暗い近未来人の日記−新入社員・その2 |
日記形式の近未来小説です。主人公は社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2010年7月11日UP |
2093年4月10日
わたし、榊さんって苦手かも。
以前に「わたしってわがまま」って言ってたのは、自分の性格を客観視しているのかと解釈していたけど、そうじゃなかった。「わたしはわがままでもいいのよ。あんたたちはそれに合わせなさいよ」という意味だったんだ。
同じ職場で働く人と険悪になるのは避けたいから、「ちょっとなあ」と思うことやムカッとすることがあっても、いいほうに解釈しようと努力してきたけど、それにも疲れてきちゃった。
たしかにまあ、最初の日は、明るくて愛想のいい人だと思ったよ。
上司や先輩のいないときに「疲れた〜」と連発したり、やたらに話しかけてきたりするのはちょっと迷惑だったけど、それも「甘えっ子タイプの人はこういうものかも」と、いいほうにとったよ。
それに、「天野さんって天然〜。わたしの好きなタイプかも〜」と言われたときにも、ちょっといやだったけど、彼女なりに好意の表現なのだろうと受け止めた。
でもね、おとつい、「天野さんって天然〜。わたしのほうがしっかりしてると思うわ。わたし、自分でもしっかりしてるって思うもの」と宣言してから、彼女の態度がひどくなった。
まるで、自分が上司でわたしが部下だとでも思っているかのような態度をとるんだ。
上司に「ふたりで協力してやっておくように」と言われて渡された仕事を、当然のように自分の好みで分けて、「わたしはこっちをやるから、天野さんはそっちをやってちょうだい」と指図したりとか。
少しやって飽きた根気仕事は、「わたし、こういうの苦手〜。天野さんのほうが向いていると思うわ。はい」と、わたしに渡す。
逆に、おもしろそうだと思った仕事は、「こういうの、わたし、得意。わたしのほうが向いていると思うわっ!」。
まるで子どもみたいにわがままなんだけど、じゃあ子どもみたいに無邪気なのかというと、そうでもない。
たまりかねて言い返すと、「天野さんってきつい」とそこらじゅうで言いふらしたり、先輩に「わたし天野さんに嫌われちゃってるみたいですう」と聞こえよがしに相談したり。
上司や先輩がそばにいるときといないときとで態度が豹変するし、なんだかわたしを陥れようと根回ししているようにも見える。
ずる賢くて、人として信用できない感じだ。
上司や先輩の目には、たぶん、明るくて社交的でかわいい性格と映っていそうだけど。
こんな人といっしょにやってかなくちゃいけないのか。憂鬱だなあ。
まあ、二ヶ月で配置換えになるとわかっているのが、せめてもの救いだけど。
2093年4月17日
きょう気がついたんだけど、この会社、会議室のひとつに奇妙な人たちがいる。何の仕事をするでもなし、ただ、携帯をいじってたり、本を読んでいたり、雑談したりしているだけ。少なくとも、この会議室にいるあいだは。
好きなときに会社に来て、好きなときに帰っていくみたいで、部屋の入り口に置いたノートに入退社の時刻を書いている。
それに気がついたのは、たまたま第三会議室の前を通りかかったとき、呼び止められたからだ。
見たところ五十代か六十歳前後ぐらいの女性に手招きされ、部屋に入ると、みんないっせいにこちらを注目した。
「あの、わたし、朝からずっといるのに呼ばれないんだけど。今日、だれも呼ばれていないんだけど。何もないのかしら?」
「は?」
話が見えなかった。
「あのう、だれかをお待ちなのでしょうか?」
今度は、相手が「は?」と言う番だった。
「あなた、わたしたちのことを聞かされていないのかしら? ひょっとして新人さん?」
「はい」
「じゃあ、知らないかもね。わたしたちはフリーランサーよ」
「というと、ライターさんとか、イラストレーターさんとかですか?」
そういったクリエーター系の職種などでは、会社に雇われずにフリーランスとして仕事を請け負っている人がたくさんいるのは知っている。それにしては年齢の高い人が多いという気はしたけど。
はたして、その女性の答えは違った。
「そういう人はこういうところでずっと待機していたりしないわよ。自宅で待機するんじゃない? わたしたちは、事務のフリーランサーよ」
事務にフリーランサーがいるなんてはじめて聞くので、驚いた。
「入力でも、雑用でも、仕事が入るのをずっと待っているのよ」
「ずっと?」
思わず聞き返した。
「何時からとか、決まっていないんですか?」
「決まってないの」と、その人が苦笑した。
「いつ仕事が入ってもいいように待機していないと仕事がもらえないから、待機してるの。保証は何もない。それはわかってるの。わかってるんだけど……。聞いて来てほしいのよ」
