暗い近未来人の日記−就職決定・その1

 日記形式の近未来小説です。主人公は大学4年。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。

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2006年7月5日UP

  2093年1月11日

 やっと就職の内定がとれた。オロファド社ってとこ。就職が決まらないまま年を越しちゃったから、どうしようかと思ってたんだけど、よかった。
 サイトの運営とか、サイトの作成とか、出版系とか、カルチャースクールとか、いくつかの事業を複合的にやっている会社だ。あまり大きな会社じゃないけど、零細企業ってほど小さくはない。
 で、「ほかの人に不合格通知を出したあとで、『やっぱりやめます』といわれたら困るから、就職する意志があるのかどうか、いま返事をもらえますか」といわれて、「よろしくお願いします」と答えちゃった。
 よかったのかなあ、これで。
 履歴書を送ったり、試験や面接を受けたあと、まだ結果の来ていないところが四社ある。そのうちの三社はまあともかくとして、大手の角潮往来館がまだ結果待ちなんだけど……。
 角潮往来館、事業内容はオロファド社と大差ないけど、出版系の比重が高いし、だれでも知ってる大手だし、給料なんかの条件もオロファド社よりだんぜんいいし……。
 うーん、でも、有名企業だから信頼できるとはかぎらないってのは、いやってほどわかってるしなあ。
 それに、角潮往来館、いちおう十一月に試験はしたけど、実際の採用は毎年夏休みまでに決まっているって噂もあるし。ほんとうはそういうの違法なんだけど、実際には、大企業ではふつうのことらしいし……。
 十一月末に試験して、面接もまだなのに、ひと月以上だっても何の連絡もないってのは、望み薄そうだし……。
 それなら、やっぱり、内定が取れたところに決めたほうがいいよねえ。


  2093年1月13日

 角潮往来館から第一次面接の通知がきた。どうやら書類審査に通ったらしい。
 1月22日が面接日になっている。うーん、どうしよう。ここに就職できるものならしたい。
 でも、オロファド社にもう返事しちゃったしな。
 2日しかたっていないから、いますぐになら断ってもそれほど波風立たないと思うけど、角潮往来館の結果が出てから断ったりしたら、まずいだろうな、やっぱり。まだ第一次面接だから、最終結果が出るのはだいぶん先になりそうだから。
 だとすれば、角潮往来館のほうを断るしかないかな。オロファド社を断ったあとで角潮往来館に落ちて、別の就職先が見つからなかったりしたら、目も当てられないもの。
 そんなリスクの高い賭けをするほど、角潮往来館がいい会社とはかぎらないしなあ。知名度の高い会社がいい会社とはかぎらないっていうのは、いやってほど経験したし。


  2093年1月18日

 ものすごく迷ったんだけど、やっぱり角潮往来館のほうに、「就職先がすでに決まってしまったので」と、断りの連絡を入れた。
 だって、オロファド社に就職決定しちゃったから、面接受けるわけにもいかないし……。
 電話に出た人は、気を悪くしたようすもなくて、感じがよかった。うーん、これでよかったのかなあ。


