間で、一歩まちがえば、これってあぶない。
 かあさまと戦ったのでよくわかる。かあさまと戦ったときのことは、あの傭兵たちと戦ったことよりはよく覚えているから。
 かあさまと戦ったとき、かあさまに剣を向けるのがとてもつらかったし恐かった。心のなかで悲鳴を上げていた。なんとかして剣の呪縛を逃れ、戦うのをやめたいと思っていた。でも、それがかなわなくて、涙があふれてしょうがなかった。
 だけど、わたしの心のなかはそれだけじゃなかった。かあさまと戦うことを喜ぶ気持ちがたしかにあったんだ。
 いや、かあさまとっていうより、ソードマスターのエーヴェルとだ。いままで出会ったなかでいちばん強い人と戦えることを、わたしはたしかに喜んでいた。
 この人と戦いたい。この人より強くなりたい。この人に勝ちたい。そんな気持ちがたしかにあった。
 もし、わたしのなかにそういう好戦的な部分がなかったら、わたしはかあさまと戦うのをやめられたんじゃないかと思う。いや、ひょっとすると、最初から戦わずにすんだかもしれない。あの剣の影響を受けずにすんだかもしれない。
 わたしはあの剣にあやつられて何人もの人を殺し、かあさまをも殺したかもしれないところだったけど、それは、あの剣が全部やったってわけじゃない。あの剣は、わたしのなかの好戦的な部分を引き出して拡大しただけだ。
 もし、自制心が働かなくなって、好戦的な部分が思いっきり全面に出たら、わたしはあの剣にあやつられていたときみたいになる。
 それを忘れてはいけない。かあさまみたいなソードマスターをめざしたいという気持ちはいまもあるけど、自分のなかに危険な部分があることを忘れてはいけない。けっして忘れないようにしよう。


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