暗い近未来人の日記−新入社員・その1

 日記形式の近未来小説です。主人公は今回から社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。

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2010年2月28日UP

  2093年4月1日

   今日から本格的に社会人だ。このあいだのはまだアルバイトだったもんね。
 ちょっと不愉快な体験もしたけど、気を取り直してがんばることにしよう。
 とはいっても、今日から三日間は新人研修だ。
 で、今日やっていたのは、おじぎのしかたとか、あいさつのしかたとか。おじぎの角度がどうだの、声が小さいだの、敬語の使い方がどうだの、いろいろ注意された。
 正直いって、おもしろくなかった。同期には、「こういうのってだいじだから」と言っている人もいたけど、わたしは、どうしても、これがだいじって気がしない。
 こういうのはだいじって世界で、これから働かなくちゃいけないのかあ。


  2093年4月3日

 きょうの研修のひとつは、新人教育を専門の仕事にしている女の人の講義だった。
 ひどく「オンナ」というムードをぷんぷんさせているのに、本人は、「わたしは、男の人に、よく『男性的だね』とか『男性のような考え方をするね』と言われます」と言っていた。
 それでいて、男女平等という考えはないようで、「女性はやはり、女性ならではの気遣いで、男性を支えるという気持ちがなければ」などと言う。
 ひどく矛盾しているんだけど、考えてみれば、この人、性差別意識を持っているという点では、男性の考えに近いのかもしれない。ただ、自分を、性差別によって差別される立場としてではなく、男性といっしょに自分以外の女性を差別していい立場と認識しているだけで。
 たぶん、「わたしは男の人の気持ちがよくわかるの」を売りにして男性におもねり、性差別意識の強い男性たちといっしょに大多数の同性を見下したり批判したりして、そういう男性たちに引き立てられて出世してきたのだろう。
 で、思わず連想したのが、就職活動をしていたときに就職情報サイトなどで読んだ、高い地位について活躍している女性たちのエッセイだ。
 そういうエッセイのいくつかで、同性に対する強烈なエリート意識を感じたことが何度かあった。ひょっとすると、同性に対してというより、無職の人や低収入の個人事業者、非正規社員や準社員など、社会的に弱い立場にいる多くの人々に対する優越感なのかもしれないけど。
 もちろん、活躍中の女性全部がそんなエリート意識をぷんぷん漂わせているってわけじゃない。そうじゃない人の書いたエッセイだっていくつもあった。男性だって性差別意識のほとんどない人はいくらもいるし、社会的に成功していて傲慢じゃない人だってたくさんいるだろうし。
 ただ、自分の社会的地位が高くなったとき、相対的にみて自分より弱い人を見下すようになる人ってのは、いるもんだなあと思った。
 きょうの講師も、そういうタイプの人なんだろう。
 ま、それはともかく。
 きょうの講師、自分のことを「女性ならではの気遣いができる女性」と認識しているようなんだけど、その気遣いの内容ってのがねえ。
「たとえば、わたしはタバコを吸います。でも、喫茶店などでタバコの苦手な人と同席したときには、灰皿をその人から離して置きます。たとえば、十日ほど前にも、取引先の男性と喫茶店に入ってカウンター席に座ったとき、わたしは、その人の隣ではなく、ひとつ空けた席に座り、彼と反対側に灰皿を置きました。あなたがたも、社会人となったからには、そういう配慮ができるようにならなければなりません」
 それを聞いて、思わず「あっ」と声を上げそうになった。叫ばなかったけど。
 この講師、十日ほど前、りいちゃんと喫茶店に入ってカウンター席に座ったとき、わたしの右隣に座った人だ。
 髪型とか声とか、あの不愉快な女と似ているなとは思っていたけど、同一人物だというのはそのとき初めて気がついた。わたし、人の顔を覚えるのって苦手だし。
 その女、初めはわたしの隣じゃなく、さらにその隣に座ってたんだけど、連れの若い男性に「あなたはタバコが苦手だったわね」と言って、わざわざわたしの隣に移り、タバコを吸いはじめたのだ。しかも、自分とわたしの間に灰皿を置き、そこに煙の出ているタバコを置いて、連れに「灰皿がこれだけ離れていれば平気よね」なんてほざいたのだ。
 わたしの隣に移るときにも、タバコを吸いはじめるときにも、わたしのすぐ斜め前に灰皿を置くときにも、わたしにはひとことも断らなかった。
 それなのに、自分のことを「配慮ができる」と自慢する神経は理解に苦しむ。
 要するに、仕事関係の男性には配慮しても、行きずりの見知らぬ人間に配慮する必要を感じてはいないのだろう。ま、見ず知らずの相手でも、社会的地位の高そうな人間に対してなら、まったく違う態度をとったかもしれないけどね。
 こういう人って、虫ずが走る。これなら、気が利かなくて「配慮の足りない人」のほうがずっとましだよ。