  2093年1月21日

 数人でお昼を食べにいったとき、アヤとナコが「就職先が決まった」と言ったので、わたしも「オロファド社ってとこに決定した」って話した。
 そのとき、「角潮往来館の書類選考にも通ったけど、オロファド社に決まったあとだったから断った」って言ったら、ナコに「ばかねえ」と言われた。
「そんなの、角潮往来館も受けるだけ受けてみればいいのよ。落ちたらそのままオロファド社とかに入社すればいいんだし、受かればそっちは断ればいいんだしさ。妙に義理立てするなんて損だよ」
 加納さんはナコの意見に賛成し、西本さんは眉をひそめた。
「決定してから断ったら、先方はまた求人しなおさなきゃいけないわけでしょ? そんなことするのって、どうかと思うけど?」
 西本さんが言うと、加納さんはチッチッと指を振った。
「企業はそれぐらいのこと想定して、ずるくやってるわよ。何人か補欠にして、すぐには不採用の連絡入れずにほっとくとかね。企業なんて、わたしたちのことをそんなに考えてくれてるわけじゃないのよ。うちの姉なんて、試用期間が過ぎたらクビにされてね。理由は、採用を決定したあとで専務の娘をコネ入社させたので、人があまったからよ」
 うわっ、そりゃひどい……と思っていたら、西本さんがしれっと言った。
「でも、それって、おねえさんのいいわけじゃないの? 試用期間が終わったときにクビになったのなら、おねえさんの能力に問題があったのかもしれないでしょ?」
 加納さんが怒りで顔を赤くし、気まずい空気が流れた。
 西本さんって、こういう人だったっけ? まあ、一対一で話をしたことはほとんどないし、人柄の深いところまでわかるようなつきあいはなかったけど、如才なくて、人づきあいのうまい人だと思ってたので、なんだか意外だ。
「あの、で、西本さんや加納さんは就職先決まったの?」
 その場の雰囲気をほぐそうと思ってそう言ったら、加納さんは「まだ」と答えた。よけい気まずかった。
 西本さんは決まったという。おとうさんの叔父さんが経営している会社なんだそうだ。
 ああ、なるほどね。西本さんは経営者の側に立ってものをみているわけだ。それに、加納さんが腹立たしげに言った「専務の娘をコネ入社」云々に反応したのかもね。大叔父さんが経営する会社に就職といえば、バリバリのコネ入社だもん。
 なんか、彼女たちとしゃべっていると、ナコや加納さんが言うように、オロファド社をキープにしておいて、角潮往来館も受けたほうがよかったかという気になってきた。
 企業が従業員に対してどんなに冷酷非情かは、よくわかってるもの。それなら、求職者に対してはもっと非情よね。義理立てなんてすることはなかったかもしれない。
 ま、企業にもよるとは思うけどね。


  2093年1月24日

 オロファド社から電話がかかってきた。二月は決算期で忙しいので、アルバイトにきてほしいっていうんだ。
 二月六日まで後期試験で、十二日は卒論の口頭試問だから、そう言ったら、七日からでいいし、十二日は休んでもいいってことなので、引き受けた。
 遊べるうちに遊びおさめをしておきたいって気もあったんだけど、バイトは二月中だけでよくて、三月は新生活の準備をしなさいって言われたから、まあいいかなって思ったんだ。
 こういうのは引き受けたほうがよさそうだし、新しい職場のようすは早く知っておくに越したことはないし。
 それに、バイト期間中、寮の空き部屋を借りられるってことなので、寮の部屋を申し込むかどうか検討できるしね。
 お金のことを考えれば、実家から通うのがいちばん安上がりだけど、片道二時間以上かかるから、それはいやだ。それに、いまさら親といっしょに住むのは気乗りがしないしね。
 かといって、ふつうのアパートは家賃が高いから、寮の居心地がよさそうなら、寮に入るにこしたことはない。寮だって寮費はかかるんだけど、月に二万五千円だそうだから、アパートよりずっと安くてすむし。
 バイト期間中は、寮費は日割り計算で、バイト代から差し引くってことだった。


