暗い近未来人の日記−住居探し・その1 |
日記形式の近未来小説です。主人公はもうすぐ社会人一年生。
あくまでフィクションですから誤解のないように。
なお、ここに書かれた内容は、実在の政府や団体や個人とはいっさい関係ありません。
2008年6月1日UP |
2093年3月13日
バイトが終わって、二日間ゆっくり休息したところで、 四月から住む部屋を探すことにした。
寮に住みたければ、二十五日までに申し込むようにといわれている。ただし、入寮希望者が多くて、それまでに満室になってしまう可能性もあるともいわれた。
寮に入るのが手っ取り早いし、経済的でもあるんだけど、あの寮には住みたくないなあ。管理人が変な人だし、自由時間まで同じ職場の人と一つ屋根の下で暮らすってのもねえ。
学生のときは寮暮らしを苦痛に感じたことはなかったんだけどな。
でも、部屋探しって、思ったよりたいへん。大学のときはずっと寮に入っていて、部屋探しをしたことなかったものねえ。
通勤に便利で、でも会社や寮に近すぎない。それにもちろん、家賃は安いほうがいい。
そう思って、まず、T駅の駅近くにある不動産屋をのぞいてみた。
T駅からだと、会社まで電車一本でいけて、乗車時間は十分ほど。わりと近くに大学がひとつと専門学校がふたつあって、ひとり暮らしの学生がたくさん住んでいるって聞いたんだ。
つまり、勤め人の多い街に比べて、単身者向けで家賃の安い部屋が多いらしいっていうの。
でも、そう期待したのは甘かった。
何軒かの不動産屋をのぞいたけど、手頃な単身者用は「学生限定」ってのばかり。そうじゃないのは、駅からけっこう距離があって、二DKとか三LDKとかのマンションで、家賃が高いところばかり。
どうもT駅周辺の賃貸住宅ってのは、学生か夫婦かお金のある人でないと部屋を探しにくそうな感じだった。
それでも数軒目の小さな不動産屋の店頭広告に、キッチンとトイレとシャワーがついて家賃が四万八千円って部屋があった。
お風呂も欲しいとこだけど、正社員か準社員かも決まっていない状況を考えれば、風呂付きの高い部屋より、シャワーしかなくても安い部屋のほうがいい。
そのほかの条件は悪くない。居室部分はいままで住んでいた学生寮よりだいぶん広いし、駅から徒歩六分だし。不動産屋の広告の「徒歩何分」ってのは、「小走りで何分」って思ったほうがいいってよく聞くけど、まあ、「徒歩六分」なら、ふつうに歩いても十分はかからないでしょ。
乗り気になってお店に入ったんだけど……。
店にいたのは店主らしいおじいさんがひとりだけで、その人が感じ悪かったんだ。
いや、店内の客がわたしひとりのときにはそれほどでもなかったんだけどね。わたし本人の収入はどうでもいいみたいで、保証人になってくれる父親の仕事や収入ばかり聞かれたのがちょっと引っかかっただけで。
でも、「学生限定」としていない部屋がほかにもあるって言われて比較検討していたとき、別の客が入ってきたんだ。
その客は女の人で、明らかに学生じゃなかった。いや、まあ、年をとってから大学や専門学校に入る人だっているから、「明らかに」とまでは断言できないか。
それで、わたしと同じ物件に目をつけたんじゃないかと思ったら、やっぱりそうだった。
そのアパートは空室が一つしかないから、わたしが迷っているあいだにその人が決めちゃったら困るなあ……と思いながら聞き耳を立てていたら、不動産屋の対応はひどかった。
「いくら学生限定じゃないといってもねえ。新卒か、せいぜい卒業して一年か二年の若い人を想定してるんだよ。失礼だけど、あんた、年いくつ?」
「四十歳ですけど」
「じゃあ、おとうさんはもう退職して、収入ないんじゃないの?」
「年金をもらってますけど」
「年金暮らしじゃねえ。保証人は現役でなくちゃという大家さんが多いんだよねえ」
「母は現役です。七十歳まで定年を延長できるお店に勤めていますから」
「おかあさんじゃねえ。どうせ、たいした収入はないんだろ?」
店主はため息をつき、女性は無言だった。腹を立て、いらいらしているのが伝わってくる。
「ま、無理だと思うけどねえ。どうしてもっていうんなら聞いてあげるよ。おとうさんの年収はいくらなの?」
「どうして家賃を支払うわたしの収入を聞かずに、父の収入ばかり問題にするんです?」
女性の質問はもっともだと思ったが、店主にとっては思いもよらない問いだったらしい。
「ああ?」と、店主は怪訝そうな顔をした。
「そりゃあ、契約するとなったら、あんたの収入も聞くけどね。四十になって独身で、こういうランクのアパートを探してるってんじゃ、どうせたいした収入じゃないんだろ?」
「もうけっこうです!」
女性はとうとう怒って帰ってしまい、店主はわたしのほうを向き直って肩をすくめた。
「やれやれ。お嬢さんもああいうふうになるんじゃないよ。若いうちにいい人を見つけることだね」
わたしが同感すると思ってそういう言い方をしたみたいだけど、なんだかなあ。「ああいうふう」って、どういうのをいうんだろう。四十になって安アパートを探すのはみじめだって言いたいのかな。自分が紹介しているアパートなのにね。
あの女の人のようによりも、この店主のような人間にはなりたくないなあ。
内心でそう思いながら、いましがたのやりとりで気になった点を口に出した。
「学生限定じゃなくても、若い人限定なんですか、このへんのアパートって?」
「ああ、そうだよ。そのほうがいいでしょ?」
「じゃあ、住んでいるうちに若くなくなってきたら、出なくちゃいけなくなるんですか?」 店主は意表を突かれた顔をした。
「若くなくなってきたらって? まさか、三十になっても四十になっても住みつづけるつもりなんてしていないでしょ?」
「そんな先のことなんてわからないじゃないですか?」
「先のことって……。結婚するんでしょ?」
店主の言い方からすると、どうやらこの店で紹介しているアパートでは、ある程度の年齢になったら更新打ち切りにされそうだ。それも、二十代後半か三十歳前後ぐらいの比較的若い年齢で。
そりゃあ、わたしだって、風呂なしアパートにずっと住んでいたいわけじゃない。独身でいたとしても、経済力さえあれば、住居をグレードアップしたい。
でもねえ、そういう願望通りにはなかなかいかないのが、いまの世の中でしょ?
不動産屋の店主はあの女性客をずいぶん見下していたけど、四十歳ぐらいで安アパートに住んでいる人、引っ越しにあたって安アパートを探さなきゃいけない人なんて、いまどき珍しくはないでしょ?
というより、ローンで家を買ったり、家賃の高いマンションに住んでいる人のほうが、むしろ少数派でしょ?
このさき、自分のほうに引っ越すような事情が発生することがあったとしても、「三十歳になったから更新打ち切り」なんて形で引っ越さなきゃならなくなるのはまっぴらだ。めんどうだし、気分的にも不愉快だろう。
そう思ったので、こちらから断って、その不動産屋をあとにした。
で、出した結論。T駅付近、いえ、学生街でアパートを探すのはやめよう。
そう決めたところで、どっと疲れて帰ってきちゃった。
あすから、別の街で探すことにしよう。