「わかりました」
気の毒になって、急いで課長のところにいき、伝言を伝えた。
「フリーの人に頼む仕事? うちはないね」
「じゃ、ほかの部署に聞いてきます」
「行かなくていい!」
課長に叱られた。
「どこかの部署で仕事が発生すれば頼む。そういう約束で来ているんだから。そんなのの相手をしていずに自分の仕事をやりなさい」
そう言われるとどうしようもなく、席に着いて中断していた仕事に取りかかった。
隣の席で、榊さんが含み笑いをしながら、「いままで知らなかったの?」と聞いた。
「天野さんって、この会社のこと、何にも知らないのね」
どうやら榊さんは、あの人たちのことを知っていたらしい。
「そんなに仕事がしたければ、パートでもバイトでもすればいいのよ。なのに、仕事もせずに会議室ひとつ占領しちゃって。ああいう人たちって、わたし、大きらい。場所代を払えって言いたいわ」
そう言って、榊さんは課長を振り向いてにっこりした。
「ねえ、課長。そう思いますよねえ」
「ははは、たしかにそうだねえ」
強者の論理だと思った。
パートでもバイトでも、ふつうに働いて給料をもらえる仕事さえあれば、あの人たちもそうするだろう。
ずっと待機していて、仕事がなければ収入もなし。仕事があってもパートの時給……なんてことを、好きこのんでやる人がいるとは思えない。
でも、年齢が高くなってから失業すれば、パートやバイトも見つけるのが難しい時代なのだ。とくに、働ける時間が限られている人の場合は。
そう思うと、あのまま放っておいたことに気がとがめた。あの人たち、あのあと仕事があったのかなあ。
2093年4月25日
榊さんはすごい演技派だと思う。
彼女、基本的に自分の非を認めようとはしない人だけど、謝ったほうが得なときと損なときをうまく使いわけたうえで、目上の人に自分が悪く思われないよう、よく思われるように熱演するのだ。
たとえば、きのう、榊さんがわたしに渡さなくてはならない書類を渡していなかったってことがあった。
「えーっ、わたしは絶対にそういうことを忘れたりしないよ。天野さんのところにあるはずよっ! 見せてっ!」
そう叫ぶなり、わたしの処理し終わった書類をぐちゃぐちゃにしてひっかきまわした。
で、しぶしぶ自分の書類入れを見てその書類を見つけると、「これ、わたしの控えじゃないかな」と首をかしげながらわたしの机に投げ出した。
でも、それが控えじゃないってのはすぐにわかった。控えばかり束ねたファイルにそれのコピーが入っていたからだ。
すると、榊さんは、謝るどころか、自分が投げ出した書類を指差して叫んだのだ。
「ここにあるじゃないのっ! 天野さんって、すぐに物をなくすんだからっ!」
「何言ってんの? あなたがいま置いたんでしょ?」
言い返したけど、わたしの声は榊さんの声にかき消された。なんといっても音量が違うのだ。
「天野さんの机にあったって、みんな聞いていて、知ってんだからね!」
みんなが聞いているのは榊さんの声であって、客観的事実ではないのだが、榊さんは気にするようすもない。
たぶん、彼女、都合の悪いことがあると、いつもこういうふうにして大きな声を張り上げ、相手の言い分が周囲の人の耳に届かないようにして、自分の言い分だけを事実であるかのように思いこませるというテクニックを使って世渡りしてきたのだろう。
で、わたしに対してはそういう態度だが、目上の人が相手だところっと変わる。
今日、彼女、何か失敗したらしく、課長に叱られてたんだけど、ひとしきり「すみません」だの「どうしよう」だの叫んでたんだ。
でも、本気で自分が悪いと思っていたわけではなさそうだ。
いいかげん迷惑なほどの大声で叫んだあと、いきなりわたしに向かって、「天野さん、なんで笑うの?」と言いだしたから。
笑ってもいないのにいきなりそう言われて、どういうつもりかと思ったら、榊さんの意図はすぐにわかった。
「わたしはすっごく深刻に考えてるのに、天野さんにとっては笑うようなことなのねえ」
まるで、わたしが本当に嘲笑したかのように、憤慨してみせたのだ。
呆気にとられたし、腹が立ったし、嫌悪感も感じたけど、感心もしちゃったよ。
ミスをしたとき、言い訳をすれば、責任感がないと思われるけど、この言い方だと、むしろ責任感が強いように見せかけられる。
ひとことも弁解せず、かといって自分が悪かったと認める気はなく、無関係のわたしを悪者にすることによって、自分がマイナス評価されないように仕向けちゃったよ。
これは一種の才能だろう。
たいしたもんだとは思うけど、こんな人といっしょに仕事をしていくのはしんどいよ。
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