  2093年2月6日

 きょうで後期試験が終わり。試験が終わったあとって、いつもアヤやナコとちょっとした打ち上げをするんだけど、きょうは一時間ほどお茶を飲んでだべっただけで切り上げた。
 いや、だって、あしたからバイトだし。それも、四月から就職する会社でのバイトで、寮に泊まるんだもんね。夜遅くなるってわけにはいかないじゃない。
 教えられた寮は、学校からは一時間半ほどかかった。最寄り駅は会社の最寄り駅より一つ手前だけど、わざわざ電車に乗るより歩いたほうが早いと思う。たぶんね。
 で、その寮ってのは、もとは古い雑居ビルって感じの建物だった。
 古くなったのでオフィスとしては利用しづらくなり、フロアをパネルで細かく仕切って、通路とたくさんの個室に分けてあるのた。
 で、鍵を渡された部屋に入ったんだけど、空き部屋にしては生活感があって、なんだか妙な感じがした。
 測ったわけじゃないけど、ざっと見た感じで、幅一・五メートルほど、奥行四メートルほどといったところだろうか。
 壁の片側に靴入れとロッカーが並び、その向こうにベッドがある。ベッドの反対側の壁には、ベッドを椅子代わりにするとちょうどよさそうな位置にテーブルがあり、その隣に食器棚がある。
 いま住んでいる学校の寮の部屋と似たような広さだ。いや、たぶん長さが少し短いと思う。寮の部屋には机が入っていたんだから。
 それに、建物がかなり古くて、仕切りが壁じゃなくてパネルなので、学校の寮よりボロく見える。
 ちょっと窮屈だけど、それはまあいい。それより気になったのが、そこかしこに人が住んでるって形跡があったことだ。
 寝乱れた感じのベッドの上にパジャマが丸めて放り出してあるとか、テーブルの上に飲み終わったティーカップが置いてあるとか……。わたしみたいに臨時に使う人間が入れ替り立ち替り出入りしているにしては変だ。だれか特定の人間が住んでいるという感じがする。
 しばらく迷ってから管理人さんに確認しようと思い、部屋を出ようとしたとき、「だれ?」と金切り声が上がった。
 みると、通路にいた女の人がものすごい形相で駆けつけてきた。
「人の部屋で何してるの?」
「あの、明日からのバイトですけど、ここに泊まるようにいわれて……」
 管理人さんに渡された部屋の鍵を見せて説明すると、女の人は眉を釣り上げた。
「それ、わたしぐらいの年の若い女じゃなかった?」
 うなずくと、彼女は「あの女!」と毒突いた。
「あの人、管理人さんじゃなかったんですか?」
 おそるおそるたずねると、女の人は、「あ、いや」と苦笑しながら手を横にひらひら振った。
「いちおう管理人よ。管理人らしい仕事はほとんどしていないけどね。ときたまこういう意地悪をするぐらいのもので」
 どういうことなのかといぶかっていると、彼女はわたしをにらんだ。
「で、あんた、この部屋を見て変だと思わなかったの?」
「変だと思ったから、管理人さんに確認しにいこうとしてたんです」
「あ、そう」
 女の人は、少なくともわたしに対しては怒りを静めたようだった。
「つまり、その管理人さんは、わざとあなたの部屋の鍵をわたしに渡したんですか?」
 たずねると、彼女は大きくうなずいた。
「なぜ、そんなことを?」
「いじめよ。い、じ、め」
「仲が悪いんですか?」
「んー、わたしとしてはいろいろがまんしているつもりなんだけどねえ。相手は社長の娘だし」
「社長の娘さん?」
「そ。ただで広い部屋に住んで高い給料をもらうばかりの形式的な管理人。社長の娘だからやりたい放題よ」
 なんか、この会社に就職を決めてほんとによかったのかという不安が、本格的に押し寄せてきた。
「あ、わかってると思うけど、わたしがこういうことを話したってだれにも言ったらだめよ。密告なんてしたら仕返しするからね」
 ストレートな脅し文句に、「しません、しません」と答え、管理人室に戻った。
 管理人さんに対しては、ほんとうなら怒涛のように文句を言いたいところだけど、社長の娘のうえに、気に入らない相手にこんな異常ないやがらせをするような人となれば、うかつに衝突するとあとでどんな目にあわされるかわからない。
 で、「この部屋には住んでいる人がいました」とだけ言って鍵を返したけど、顔は強張っていただろうな、たぶん。
「あら、そう? うっかりまちがえたようね」
 管理人さんはしれっと答えて別の部屋の鍵を渡してくれた。
 今度はまちがいなく空き室だったけど、どっと疲れた。この寮に住むのは避けたいなあ。


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