  2093年4月4日

 今日から本格的に仕事に入るんだけど、配属とか、正社員か準社員かとか、全然聞かされていなかった。
 で、けさ、会議室に集められて初めて説明された。
 この会社、いくつかの業種を多角経営していることもあって、新人は、二ヶ月交替でいろんな部門をまわるんだそうだ。
 で、その途中で正式な配属先が決まる人もいれば、一年ぐらい転々としつづける人もいる。
 正式な配属が決まるまでは、試用期間みたいなものだと思ってほしいってことだった。もちろん、試用期間は三ヶ月以内って法律で決められているから、社員規定……っていうか、対外的には本採用なんだけどね。でも、事実上は試用期間で、転々としているうちにふるい落とされる人もいるようだ。
 説明した人事課長は、
「どこの部署とも相性が悪くて辞めていく人も、毎年ひとりかふたりはいるんですけどね」と、本人の意思で辞めたかのような言い方をしていたけど、本人の意思じゃないんじゃないかな。たぶんね。
 ま、そういう身分だから、正社員として遇されるはずもなく、全員が準社員。正規の労働時間は一日実働六時間で、給料は十五万円。正社員は一日八時間労働で初任給が二十万円だから、労働時間も給料も、正社員の七割より少し多い計算になる。
 ただし、労働時間六時間ってのは建前っぽい。法律では、正社員は週四十五時間以内で、準社員は週三十五時間以内って決められているから、残業手当が就くのは、残業と休日出勤とを合わせてそれ以上になったときなんだって。
 しかも、残業手当の計算は一時間単位だという。つまり、一時間未満は切り捨てってわけだ。
 そうすると、たとえば、週に三十五時間五十九分働いたとしても、五時間五十九分はサービス残業になってしまうわけだ。
 なんだか釈然としないなあ。法律の労働時間の規定って、「ここまでサービス残業にしていい」という意味じゃないと思うんだけど。
 まあ、でも、残業や休日出勤は全部サービスって会社もあるそうだから、それに比べればましなのかなあ。
 ま、それはともかくとして、わたしが五月末まで配属されることになったのは庶務課だ。庶務課には、わたしのほかにももうひとり新人が配属された。榊マリカさんって人だ。
 榊さんとは、二月のバイトのとき、いっしょだった。とはいっても、配属された課が違っていたので、いっしょに仕事をしたことはない。何回か、ランチをいっしょに食べただけだ。
 でも、陽気で、よくしゃべる人だったので、印象に残っている。
「わたしって、末っ子で、甘やかされて育ったから、わがままで、目上の人に甘えるのが得意なのォ」
 堂々とそう公言したので驚いたのも覚えている。
 わたしも末っ子だけど、べつに甘やかされて育たなかったなあ。
 いままで親しくしていた友だちにはいなかったタイプだ。わがままなのはともかく、目上の人に甘えるのが得意な人ってのは、ちょっと苦手かも……と思わないでもないけど、そういう色眼鏡でみるのはよそう。
 自分でそう公言してるってのは、自分を客観視できるってことなんだろうし。


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